このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2016年8月31日水曜日

二つのリスク

あなたは、自らの生きる道を探さなければなりません。
それは、生きる方法です。
あなたには、自分の生きる方法があるのです。
それは、心地の好い生き方のことです。
そこでは、生じる問題が喜びとなります。
そこには、苦しみというものは存在しないのです。
あなたが苦しみを感じているとすれば、それは、その生き方が自分に相応しくないからです。
誰かや何かがあなたを苦しめているのではありません。
多くの人がそのように誤解していますが、その歪みを信じてはならないのです。
あなたの生き方が、問題を苦しみとしているだけなのです。
問題は苦しみではないのです。
なぜなら、問題の本来の目的は、問題提起にあるからです。
問題は、間違いを指摘しているに過ぎません。
間違いを指摘してもらえるということは、間違いを正すことができるということなのです。
それ以上の喜びが存在するでしょうか?
間違いを正すことによって、あなたは成長することができるのです。
成長こそが喜びであり、あなたは問題によって喜びを得ているということになるのです。
そのため、問題とは喜ぶべきものであり、決して苦しみの対象ではないということを理解しましょう。
あなたは、問題が苦しみではないということを理解する必要があるのです。
そのように信じることができなくとも、問題が苦しみではないという知識を所有しておきましょう。
そうすれば、やがて問題が喜びであるということを受け入れることもできるようになるからです。
あなたは、古い生き方に守られています。
それは、親鳥が雛(ひな)を固い殻(から)の卵で守るようなものです。
雛は、殻によって守られます。
殻がなければ(自然界においては)雛は生まれることができないのです。
そのため、雛にとって卵の殻とは重要な守護であるということです。
しかしながら、雛が生まれるためには、今までは守護として役立っていた殻が障壁(しょうへき)となるのです。
それは、雛にとっては問題として映るでしょう。
そのため、雛は殻を砕(くだ)き、問題を解決するのです。
雛は、初めの問題として、自らを守護する殻に向き合わなければならないのです。
力の無い雛にとっては、とても大きな問題となるでしょう。
しかしながら、殻を砕くことができなければ、自然界において生きていくことは難しいのです。
そのため、雛は自分の力によって殻を砕く必要があるのです。
あなたにとっての殻とは、古い生き方です。
古い考え方、捉え方、方法は、今までのあなたの守護となり得たでしょう。
しかしながら、それを砕かなければそれ以上の世界を得ることはできないのです。
多くの人は、古い生き方によって自分を守護しようと考えています。
そのため、同じことを続けるのです。
雛が殻を砕かなければ、窒息して死を迎えるのです。
時が来れば、すべての人が選択を迫られるのです。
あなたは選ばなければなりません。
古いこれまでの生き方か、新しい今までにない生き方か、選ばなければならないのです。
どちらにもリスクは存在します。
しかしながら、片方には可能性が広がり、片方にはそれがありません。
あなたは二つのリスクの中から、小さなリスクを選ぶ必要があるのです。
どちらを選んでも、それはあなたの自由です。
しかし、あなたが豊かな人生を求めているのであれば、殻を砕かなければなりません。
古い生き方(過去の教育)は、やがてあなたを窒息させるのです。
窒息の苦しみに遭(あ)いながら、殻を砕かない者は死を得るでしょう。
あなたが苦しんでいるのは、古い生き方に窒息しかけているからなのです。
問題が苦しみとなるということは、その生き方には限界があるということです。
雛は、自然界において生存する可能性のある最低限の肉体を手にした時点において殻を砕きます。
それは、それ以上待つことは大きなリスクを選ぶことになるからです。
この世界には、死のリスクか、生のリスクしかありません。
肉体の生存は勿論のこと、心の生存にもリスクが存在するということを覚えておきましょう。

