このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2015年10月31日土曜日

与えられた能力

あなたは”あなた”である必要があります。
あなたは他の誰かであってはなりません。
あなたは”あなた”であるべきなのです。
そうでなければ、人生を果たすことはできません。
あなたが”あなた”でなければ、人生は完全にはならないのです。
多くの人が自分に成ることを否定します。
多くの人が自分自身に自信が持てず、嫌悪感を抱き、他人を羨望(せんぼう)するのです。
多くの人が自分では無い誰かになろうと考えます。
そして、自分自身を否定するのです。
あなたは自分が好きでしょうか?
多くの人は嫌いです。
そのため、ありのままの自分を受け入れることができずに、違う自分を目指して努力を続けます。
現状の自分を否定して、どうして自分を実現することができるのでしょうか?
考えなければなりません。
人はそれぞれが大切な世界の一部です。
すべての人に大切な役割が与えられ、誰一人として無駄な人はいません。
どのような人にも価値があり、どのような人にも役目があるのです。
その価値を高め、与えられた役割を果たさなければならないのです。
価値を高めるとは、別の自分になるということではありません。
自分を否定するのであれば、自分の価値が高まることなどはないからです。
あなたは”あなた”を受け入れましょう。
長短、陰陽のすべてを自分として受け入れるのです。
他人と比較することは、自らの能力を殺す結果を導きます。
長短、陰陽を所有する形が自然なのです。
完璧な存在はいないのです。
(長短、陰陽を所有する現状の形が常に完璧です)
それぞれに特徴があるということを覚えておきましょう。
同じ形であっては世界は機能しないのです。
それぞれが違う形を与えらえているのです。
あなたは、他の誰かのようにはなれません。
どれだけ努力を重ねても無理です。
あなたは”あなた”であって、他の誰でもないのです。
あなたが努めるのであれば、”あなた”に近付くのです。
それを否定してはならないのです。
鳥は翼によって空を行きます。
魚は鰭(ひれ)によって水を行きます。
動物は脚によって地を行きます。
人は知恵によって”天”を行くのです。
それぞれの特徴が能力です。
与えられた能力を使わずにどうやって人生を果たすというのでしょうか?
鳥が翼を使わなければ、すぐに命を失います。
あなたが”あなた”の能力を使わなければ、同じことが起きるのです。
生存することが目的ではないのです。
生命を失うことなど取るに足らないのです。
しかし、”命”を失うことは苦しいのです。
あなたは”あなた”であれば良いのです。
他人の様に生きる必要などないのです。
しかし、これは自分勝手に生きろと勧(すす)めている訳ではありません。
あなたが”あなた”であれば、自分勝手に生きることはできないのです。
あなたは、与えられた能力を大切に育み、特別な存在と成りましょう。
すべての人が特別です。
しかし、その能力を封印したままであれば普通です。
自分であることに誇りを持ち、覚醒する必要があるのです。
自分のことを知りましょう。
良く観察し、理解を深めるのです。
あなたは”あなた”でなければなりません。
”あなた”によって人生を果たしましょう。

2015年10月30日金曜日

価値のある教え

目的は理解にあります。
あなたは理解を得るまでは何度も何度も繰り返し学ばなければなりません。
理解を得るまでは、学びは続くのです。
しかし、多くの人は理解を求めません。
問題を放り出すことによって、それが解決すると思い込んでいるのです。
問題から離れても、それが解決するということはありません。
あなたがそれを放り出し、逃れても、逃れた先に問題が生じるのです。
これは、あなたの肉体の抱える問題ではないのです。
これは、唯物的な原因ではないのです。
すべての問題はあなたの心根から生じる”教え”であるのです。
そのため、心根を変えることがなければ、問題は決して解決しないのです。
問題から逃れても、あなたの心根に原因があるために、同じ問題が生じるのです。
そのため、あなたはそのような方法では逃れられないのです。
問題に対する理解を深めることによって、あなたは心根を変えることができます。
理解を得ることがなければ、心根が変わることなど有り得ないのです。
多くの人がそのことを知りません。
心根を変えるのは簡単なことではありません。
そこには辛抱と努力が必要なのです。
しかし、多くの人は辛抱と努力を継続することができません。
楽を求める心がそうさせるのです。
そのため、理解の途中で投げ出してしまうのです。
そして、再び同じ問題に苦しむことになるのです。
その問題が何のために存在しているのか?ということを熟考しなければなりません。
その問題を抱えているのはあなたなのです。
他人がその問題を抱える必要はありません。
なぜなら、その原因はあなたの心根にあるからです。
あなたが受けているのであるから、あなたが理解する必要があるのです。
他人と比較することや、他人を見て自らを慰(なぐさ)めることはできません。
他人は他人の心根によって問題を受けているのです。
同情を利用して自らを正当化してはならないのです。
目的は理解にあるのです。
人生においては、理解を求められているのです。
問題の本質を理解することなく、問題が解決するなどと安易に考えてはならないのです。
無知によって楽を求める心を許している者には、そのことが理解できません。
そのため、どうにかして問題から離れようとするのです。
心根に距離は存在しません。
なぜなら、それはあなたの内に存在する、あなた自身であるからです。
本質を見失ってはなりません。
苦しいからといって、向き合わない訳にはいかないのです。
なぜなら、それは理解を目的としているからです。
なぜ、その問題が生じたのか?
その問題は何を訴えているのか?
その問題によって自らはどうあるべきなのか?
その問題によって何を得るのか?
あなたには理解しなければならないことがたくさんあるのです。
問題が苦しいからといって、それを無益なものとして考える人がいます。
しかし、問題によってのみ理解することができることはたくさんあるのです。
問題を得なければ、あなたはいつまで経っても気が付かないことが多いのです。
そのために、問題を得るのです。
すべてには意味があります。
すべてが最善です。
この世界に無駄なものなど何一つ存在しないのです。
目的は理解にあります。
辛抱強く、努力に励(はげ)みましょう。
価値のある問題を放り出してはなりません。

2015年10月29日木曜日

”神”に聞く

知恵のある人は褒(ほ)められます。
知恵のある人は必要とされ、尊ばれるのです。
それは、知恵によって豊かさを導くことができるからです。
知恵の無いのは罪です。
それは、苦悩を導きます。
無知であるために争い、苦しむのです。
知恵のある者は争いません。
知恵のある者が争いに会うことはないのです。
争いが起きる前に、知恵によってその問題が解決するからです。
争いを所有している時点において、知恵の無いということを理解する必要があるのです。
知恵のある者は苦しみません。
知恵のある者が苦しみに会うことはないのです。
苦しみを無益であるとは考えないからです。
苦しみ(という状態)を所有している時点において、知恵の無いということを理解する必要があるのです。
この世界は知性によって創造されました。
知性が形と成ったのです。
知性が存在しなければ形は存在しません。
一切の唯物は、知性という唯心によって導かれなければ存在することができないのです。
人間の生み出すすべての道具は、その知性から生じました。
人間の知恵が道具を生み出し、社会を生み出したのです。
ならば、人間は誰によって生み出されたのでしょうか?
自然は?
地球は?
太陽は?
宇宙は?
誰によって生み出されたのでしょう?
あなたは誰によって、何によって生まれたのですか?
あなたを生み出したのは知性です。
多くの人はこれを”神”と呼びます。
”神”とは知性です。
無意識に呼吸をし、呼吸によって既に準備されている空気を得て、当たり前に生存している。
これが知性のなせる業(わざ)であるのです。
この偉大さを理解することができるでしょうか?
すべては知恵によって仕組まれているのです。
仕組まれているために、あなたは何も考えることなく生存しているのです。
知恵を得るということは、”神”を得るということです。
知恵を増すということは、”神”に近付くということなのです。
”神”は豊かさです。
陰陽のすべてが”神”であるのです。
そのため、知恵を以て生きるのであれば、陰陽のすべてから豊かさを得ることができるのです。
知恵のある者が何かを蔑(ないがし)ろにすることはないのです。
何かを善悪に隔てて争うことも、苦しむこともないのです。
”神”は大切なものだけを創造したのです。
すべてが必要であるために導いているのです。
知恵があれば、”神”の意思を理解することができます。
知恵の無い者にそれを理解することはできません。
残念ですが、仕方の無いことであるのです。
理解するためには知恵が必要なのです。
どのような相手の意思も、近付かなければ理解することはできません。
遠くから眺めているだけでは、勝手な憶測が心を埋めることになるのです。
近付いて直接聞くのです。
知恵が増せば、”神”に会うことができます。
”神”に直接聞けば、あなたが今後苦しむことはないでしょう。
あなたはそんなことはできないと言うでしょう。
それは、知恵の無い発想です。
ここで語られたことを覚えておきましょう。
人生(あなた)は無限の可能性に満ちているのです。

2015年10月28日水曜日

尊い人

感謝を受ける人は尊(とうと)いものです。
人は、感謝を受けなければなりません。
本来、人は尊い存在です。
しかし、その尊さを見失っています。
人の心は弱いものです。
多くの苦難に会えば、すぐに挫(くじ)けてしまいます。
人生とは、自らの魂が抱える歪みの矯正であり、成長のための治療であるのです。
そのため、人生には苦悩が絶えません。
すべての人が苦悩を得るのは、自分の内に苦悩を抱えているからなのです。
多くの人はその状態にとどまります。
苦悩を克服しないままに人生を終えるのです。
しかし、あなたは苦悩を克服しなければなりません。
苦悩を克服するためには、感謝を受ける人にならなければならないのです。
この世界には因果の仕組みが働いています。
すべての結果には、それに相応しい原因が存在しています。
どのような人物も、因果を否定することはできません。
あなたの受ける状況は、あなたの抱える原因によって導かれた当然の結果であるのです。
すべては自らによって導かれます。
あなたの心根や行為が、人生を決めるのです。
あなたが何を受けているかによって、何を抱えているかを知ることができるのです。
あなたが苦悩を受けているのであれば、心根や行為がそれに相応しいものであるのです。
あなたが敵意を受けているのであれば、それに相応しいのです。
そのような状態であっては、人が平安を実現することはできないのです。
大切なのは、自らの在り方です。
ただ、それだけなのです。
どのような状況に対しても感謝することができる人に、敵意が向けられると思いますか?
そのような人が苦悩を受けるでしょうか?
感謝することができていないから敵意が向けられ、感謝することができていないから苦悩を受けるのです。
ただ、それだけなのです。
誰かや何かのせいにすることなどできないのです。
それが無知による羞恥(しゅうち)であることは、後になって分かることなのです。
あなたは人生に対して、他人に対して、何を以て接しているでしょうか?
あなたは何を受けていますか?
それはあなたの内を教えているのです。
誤解を許してはならないのです。
尊い人は感謝を受けます。
尊い人は、その存在に感謝されるのです。
あなたが相手に感謝されるのであれば、尊い人でしょう。
しかし、相手に敵意を向けられるのであれば、そうではありません。
尊い人でなければ、苦悩を受け続ける必要があるのです。
受けるものはすべて、自らが与えたものです。
ありのままに返るのです。
あなたはどれだけの人に感謝されたでしょうか?
しかし、それは言葉の感謝ではありません。
心よりの感謝なのです。
あなたに会えて良かったと、心よりの感謝を受ける人になるのです。
尊い人になることは尊いのです。
この世の財宝や権力を得るよりも、尊い人の方が尊いのです。
装飾(そうしょく)に耽溺(たんでき)し、真の尊さを見失ってはならないのです。
物を遺すよりも、人を遺した方が尊いのです。
あなたは感謝を受ける人にならなければなりません。
しかし、企(たくら)みによって受けてはなりません。
重要なのは、相手の心よりの感謝であるからです。
強要しても尊くないのです。
自らがどう在るべきなのかを考えましょう。

