畑を疎かにする者は、飢(う)えに苦しむでしょう。
	あなたは畑を所有しています。
	その畑を疎かにすれば、すぐさま雑草が蔓延(はびこ)ります。
	それでも疎かにするのであれば、樹木が育ち、やがては畑を失います。
	草木によって畑を失う者は、飢えに苦しむでしょう。
	畑を疎かにすれば、土は固まります。
	固まった土には作物は育ちません。
	天から降る雨も、その表面を流れ、畑には蓄えられません。
	固まった土によって畑を失う者は、飢えに苦しむでしょう。
	畑を疎かにすれば、肥(こえ)を失います。
	肥を失った土には作物は育ちません。
	意気込んで種を蒔(ま)いても、土が肥えていないために食物は育ちません。
	肥を失うことによって畑を失う者は、飢えに苦しむでしょう。
	畑を疎かにすれば、鳥獣や昆虫によって貪(むさぼ)られます。
	鳥獣や昆虫の侵入を許せば、収穫は得られないのです。
	畑を見張らない者は、飢えに苦しむでしょう。
	畑を疎かにすることは、命に関わります。
	どのように文明が豊かに育まれようとも、人が畑(自然)から離れることはできません。
	多くの人は食物を必要としているのです。
	これと同じように、人は心を必要としています。
	心の状態こそが、人生の状態を決めるのです。
	畑を心として考えましょう。
	肉体的な人間にとって、畑は命そのものです。
	精神的な人間にとって、心とは命そのものです。
	畑を疎かにする者が飢えに苦しむように、心を疎かにする者は問題に苦しむのです。
	畑に対して懸命に働くのであれば、あなたが飢えに苦しむことはありません。
	心に対して懸命に働くのであれば、あなたが問題に苦しむことはないのです。
	しかし、多くの人が問題を抱え、苦悩の中に人生を生きています。
	それは、心を疎かにしているということなのです。
	すべての問題は、心によって発生します。
	そのため、それを解決する方法も心にあるのです。
	誰かを助けてやり、助けてもらっても、心根に違いがないのであれば、自ら同じ結果を繰り返すのです。
	そのため、誰かを助けてやること、助けてもらうことは大抵の場合無意味に終わります。
	畑を疎かにする者の畑を代わりに耕(たがや)してやり、代わりに種を蒔き、代わりに水をやり、代わりに肥をやり、代わりに収穫してやっても、また畑を疎かにするだけなのです。
	心根が違わない限りは、飢えに苦しむことは続くのです。
	しかし、多くの人は”奇跡”を信じています。
	畑で働かなくても、”神”が養ってくれると信じているのです。
	この世界には因果の仕組みという理(ことわり)があります。
	これは”神”による掟(おきて)です。
	”神”がこれを自ら犯すでしょうか?
	畑を疎かにする者に、収穫を導くでしょうか?
	幻想に浸(ひた)り、妄想を信仰してはなりません。
	努めなくして収穫は導かれないのです。
	他力に頼り、自力を磨かない者が多過ぎるのです。
	誰かや何かに頼ることを前提として人生を設計することは間違いなのです。
	他を頼りにしてはなりません。
	自分の畑は自力によって耕すのです。
	知恵と努めと辛抱を以て作物を育てるのです。
	それと同じように心を育てましょう。
	畑も心も疎かにしてはなりません。
	懸命に生きましょう。
	怠惰(たいだ)に生きてはなりません。
	飢え(問題)に苦しまないように働きましょう。
	
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