2016年8月30日火曜日

幻想の檻

あなたは、理解を深めなければなりません。
理解を深めなければ、どのような謎も解けることはありません。
目の前に横たわる謎を解かなければ、あなたが満たされることはないのです。
謎を抱えて生きることは苦しいことだと知りましょう。
多くの人は自分が苦しみを抱えていることにさえ気が付いていません。
苦しみの中に生きているにもかかわらず、自分が苦しくはないと思い込みたいのです。
多くの人が幸福ではない状態を幸福であると思い込むことによって、自分の現状に納得しようと努めています。
あなたは本当に苦しくないのですか?
あなたは本当に幸福なのでしょうか?
素直に考えてみなければなりません。
多くの人は、自己を正当化することによって、苦しい現実から逃避しようとしています。
そして、自分を騙(だま)すことによって、幻想の幸福に酔い痴(し)れているのです。
多くの人が酒に溺れることによって、自分自身の腑甲斐(ふがい)なさを忘れようとしているようなものです。
多くの人が睡眠中に見る夢の中に生きているようなものです。
睡眠中に見る夢の中では、あなたは何も掴むことができないのです。
そこには何も無いのです。
何も無いものを有ると思い込んでいるのです。
”有る”のは、目の前の現実の中です。
睡眠中の夢の中には何も無いのです。
現実逃避によって、幻想に酔い痴れてはなりません。
睡眠中に見る夢は必ず覚めます。
あなたが幻想の幸福に酔い痴れたところで、現実は確実に迫っているのです。
無知に生きることは、人を幻想の中にとどめます。
幻想を喜んだところで、心が満たされることはありません。
酒に酔うのを喜んでいる者が、酒が切れても喜んでいるでしょうか?
酒が切れると喜びも無くなるために、再び酒に酔うのです。
そのような方法によって、心が満たされるでしょうか?
あなたは良く考えなければならないのです。
多くの人は無知が苦しみであるということを知りません。
そのため、苦しみを誰かや何かのせいにしているのです。
誰かや何かがあなたを苦しめることはありません。
誰かや何かがあなたを傷付けることなどできないのです。
無知であるが故(ゆえ)に、愚かなことを考えるのです。
そして、愚かな言動を発するということを覚えておきましょう。
理解を深める必要があります。
幻想の幸福に酔い痴れている場合ではないのです。
幻想から覚める時、あなたは時間が無いと喚(わめ)き立てることになるでしょう。
時間は十分に与えられていたのです。
しかしながら、深く眠り、それを無駄にしたのは自分自身なのです。
そうならないために、考えを改める必要があるのです。
無知を喜んではなりません。
幻想の幸福に酔い痴れてはなりません。
現状が最高であるはずが無いのです。
人は常に無知を克服することができるのです。
新たに知識を得れば、幸福の形も大きく変わります。
たった一つの知識によって、あなたの幸福は崩壊するでしょう。
今日の幸福は、明日には価値を失うのです。
そのことを知らなければなりません。
しかしながら、無知を喜ぶ者には、そのことが理解できません。
あなたの考える幸福は、幻想の檻(おり)のようなものです。
あなたを捕らえて離さないでしょう。
檻で長く過ごした動物は、檻の外を恐れるのです。
檻がどのように劣悪な環境であったとしても、檻の中の方が良いと思い込んでいるのです。
あなたは、自分がどこにいるのか?を考えましょう。
無知によって、幻想の幸福に酔い痴れている暇などないのです。
人生を考えなければなりません。

