世界には苦悩が溢れています。
世界とは、あなたの人生のことであり、あなたの心のことであるのです。
すべてはあなたから派生します。
すべての事象があなたの心の反映です。
すべての状況、すべての環境、すべての人、すべての時間、すべての空間、すべての人生があなたの心の反映なのです。
それは、有るけれども無いのです。
人生とは有無であるということを知りましょう。
世界に溢れている苦悩は、有るけれども無いのです。
それは、有るように見えるでしょうが、無いのです。
また、無いように見えても、有るのです。
あなたはこの矛盾(に思えること)を受け入れることができるでしょうか?
世界は有無という両方の性質を持っているのです。
これは、あなた自身が有無であるためです。
あなたの中の有無が、世界に有無を導くのです。
すべての苦悩はあなたから派生します。
それは、無知が原因です。
知が無いために苦悩という結果に至るのです。
知が有れば、苦悩には至りません。
それは、満足という幸福を導くでしょう。
あなたは知らなければなりません。
無知の状態を放置してはならないのです。
無知が許されている限りは、世界に苦悩が導かれるのです。
世界の苦悩を食い止めるためには、知によって穴を塞ぐ以外に方法がないということを理解しましょう。
あなたは自分という存在を何だと思いますか?
自分に対して無知であるのならば、自分から派生する世界には苦悩が導かれて当然なのです。
多くの人は自分を肉体であると考えています。
有機物としての生命体を自分であると考えているのです。
それは、間違いではありません。
しかし、自分を肉体(動物)だと考えることによって苦悩が導かれているのは事実なのです。
肉体には生存本能が備わっています。
肉体は自らの状態を維持するために様々な働きをしなければなりません。
肉体は生命を守ろうとするのです。
生命を存続させるためには、眠らなければなりません。
食べなければなりません。
性を求めなければなりません。
争わなければなりません。
(生存競争(ウイルスや獣、悪意を持つ他人などの生命を害すると判断された存在に対する防衛や、経済的な”愚行”など)などの防衛手段)
このような肉体的な生命活動によって、苦悩が導かれるのです。
眠る必要も、食べる必要も、性を求める必要も無ければ、あなたが同じように苦悩すると思いますか?
それ等の肉体が求める生命活動を基準として人生を考えるのであれば、苦悩が導かれるという結果に結び付くのです。
常識とは、生存競争を教える教育です。
生きるための手段として、常識が教え込まれるのです。
あなたが肉体であるのならば、それに従っていれば良いでしょう。
しかし、眠ること、食べること、性を求めること、争うことによって満足を得られるのでしょうか?
そのような欲求をどれだけ満たしても、あなたは一瞬の満足の後に虚しさを得ることになるでしょう。
それは、あなたが肉体(だけ)ではないということを示しているのです。
あなたは肉体で有って、肉体では無いのです。
生命活動に対して、過剰になってはなりません。
無知こそが苦悩の原因なのです。
自分が何者であるのか?ということを追求しなければなりません。
無知な者が幸福を得ることなど不可能であるからです。
幼い頃の幼稚な幸福が、本当に幸福なのでしょうか?
良く考える必要があります。
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