2015年10月27日火曜日

畑仕事

畑を疎かにする者は、飢(う)えに苦しむでしょう。
あなたは畑を所有しています。
その畑を疎かにすれば、すぐさま雑草が蔓延(はびこ)ります。
それでも疎かにするのであれば、樹木が育ち、やがては畑を失います。
草木によって畑を失う者は、飢えに苦しむでしょう。
畑を疎かにすれば、土は固まります。
固まった土には作物は育ちません。
天から降る雨も、その表面を流れ、畑には蓄えられません。
固まった土によって畑を失う者は、飢えに苦しむでしょう。
畑を疎かにすれば、肥(こえ)を失います。
肥を失った土には作物は育ちません。
意気込んで種を蒔(ま)いても、土が肥えていないために食物は育ちません。
肥を失うことによって畑を失う者は、飢えに苦しむでしょう。
畑を疎かにすれば、鳥獣や昆虫によって貪(むさぼ)られます。
鳥獣や昆虫の侵入を許せば、収穫は得られないのです。
畑を見張らない者は、飢えに苦しむでしょう。
畑を疎かにすることは、命に関わります。
どのように文明が豊かに育まれようとも、人が畑(自然)から離れることはできません。
多くの人は食物を必要としているのです。
これと同じように、人は心を必要としています。
心の状態こそが、人生の状態を決めるのです。
畑を心として考えましょう。
肉体的な人間にとって、畑は命そのものです。
精神的な人間にとって、心とは命そのものです。
畑を疎かにする者が飢えに苦しむように、心を疎かにする者は問題に苦しむのです。
畑に対して懸命に働くのであれば、あなたが飢えに苦しむことはありません。
心に対して懸命に働くのであれば、あなたが問題に苦しむことはないのです。
しかし、多くの人が問題を抱え、苦悩の中に人生を生きています。
それは、心を疎かにしているということなのです。
すべての問題は、心によって発生します。
そのため、それを解決する方法も心にあるのです。
誰かを助けてやり、助けてもらっても、心根に違いがないのであれば、自ら同じ結果を繰り返すのです。
そのため、誰かを助けてやること、助けてもらうことは大抵の場合無意味に終わります。
畑を疎かにする者の畑を代わりに耕(たがや)してやり、代わりに種を蒔き、代わりに水をやり、代わりに肥をやり、代わりに収穫してやっても、また畑を疎かにするだけなのです。
心根が違わない限りは、飢えに苦しむことは続くのです。
しかし、多くの人は”奇跡”を信じています。
畑で働かなくても、”神”が養ってくれると信じているのです。
この世界には因果の仕組みという理(ことわり)があります。
これは”神”による掟(おきて)です。
”神”がこれを自ら犯すでしょうか?
畑を疎かにする者に、収穫を導くでしょうか?
幻想に浸(ひた)り、妄想を信仰してはなりません。
努めなくして収穫は導かれないのです。
他力に頼り、自力を磨かない者が多過ぎるのです。
誰かや何かに頼ることを前提として人生を設計することは間違いなのです。
他を頼りにしてはなりません。
自分の畑は自力によって耕すのです。
知恵と努めと辛抱を以て作物を育てるのです。
それと同じように心を育てましょう。
畑も心も疎かにしてはなりません。
懸命に生きましょう。
怠惰(たいだ)に生きてはなりません。
飢え(問題)に苦しまないように働きましょう。

2015年10月26日月曜日

天才

人は天性を実現しなければなりません。
天性とは、誰にでも備わっている天才性です。
誰もが天才であり、その能力は他に引けを取りません。
あなたにも、天才的な才能があるのです。
それは、すべての人が必要な役割を担っていることに起源しています。
この世界においては、すべての人が必要な役割を担っています。
それは、その人にしかできない仕事があるということです。
どのような人にも特別な仕事が与えられているのです。
その特別な仕事は、その人に限定されているのです。
自らの天性を実現するのであれば、その職務を遂行することができます。
しかし、自らの天才性に気が付かず、天性を実現しないのであれば、その職務は放棄されるのです。
あなたは自らの才能を諦めてはなりません。
自らの天性を否定してはなりません。
天才性を自らの好きに指定することはできませんが、それは確実に備わっています。
その才能は、あなたの希望するものとは違うかも知れません。
また、誰からも注目されない能力であるかも知れません。
しかし、その才能が世界には必要であるのです。
あなたの才能を活かして、あなたの才能が携わる世界をより向上させていく必要があるのです。
何に才能を発揮するかは分かりません。
才能とは、集中して楽しめることです。
余計な考えに捉われずに楽しめることが才能であり、天性であるのです。
天性や才能と聞くと、大それたものであると誤解している人がいますが、天性や才能はすべての人に備わっているのです。
何も珍しいものではありません。
目立つ天性や才能が優れているのではありません。
あなたの天性や才能が誰からも注目されなくても、それが優れていることには変わりないのです。
花形(はながた)が花形でいられるのは、それを支える脇役の力が必要であるのです。
脇役が脇役でいられるのは、花形の支えがあってこそのものです。
どちらが優れているということはないのです。
すべてが大切な役割なのです。
あなたは自らの天才性に気が付いているでしょうか?
あなたには、誰よりも情熱を傾けて楽しめるものがあるはずです。
その才能を生かさなければなりません。
楽しいことを仕事にしましょう。
生存(生活)のため、欲望(地位や金銭など)のために仕事を決めてはならないのです。
あなたが心の底から楽しめるものは何か?ということを知る必要があるのです。
情熱を注ぐことができない仕事を続けてどうするのですか?
あなたは無理(我慢)のために命を削ることになるでしょう。
情熱に従って行う仕事は、逆に命を増すのです。
余計なこと(生存や欲望)を考える必要はありません。
あなたは、自らの天性に従って生きれば良いのです。
あなたは何のために生まれてきたのでしょうか?
無理を重ね、虚しく生きるためですか?
情熱を注ぐことができない虚しい生き方を続けて、何を得ると言うのでしょうか?
虚しい生存に価値があるのでしょうか?
それが、他人には理解されること、評価されることがない生き方であっても、あなたが情熱を注ぎ、楽しいと思うのであれば価値があるのです。
あなたは何のために生きているのでしょうか?
あなたが自分を天才であると知らないのであれば、天性は心の奥底に眠ったままです。
あなたは様々なことを試さなければなりません。
自分にどのような情熱が備わっているのか?ということを探すのです。
情熱が存在するところに天性が眠っています。
すべての人が自らの天性に目覚め、能力を覚醒(覚醒)しなければなりません。
すべての人が情熱を以て仕事をし、生きるのであれば、これほど素敵な世界はありません。

2015年10月25日日曜日

できること、できないこと

あなたが人を見る時には、その結果を見る必要があります。
多くの人は結果を見ながらも、その本質には気が付きません。
期待と希望を押し付けることによって、幻想を望んでいるのです。
結果がその人の答えです。
その結果を相手の答えとして認める必要があるのです。
しかし、期待と希望が相手を幻想の中に隠します。
あなたは相手に何を期待するのですか?
相手に対してどのような希望を抱いているのでしょうか?
相手の導く結果が答えなのです。
それを受け入れる必要があるということを覚えておかなければならないのです。
あなたは相手に「できるはず」「できるのにやらない」などと考えています。
しかし、結果としてやっていないことはできないのです。
結果としてやっていないことは分からないのです。
そして、結果としてやっていることだけを理解しているのです。
期待と希望はそれを否定し、相手ができる、分かるという自分勝手な願望を押し付けることになるのです。
人それぞれに立場が違います。
魂としての段階が違い、与えられた役割も違います。
あなたには必要なことが、相手には必要ではなく、相手にとって重要なことが、あなたにとっては重要ではないということは多々あることなのです。
しかし、そのことを知らないために、相手を自分の基準によって計ります。
そして、自分と違えば「そんなはずはない」と考えて、相手を矯正しようと努めるのです。
それは自我以外の何物でもありません。
あなたは他人とは別物なのです。
同じであるはずがないのです。
親子だから、血が繋がっているから、遺伝子が似ているから、親族であるから・・・
このような後天的なものには効力がありません。
人生は、先天的に計画されているからです。
世代が違えば、役割も違います。
一年前の常識は、現在には通用しません。
十年前、五十年前、百年前、五百年前、一千年前・・・
同じ状態(環境)が続いていると思いますか?
そこで必要な働きが同じであると思うのですか?
あなたよりも歳上の世代が同じ役割を担っていると思いますか?
あなたよりも歳下の世代ではどうでしょうか?
現状維持のために人が生まれて来ると思うのですか?
あなたにできることは、他人にはできません。
他人にできることは、あなたにはできないのです。
あなたがやりたくてもできないように、相手もやりたくてもできないのです。
役割が違うために、同じことをする必要などないのです。
自分と他人を一緒くたに考えてはならないのです。
しかし、無知な者は自分と他人を同じものとして考えています。
そのため、上記のように「できるはず」「できるのにやらない」という傲慢に至るのです。
あなたが親と同じことをする必要はありません。
あなたが子と同じことをする必要はありません。
そのような無用なことをする必要はないのです。
それぞれに与えられてた役割が違えば、それぞれの働きは違うものとなります。
それは異なる価値観を導き、異なる行為を引き起こすのです。
そのため、世代を挟んだり、他人に関しては理解することが難しいのです。
そこには対立が生じますが、これは、相手を認めていないためです。
無知こそが問題を導いているのです。
やっていないことは、できないのです。
そのことを理解しなければ、争いが収まることはありません。
相手を理解することをしなければ、苦悩を免れないでしょう。
あなたは相手の結果を見ましょう。
そして、余計な期待や希望によって、相手を決め付けないようにしなければなりません。

2015年10月24日土曜日

家畜の幻想

人は既に所属を所有しています。
あなたは既に何かに所属しているのです。
あなたは人間に所属しています。
あなたは性別に所属しています。
あなたは個性に所属しています。
あなたは人種に所属しています。
あなたは国に所属しています。
あなたは民族に所属しています。
あなたは文化に所属しています。
あなたは心に所属しています。
あなたは思考に所属しています。
あなたは言葉に所属しています。
あなたは価値観に所属しています。
あなたは時間(過去、現在、未来)に所属しています。
あなたは家族に所属しています。
あなたは絆に所属しています。
あなたは自我に所属しています。
あなたは宗教に所属しています。
上げれば切りがありませんが、あなたは様々なものに所属しているのです。
それは、意識的な所属でもあり、無意識的な所属でもあります。
しかし、所属を所有していることは事実です。
所属は執着を生み出します。
それがどのような所属であろうとも、あなたはそれを守ろうとするのです。
自分が所属しているものは、何であっても居心地が好く愛おしいのです。
それを離れることは簡単ではありません。
しかし、所属とは後天的な発生であり、幻想に過ぎません。
それは有るけれども無いのです。
多くの人は所属を大きな(重要な)ものと考えています。
所属によって安心感を覚え、所属によって満足しているのです。
しかし、どれだけ所属に頼っても、それは幻想に過ぎないためにすぐに消え去ります。
あなたの頼りにしている柵は、風雨にさらされて簡単に崩壊するのです。
柵の中に安心感と満足を覚えていた家畜は、柵が壊れると同時に外の世界に怯え、大きく悲鳴を上げるのです。
そして、獣によって簡単に捕らえられ、命を失ってしまうのです。
所属を頼りにしなければ、命を失う可能性は低いものであったのです。
しかし、所属したために簡単に命を失うのです。
あなたの所有している所属は、本当にあなたを守るでしょうか?
それが幻想でないと言い切れるでしょうか?
この世界に幻想以外の核心が存在するのでしょうか?
柵の外に出なければ、世界を理解することはできません。
あなたはできる限りの所属を考え直すように心掛けましょう。
孤独に歩まなければ幻想に騙されてしまうのです。
家畜が見ている世界は幻想に過ぎないのです。
それぞれが所属を離れるのであれば、物事の核心に迫ることもできるでしょう。
しかし、所属によって群れるのであれば、物事の核心に迫ろうとしても、それを善意によって拒まれることもあるのです。
所属は意識を引き下げます。
あなたが向上を求めていても、それが難しくなるでしょう。
そのため、所属には注意しなければなりません。
できる限り孤独に歩み、孤高を目指しましょう。
それぞれが孤独であり、孤高であれば、それぞれが真理(核心)に目覚めます。
それを持ち寄ることによって、向上が実現するのです。
しかし、それは所属するということではありません。
あなたは所属の在り方を見直しましょう。
執着や依存を生み出す所属は、あなたの道を拒みます。
あなたは既に所属を所有しています。

