あなたの生きるこの世界では、遠くにあるものほど見えなくなります。
	近くにあるものほど鮮明に映り、遠くのものは霞(かす)んでしまうのです。
	そして、噴出(ふんしゅつ)される水は、遠くなるほどに拡散します。
	噴出口に近い水は束(たば)ねられ、遠くになるほどその結束を失います。
	根本に近いほど真実であり、遠ざかるほどに真実は薄れます。
	それは、すべての事柄において言えることなのです。
	すべての事柄は、時間の経過、人を継(つ)ぐことによって遠くへ向かいます。
	それは、徐々に根本から遠ざかり、真実を失います。
	あなたが知っている歴史は、真実であると言えるでしょうか?
	時間の経過と人を継ぐことによって、真実は歪んで行ったのです。
	あなたは、ある情報(伝言とその解釈)が時間と人を介(かい)した時に、どれだけ根本を保てるかを知っていますか?
	時間と人が多くなるほど、それは根も葉もない噂として偽りという形を得ることになるのです。
	人は歴史を大切にします。
	風習や文化の中に歴史を垣間見ることができるでしょう。
	しかし、その情報が正しく解釈されるということは難しいのです。
	それが古ければ古いほど、真実を失っています。
	あなたは、何事に関しても安易に信用してはなりません。
	それは、人を継いだということは、人の悪意や無知をも通り抜けたということだからです。
	悪意や無知を得ることによって、真実は偽りを得るのです。
	これは、遠くにあるものが霞んで見えることや、遠くの水が拡散していることと同じです。
	大切なのは、根本に気が付くことです。
	しかし、大量の偽りに塗(まみ)れた根本を見付けるのは容易なことではありません。
	それは、森の中から一本の樹を見付け出すようなものです。
	真実(根本)は確実に存在していますが、それがどこにあるかは分からないのです。
	人に聞いても教えてはくれません。
	それは、その人も知らないからです。
	あなたは自分自身で見付ける必要があるのです。
	自分自身で読み解くのです。
	そのように努めましょう。
	多くの人は遠くから眺めて分かった気になります。
	その対象の姿が霞んでいるにもかかわらず、それを決め付けるのです。
	海の彼方に存在する対象は、本当に島なのでしょうか?
	それは、本当に船舶なのでしょうか?
	どのように見えたとしても、実際に近付かなければ真実を知ることはできません。
	あなたは近くへ向かう必要があるのです。
	近くに向かうためには、純粋に求めなければなりません。
	純粋な者でなければ、近付くことはできません。
	例えば、熊が恐ろしいとは思っても、実際に近付かなければ真実を理解することはできません。
	それは、穏やかな性格の熊であるかも知れないのです。
	見た目で判断するのであれば、真実を得ることはできません。
	あなたが信じていることは、本当にあなたが信じるべきものなのでしょうか?
	多くの人は遠くからそれを見ています。
	遠くから見ているために、真実には気が付いていませんが、それを信じているのです。
	偽りものを真実として受け入れて来たのが人です。
	時間と人を継ぐことによって、それは徐々に真実から遠ざかります。
	それは、人の心の中に弱さが存在しているからです。
	”神”の言葉(真理)は、人を介した時点で歪みます。
	それは、人が歪んでいるからです。
	情報は必ず歪むのです。
	あなたはそれを理解しなければなりません。
	あなたの信じているものは、既に真実から遠ざかって歪んでいます。
	あなたは、まず偽りを解くことから始めましょう。
	偽りの中に埋もれている真実を探すのです。
	真実を得るために、根本の近くにいましょう。
	根本の近くにいるために必要な条件は、純粋であることだけです。
	純粋であるほど、あなたは根本に近付くことができるでしょう。
	真実に目覚めるのです。
	
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