多くの人は恐れに従います。
多くの人は恐れに従い、行うのです。
恐れとは、破滅的な感情です。
それは、破滅的なエネルギーなのです。
破滅的なエネルギーを用いて行えば、破滅が実現します。
恐れに従って行うのであれば、苦悩という破滅的な結果が実現するのです。
多くの人が恐れに従っているのが現状です。
それは、人の心の中には大きな恐れが存在しているからです。
人は、自らの心に従って選択します。
心の中に無いものには従うことができないのです。
人の心の中には陰と陽、ネガティブとポジティブの感情が混在しています。
しかし、人生を行っている人の心の中には、陰の感情の方が多く存在しています。
多くの人は、病気を恐れて健康を目指します。
財産を失うことを恐れて鍵を設置し、財産を奪われることを恐れて施錠(せじょう)するのです。
健康のために健康を目指し、財産を失うことを恐れずにいる人は少ないのです。
人の行為の動機は、その多くが恐れにあるのです。
意識的にも、無意識的にも、恐れを信仰しているのです。
あなたはそのようには思っていないでしょう。
自分が恐れに従っているとは思っていなくても、恐れに従っている人は多いのです。
主人の命じるままに、召し使いは働かなければなりません。
あなたの主人とは、あなたの信仰であり、召し使いとはあなた自身なのです。
”神”を恐れる人は”神”のように行い、人間を恐れる人は人間のように行うのです。
あなたは何を恐れているでしょうか?
多くの人は、人間に嫌われることを恐れています。
自らの所有する人間関係という小さな世界に生きているために、その中で除け者にされることを恐れています。
あなたは人に嫌われることをどう思いますか?
人に嫌われることを恐れているでしょうか?
あなたが人に嫌われることを恐れているのであれば、あなたは人間の子として生きることになるでしょう。
人間の子として生きるということは、人間としての学びを得ることになります。
人間としての学びとは、唯物と欲望についてです。
人間は唯物と欲望の中に生きています。
人間の子として生きるのであれば、それ等を克服する学びを得るのです。
あなたが”神”に嫌われることを恐れているのであれば、あなたは”神”の子として生きることになるでしょう。
”神”の子として生きるということは、”神”としての学びを得ることになります。
”神”としての学びとは、唯心と愛についてです。
”神”は唯心と愛の中に生きています。
”神”の子として生きるのであれば、それ等を克服する学びを得るのです。
人は、大きく分けてこの二つの道を生きることになります。
どちらを選んでも学びは導かれます。
どのように生きるかはあなた次第です。
しかし、自分が恐れに従っているということを理解する必要があるのです。
恐れとは、強大なエネルギーです。
これを理解し、手懐(てなず)けることがなければ、自らの力に翻弄(ほんろう)されてしまうでしょう。
嵐の中を目的地へと進むためには、嵐の性質を理解しておく必要があるのです。
あなたは自分について理解を深める必要があるでしょう。
自らの主人が誰であるのか?ということを知らずに、報酬を期待することはできません。
主人は自らの所有する財産の中から報酬を与えるのです。
所有しないものをわざわざ買い与えることはありません。
農夫は作物を与え、漁夫は魚を与え、猟夫(りょうふ)は獣を与え、杣夫(そまふ)は樹木を与えるのです。
農夫が魚を与えることも、漁夫が獣を与えることもないのです。
あなたの主人は、自らの所有する財産を報酬として与えるでしょう。
そのことを理解して仕える必要があるのです。
知らなかったと後に嘆(なげ)くことは賢明ではありません。
あなたは自分の意思で主人を決めるのです。
主人が誰であるのか?誰を恐れているのか?ということを知りましょう。
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