2015年10月23日金曜日

”神”との会話

この世界において”神”を無視することはできません。
”神”とは最高の知性のことであり、理(ことわり)のことです。
この世界は”神”によって動かされています。
すべてに”神”の知性を理解することができます。
あなたがそれを理解することができないというのであれば、無知であるか、捻(ひね)くれているかのどちらかでしょう。
あなたの心臓はどうやって動いているのでしょうか?
自然界のシステムはどうやって動いているのですか?
この世界を誰が設計し、構築したのでしょうか?
どれをとって見ても、そこには最高の知性が備わっていることを理解することができるでしょう。
あなたは何も考えずに心臓を動かすことができます。
何の意識もなく呼吸を続けることができます。
食べたものからは運動に必要な栄養素を吸収し、不要なものは排出します。
毎日、当たり前に行われていることが、本当に当たり前であると思うのですか?
あなたはそれを一つ一つ意識的に働かせることを想像してみてください。
それは、あなたが寝ている時にも稼働し続けているのです。
それがどれだけ高度なシステムであるのか?を理解することができるでしょう。
そこに知性が存在していることを理解することができないというのであれば、どうすることもできません。
すべては高度な知性によって動かされているのです。
あなたの遺伝子に存在する情報を使って、あなたの肉体が形成されます。
あなたの思考や感情に存在する情報を使って、道具が形成され、仕事が形成され、社会が形成されます。
どのようなものにも必ず知性が導く情報が存在しているのです。
自然界にもそれを形成するための情報が存在しています。
地球にもそれを形成するための情報が存在しています。
宇宙にも同じです。
別の次元にも同じことが言えるのです。
すべてには知性によって導かれる情報が存在しているのです。
この世界を形成しているのは”神”です。
”神”の知性こそが情報であり、すべての源であるのです。
あなたは”神”の知性が形成した完全なるシステムの中に存在しています。
システムを形成するには目的があります。
その目的とは成長であるのです。
あなたが成長するための完璧なシステムが、この世界であり、人生であるのです。
あなたが必ずしも、これを理解する必要、受け入れる必要はありません。
しかし、観察すれば理解することも、受け入れることもできるようになるでしょう。
世界には”神”の言葉が溢れています。
”神”の言葉は言語や音声ではありません。
それは状況です。
目の前の状況こそが、”神”の言葉であるのです。
あなたは、目の前の状況を”神”の言葉であると知りましょう。
”神”は状況によって、あなたに語り掛けているのです。
あなたはそれを聞き取り、理解する必要があるのです。
”神”の言葉を理解することができなければ、最善を理解することはできません。
自分が何者であるのかも分からず、何のために生きているのかも分からないあなたに、どうして最善の判断が下せるのでしょうか?
自分勝手に生きれば躓(つまず)くことは、既に知っているはずです。
自我によって判断を下すのであれば、あなたは問題や苦悩という形で躓きを得ることになるのです。
”神”を無視した生き方は最善ではありません。
どのように生きるかはあなたの自由ですが、人生と自分自身を考えた時には自分勝手に生きることに希望を見出すことはできないでしょう。
あなたは”神”の言葉を聞きましょう。
目の前の状況に対して、反発するべきではないのです。
それはあなたの行為(選択)に対する最高の知性である”神”からの返答です。
あなたは”神”と会話をしているのです。
”神”の答えを聞いて、どうするべきかを決めましょう。

2015年10月22日木曜日

蜘蛛の巣

目を凝らして見ない者は、世界の真実に辿り着くことはできません。
世界の真実とは、「何のために生きているのか?」という問いの答えです。
真実とは、人によって異なります。
世界は同じように見えても、人それぞれに違うものであるのです。
目を凝らして見ることがなければ、世界の真実を見極めることはできず、苦悩を受けることになるのです。
この世界には、苦悩という名の蜘蛛(くも)が巣を構えています。
あなたは花の間を飛び回る蝶のようなものです。
蜘蛛の糸は透明であり、蝶からは隠されています。
それは目を凝らすことがなければ気が付きません。
気が付かなければ簡単に捕らわれてしまいます。
注意して飛ばなければ、自由は奪われ、その身は引き裂かれるのです。
これが人生の苦悩として導かれるのです。
無知な蝶は、蜘蛛が巣を構えているということを知りません。
何の注意もなく、好きに飛び回ります。
当然、自ら蜘蛛の巣に捕らわれることになるのです。
蜘蛛は待っているだけです。
自らが捕らわれるのを蜘蛛のせいにすることはできないのです。
自らがそこへ向かったのです。
蝶が蜘蛛の巣に捕らえられないためには、巣に向かって飛ばないことです。
注意して飛べば、安全に花の蜜に辿り着くことができるのです。
多くの人は目を凝らすことをしません。
当たり前を当たり前と決め付け、自分が信じることができることのみを信じています。
与えられた世界を生きているのです。
誰かに教えられたことを鵜呑みにし、それを疑うことをしません。
そのため、実際に存在しているものさえ見ることができず、直ちに苦悩に会うのです。
あなたは目を凝らさなければなりません。
当たり前を当たり前としてはなりません。
(無知な)自分を信じてはなりません。
教えられたことを鵜呑みにしてはなりません。
苦悩を受けるのは自己責任であるからです。
何も無い場所に何かが有り、何かが有る場所に何も無いのです。
世界は真実を隠します。
この世界は偽りを喜んでいるのです。
それは、あなたが偽りによって真実を知る(思い出す)ためです。
あなたは相対(あいたい)するものによって、学ぶのです。
陽を学ぶためには陰を学ぶ必要があるのです。
簡単には見極められません。
蜘蛛は賢く巣を構えます。
そこには知恵があるのです。
蜘蛛の巣を見極めるためには、知恵を以て見る必要があるのです。
苦悩に対して知恵を以て見れば、その”美しさ”を理解することができるでしょう。
蜘蛛の巣を恐ろしいものとして見るのと、美しいものとして見るのでは、結果に大きな違いが生まれるのです。
目を凝らして見れば、蜘蛛の巣が美しい形を成していることに気が付くことができます。
それは、そこに知恵を見ることができるからです。
どのような苦悩にも知恵が隠されています。
それは、隠されてはいませんが、見えていない者にとっては隠されているのです。
すべての事柄に知恵が存在しているということを理解しましょう。
目を凝らして見るのであれば、この世界に苦悩は存在しないということに気が付くことができるはずです。
すべては、あなたの無知から生じる誤解であるということを知ることができるのです。
目を凝らして見れば、世界が完全な働きの中にあることを理解することができます。
目を凝らして見れば、世界が知性によって満たされているということに気が付くでしょう。
目を凝らして見る時、あなたが蜘蛛の巣に捕らわれることはなく、その自由が妨げられることもないでしょう。
すべてに感謝してみましょう。
それが、あなたの目を凝らせ、世界の真実を伝えるでしょう。

2015年10月21日水曜日

知恵の勧め

無知な者はいつの時も無知を楽しみます。
愚かな者は、常に愚かな選択を行います。
それは、知恵を求めないからです。
多くの人は知恵を求めません。
人生の目的に対して関係性の弱い娯楽に興じ、知恵を育むことをしません。
多くの人は楽しみに向かい、知恵に向かうことをしないのです。
無知な者は無知に苦しみますが、その原因が無知にあることを知りません。
なぜなら、無知であるからです。
無知であるために、自分がなぜ苦しんでいるのかを理解することができないのです。
人生を豊かなものとするためには、無知を克服する必要があるのです。
しかし、無知な者はそれを克服しようとはしません。
なぜなら、知恵を得ることが難しいと考えているからです。
知恵を得ることは難しいことではありません。
なぜなら、それはただの積み重ねであるからです。
特別な能力も、特別な方法も、特別な場所も必要ではないのです。
ただ知恵に向かい、それに触れるだけで良いのです。
しかし、無知な者は忍耐がありません。
忍耐が無いために、すぐに諦めてしまいます。
それでも良いと考えるのは、やはり無知であるからです。
無知を克服しなければ、どのような問題も解決しないのです。
多くの人は人生に迷います。
それは無知であるからです。
知恵のある者が人生に迷うことなどないのです。
それは、知恵があるからです。
知恵はすべての問題を解決します。
あなたが求めるべきは知恵であるのです。
娯楽に興じ、問題から目を背けたところで、満足に至ることはありません。
娯楽はある種の喜びを導くでしょうが、あなたはそれに安心していてはならないのです。
なぜなら、あなたがどれだけ娯楽を喜んだところで、人生の意味を理解することができないからです。
「何のために生きているのか?」
この単純な問いに対して答えを導かなければなりません。
なぜなら、それに答えること以外に、人生を満足することはできないからです。
無知な者はその問いに答える必要がないと思い込んでいます。
百年生きようとも、千年生きようとも、その問いに答えることなく満足を得ることはできないのです。
知恵を以て初めて、この問いに答えを導くことができるでしょう。
あなたは知恵を求めなければなりません。
一つでも多くの知識に出会うべきなのです。
一つでも多くの事柄に興味関心を抱く必要があります。
そのようにしなければ知識を得ることは叶いません。
知識を得ることがなければ、知恵を増すことはできないのです。
一つの知識は一つの植物の種のようなものです。
それは、成長するほどに多くの枝葉を茂らせます。
そこには知恵の果実を実らせるのです。
小さな種と侮(あなど)ってはなりません。
既成概念(きせいがいねん)にとどまることは心地好いのです。
無知な者にとってはその通りになります。
無知な者が既成概念を離れることは簡単ではありません。
それは、無知が故に勇気が無いからです。
無知は恐れを生じ、過去に停滞させます。
あなたは無知による恐れよりも大きな知恵に対する欲求を持たなければならないのです。
いつまで、”そこ”にとどまっているつもりですか?
時代が変わったのです。
取り残されるつもりですか?
知恵を以て生きましょう。
いつの時も、知恵のある者は助かるでしょう。

2015年10月20日火曜日

天体

夜空を見上げた時に、多くの人は輝く星々を注目します。
夜空に散りばめられた星々は美しく輝き、人はその輝きによって魅了されるのです。
星々は輝きを放っているために、目立ちます。
夜空を見上げた時に、初めに飛び込んでくるのは輝きを放つ星々です。
そのため、多くの人は輝く星々に注目するのです。
しかし、夜空を彩る星々は、単体で存在しているのではありません。
星だけが存在しているのではないのです。
星々を支える(夜空にとどめる)力が存在しているのです。
星々を支える力が存在しなければ、星々は落ち込んでしまうでしょう。
それぞれの星が適当な間隔を維持して夜空にとどまっているのは、暗闇(宇宙空間、暗黒物質)が存在しているからなのです。
暗闇の支えなくして、星々は夜空にとどまることはできないのです。
多くの人は星々に注目し、暗闇には注目しません。
暗闇が星々を支えているということを知ることもなく、その重要性にも気が付きません。
しかし、星々が夜空にとどまるためには、暗闇の力が不可欠であるのです。
そのため、輝きを放つ星々のことばかりを重要視しているのであれば、夜空の真の美しさには気が付かないままであるのです。
夜空でなければ、星々は姿を隠します。
背景が暗闇であるために、星々は輝きを放つのです。
星々が輝きを放つためには、夜空であることが必要であるのです。
これは、心にも同じことが言えます。
人の心には陰と陽の二つの性質が存在しています。
ネガティブな感情と、ポジティブな感情は表裏一体であるのです。
どちらかが欠ける訳にはいきません。
ネガティブな暗闇があってこそ、ポジティブな星々が瞬(またた)くのです。
昼空であっては、存在しているはずの星々は見えないのです。
星々の輝きは繊細です。
それを理解するためには、暗闇を大切にしなければならないのです。
多くの人は人生における苦悩を嫌います。
自分自身の至らない(ネガティブな)部分を嫌い、自己嫌悪に陥ります。
相手の(自分に対する)ネガティブな部分を見ては、怒りに任せるのです。
多くの人は苦悩は悪であると思い込んでいるのです。
苦悩が悪であるのならば、夜空は美しくはないはずです。
あなたは夜空を見上げてどのように感じるでしょうか?
星々の間に存在する暗闇を恐れますか?
何も怖くはないはずです。
それと同じように、人生や自分自身を見れば良いのです。
人生は思い通りに進まないことばかりです。
理想は実現せず、希望は否定されます。
もしも、人生が思い通りに進むのであれば、あなたは大空一面に瞬く星々の存在に気が付くことはないでしょう。
星々の瞬きを知らずに生きるのは味気ないのです。
苦悩の価値を知らずに生きるのは、星々の美しさを知らずに生きるようなものなのです。
あなたは、苦悩の対象を熟考してみましょう。
そうすれば、それが美しい星々の存在を教えてくれるはずです。
苦悩の対象を否定的に捉えるのであれば、あなたが夜空に気が付くことはないでしょう。
星々が美しいのは、暗闇のおかげです。
あなたはそのことを理解しなければなりません。
人生には苦しいことが多いでしょうが、それ等が無意味に存在するのではないのです。
すべてが意味のあることであり、大切な学びであるのです。
あなたは夜空を見上げてみましょう。
そこには、輝く星々よりも広大な暗闇が広がっています。
暗闇が星々を支えているのです。
人生における苦悩こそが、輝く喜びを支えているということに気が付きましょう。
何も考えずに、ただ夜空を眺めてみましょう。
そうすれば、あなたの抱えている苦悩が幻想であるということにも、いつか気が付くことができるでしょう。