2016年8月29日月曜日

代用品

あなたは、自分自身によって、この人生を生きなければなりません。
あなたは、自分自身によって、他の存在と調和しなければなりません。
あなたは、自分自身によって、他人と共存する必要があるのです。
重要なのは、あなたが自分自身であることです。
自分自身であることによって、この世界、他の存在、他人に貢献することができるのです。
あなたが自分自身でなければ、貢献することは出来ないと理解する必要があるのです。
自分自身とは、我欲に根差した自我のことではありません。
自分自身とは、あなたに与えられた役割のことなのです。
あなたという存在は、与えられた役割そのものなのです。
あなたは役割であって、それ以外の存在ではありません。
あなたはこの世界の一部であるのです。
あなたには、果たさなければならない役割が与えられているのです。
そのことを忘れている者が多いのです。
大半の者が自らの役割を忘れています。
そのために、苦悩が絶えないのです。
あなたが不足を感じているのであれば、それは役割を見失っているからなのです。
自分自身を見失っているために、様々な形で不足を感じるのです。
しかしながら、多くの人は不足の本質を理解しません。
そのため、他人や物に対して執着することによって、不足を忘れようと努めているのです。
しかしながら、どれだけ他人や物に執着したとしても、その不足が満たされることはありません。
他人や物にどれだけ求めても、最終的に得られるのは虚しさなのです。
あなたは、自らの役割を果たすことによってのみ、その不足を満たすことができます。
自分自身を見失って、どうして不足を満たすことができるのでしょうか?
自分自身を見失っているのだから、その他の何も見えてはいないのです。
自分自身を見据(みす)えることができれば、あなたはその他のすべてを見据えることができるのです。
あなたは、自分自身を通してものを見ているのです。
自分自身が透明ならば、何も見ることはできないということに気が付きましょう。
あなたの自分自身に対する認識が、見るものの認識に繋がります。
どれだけ自分自身を知っているか?ということです。
あなたが自分自身に対して認識を深めるほどに、物事に対する認識は深まります。
自分自身を見失っている者には、すべてが味気ないものとなるのです。
自分自身を見据えている者には、すべてが輝いて見えるでしょう。
人生を意義のあるものとするためには、自分自身を知り、自分自身である必要があるのです。
あなたの人生の目的は何ですか?
あなたはどのような形で世界に貢献する必要があるのでしょうか?
あなたは自分自身を探し続けなければなりません。
あなたは自分自身でなければならないのです。
他人のために、自分自身を見失ってはなりません。
あなたは他人と理解し合わなくても良いのです。
役割が違えば、理解も乖離(かいり)するのが自然です。
他人に媚(こ)び諂(へつら)う必要などないのです。
他人と協力しなければなりませんが、求められているのは自分自身での協力です。
自分自身で無い者は、協力しようにも役には立たないのです。
それは、自分自身では無いからです。
あなたが自分自身で無いのであれば、代用はいくらでもいるということなのです。
それは、多くの人が自分自身ではないからです。
多くの人が同じなのです。
同じ考え方、同じ捉え方、同じ生き方をしているのです。
違いは微差(びさ)に過ぎません。
ならば、”どれでも”良いのです。
ここまで読んで不快に思うのであれば、あなたには可能性が残されているでしょう。
あなたは自分自身(役割)を思い出さなければなりません。
他人のためのあなたではないのです。
世界のためのあなたなのです。
あなたは誰ですか?
代用が利くのであれば価値はないでしょう。
あなたに価値を与えるものがあるとするのであれば、それは自分自身であることだけなのです。

2016年8月28日日曜日

人生の主導権

あなたは、自分の人生を生きなければなりません。
あなたには、あなたらしい生き方があるのです。
それは、他人と共感する生き方ではないかもしれません。
あなたの人生は、他人とは似ていないものとなるかもしれません。
しかし、あなたはそれでも自分の人生を生きる必要があるのです。
なぜなら、自分の人生を生きなければ、あなたは苦しみ続けることになるからです。
この苦しみから逃れることはできません。
なぜなら、あなたは自分の人生を放棄したからです。
自分の人生とは、あなただけに創造された、あなたに相応しい人生です。
あなたの人生は、あなただけに仕立てられた、特別仕様なのです。
あなたに相応しいのは、あなたの人生に他なりません。
それは、あなたに調和します。
自分の人生を生きるということは、何の違和感も、嫌悪感も、反抗も生じないのです。
自分の人生を生きることは簡単であるということを知らなければならないのです。
多くの人は、自分の人生を生きることが難しいと思い込んでいます。
本当にそうでしょうか?
自分の好きなことをして生きることが、どうして苦しいのでしょうか?
嫌いなことをして生きる方が余程(よほど)苦しいとは思いませんか?
多くの人は自分の人生を生きることが出来てはいません。
多くの人が、自分の人生の主導権を、他の誰かに明け渡しているのです。
これは、あなたの人生です。
あなたが生きなければならないのです。
あなたが決断し、あなたが主導者なのです。
誰の人生でもありません。
誰も、あなたの代わりに主導してはならないのです。
多くの人は恐怖に戦(おのの)く余り、主導権を明け渡しているのです。
あなたは偽りの生き方を教わっているのです。
他人の人生を生きてはなりません。
それが如何に愚かな行為であるかを知りましょう。
あなたの本当に求めるものは何ですか?
何を犠牲にしても、必要なものがあるはずです。
素直に考えましょう。
最も好きな生き方を探すのです。
あなたは好きに生きて良いのです。
そのための人生なのです。
人生は、あなたのために創造されたのです。
人生は、あなたの帰りを待っています。
自分らしく生きなければなりません。
他人の目や、常識などを恐れてはなりません。
あなたには、果たすべき使命があるのです。
それは、自分の人生を生きることです。
ただ、それだけのことなのです。
あなたが好きな人生を生きることは簡単です。
あなたは今よりも自由になり、心が満たされるでしょう。
自分に合っていない生き方をいつまで続けるつもりですか?
自分を裏切ってまで、苦しみ続けるつもりですか?
勇気を持つだけです。
ただ、それだけで人生は大きく変わります。
今日から、あなたの人生は全くの別物になるのです。
苦しむ必要はありません。
好きに生きましょう。
自分らしくない難しい人生を生きるよりも、自分らしく簡単な人生を生きましょう。
難しい人生では乏しさが導かれ、簡単な人生では豊かさが導かれます。
自分の人生を生きない人は、目の前の状況を難しくし、乏しく生きているのです。
あなたが問題を抱え、乏しさを感じているのであれば、それは自分の人生を生きていないと知りましょう。
自分の人生を生きることによって、あなたは世界に貢献することができます。
楽しく、豊かに、自分らしく生きることこそ、結果として世界への貢献となるのです。

