目を凝らして見ない者は、世界の真実に辿り着くことはできません。
世界の真実とは、「何のために生きているのか?」という問いの答えです。
真実とは、人によって異なります。
世界は同じように見えても、人それぞれに違うものであるのです。
目を凝らして見ることがなければ、世界の真実を見極めることはできず、苦悩を受けることになるのです。
この世界には、苦悩という名の蜘蛛(くも)が巣を構えています。
あなたは花の間を飛び回る蝶のようなものです。
蜘蛛の糸は透明であり、蝶からは隠されています。
それは目を凝らすことがなければ気が付きません。
気が付かなければ簡単に捕らわれてしまいます。
注意して飛ばなければ、自由は奪われ、その身は引き裂かれるのです。
これが人生の苦悩として導かれるのです。
無知な蝶は、蜘蛛が巣を構えているということを知りません。
何の注意もなく、好きに飛び回ります。
当然、自ら蜘蛛の巣に捕らわれることになるのです。
蜘蛛は待っているだけです。
自らが捕らわれるのを蜘蛛のせいにすることはできないのです。
自らがそこへ向かったのです。
蝶が蜘蛛の巣に捕らえられないためには、巣に向かって飛ばないことです。
注意して飛べば、安全に花の蜜に辿り着くことができるのです。
多くの人は目を凝らすことをしません。
当たり前を当たり前と決め付け、自分が信じることができることのみを信じています。
与えられた世界を生きているのです。
誰かに教えられたことを鵜呑みにし、それを疑うことをしません。
そのため、実際に存在しているものさえ見ることができず、直ちに苦悩に会うのです。
あなたは目を凝らさなければなりません。
当たり前を当たり前としてはなりません。
(無知な)自分を信じてはなりません。
教えられたことを鵜呑みにしてはなりません。
苦悩を受けるのは自己責任であるからです。
何も無い場所に何かが有り、何かが有る場所に何も無いのです。
世界は真実を隠します。
この世界は偽りを喜んでいるのです。
それは、あなたが偽りによって真実を知る(思い出す)ためです。
あなたは相対(あいたい)するものによって、学ぶのです。
陽を学ぶためには陰を学ぶ必要があるのです。
簡単には見極められません。
蜘蛛は賢く巣を構えます。
そこには知恵があるのです。
蜘蛛の巣を見極めるためには、知恵を以て見る必要があるのです。
苦悩に対して知恵を以て見れば、その”美しさ”を理解することができるでしょう。
蜘蛛の巣を恐ろしいものとして見るのと、美しいものとして見るのでは、結果に大きな違いが生まれるのです。
目を凝らして見れば、蜘蛛の巣が美しい形を成していることに気が付くことができます。
それは、そこに知恵を見ることができるからです。
どのような苦悩にも知恵が隠されています。
それは、隠されてはいませんが、見えていない者にとっては隠されているのです。
すべての事柄に知恵が存在しているということを理解しましょう。
目を凝らして見るのであれば、この世界に苦悩は存在しないということに気が付くことができるはずです。
すべては、あなたの無知から生じる誤解であるということを知ることができるのです。
目を凝らして見れば、世界が完全な働きの中にあることを理解することができます。
目を凝らして見れば、世界が知性によって満たされているということに気が付くでしょう。
目を凝らして見る時、あなたが蜘蛛の巣に捕らわれることはなく、その自由が妨げられることもないでしょう。
すべてに感謝してみましょう。
それが、あなたの目を凝らせ、世界の真実を伝えるでしょう。
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