2015年10月19日月曜日

分裂

分裂が始まっても、あなたはそれに抵抗してはなりません。
否定的な選択は、あなたの成長を遅らせます。
なぜなら、すべてが成長のために導かれる最善であるからです。
それがどのような状況であろうとも、それは、成長のために必要な変化であるのです。
あなたにはそれが理解できないだけなのです。
あなたに理解することができないことの方が多いのです。
あなたに理解することができることなど、無いに等しいのです。
あなたはそのことを知らなければなりません。
多くの人は自分が”知っている”と思い込んでいます。
そのため、目の前の状況に対して否定的な感情を抱き、そのように選択することになるのです。
分裂が始まれば、あなたにそれを食い止める術はありません。
一度分裂を始めたものは、そのまま崩壊するのです。
それを食い止める必要はありませんが、あなたは古い価値観に従ってそれを食い止めようと努めるでしょう。
古いものが残っているのであれば、人はそれに執着するようになります。
執着は、革新を導きません。
古いままであれば、成長は実現しないのです。
あなたは成長を求められています。
成長とは、新たに生まれることです。
新たに生まれるために、分裂が行われるのです。
分裂にはネガティブなエネルギーが用いられます。
それは、破壊的な行為であるのです。
そのため、あなたはそれに不快感を覚えます。
不快感を覚えるために、否定的な選択に努めるのです。
分裂は避けられません。
あなたには食い止めることはできません。
あなたにはそれを受け入れる必要があるのです。
分裂を受け入れることが学びであるのです。
あなたは分裂を受け入れることを求められています。
分裂が始まった時には、これまでの常識は通用しません。
これまでの方法は無効になり、これまでの意識は否定されます。
分裂が始まれば、その状況に合わせて自らを変革する必要があるのです。
いつまでも古い価値観に執着してはなりません。
何かがうまくいかないのであれば、そのままで良いのです。
うまくいかないことがうまくいってるのです。
分裂が始まれば、分裂を見守りましょう。
あなたにとってこれは難しいことでしょう。
しかし、古いものに執着し続けることの方が難しいということを理解する必要があるのです。
本当に価値のあるものが何であるのか?ということを理解する必要があるのです。
環境の変化、時代の変化に合わせる必要があるのです。
環境、時代が変わったのに、前時代的な価値観を大切にしても苦しむだけなのです。
大切なのは前衛的であることです。
環境、時代の変化に逸早く気が付き、それを受け入れる必要があるのです。
分裂は始まっています。
環境、時代を無視してはなりません。
周囲の人々と同じであってはならないのです。
なぜなら、多くの人は変化を恐れるあまり、それを否定しているからです。
変化を否定している人々と同じ状態を安心しているのであれば、あなたは後に大いなる苦しみを味わうということを覚悟しなければならないのです。
常識に捉われてはなりません。
それは、古い道具です。
常識はいつも役には立たないのです。
周囲の人々と同じであることに安心しているのであれば、あなたが幸福を得ることはないでしょう。
人生の意味を理解することもなく、人生に満足することもできないでしょう。
分裂が始まっても、あなたはそれに抵抗してはなりません。

2015年10月18日日曜日

人よ、人生を難しく考える必要はありません。
人生は技や方法によっては決まりません。
なぜなら、それ等は表面的な力であって、人生を真の意味で動かす力ではないからです。
鍋の中身を満遍(まんべん)なく椀に盛り付けるためには、鍋底から具材を引き上げる必要があります。
鍋の表面をどれだけ掬(すく)っても、汁が椀に盛り付けられるだけで、鍋底に沈んでいる具材を盛り付けることはできないのです。
表面的な行為ではなく、本質的な行為が必要であるのです。
人生を”良いもの”にするためには、本質的な行為が必要です。
汁だけの椀を得るよりも、たくさんの具材の盛り付けられた椀を得たいものです。
そのためには、何等かの技や方法に頼っていてはなりません。
あなたは生存競争を勝ち抜くために生まれたのではありません。
多くの人が生存競争を人生の主題として重きを置いています。
如何に有利な立場を奪い取るか?
どれだけの安心感と、安定的な暮らしを勝ち取るか?
どれだけの資産を積み集めるか?
このような意識の状態を生きているのです。
誰もが貧しさを恐れています。
それは、経済的な貧しさを指しています。
現状よりも何かを失うことを恐れています。
そのため、常に積み上げるという状態を得ることになるのです。
多くの人の認識が生存競争に集中しています。
生存するという状態は人生の目的の一つではありますが、それが最終目的、主目的ではありません。
年老いた老人は、自らの生存を恨むでしょう。
心(認識)が歪んだ若者は、死によって安らぎを得ようと考えます。
生存することが最終目的、主目的であるのならば、人が死を願うことなどないのです。
多く人が死を望んでいます。
それは、生存すること以上に大切な目的があることを示唆(しさ)しているのです。
生存することは当然のことです。
しかし、多くの人は生存するという人生の基本すら難しく考えているのです。
生存することに気を取られて、真の目的を見失ってはなりません。
あなたには役割があり、使命があるのです。
無駄に生まれ、無駄に死ぬ人などいないのです。
汁だけの味気ない椀を啜(すす)っているのであれば、最後まで理解することはできません。
本当の人生とは、様々な具材の美しさや食感や味による刺激がもたらす感動的な食事のようなものなのです。
味気ない食事によって食事の意味を理解することはできません。
感動するような食事を摂(と)った時に、人は食事の意味を理解することができるのです。
喉(のど)が渇いた時に飲む水の意味を、あなたは理解することができるはずです。
人生を難しく考える必要はありません。
あなたは自分に恥じない生き方を選択すれば良いだけです。
金儲けの方法を学んだとして、あなたは豊かな人生を手にすることができると思いますか?
宝くじによって、突如大金が舞い込んで来たなら、それだけで人生は”良いもの”なのでしょうか?
人生の目的を深く考える必要があるのです。
自分に恥じる生き方が、あなたの心を満たすことはありません。
自分に正しくあれば良いのです。
ただ、それだけです。
難しい考えは必要ありません。
あなたにとって必要な選択は、すべてあなたの心が知っているのです。
心に従うのです。
心に従うということによっては、難しく考える必要は無くなりますが、それを実行するのは簡単ではありません。
生存競争に重きを置いている状態の人には、それ以外の価値観に従うことは難しいのです。
そのため、あなたは心に従うこと(好きなように生きること)に疑問を覚えるでしょう。
長い期間における洗脳(常識)によって、あなたは自分を裏切ります。
しかし、その生き方が自分に恥じる生き方であるということには気が付きません。
そのため、この文章とこれまでの古い生き方との葛藤(かっとう)に苦しむことになるでしょう。
しかし、それで良いのです。
人生を簡単に考えることができるまでは、その毒素を吐き出さなければなりません。
治療は苦しいものなのです。
自分の心に従うまでは苦しみましょう。
洗脳が解ければ、あなたは今までに味わったとこのない感動に出会うでしょう。
汁を啜るも、具材を味わうのもあなたの自由です。
好きに決めましょう。

2015年10月17日土曜日

諦めなさい

諦めなさい。
あなたは諦めなければなりません。
しかし、諦めることは容易ではありません。
それは、そのように教育されてはいないからです。
あなたは欲を持つように教育されています。
幸福とは多くを得ることであり、多くを犠牲にすること・・・
あなたはこのように教えられているのです。
欲望に根差した教育は、大量消費を実現させます。
そのような方法は自らの足場を崩すことに他なりません。
多くを得ようとし、多くを失うのです。
それは、諦めることを知らないからです。
何かを手に入れること、何かを実現することを正しいと思い込んでいます。
加えていくことにしか考えが及ばず、減らしていくことをしないのです。
そのため、病を得れば薬を加える。
敵を得れば暴力を加える。
このように罪に更なる罪を重ねるのです。
しかし、人は自らの行為が罪であるということに気が付きません。
正しいと思っているからこそ、それを実行するのです。
しかし、そのような方法がいつまでも続くことはありません。
欲望を諦めなければ、やがてはすべてを失うのです。
魚を捕り尽くし、木を伐(き)り尽くし、大地を焼き尽くすのです。
欲望を諦めなければ、幸福は決して手に入らないのです。
欲望は自我によって導かれます。
自我とは、自己中心的な価値観のことです。
自我に従えば、人は諦めることをしません。
一度決めたことを覆(くつがえ)すことは、プライドが許さないのです。
真の幸福を得るためには、自我を諦める必要があるのです。
欲望に根差して生きるのをやめましょう。
自分勝手に生きていけば、必ず争いが生じます。
争いは人を”縦”に分けます。
それは、上下関係という愚かな関係性を導くのです。
それでは、進歩向上は望めません。
古い者は去る必要があります。
しかし、欲望に根差した生き方をしている古い者が、自我を諦めることはありません。
古い者が古い価値観に執着することによって、全体の進歩向上は遅れているのです。
あなたは自我を諦めなければなりません。
自分が何もかもを決めているなどという思い上がりを手放しましょう。
そのように思い込んでいるのであれば、恥によって後悔することになるということを覚えておきましょう。
任せるのです。
この世界には、真理という大いなる知性が働いています。
それは、あなたよりもあなたのことを知っているのです。
あなたが考え付くことなど、小さなものに他なりません。
あなたが考え付くことなど、愚行以外の何物でもないのです。
あなたは自分を否定されたように思うでしょうか?
人が自我を諦めないために罪を重ね、わざわざ苦悩を得ているということを理解することができるでしょうか?
すべての苦悩の原因は自我を諦めないことにあるのです。
いつまでも古い価値観に執着していてはなりません。
自分とは何かを考えましょう。
手放すのです。
諦めなければなりません。
人生に抵抗する必要はありません。
あなたは矛盾を感じているはずです。
その矛盾を押し殺してはなりません。
押し殺された感情は、あなたの心臓に突き刺さる釘となるからです。
自我を諦めれば問題(苦悩)は解決するのです。
そのことを心にとめておきましょう。

2015年10月16日金曜日

未確定の未来

未来を知ることはできません。
それは、因果の仕組みによるところです。
因果の仕組みが存在する以上は、原因によって結果は違うのです。
原因によって結果は確定しますが、それは、一定の未来を導くということではないのです。
原因は常に変化しています。
あなたの予測する未来は、その予測を立てた時点の原因によって変化します。
未来は不確定であり、決して決められているものではないということを理解しましょう。
多くの人は結論を所有しています。
自分(の考え)が正しいと思い込んでいる人が多いのです。
そのため、自分の中では結論が定められており、それ以外の可能性を疑うことがないのです。
多くの人は決め付けています。
未来は確定してはいません。
それなのに、自分の中では既に確定していることになっているのです。
あなたは結論を急いではなりません。
自分の中の結論には注意する必要があるのです。
あなたの予測する未来は訪れません。
それは、あなたは常に変化の中に存在しているからです。
現在のあなたと、次の瞬間のあなたは違う人物です。
次の日では、一ヶ月後では、一年後では、人生を終える時には・・・
あなたは自分であっても、全くの別人であるということを理解することができるでしょう。
現在のあなたと、未来のあなたでは、その思考には大きな違いが存在しているのです。
次の瞬間には考えが変わっているかもしれません。
考えが変わったのであれば、その選択肢は違うものとなるのです。
選択肢が違えば、導き出される状況(未来)は違うものとなるのです。
多くの人は軽々しく未来を決め付けています。
「自分はこのような人間だ」「自分はこうなる」「相手は自分に対してこう思う」「あの人はこういう人間だ」
このように何かしらの結論を所有しているのです。
対象を既に断定しているのです。
しかし、それは勝手な判断に他なりません。
主観によって得ている情報を鵜呑みにしているに過ぎません。
誰かから間接的に得た情報を元にしていようとも、その情報を主体として判断しているのであれば、それは主観による勝手な判断に他ならないのです。
あなたは未来のことを知っているのでしょうか?
あなたは勝手に結論に至ってはいないでしょうか?
決まっていることなど何一つありません。
それは、原因によって簡単に変わってしまうのです。
決め付けによって判断してはなりません。
それは、世界を詰まらない場所に固定してしまいます。
決め付けによって、すべては自由を失うのです。
あなたは自由な世界に生きています。
あなたは自由に人生を創造することができるのです。
勝手な決め付けによって結論を急いではなりません。
自分についても、他人についても、あなたは結論を持ち出してはなりません。
無駄なことなど何一つ無いのです。
すべてが有効的な選択肢であるということを理解しましょう。
詰まらない人生とは、自由を失った人生のことです。
それは、”自分”を生きることができないということです。
あなたの行う決め付けは、所有する価値観(思い込みや洗脳)によって導かれる偏見です。
それは、無知から生じます。
あなたは自分が何者であるのかを知っているのですか?
”自分”すら知らない者が、どうやって未来を知るのでしょうか?
あなたには未来を知ることはできません。
あなたの未来を知る者もいないのです。
あなたの未来を知っている者が現れたら注意しましょう。
それは、詐欺師の可能性が高いでしょう。
自分の未来を知っていると考えるのであれば、同じように注意が必要です。
世界は、空のように不確定でありながら、確定しています。
矛盾しているように聞こえるかも知れません。
空は、変化し続けていることは確定しているのです。
あなたの人生も変化し続けています。
それを固定することはできないのです。
結論を急いではなりません。
長い目で見ましょう。