2016年8月27日土曜日

幸福の放棄

あなたは誰ですか?
あなたは自分が何者なのかを知っていますか?
多くの人が自分が何者であり、誰であるのかを知りません。
多くの人は自分が何者であり、誰であるのかを知りたいのです。
あなたは、自分が何者であり、誰であるのかを知らなければならないでしょう。
なぜならば、自分が何者であり、誰であるのかを知らなければ、何が幸福であり、何のための人生であるのかを理解することができないからです。
これはあなたの人生です。
あなたが人生を生きているのです。
何のために生きているのでしょうか?
人生とは何でしょうか?
自分が何者であり、誰なのかを知らなければ、この問いに答えることはできないのです。
そのため、豊かな人生を望んでいるのであれば、自分を知る必要があるということを覚えておかなければならないのです。
多くの人は自分を知りたいと考えています。
もしくは、そのような問いに至らずに生きている人もいるでしょう。
あなたは、自分が誰であるのか?ということを考えたことがありますか?
深く考えなければなりません。
考え続けなければならないのです。
一朝一夕の内に導かれる答えではありません。
あなたは、一生涯を掛けて、この問題に取り組まなければならないのです。
あなたには、生涯を通じて”自分は誰なのか?”という問いが投げ掛けられます。
あなたは考え続けなければなりません。
多くの人が自分が何者であり、誰であるのかを知りません。
人は、自分の役割を知らずに生きているのです。
そのため、何をしているのか?すら知らないのです。
何をしているのかを知らないのに、どうして何が幸福であると知ることができるのでしょうか?
それは、不可能なことなのです。
あなたの感じている幸福は、残念ながら幸福ではありません。
それは、幸福だと思い込んでいる一時の感情や状況に過ぎないのです。
その感情や状態が過ぎれば、あなたの幸福も同時に過ぎ去ってしまうでしょう。
そのようなものが幸福であるはずがないのです。
あなたは、現状の幸福を幸福だと考えてはなりません。
それは、現状に停滞する考え方であるからです。
現状の幸福に停滞することは、決して幸福なことではないのです。
停滞は衰退を導きます。
この世界において、豊かさを導くためには変化し続ける必要があるのです。
停滞したものは必ず衰退し、後に滅びてしまうのです。
そのため、幸福が限定的なものでないことは明らかなのです。
多くの人は自分を知りません。
そのため、偽物の幸福に停滞するのです。
人生とは、自分を探す旅のようなものです。
あなたは自分というものを探し続けなければなりません。
あなたが自分を探すためには、現状の自分を放棄しなければならないでしょう。
あなたは常に新しい自分に出会う必要があるのです。
自分を探す(知る)ということは、自分を変化させていくということなのです。
変化した自分とは、新たな側面です。
あなたは、出来る限り多くの自分の側面を探し、自分を知りましょう。
変化を恐れてはなりません。
現状の幸福を放棄することは簡単なことではないでしょうが、それを放棄しなければならないのです。
あなたには、真の自分と真の幸福を手に入れて欲しいのです。
そのためには、現状を放棄しましょう。
現状に停滞してはなりません。
あなたは常に変化の中に存在し続けなければならないのです。
変化することは良いことです。
停滞はあなたを苦しめるでしょう。
変化があなたを苦しめることはありません。
それがどのような変化であろうともです。
初めは苦しみを伴(ともな)う変化であろうとも、必ずそれで良かったと思えます。
心配する必要はありません。
あなたは何の心配もせずに、現状を放棄しましょう。
常に新しい世界を生きるのです。
そこで、新しい自分に会いましょう。