2015年10月15日木曜日

親と子

すべての子には、親が存在します。
親から生まれない子は存在しません。
どのような子にも親があるということを覚えておきましょう。
何かが独立して存在しているということはありません。
それは、何かとの相対性を所有しているのです。
相対性を持たないものは存在することができません。
それがどのようなものであっても、何かとは繋がっているのです。
あなたが子である場合、そこには親が存在しています。
あなたが親である場合、そこには子が存在するのです。
子であれば親があり、親であれば子があるのです。
あなたは親から生まれたのです。
あなたが突然、何の因果もなくこの世界に生まれ出たのではありません。
親によって導かれなければ、子は存在することができないのです。
あなたには親が存在するということを理解しましょう。
親が存在することを知らない子どもは、親を敬うことを知りません。
親を敬うことを知らない子どもは愚かに育ちます。
愚かな子どもは苦悩を導くことに長け、幸福をもたらすことはできません。
親を敬うということは、謙虚さを保つということです。
親を敬うことができない子が、謙虚さを保つことができるはずがないのです。
多くの子は、親を敬うことを知りません。
しかし、自らは優れていると思い込んでいます。
その歪み(矛盾)が苦悩を導くのです。
親がなければ子はありません。
しかし、愚かな子はそのことを知りません。
自分が存在しているのは、自分の努力の結果であると思い込んでいるのです。
親を忘れた子は悲惨です。
それは、決して満たされないからです。
親に対する愛情の枯渇(こかつ)ほど、子を苦しめるものはないのです。
子は、どのような行為からも親からの愛情を満たす手段を考えています。
子にとっては、親からの愛情を満たすことが最優先事項であるからです。
そのため、すべての子は親の愛情を欲するのです。
あなたの親はどこにいるでしょうか?
あなたの親は誰ですか?
そのためには、自分は何者なのか?という問いについて考える必要があります。
あなたは誰ですか?
その答えによって、誰が親であるのかは変わってくるのです。
あなたが自分を肉体的な存在だと主張するのであれば、あなたの親は肉体を作った男と女(両親)になるでしょう。
あなたが自分を精神的な存在だと主張するのであれば、あなたの親は違うものとなります。
男と女が交わることによっては、肢体(死体)を生み出すことはできます。
しかし、精神を生み出すことはできないのです。
肉体的な特徴は(肉体的な)両親と似ているかも知れませんが、精神的な特徴は似ていないはずです。
それは、親が違うからです。
あなたの精神を生んだ親は誰なのでしょうか?
それをどのように呼ぼうが構いません。
しかし、それは大いなる知性であることには違いないのです。
すべての子には親が存在するのです。
あなたの遺伝子を作った親が存在するのです。
宇宙を作り、太陽を作り、地球を作った存在がいるのです。
それ等が子であるならば、その親が存在するのです。
大いなる知性が精神を生み、大地が肉体を生んだのです。
親を敬うことを忘れてはなりません。
傲慢(ごうまん)に陥ってはなりません。
親は子の傲慢を打ち砕くために存在しているのです。
親を大切に扱いましょう。
そうでなければ、あなたはその度に打ち砕かれるでしょう。
大いなる知性によって精神的な苦しみを導かれぬよう、大地によって肉体的な苦しみを導かれぬように祈っています。

2015年10月14日水曜日

心の引っ掛かり

あなたは許さなければなりません。
不満を抱えるということは、許していないということです。
多くの人が不満を抱えています。
その心は怒りに満ちているのです。
誰かに対して、何かに対して、それを許すことができないでいるのです。
許すことができなければ、怒りに苦しむことになります。
怒りの行き着く先は苦しみです。
怒りが苦しみ以外に辿り着くことはありません。
多くの人が苦しんでいるのは、怒りが心の中に存在しているからです。
怒りはどこから来るのでしょう?
それは、心の歪みからです。
すべての人の心は歪みを所有しています。
それを正す(成長する)ために人生を生きているのです。
すべての人は自らの心の歪みと向き合わなければなりません。
それは、誰にとっても苦しいことです。
歪みは様々な感情として導かれます。
その中で最も用いられるのが怒りの感情です。
それは、最も分かり易い状態をあなたに知らせるのです。
怒りほど強い感情はないのです。
そのため、心は怒りによってあなたに気付きを促(うなが)します。
あなたにとって最も分かり易いのは怒りの感情であるため、あなたはそれに苦しむことになるのです。
小さな不満も、あなたにとっては苦しみとなります。
それは、心が歪みを取り除くようにと促しているのです。
目の前に導かれるすべての状況が、あなたの心の歪みを解消するための作業です。
それ以上でも、それ以下でもないのです。
多くの人は愛着やトラウマなどの特別な感情によって目の前の状況を区別していますが、それは間違いなのです。
すべては心の歪みを取り除くための作業に過ぎないということを理解する必要があるのです。
これは、冷静であれということです。
特別な感情によって学びを分け隔ててはならないのです。
冷静に、懸命に、謙虚に学ぶ必要があるのです。
怒りの感情に捉われる人は、その対象を許すことができません。
許すことができないという引っ掛かりのある状態は、感情の歪みに他なりません。
その引っ掛かりが解消されなければ、心の歪みは解消されないのです。
心の歪みが解消されなければ、同じ苦しみを何度でも味わうことになるのです。
誰かに助けてもらったとしても、あなたは同じことを繰り返します。
それは、外部からの協力によって状況が変わるだけでは、あなたの心の歪みが解消されたことにはならないからです。
あなたは許さなければなりません。
許すという心の変化を実現することがなければ、心の歪みが解消されることはないのです。
誰かや何かを許すことは簡単なことではありません。
それは、あなたにとって最も難しいことでしょう。
あなたの自尊心がそれを許さないのです。
しかし、あなたは許さなければなりません。
なぜなら、あなたは既に許されたからです。
あなたが許されているにもかかわらず、誰かや何かを許さないということは間違っているのです。
あなたは過去を振り返ってみましょう。
あなたは既に許されているはずです。
あなたが幼い頃には、多くを許されたはずです。
過去のことは忘れているでしょうが、思い出す必要があるのです。
あなたは既に多くを許されています。
今度は、あなたの番なのです。
恩(おん)を仇(あだ)で返すようなやり方を選択してはなりません。
あなたは許すことができます。
ただ、忘れているだけです。
思い出せば良いだけなのです。
素直な自分によって冷静に眺めてみましょう。
あなたは、誰であっても、何であっても許せるはずです。
すべては”神”のものです。
心にとめておきましょう。

2015年10月13日火曜日

隠された真実

真実は深くに隠されています。
それは、あなたの知覚では到達することが難しい場所です。
すべての人は真実を探し求めていますが、それを探し当てることができる人は少ないのです。
表面的な見解によっては、決して見極めることができません。
人が真実を求めるのであれば、それが深くに隠されているということを理解し、その前提を踏まえた上で挑まなければならないのです。
当たり前に見て、理解することができるなどと考えているのであれば、愚かなことです。
真実は隠されているのです。
それも、深くに隠されているのです。
深くに置いてあるのではありません。
隠されているのです。
この意味を理解する必要があるのです。
人生の目的とは何でしょうか?
あなたはこれまでに人生の目的というものを考えたことがあるでしょう。
多くの人は、何のために生きているのか?ということに疑問を抱くのです。
しかし、すべての人がその問いに答えを導くことができません。
なぜなら、それは深くに隠されているからです。
そこで、適当な目的をあてがうことによって、その答えに近付こうとします。
適当な目的とは、「金持ちにな(る)りたい」「素敵な伴侶が欲しい」「健康を維持したい」などのような目的です。
これ等の目的は簡単です。
誰もが思い付くからです。
そして、誰もが実行し、実現することも可能なのです。
人生が簡単でないことは、少しの知恵があれば理解することができます。
金持ちになり、素敵な伴侶を得、健康を実現することは難しいことではないのです。
誰もがそれを実現することができるのです。
それ等の目的を実現することができた人は、満足の内に生きることができるのでしょうか?
そのような人が満足の内に死ぬことができると思いますか?
貧しい生活を生きる人には、豊かな生活が目的となります。
孤独に打ち震える人には、孤独を紛らわせてくれる伴侶が目的となります。
病に怯える人には、健康が目的となるのです。
しかし、それ等を実現したとしても終わりではないのです。
それ等を実現した人は、寧(むし)ろそこからが始まりであるということに気が付くのです。
なぜなら、適当にあてがった目的が、真実ではないことに気が付くからです。
適当な目的を実現した後には、それが真実か偽りであったかを理解することができます。
あなたが憧れる状態の人は数え切れないほどいます。
金持ちも、伴侶を得た人も、健康に生きる人も数え切れません。
しかし、その人達は真実の人生の目的を理解したのでしょうか?
実現することができる目的は、残念ながら真実の目的ではありません。
真実は隠されているのです。
あなたは、一生をかけても真実の目的を探し続けなければならないのです。
変化し続けることが求められます。
適当な目的を達した後の小さな満足感に胡座(あぐら)をかいていてはならないのです。
やらなければならないこと、知らなければならないことは無限に存在しているのです。
あなたには、立ち止まっていられるような暇など存在しないのです。
何も知らずに生きていくのですか?
何も知らずに死んでいくのでしょうか?
そのような人生は虚しいとは思いませんか?
あなたは大切な人に聞かれるのです。
「人はなぜ生きているの?」
あなたは答えることができますか?
適当な目的に真実を見失ってはなりません。
人生とは、生命活動などではないのです。
馬鹿騒ぎをし、贅沢に生きることなどは、人生ではないのです。
愚かに生きてはなりません。
何の知性も無く、虚しく生きてはならないのです。
生まれた意味を探し求めましょう。

2015年10月12日月曜日

自分の責任

人生において、あなたは自らの魂に存在する歪みと向き合わなければなりません。
あなたの人生における目的は成長です。
それは、肉体を成長させるということではありません。
肉体は、あなたに助けられなくても、成長する意思を持っています。
多くの人は肉体の成長(生命維持)を人生の目的と考えていますが、それは表面的な目的であるということを理解する必要があるでしょう。
なぜなら、肉体の健康を保ち、それを最大限に成長させたところで、必ず老いが訪れます。
肉体は病を導き、滅びを受け入れるのです。
どれだけ肉体の成長を求めようとも、やがては死んで”地”に帰るのです。
それは、この”地”に肉体が生じた時点において決められていることです。
肉体の成長を求めている人は、老いを恐れます。
そして、老いを悪いものと決め付けて苦悩することになるでしょう。
病を恐れ、老いを否定し、死を拒絶します。
しかし、それ等はどれをとっても避けることができない、自然の成り行きなのです。
それ等は、肉体が自らの意思によって行うことであるのです。
肉体は、あなたの本質である魂を表現します。
人生の目的である、魂の歪みの解消に協力しているのです。
それは、肉体だけではありません。
すべての状況や環境が、あなたの魂の歪みを様々に表現し、その歪みの解消に協力しているのです。
多くの人は苦悩を悪いものと決め付けて否定します。
苦悩に対して、人は強い嫌悪と拒絶を示すのです。
しかし、それが自らの内側から導かれる状況であるということを理解すれば、対応も変わるのです。
すべての苦悩は、魂に存在する歪みから生じます。
多くの人はこの事実を知りません。
それを知ったとしても、受け入れることはありません。
許される限りは、他人や何かの責任にしたいのです。
しかし、人生を説明するには、すべてが自分自身の内側から生じる学びであるということ以外にはないのです。
なぜなら、すべての過去には自分自身を顧みる必要性と、改める力があるからです。
すべての過去があなたの成長に関連しています。
あなたの成長に関連しない過去など存在しないのです。
それは、過去の成り立ちが、あなたの成長という目的のためであるからです。
肉体は、あなたの歪みを身体的な特徴(コンプレックス)や病によって導きます。
人生は、様々な状況を使ってあなたの歪みを導くのです。
あなたは、すべての瞬間に対して自分自身を見つめ直す機会を与えられているのです。
すべてはあなたの魂の歪みの結果です。
目の前のすべての状況は、あなたが吐き出した歪みです。
自分が吐き出した歪みであるために、あなたはそれを嫌悪して苦悩するのです。
しかし、それを認めようとはしないために、誰かや何かに対して責任を押し付けているという訳なのです。
あなたは、自らの歪みを誰かや何かの力を借りて認識しています。
誰かや何かの力を借りることがなければ、自らの所有する歪みにすら気が付くことができないのです。
あなたは”自分”を知っていますか?
魂の歪みを知っているでしょうか?
残念ながら、あなたには分かりません。
分からないからこそ、世界を通じて教わっているのです。
すべては、あなたの歪みを教える教師です。
外のことに腹を立ててはなりません。
それは、自分が知らないことすら知らないという愚かな行為であるからです。
自ら吐き出したものに腹を立てるのは愚の骨頂です。
人は謙虚に、それを掃除しなければならないのです。
自分の魂から出たものを他人に掃除させることは、それ以上の成長は実現しないということなのです。
肉体はやがて衰(おとろ)えますが、魂が衰えるということはありません。
魂は、あなたの肉体が滅びようとも輝きを放ち続けるのです。
人生の意味を履き違えてはなりません。
腹を太らせることが人生ではないのです。
自分自身の所有する歪みを解決することが人生なのです。
あなたは肉体の成長は肉体に任せて、魂の成長に力を注ぎましょう。
そうすれば、あなたが苦悩を恐れることはないでしょう。