2016年8月26日金曜日

知識の地図

”すべては一つ”です。
”すべては一つ”に繋がっているのです。
この世界において、独立している存在はありません。
関係の無いように見えるものであっても、繋がりを持っているのです。
多くの人は、”すべては一つ”に繋がっているということを知りません。
それぞれが別々の存在であり、離れ離れに存在していると思っているのです。
そのため、物事の道理を理解することができず、分裂という結果を導くことになるのです。
本来ならば、物事を調和に導くことによって豊かさを得ることができます。
物事を調和に導くためには、”すべては一つ”という道理を理解する必要があるのです。
この世界においては、それぞれが共存することによって豊かさが導かれます。
互いに協力することによって初めて豊かさが導かれるのです。
どこかの段階で協力が絶たれるのであれば、豊かさが導かれることはありません。
身体の臓器のどれか一つでも機能していなければ、健康を保つことはできないのです。
すべての臓器が機能することによって、肉体は健康を保つことができるのです。
必要の無い臓器が存在するでしょうか?
必要であるから存在しているのです。
この世界に必要の無いものが存在するでしょうか?
臓器と同じように、人間の短絡的な発想によって不要なものと決め付けていれば、全体のバランスが崩れてしまうのです。
それによって、豊かさが脅かされるということを知る必要があるでしょう。
全体を捕えなければなりません。
全体を認識することによって、個々を理解することができるのです。
多くの人は目の前の個を知ろうと努めています。
自分が携わるものへの理解を求めているのです。
そのため、多くの人は個を理解するために努めるでしょう。
そして、個を理解するために、個への知識を追求するのです。
しかしながら、個を追求したところで、個を理解することはできません。
なぜなら、個は全体の一部であり、全体を理解することができなければ、個を理解するには至らないからです。
機械の一部品だけを以て、それが何であるのか?を理解することは難しいでしょう。
一部品は、機械に組み込まれた状態を知ることによって、理解されるのです。
機械を知らなければ、部品を理解することはできないのです。
しかしながら、多くの人は部品のみの情報によって、その部品が何であるのか?ということを求めているのです。
全体を知らなければ、個を理解することはできません。
そのため、あなたは視野を広げなければならないのです。
個には直接的に関係しないものであっても、間接的には関係しています。
”すべては一つ”に繋がっているのだから、間接的には確実に関係しているのです。
別の個と比較することによって、個への理解は深まります。
全体と比較することによって、あなたは個を知るでしょう。
あなたは広く情報(知識)を集めなければなりません。
専門的な情報を集めることは、理解を深めるには有効のように思えます。
もちろん、それは理解を深めることに繋がります。
しかしながら、理解を深めることはできても、それが何であるのか?ということは分からないのです。
その部品がどのような寸法(すんぽう)であり、材質であり、硬度であり・・・
このような構造を理解することはできます。
しかしながら、それがどのように役立つのか?ということを理解することはできないのです。
個を役立たせるためには、全体との対比(たいひ)が必要となるのです。
全体に対してどのようにして貢献するのか?ということを知らなければ、理解を深めたところで価値がないのです。
理解が深まらなくても、役に立っている方が価値があるということを覚えておきましょう。
あなたが如何に良い個を所有していたとしても、全体の役に立たなければ価値がありません。
そのため、専門的知識に偏らず、必ず広い角度の視野によって全体への理解を深めましょう。
個は、全体との相性を必要としているのです。
個がそれぞれに調和することによって、全体となるのです。
調和の取れた全体は、豊かさを導くものなのです。
個が分裂している状態であっては、全体は乏しさを導くでしょう。
あなたは全体と調和しているでしょうか?
狭い視野によって生きてはなりません。
あなたは常に広い角度の情報を求めましょう。
知らない知識を求めるのです。
心の中に、全体の地図を知識によって描くのです。
無知とは、未開の土地です。
あなたはこの世界に存在するすべての知識を求めましょう。
そのような気概(きがい)を持っていなければなりません。