2015年10月11日日曜日

”神”の子と人間の子

多くの人は恐れに従います。
多くの人は恐れに従い、行うのです。
恐れとは、破滅的な感情です。
それは、破滅的なエネルギーなのです。
破滅的なエネルギーを用いて行えば、破滅が実現します。
恐れに従って行うのであれば、苦悩という破滅的な結果が実現するのです。
多くの人が恐れに従っているのが現状です。
それは、人の心の中には大きな恐れが存在しているからです。
人は、自らの心に従って選択します。
心の中に無いものには従うことができないのです。
人の心の中には陰と陽、ネガティブとポジティブの感情が混在しています。
しかし、人生を行っている人の心の中には、陰の感情の方が多く存在しています。
多くの人は、病気を恐れて健康を目指します。
財産を失うことを恐れて鍵を設置し、財産を奪われることを恐れて施錠(せじょう)するのです。
健康のために健康を目指し、財産を失うことを恐れずにいる人は少ないのです。
人の行為の動機は、その多くが恐れにあるのです。
意識的にも、無意識的にも、恐れを信仰しているのです。
あなたはそのようには思っていないでしょう。
自分が恐れに従っているとは思っていなくても、恐れに従っている人は多いのです。
主人の命じるままに、召し使いは働かなければなりません。
あなたの主人とは、あなたの信仰であり、召し使いとはあなた自身なのです。
”神”を恐れる人は”神”のように行い、人間を恐れる人は人間のように行うのです。
あなたは何を恐れているでしょうか?
多くの人は、人間に嫌われることを恐れています。
自らの所有する人間関係という小さな世界に生きているために、その中で除け者にされることを恐れています。
あなたは人に嫌われることをどう思いますか?
人に嫌われることを恐れているでしょうか?
あなたが人に嫌われることを恐れているのであれば、あなたは人間の子として生きることになるでしょう。
人間の子として生きるということは、人間としての学びを得ることになります。
人間としての学びとは、唯物と欲望についてです。
人間は唯物と欲望の中に生きています。
人間の子として生きるのであれば、それ等を克服する学びを得るのです。
あなたが”神”に嫌われることを恐れているのであれば、あなたは”神”の子として生きることになるでしょう。
”神”の子として生きるということは、”神”としての学びを得ることになります。
”神”としての学びとは、唯心と愛についてです。
”神”は唯心と愛の中に生きています。
”神”の子として生きるのであれば、それ等を克服する学びを得るのです。
人は、大きく分けてこの二つの道を生きることになります。
どちらを選んでも学びは導かれます。
どのように生きるかはあなた次第です。
しかし、自分が恐れに従っているということを理解する必要があるのです。
恐れとは、強大なエネルギーです。
これを理解し、手懐(てなず)けることがなければ、自らの力に翻弄(ほんろう)されてしまうでしょう。
嵐の中を目的地へと進むためには、嵐の性質を理解しておく必要があるのです。
あなたは自分について理解を深める必要があるでしょう。
自らの主人が誰であるのか?ということを知らずに、報酬を期待することはできません。
主人は自らの所有する財産の中から報酬を与えるのです。
所有しないものをわざわざ買い与えることはありません。
農夫は作物を与え、漁夫は魚を与え、猟夫(りょうふ)は獣を与え、杣夫(そまふ)は樹木を与えるのです。
農夫が魚を与えることも、漁夫が獣を与えることもないのです。
あなたの主人は、自らの所有する財産を報酬として与えるでしょう。
そのことを理解して仕える必要があるのです。
知らなかったと後に嘆(なげ)くことは賢明ではありません。
あなたは自分の意思で主人を決めるのです。
主人が誰であるのか?誰を恐れているのか?ということを知りましょう。

2015年10月10日土曜日

簡単な人生

人生は心の反映です。
それは、あなたの心を映し出すのです。
人生におけるすべての状況は、あなたの心によって作り出されます。
あなたはそれを信じることができないでしょう。
無理に信じる必要などありません。
しかし、すべてが自分自身の選択の結果であるということを受け入れることはできるでしょう。
あなたの選択以外の結果が導かれるように見えるでしょうが、元を辿れば、そのすべてがあなたに行き着くのです。
この世界は因果の仕組みによって成り立っています。
原因の存在しない状況が結果として実現することはありません。
それがどのようなものであっても、例え、自分には何の関わりも無いように見えるものであっても、確実な繋がりが存在しているのです。
そうでなければ、この世界、人生というものが無意味なものになってしまうのです。
あなたは、計算し尽くされたこの世界が、混乱の中に存在していると思いますか?
すべてが美しい流れの中に存在しているということを理解することができるでしょうか?
無駄はなく、すべてが相互関係の中に完璧に機能しているのです。
無駄に思えるものはあるでしょうが、無駄なものは存在しません。
無駄を発見したのであれば、それは自らの無知を発見したということになります。
人類の英知を以てしても、この世界の解明には辿り着いていません。
その中の一人であるあなたが、どうしてこの世界を”知っている”と言えるのでしょうか?
あなたは知らないのです。
人生のすべてが心の反映であるということも知りはしないのです。
これからは、人生のすべてが、自らの心の反映であるという立場から世界を眺めてみましょう。
あなたはきっと、これまでには体験したことのない視点を味わうことができるでしょう。
それは、人生観を根底から覆すような衝撃となるはずです。
人生観が覆れば、あなたは生き方を変えるでしょう。
そうしていく中で、人生が心の反映であるということに気が付くことができるでしょう。
多くの人は、退屈な毎日を生きていると思っています。
あなたは自らの日常に対してどのような感想を抱きますか?
同じことを繰り返していると思っている人は多いのです。
毎日が代わり映えのしない人生だと思うのであれば、その状態には注意が必要です。
それは、人生が心の反映であるからです。
人生とは心なのです。
目の前の状況とは、心境であるのです。
人生が代わり映えのない退屈なものだとするのであれば、あなたの心は代わり映えのない退屈なものなのです。
争いの多い人生であるのならば、争いの多い心であるのです。
悲しみ、喜び、虚しさ、豊かさ・・・
すべては心の反映に過ぎないのです。
人生を変えるためには、心を変える以外に方法はありません。
心を変えるだけで、人生は変わるのです。
多くの人は唯物主義と無知によって、人生そのものを変えようと試みます。
しかし、人生とは結果でしかなく、その原因は心にあるのです。
変化に富んだ人生とは、あなたの心の成長の証です。
心が変化することによって、毎日を全く違うものとして認識することができるのです。
見解が同じ状態であるのならば、同じ結論に至るのです。
結論を変えるためには、見解を変える必要があるのです。
見解(心)を変えるだけで良いのです。
それは、時間も体力もお金も場所も必要ではありません。
人生の変化は、今すぐに、疲れることもなく、無料で実現するのです。
それは、自我によって導かれる歪んだプライドを捨てるだけです。
簡単なことなのです。
人生を難しく考える必要はありません。
あなたの周囲の無知な者は、人生を難しく考えるでしょう。
そして、あなたにそのように教えるのです。
当然、あなたは人生を難しいものとして考えるようになります。
しかし、人生とは心の反映に過ぎないのです。
今、ここで、人生は変わるのです。
その一歩を踏み出しましょう。
あなたは自力によって、日常を変えることができるのです。
心を変えることによって、豊かな人生を生きましょう。

2015年10月9日金曜日

あなたは恥に出会います。
あなたは恥を受けなければなりません。
人生において、恥に出会わない人はいません。
すべての人が恥を受けるのです。
あなたがどれだけ優れた人間であろうとも、恥を避けることはできません。
人生においては、生涯を通じて恥を受ける必要があるのです。
多く人は恥を受けることを嫌います。
できる限り恥に出会わないように心掛けます。
どれだけ心掛けようとも、恥を避けることはできません。
それは、人が未熟な存在であるからです。
それは、仕方のないことなのです。
多くの人は、そのプライドによって、恥をネガティブなものと位置付けています。
そのため、恥を受けることを嫌うのです。
しかし、恥を受けることは良いことであるということを理解するのであれば、あなたが恥を嫌うことはなくなるでしょう。
恥とは、過去の自分に向けた感情です。
それは、”今”に気が付くことはありません。
その時には、恥を知らないのです。
恥を知る時には、成長が実現しています。
成長しているからこそ、恥に気が付くことができるのです。
成長していなければ、それを恥とも思わないのです。
幼い子どもが楽しむ行為を、子どもが気が付くことはできません。
子どもが子どもという状態を離れた時に初めて、それが恥であるということに気が付くのです。
そのため、恥を受けるということは、成長が実現しているという事実を現しています。
恥を受けるということは、ポジティブな意味合いを持っているのです。
恥を受ける時には、あなたは居(い)た堪(たま)れない気持ちになるでしょう。
自分の愚かさに気付き、恥ずかしい気持ちになるのです。
成長しているからこそ、自分の愚かさに気が付くことができます。
見方を変えてみましょう。
そうすれば、あなたの対応は違うものとなるのです。
今までのように恥を受けることによって悲観的な自分にとどまることをやめ、恥を糧(かて)として更なる成長を実現することができるでしょう。
人は謙虚に有る必要はありますが、自分を卑下(ひげ)する必要はありません。
過去はすべて最善であり、必要以外の何物でもないのです。
過去を否定する必要など、どこにもないのです。
あなたがどのような過去を生き、どのような恥を受けたとしても、それによって自分を責める必要などないのです。
寧(むし)ろ、恥を受けた自分を誇りに思いましょう。
それを恥と気が付いたことには大きな価値があるのです。
恥を恥とも思わない人がいるのです。
大抵の人は恥に気が付きません。
生涯を通じて、自らの恥に気が付かないということもあるのです。
あなたが恥を受けても、悲観している時間はありません。
人生の目的は成長にあるのです。
過去の恥にいつまでも悩んでいるような無駄な時間はないのです。
時間こそが、人生において最も価値のある宝なのです。
心を止めておいてはならないのです。
恥を恥とも思わないことには注意が必要ですが、恥が悪いものではないのです。
恥に対するあなたの対応こそが、重要であるということを覚えておきましょう。
すべての人が恥に出会います。
偉そうに振る舞うあの人も、必ず恥を受けるのです。
人は謙虚でなければなりません。
恥を受けて成長しましょう。
恥を否定してはなりません。
それは、大切なものであるので、あなたは感謝して受け取りましょう。
恥の多い人生を生きましょう。

2015年10月8日木曜日

淀み

あなたは先ず、手放すことを求められます。
あなたの掌(てのひら)には、既に多くのものが握られています。
それ以上を握ることはできません。
しかし、あなたはそのことを知りません。
掌がそれ以上握ることができないということを知らないために、それ以上を握ろうとします。
しかし、それは叶いません。
次のものを握ろうとした時に、解かれた掌からは今までに握られていた所有物がこぼれ落ちます。
あなたの目の前には、より良いものが導かれます。
それを握ろうとするのです。
掌に握られているものは古いものとなり、それは使い物にはなりません。
しかし、執着心によってそれを手放すことは容易ではないのです。
そのため、古いものを手放すことをすることもなく、新たに手を伸ばすのです。
あなたの人生においては、このようなことが頻繁(ひんぱん)に起こっています。
あなたが何かを手にするためには、古いものを手放さなければなりません。
あなたは掌にどのくらいのものを握ることができるでしょうか?
それは、ほんの僅(わず)かなものであるということを理解することができるでしょう。
あなたが一度に所有することができるものは、僅かなものであるのです。
それなのに、あなたは多くを所有しようとするのです。
能力を超えた所有は許されません。
器に勝るものを保持することはできません。
器に水を注げば、入りきらないものはこぼれ落ちます。
器以上の水を保つことはできないのです。
あなたは常に喪失(そうしつ)を経験します。
あなたは失わなければなりません。
それは、新たに得るためなのです。
得ればまた失います。
失えばまた得るのです。
その繰り返しが人生であるのです。
すべては一瞬の淀(よど)みに過ぎません。
一瞬のことに執着してはなりません。
すべては流転するのです。
あなたはそれに逆らうべきではありません。
目の前には、苦悩としての状況が導かれます。
それは、あなたが手放さないからです。
手放さないという抵抗のために、それを苦悩として認識しているのです。
あなたが手放すのは、成長するためです。
古いものを去り、新たなものを手にするのです。
それは、負数を正数へと変化させるようなものです。
マイナスの状態を去らなければ、プラスの状態を得ることはできないのです。
同時を求めるのであれば、繰り返す必要があるのです。
あなたは成長を求められています。
あなたがどれだけその場にとどまりたいと懇願(こんがん)したところで、それが実現することはありません。
それは、あなたが人生を生きることを決めたからです。
人生は成長という目的のために存在しています。
あなたが成長という人生の意味を失ったとしても、その目的を失うことはできません。
あなたが誰かとの約束を忘れてしまったとしても、相手はそれを覚えているのです。
あなたが人生の意味と目的を失っても、人生はそのことを覚えているのです。
約束を放棄することはできません。
それは、あなたの責任であるからです。
あなたが忘れているのであれば、”わたし”が思い出させます。
あなたは自分で決めた約束を果たさなければなりません。
苦悩を覚えることがあるでしょうが、それは成長のための必要な作業なのです。
手放すことは難しいでしょうが、そこには重要な理由があるということを理解しましょう。
あなたは先ず、手放すことを行いましょう。
目の前の苦悩に対して、苦悩としての認識を手放しましょう。

2015年10月7日水曜日

真物

あなたは常に変化の中に存在しています。
あなたが変化を離れることはありません。
あなたは常に変化を求められ、それを実現する必要があるのです。
変化を実現するということは、成長するということです。
どのような変化も、成長に繋がります。
変化に善悪はありません。
なぜなら、それは主観による偏見に過ぎないからです。
どのような変化も、成長のために必要な材料となるのです。
あなたは変化に善悪を決め付け、それを否定してはなりません。
停滞こそ注意しなければならないのです。
停滞することでは、成長を果たすことはできません。
多くの人は恐怖心から安定という名の停滞を求めます。
恐怖に根差しているのであれば、人は変化を否定するのです。
変化することがなければ、その状態を克服することはできません。
停滞を正当化して安定と呼ぶ状態をいくら続けても、成長を実現することはできないのです。
安定を求めている者には、人生の意味を理解することはできません。
自分が何のために生きているのか?という大切なことを、生涯を通じても理解することができないのです。
停滞は無知を延長させます。
変化することがなければ、何も気付くことができないのです。
成長するためには気付きが必要です。
それは、内的な変化です。
あなたは、内も外も変化する必要があるのです。
変化の時には、あなたは試験を与えられます。
あなたの状態を試(ため)されるのです。
変化の時には、偽者(偽物)が現われます。
それは、あなたの無知や偏見を試すためです。
人生は、あなたに”引っ掛け問題”を出題します。
それは、素直な状態に見えて、実は歪んでいます。
偽者(偽物)は真物(しんぶつ)を装います。
あなたは真物を装う偽者(偽物)によって試されるのです。
あなたが無知を所有している状態にあれば、偽者(偽物)によって騙されて捉えられ、それ以上の成長を実現することはできません。
成長し、より高次な世界を得るためには、そのために必要な条件を整える必要があるのです。
条件を満たさなければ、より高次な世界を得ることはできません。
あなたは常に試されています。
あなたの目の前には真物には見えるけれど、その実は偽者(偽物)が必ず現われます。
あなたは偽者(偽物)の誘惑を回避することはできません。
あなたはその誘惑に一度は必ず引かれるのです。
その時に、目の前のそれが真物であるのか?偽者(偽物)であるのか?ということを見極める必要があります。
無知な者にとって、それは簡単なことではありません。
知らないのだから、選びようがないのです。
知っている人だけが、偽者(偽物)に騙されることなく選ぶことができるのです。
あなたは怠(おこた)ってはなりません。
無知を放置するのであれば、真偽を問うことはできないのです。
無知な者は、それ以上に高次な世界を得ることはできません。
無知な者が高次な世界を得たとしても、そこで豊かさを感じることはありません。
どのように高度な学びを得たとしても、それを理解することができなければ苦悩でしかないのです。
あなたには、高度な学びを楽しめるような人になって欲しいのです。
自分が変化の中に存在し続けているということを理解しましょう。
変化を受け入れなければなりません。
変化の時には次の段階の状態のための条件を満たす必要があります。
その需要には供給が発生します。
様々な思惑の存在が需要に対して供給します。
真物も偽者(偽物)も、同じように供給しているのです。
街には、本物の宝を取り扱う店舗もあれば、模造品を取り扱う店舗もあるのです。
あなたはそれを見極める必要があるのです。
詐欺師を見極めることができるでしょうか?
偽者(偽物)は真物を装うのです。
見極める力を得るためには、変化を受け入れる必要があるのです。
それがどのような変化であっても受け入れましょう。
その時に偽者(偽物)の誘惑に注意しましょう。

2015年10月6日火曜日

罪は悪

すべての人は罪を抱えています。
それは、罰を導きます。
罪を犯せば、罰によって改めるのは当然のことです。
人が罪を犯すのは、成長する可能性を所有しているからです。
成長する必要があるために罪を犯すのです。
成長する必要がなければ、人が罪を犯す必要はありません。
すべての罪は成長のために行われるということを理解しましょう。
受け入れることはできないでしょうが、このことを覚えておかなければなりません。
罪を悪と決め付けてはなりません。
罪は悪ではありません。
罪は悪に見えますが、それはあなたの立場がそうさせているのです。
立場を離れるのであれば、罪を悪と定めることもなくなるでしょう。
農家の立場を取る人は、作物を食らう昆虫や動物を悪と見なします。
しかし、農家の立場を取らない人は、昆虫や動物に対して哀(あわ)れみを覚えるのです。
自分に関わることには心を乱しますが、他人のことには心を乱しません。
立場が判断を導いているのです。
そのため、あなたの判断は立場を超越したものでなければならないのです。
多くの人は立場に従います。
立場を超越することができる人は稀(まれ)です。
多くの人が客観性を失い、主観を通して限定的に見ているのです。
そのため、罪が悪ではないということにも気が付きません。
罰が苦悩ではないことにも気が付かないのです。
あなたは立場を離れることができるでしょうか?
”自分”というものを構成していると思っている立場を切り離してみましょう。
そうすれば、あなたは純粋な”自分”というものに出会うことができるはずです。
純粋に判断するのであれば、罪が悪ではなく、罰が苦悩ではないということにも気が付くはずなのです。
世界は幻想に過ぎません。
すべてはあなたの認識、判断が築いているのです。
あなたの認識、判断次第によって、世界は違うものへと変わるのです。
罪は善となり、罰は幸福となることに気が付きましょう。
あなたの現在の考えでは、罪は悪であり、罰は苦悩として固定されるでしょう。
それが”普通”です。
しかし、”普通”とは偏見であり、誤解であるのです。
その集団の中の多数意見が”普通”として常識を構築します。
多数意見が正しいと思いますか?
人間が正しい存在なのでしょうか?
人間は弱い存在です。
偏見や誤解によって正義を決め付けては争っています。
愚かであり、野蛮であるのが人間なのです。
あなたも、愚かであり、野蛮であるということを知りましょう。
罪を悪と決め付け、罰を苦悩としているのであれば、愚かで野蛮であることに違いないのです。
人生は何のためにあるのでしょうか?
それは、魂の治療のためです。
あなたが罪を犯すのは、病を受ける必要があるからです。
あなたが罰を受けるのは、病を治療するためであるのです。
療養には、様々な制限が与えられます。
患部は痛み続け、不安が精神を締め付けます。
身動きが取れなくなり、好きに動くことさえできなくなるのです。
あなたは既に多くの罪を犯したのです。
それは、無知による誤解や偏見によって導かれます。
あなたはそれを正す必要があるのです。
罪は何等かの問題として導かれます。
あなたは問題を受け入れなければなりません。
そして、罪を反省するための罰を受け入れるのです。
罪を隠し通すことはできません。
すべての罪は明るみに引き出されるのです。
どのような病も、決して隠し通すことはできないのです。
すべては魂の治療です。
あなたは罪を悪と決め付けてはなりません。
罰を苦悩としてはならないのです。
罪と罰が導かれることに感謝しましょう。
すべての答えは人生の目的の中にあるのです。

2015年10月5日月曜日

変化に従う

あなたは常に見直しを図らなければなりません。
見直しの時は常に訪れています。
あなたは同じことを続けている訳にはいきません。
あなたは見直しによって、変化を実現しなければならないのです。
人生は学びに合わせて展開します。
状況は刻一刻と変化しています。
それは、あなたには認識することができないくらい微細であったり、巨大であったりします。
また、それは気が付かないほどの低速であったり、高速であったりするのです。
大抵の場合、変化に気が付くのは簡単ではありません。
状況の変化に気が付くことができるのは、大抵の場合、その変化の中にしばらくいた後のことなのです。
細かく注意すれば、毎日が変化に富んでいるということに気が付くことができるでしょう。
もっと注意すれば、一瞬一瞬が変化に満ちているということにも気が付くことができるはずです。
あなたは常に変化の中に存在します。
それに気が付くことが難しいだけであって、変化は起き続けているのです。
状況が変われば、そこから導かれるあなたに対する影響も変わることになります。
状況が変化したにも関わらず、あなたが変化の影響を受けないということはありません。
状況の変化に従って、あなたも必ず変化を強いられるのです。
状況に従って行わなければ(順応すること)、良い結果を導くことはできません。
状況が変化して、全く違う状態になったにも関わらず、これまでと同じ方法によって良い結果を導くことなどできないのです。
言葉が違う地域を訪れた時には、これまでと同じように慣れ親しんだ言葉を用いることはできません。
言葉が違う地域を訪れたのであれば、その地域の言葉を用いる必要があるのです。
そうでなければ、あなたは良い結果を導くことができないのです。
状況は常に変化しています。
それは、あなたが思っているよりも早いかも知れません。
あなたは常に準備しておかなければなりません。
計画は常に見直す必要があるのです。
旅に出る前に立てた計画は、途中で使い物にならないものとなります。
それは、家という状況と、出先の状況は既に変わっているからです。
旅を充実させるためには、途中の状況に合わせた計画に見直さなければならないのです。
頑(かたく)なに当初の計画を貫(つらぬ)こうとしても、旅は苦悩に満ちたものになってしまうのです。
すべての人が既成概念(きせいがいねん)というものを所有しています。
そして、大半の人がそれを大切にしています。
旅に出て、いつまでも当初の計画を押し通すのは困難です。
状況は常に変わっているのです。
あなたの人生は旅のようなものです。
あなたを取り巻く状況や環境は常に変化しています。
あなたにはその変化を認識することができるでしょうか?
社会情勢や人間関係などに注目すると、その変化を理解することができるでしょう。
それ等は常に変化の中に存在しています。
あなたに関わるすべての状況が、常に変化しています。
あなたは、それに気付く必要があるのです。
変化に気が付くことができなければ、対応することはできません。
計画を見直していないのであれば、その状況にはそぐわない方法を用いてしまうのです。
それでうまくいくと思いますか?
良い結果を求めている人が、その地域では通じない言語を用いることがあると思いますか?
それが、どれだけ滑稽(こっけい)であるかを想像することができるでしょう。
あなたは常に計画を見直さなければなりません。
今までの方法は通用しないのです。
残念ではありますが、通用しない方法を続ける訳にはいかないのです。
既成概念を手放すことには勇気が必要ですが、あなたはそれを実行しなければなりません。
状況の変化に注意しましょう。
何かがうまくいかないというのは、方法が間違っているからに他なりません。
既に状況は変わってしまったのです。
うまくいかない方法を続けるのは無駄です。
変化しましょう。
変化し続けましょう。
どのような変化でも良いのです。
それは、同じ状態を保っているよりは優れています。