2016年8月25日木曜日

修正

人生の目的とは成長です。
すべての存在は成長しなければなりません。
あなたが求められているのは向上することなのです。
あなたは常に向上を目的としていなければならないのです。
向上を続けることが人生の幸福となります。
向上をしない人の人生に幸福が導かれることはありません。
幸福だと思い込んでいる偽りものを手にすることはできますが、それも一時的なものに過ぎないのです。
向上こそが真の幸福であるということを理解しなければならないのです。
向上以外の方法によって幸福を得ることはできないのです。
向上は真の幸福ではありますが、それも続けなければ意味がありません。
向上は真の幸福ではありますが、向上を続けることによって幸福も続くのです。
真の幸福であっても、一時的なものに過ぎないということを理解しなければなりません。
そのため、人は向上を求められているのです。
あなたは向上を続けなければならないのです。
向上を続けると聞くと難しいことのように考えるかもしれません。
しかしながら、向上を続けるということは決して難しいことではないのです。
向上を続けるということは、修正を続けるということだからです。
あなたが修正を続けるということが、向上を続けるということなのです。
あなたは毎日、自分を修正しなければなりません。
多くの人が問題が生じた時に修正を考えます。
そして、その半分以下が自分を修正します。
生き方、考え方、捉え方、やり方・・・
問題に苦しんで初めて、修正をしようと考えるのです。
しかしながら、多くの人は問題を目の当たりにしても修正することを拒否します。
多くの人が変わらないでいるのです。
問題が生じ、苦悩を受けているにもかかわらず、自分を修正しようとはしません。
そのような人は、誰かや何かが悪いと考えています。
そして、誰かや何かが変わることが必要であると考えているのです。
それは人生の目的ではないのです。
あなたは、誰かや何かなどの、自分以外の存在を変える必要はありません。
また、変えることもできません。
あなたの人生の目的は自分自身の向上であり、成長であるのです。
それ以外には目的はないのです。
そのため、あなたは誰かや何かを悪者に仕立てる必要はありません。
誰かや何かのために力を使っている場合ではないのです。
あなたは自分自身を修正し、向上させなければならないのです。
目的を見失ってはなりません。
問題が生じるということは、自分自身に問題が生じているということなのです。
問題が生じるということは、自分自身を修正する必要があるということなのです。
そのことを忘れている者が多いのです。
あなたは忘れてはなりません。
自分を修正することを忘れて、誰かや何かを変えようと努めているのであれば、人生は乏しいものとなってしまうのです。
目的は自分自身にあるのです。
問題も自分自身にあるのです。
誰かや何かを変える必要はありません。
あなたは自分の目的を忘れないように覚えておきましょう。
あなたは向上しなければなりません。
決して忘れてはならないのです。
自分の修正を忘れる者が、他者と争うのです。
他者と争って、どうやって幸福を実現するというのでしょうか?
争いを所有している以上は、幸福は実現しないのです。
当たり前のことを忘れている者が多いのです。
原因はすべて自分にあります。
そのため、どのようなことがあったとしても、あなたはその都度自分を修正するのです。
目の前の問題は自分を修正するチャンスだと心得ましょう。
問題を嫌ってはなりません。
あなたは常に自分を反省し、修正し続けましょう。
そうすることによって、あなたは”普通”の人とは違う景色を眺めることができるでしょう。

2016年8月24日水曜日

唯一の不足

多くの人は不足の中に存在しています。
多くの人が不足を感じ、それに不安や心配を向けているのです。
多くの人が不足を恐れています。
そのため、不足を補うことに専念しているのです。
不足を補うことは問題の解決にはなりません。
それは、不足を補う行為は、一時の間に合わせに過ぎないからです。
それは、錆(さび)の上に塗装(とそう)をするようなものです。
原因が解消されなければ、結果は変わらないのです。
一時的に間に合わせても、また同じ結果を得ることになります。
それは、問題の解決にはならないのです。
あなたは一時的な安心感を得るために努めるのですか?
その方法であっては、再び不安や心配が襲うのです。
その時にも、一時的な方法によって間に合わせようと言うのでしょうか?
あなたは問題を解決すれば良いのです。
問題を解決すれば、再び同じ問題に苦しむことがなくなるのです。
あなたは不足を解消することができます。
不足に苦しまなくなるのです。
そのための方法を用いなければならないのです。
多くの人が様々なものが不足していると考えています。
しかしながら、あなたに不足しているものは一つだけです。
それは、知識です。
知識のみが不足しているに過ぎないのです。
知識以外のものは不足してはいないということを理解しましょう。
多くの人は知識以外のものが不足していると考えています。
そのため、不足が解消されないのです。
不足の原因は知識です。
知識が不足しているために、様々な形の不足が生じているのです。
ただそれだけなのです。
例えば、多くの人がお金が不足していると考えています。
知識が不足しているために、お金が不足しているという現状があるのです。
知識によって、お金の不足は解消します。
例えば、知識によってより良い仕事を生み出すでしょう。
そうすれば、お金に不足することはありません。
知識によって、よりお金を必要としない方法を手に入れるでしょう。
そうすれば、お金に不足することはありません。
知識によって、お金に価値のないことを知るでしょう。
そうすれば、お金に不足することはないのです。
健康であっても、人間関係であっても、仕事であっても、将来であっても同じです。
知識が不足しているために、不足を生み出しているのです。
あなたが必要としなければならないものはお金ではありません。
健康でも、人間関係でも、仕事でも、将来でもないのです。
知識だけを必要とすれば良いのです。
知識によって、すべてが手に入るでしょう。
しかし、知識がなければ、何も手に入りません。
あなたは知識の重要性を理解しなければなりません。
知識を得なければなりません。
知識の不足している者だけが、問題を抱えているということを理解する必要があるのです。
問題は、知識の不足によって導かれる当然の結果です。
知識を深めましょう。
結果を求めても意味がないのです。
大切なのは原因を求めることです。
種がなければ果実は得られないのです。
お金であっても、健康であっても、人間関係であっても、仕事であっても、将来であっても、その原因は知識にあります。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
この世において手に入れられるものは、知識を原因としているのです。
あなたは知識によって働くでしょう。
そして、知識量に従って成果を上げるのです。
求めているものはそれぞれですが、成果に見合う知識量が必要であるということを忘れてはなりません。

2016年8月23日火曜日

人助け

あなたは先ず、自分のことをしなければなりません。
他人のことを考えたとしても、自分のことをするのです。
あなたは、自分自身の責任を果たす必要があります。
自分のことも満足させられないのに、どうやって他人を満足させることができるのでしょうか?
あなたが考えている程、他人のことは簡単ではありません。
他人のことに比べると、自分のことなど簡単なのです。
簡単なことさえ出来ないのに、難しいことは出来ません。
しかしながら、多くの人は他人のことをしたがります。
他人のことを気に掛け、他人のことに対して時間と労力を使うのです。
あなたには、他人を心配している余裕はありません。
あなたは、自分のことも満足させることができないのです。
どうして、他人を心配しているのでしょうか?
自分のことも満足させられない人に心配される他人の気持ちを理解しなければなりません。
あなたは、自分のことも満足させられない他人の助けを必要と思いますか?
あなたが自分のことも満足させられない人を心配することになるでしょう。
多くの人は自分の状態を理解しません。
そのため、簡単に他人のことに出過ぎるのです。
あなたは、他人の迷惑を考えなければなりません。
他人のことを考えているように考えていても、真意は自分のことを考えているだけなのです。
自分のために他人を心配しています。
自分のために他人のことに出過ぎるのです。
良い指導者は、出過ぎた教育はしません。
それは、出過ぎた教育は生徒の力を奪うからです。
指導者が生徒に対して答えを教えるのであれば、生徒は育たないのです。
生徒が育つために、考える力を身に付けなければなりません。
答えを教えるということは、出過ぎた教育であり、生徒の考える力を奪う行為であるのです。
他人のことを心配する余り、他人の人生に出過ぎてはなりません。
それは、他人の学びなのです。
あなたがわざわざ首を挟む問題ではないのです。
相手が助けを求めれば、最低限の手助けをするのです。
それ以外は必要ありません。
それ以外は出過ぎた真似となるということを理解する必要があるでしょう。
あなたは他人の学びを奪ってはなりません。
他人のことをする前に、自分のことをしましょう。
他人を満足させる前に、自分を満足させましょう。
自分を満足させた後の余力が、他人の取り分なのです。
他人が欲しているのは、あなたの余力であるのです。
しかしながら、多くの人はそのことを知りません。
多くの力を注ぐことによって、他人が救われると思い込んでいるのです。
しかしながら、自分のために使わなければならない多くの力を他人に注げば、自分の分が足りなくなります。
自分の分が足りなければ、他から引き入れなければならないのです。
そうなれば、あなたは別の他人に迷惑を掛けることになるでしょう。
他人を助けるために、別の他人に迷惑を掛けることは正しい選択なのでしょうか?
それは、矛盾なのです。
愚かな行為に気が付かなければなりません。
自分を満足させることができない人の人助けは、多くの犠牲の上に成り立つ偽善なのです。
”わたし”はあなたが優しいことを知っています。
多くの人が優しいのです。
そのため、他人のことをしたがる気持ちは理解することができます。
しかし、あなたが他人のことを考えているのであれば、先ずは自分のことを満足させましょう。
他人のことを考えるのであれば、自分のことをするのです。
”急がば回れ”という言葉があります。
あなたが急いでいるのであれば、自分を満足させましょう。
これはあなたの人生であり、あれは他人の人生です。
同じ場所にあるように見えても、別々の道を歩むのです。
他人を救いたければ、先ず自分を救いましょう。