2015年10月4日日曜日

好きに生きる

これは、あなたの人生です。
悔いのないように生きましょう。
後悔するような生き方は懸命とは言えません。
後で不満を訴えてもどうしようもないのです。
時間がある内に、できる限りのことをしなければならないのです。
人生は好きに生きれば良いのです。
ただし、自分勝手に生きるということではありません。
あなたが心地好いと思えるような生き方を目指すべきなのです。
あなたが思い付く貢献を果たすのです。
誰かや常識に決められる人生を生きてはなりません。
あなたは、自分のやり方によって世界に貢献する必要があるということを覚えておきましょう。
無理なことを続けることはできません。
無理をして成果を生み出すことはできません。
人が成果を導くためには、継続する必要があります。
何かを継続するためには努力では足りません。
努力するという状態には、既に無理が伴っているのです。
大切なのは楽しむことです。
楽しいことをしているのであれば、努力する必要はなくなります。
努力しなくても、継続することが可能であるのです。
楽しいことをするには、無理に生きてはならないのです。
自分のやり方によって生きるのです。
分相応という言葉があります。
あなたには、あなたに相応しい生き方というものが存在しているのです。
誰かや常識に従って生きるのであれば、あなたは無理を抱えることになるのです。
それでは、やがて後悔に苦しむことになるでしょう。
あなたが心地好いと感じる生き方があるはずです。
あなたのやり方によって、世界に貢献することができるのです。
あなたは自分の人生を諦めてはなりません。
これは、あなたの人生なのです。
後悔しないようにしなければならないでしょう。
あなたにできることは何ですか?
あなたが心地好いと感じることで、世界に貢献できることは何ですか?
誰かや常識を基準として推し量ってはなりません。
誰かや常識は、あなたのことを知らないのです。
あなたのことを知らないのに、どうして最善を導くことができるのでしょうか?
あなたを知っているのは、あなただけなのです。
今の生き方に満足していますか?
今の人生で幸せですか?
あなたは素直に評価しなければなりません。
自分に嘘を吐いて、どうして後悔を克服することができるのでしょうか?
様々な生き方があって良いのです。
それぞれに必要な役割が与えられています。
無駄な人は存在しません。
あなたがどのような人物であろうとも、必要であるために存在しているのです。
ならば、自らの役割を果たしましょう。
迷っていては時間が足りないのです。
あなたが心地好いと思えるような生き方とはどのようなものですか?
それは、あなたに幸福を導く唯一の生き方なのです。
心地好い生き方をしなければ、幸福を得ることなどできないのです。
我慢して、無理をして、どうして幸福を得ることができるのでしょうか?
残念ながら、そのようなことは不可能なのです。
何のために生まれたのか?を考えましょう。
そして、思い出しましょう。
あなたは役割を以て生まれたのです。
無駄に存在している訳ではありません。
自らの役割を果たさなければなりません。
好きに生きましょう。
自由を得るのです。

2015年10月3日土曜日

謎の種

あなたは、謎と共に生きなければなりません。
謎を絶やしてはなりません。
いつも謎を追い掛けていましょう。
謎とは、未知の領域です。
それは、あなたに可能性を導くのです。
謎が存在する以上、可能性は存在し続けます。
あなたは謎と共に生きなければなりません。
あなたは知りません。
あなたにとっては、未知の領域の方が広大であるということを覚えておきましょう。
あなたが知っていることなど、何も無いに等しいのです。
あなたは何を説明することができますか?
例えば、水について説明してください。
あなたの身近に存在している水について、あなたは何を知っているというのでしょうか?
残念ながら、あなたが水について説明することができる範囲は限られています。
当たり前のものでさえ、あなたにはそれを説明することができないのです。
あなたは知りません。
決して自分が知っているなどと思い上がってはなりません。
自分が知っていると思い上がっている者にとっては、この世界には謎が存在しません。
知っているのだから、謎など存在しないのです。
自分が知っていると思い上がっている者には、それ以上の可能性が導かれるでしょうか?
あなたは周囲の人を良く観察してみましょう。
自分が知っていると思い上がっている者がいるはずです。
そのような者に可能性が導かれるでしょうか?
可能性という宝は、知らない者にこそ導かれます。
あなたは知っているという者に何かを教えようと思いますか?
知っているのであれば、それ以上に教える必要などないと考えるでしょう。
それと同じです。
知っていると思い上がっている者には、何を言っても無駄であるのです。
知っていると思い上がっている者は、それ以上の何かを受け入れることなどないのです。
あなたは知っているのでしょうか?
人は謙虚でなければなりません。
常に学ぶ姿勢を保ち、可能性を受け入れるのです。
謎とは勝手にやって来るものではありません。
謎というものは、自分自身が作り出すものであるのです。
何かに対して興味関心がなければ、謎は生まれません。
それは、必要が無いからです。
知りたいと願うのであれば、謎の種を蒔き、それを育むことによって種の正体を知ることができます。
願わなければ実現しないのです。
この世界は心の反映です。
あなたの意識に従って展開します。
人生の可能性の数、どれだけの種を蒔き、どれだけの収穫を得るかは、自分自身で決めることができるのです。
小さな疑問でも良いのです。
当たり前のことに対して疑問を持ってみましょう。
そうすれば、あなたは新たな可能性を得ることができ、新たな世界に出会うことでしょう。
可能性を得ることがなければ、新たな世界を得ることもできません。
興味関心が無く、学ぶ意欲の無い者には、それ以上の人生は与えられないのです。
人生が誰かや何かによって築かれているなどと考えてはなりません。
誰もあなたに興味はないのです。
誰もあなたを変えようとは思いません。
思い上がってはなりません。
あなたの人生はあなた次第なのです。
大切なのはどれだけの謎を生み出すことができるか?ということです。
謎が存在しない人生のどこが楽しいのでしょうか?
分からないことがあるからこそ面白いのです。
結末を知っている物語が楽しいのでしょうか?
多くの人は恐怖から未来を知ろうとしますが、そのような必要がどこにあるのでしょうか?
未来を知ってどうするのでしょうか?
この世界には因果の仕組みというものが存在します。
あなたが未来を知った時点で、あなたの心は変わります。
それは未来という結果を変えるのです。
知る必要などないのです。
あなたにとっては無意味です。
謎を楽しみましょう。
謎を生み出し続けるのです。
謎の種を蒔き、その実りを収穫しましょう。

2015年10月2日金曜日

生存競争

世界には苦悩が溢れています。
世界とは、あなたの人生のことであり、あなたの心のことであるのです。
すべてはあなたから派生します。
すべての事象があなたの心の反映です。
すべての状況、すべての環境、すべての人、すべての時間、すべての空間、すべての人生があなたの心の反映なのです。
それは、有るけれども無いのです。
人生とは有無であるということを知りましょう。
世界に溢れている苦悩は、有るけれども無いのです。
それは、有るように見えるでしょうが、無いのです。
また、無いように見えても、有るのです。
あなたはこの矛盾(に思えること)を受け入れることができるでしょうか?
世界は有無という両方の性質を持っているのです。
これは、あなた自身が有無であるためです。
あなたの中の有無が、世界に有無を導くのです。
すべての苦悩はあなたから派生します。
それは、無知が原因です。
知が無いために苦悩という結果に至るのです。
知が有れば、苦悩には至りません。
それは、満足という幸福を導くでしょう。
あなたは知らなければなりません。
無知の状態を放置してはならないのです。
無知が許されている限りは、世界に苦悩が導かれるのです。
世界の苦悩を食い止めるためには、知によって穴を塞ぐ以外に方法がないということを理解しましょう。
あなたは自分という存在を何だと思いますか?
自分に対して無知であるのならば、自分から派生する世界には苦悩が導かれて当然なのです。
多くの人は自分を肉体であると考えています。
有機物としての生命体を自分であると考えているのです。
それは、間違いではありません。
しかし、自分を肉体(動物)だと考えることによって苦悩が導かれているのは事実なのです。
肉体には生存本能が備わっています。
肉体は自らの状態を維持するために様々な働きをしなければなりません。
肉体は生命を守ろうとするのです。
生命を存続させるためには、眠らなければなりません。
食べなければなりません。
性を求めなければなりません。
争わなければなりません。
(生存競争(ウイルスや獣、悪意を持つ他人などの生命を害すると判断された存在に対する防衛や、経済的な”愚行”など)などの防衛手段)
このような肉体的な生命活動によって、苦悩が導かれるのです。
眠る必要も、食べる必要も、性を求める必要も無ければ、あなたが同じように苦悩すると思いますか?
それ等の肉体が求める生命活動を基準として人生を考えるのであれば、苦悩が導かれるという結果に結び付くのです。
常識とは、生存競争を教える教育です。
生きるための手段として、常識が教え込まれるのです。
あなたが肉体であるのならば、それに従っていれば良いでしょう。
しかし、眠ること、食べること、性を求めること、争うことによって満足を得られるのでしょうか?
そのような欲求をどれだけ満たしても、あなたは一瞬の満足の後に虚しさを得ることになるでしょう。
それは、あなたが肉体(だけ)ではないということを示しているのです。
あなたは肉体で有って、肉体では無いのです。
生命活動に対して、過剰になってはなりません。
無知こそが苦悩の原因なのです。
自分が何者であるのか?ということを追求しなければなりません。
無知な者が幸福を得ることなど不可能であるからです。
幼い頃の幼稚な幸福が、本当に幸福なのでしょうか?
良く考える必要があります。

2015年10月1日木曜日

遠近

あなたの生きるこの世界では、遠くにあるものほど見えなくなります。
近くにあるものほど鮮明に映り、遠くのものは霞(かす)んでしまうのです。
そして、噴出(ふんしゅつ)される水は、遠くなるほどに拡散します。
噴出口に近い水は束(たば)ねられ、遠くになるほどその結束を失います。
根本に近いほど真実であり、遠ざかるほどに真実は薄れます。
それは、すべての事柄において言えることなのです。
すべての事柄は、時間の経過、人を継(つ)ぐことによって遠くへ向かいます。
それは、徐々に根本から遠ざかり、真実を失います。
あなたが知っている歴史は、真実であると言えるでしょうか?
時間の経過と人を継ぐことによって、真実は歪んで行ったのです。
あなたは、ある情報(伝言とその解釈)が時間と人を介(かい)した時に、どれだけ根本を保てるかを知っていますか?
時間と人が多くなるほど、それは根も葉もない噂として偽りという形を得ることになるのです。
人は歴史を大切にします。
風習や文化の中に歴史を垣間見ることができるでしょう。
しかし、その情報が正しく解釈されるということは難しいのです。
それが古ければ古いほど、真実を失っています。
あなたは、何事に関しても安易に信用してはなりません。
それは、人を継いだということは、人の悪意や無知をも通り抜けたということだからです。
悪意や無知を得ることによって、真実は偽りを得るのです。
これは、遠くにあるものが霞んで見えることや、遠くの水が拡散していることと同じです。
大切なのは、根本に気が付くことです。
しかし、大量の偽りに塗(まみ)れた根本を見付けるのは容易なことではありません。
それは、森の中から一本の樹を見付け出すようなものです。
真実(根本)は確実に存在していますが、それがどこにあるかは分からないのです。
人に聞いても教えてはくれません。
それは、その人も知らないからです。
あなたは自分自身で見付ける必要があるのです。
自分自身で読み解くのです。
そのように努めましょう。
多くの人は遠くから眺めて分かった気になります。
その対象の姿が霞んでいるにもかかわらず、それを決め付けるのです。
海の彼方に存在する対象は、本当に島なのでしょうか?
それは、本当に船舶なのでしょうか?
どのように見えたとしても、実際に近付かなければ真実を知ることはできません。
あなたは近くへ向かう必要があるのです。
近くに向かうためには、純粋に求めなければなりません。
純粋な者でなければ、近付くことはできません。
例えば、熊が恐ろしいとは思っても、実際に近付かなければ真実を理解することはできません。
それは、穏やかな性格の熊であるかも知れないのです。
見た目で判断するのであれば、真実を得ることはできません。
あなたが信じていることは、本当にあなたが信じるべきものなのでしょうか?
多くの人は遠くからそれを見ています。
遠くから見ているために、真実には気が付いていませんが、それを信じているのです。
偽りものを真実として受け入れて来たのが人です。
時間と人を継ぐことによって、それは徐々に真実から遠ざかります。
それは、人の心の中に弱さが存在しているからです。
”神”の言葉(真理)は、人を介した時点で歪みます。
それは、人が歪んでいるからです。
情報は必ず歪むのです。
あなたはそれを理解しなければなりません。
あなたの信じているものは、既に真実から遠ざかって歪んでいます。
あなたは、まず偽りを解くことから始めましょう。
偽りの中に埋もれている真実を探すのです。
真実を得るために、根本の近くにいましょう。
根本の近くにいるために必要な条件は、純粋であることだけです。
純粋であるほど、あなたは根本に近付くことができるでしょう。
真実に目覚めるのです。