2016年8月22日月曜日

自分の現状

あなたが問題に向き合う時、それは自分を変える時です。
問題とは、自分が限界に達していることを予見しているのです。
問題とは、自分の限界であるということを知らなければなりません。
しかしながら、多くの人は問題に対して自分を顧(かえり)みることをしません。
問題の原因は自分には無く、他に原因を探すのです。
誰かや何かが問題を引き起こしていると考えるのです。
そして、問題の解決と、自分の変革の機会を失うのです。
問題を解決するためには、問題の原因を変えなければなりません。
問題の原因とは自分です。
あなたの考え方や捉え方、生き方などの自分を構成する状態のすべてが問題を引き起こしているのです。
そのため、問題を解決するためには、それ等を変える必要があるということなのです。
自分が変わらなければ、状況が変わることもありません。
多くの人は自分を変えることなく、状況を変えようと努めます。
しかしながら、それは不可能なのです。
原因が自分に存在しているのに、他を変えようとするのは理に反しているからです。
この世界には必要のみが実現します。
矛盾は存在しません。
そのため、自分を改めることなく、抱えている問題が解決することはありません。
どのような方法を用いても、自分を変えること以外の方法によって問題が解決することはないのです。
無駄な努力を費やしてはなりません。
誰かや何かを変えようなどと、思い上がってはならないのです。
あなたは自分を変えなければなりません。
寧(むし)ろ、問題に道を阻まれることは、自分を改める最高の機会であるということを理解しましょう。
多くの人は人生を変えたいと考えています。
より良い条件を求めているのです。
しかしながら、人生を変えることはできません。
なぜなら、自分を変えるつもりがないからです。
どうにかして、誰かや何かが変わるようにと願っています。
そうやって、虚しく時を過ごしているのです。
人生は、あなたにとっての学びの場所です。
これは、あなたが学ばなければならないことなのです。
あなたに対する学びを、他人は必要とはしていないのです。
そのため、あなたが変わるまで、同じ学びが続くのです。
あなたが変わらなければ、学びも変わることはありません。
そのことを理解しましょう。
人生を変えたいと考えているのであれば、自分を変えましょう。
自分を変えるには、勉強する以外に方法はありません。
自分を変えるためには、考え方を変える必要があります。
容姿を変えようとも、人間関係を変えようとも、場所を変えようとも、何の意味もないのです。
人生は、あなたの(心の)変化を求めているのです。
あなたは自分を変えなければなりません。
勉強しましょう。
どのようなことでも構いません。
とにかく、勉強しなければなりません。
勉強とは、知的好奇心を満たす作業です。
あなたが知識を求めることが勉強なのです。
あなたの中には”知りたい”という欲求が存在しているはずです。
それに従いましょう。
知識を求め続ければ、知性が育まれます。
知性の向上こそが、あなたの人生を変えるのです。
人は、自分に相応しい状況を手に入れます。
自分に相応しい状況以外を手に入れることはできません。
あなたの抱える問題は、今のあなたに相応しいものなのです。
その問題があなたを現しています。
あなたは問題の中に自分を見付けましょう。
その問題は、あなたの愚かさが導いた当然の結果なのです。
それ以外はありません。
問題とは、自分の現状であるということを理解しましょう。
そして、それを乗り越えるために勉強し、自分を変えましょう。

2016年8月21日日曜日

魂の集積

すべての人は自分を嫌っています。
自分を嫌わない人はいません。
すべての人が自分に対して嫌悪を抱えながら生きているのです。
ただし、それを認識することなく生きている人はいます。
自分のことを嫌いであることにさえ気が付かずに生きている人もいるのです。
すべての人が人生に迷いを覚えます。
それは、自分のことを知らないからです。
自分のことを知らないために、自分の人生に迷いを覚えるのです。
もしも、あなたが自分を好きであれば、人生に迷いを覚えることはありません。
もしも、あなたが自分を好きであれば、目の前の状況に否定的にはならないのです。
自分を嫌う人は、人生を嫌います。
自分とは人生です。
それ等は等しいのです。
自分を好きだと思っている人でも、人生を嫌っている人がいます。
自分を嫌いだと思っている人でも、人生を好いている人がいます。
どちらも矛盾しているのです。
あなたは、自分も人生も好きになるように努める必要があるのです。
自分とは、魂の汚れです。
あなたが自分だと思っているものは、魂の汚れの集積なのです。
人生とは、魂の汚れを取り除くための場所です。
そのため、人生とは、魂の汚れの現れなのです。
汚れと、その現れは同じです。
そのため、すべての人が自分を嫌います。
そして、人生に対して不満を抱えているのです。
それは、人生が嫌いであることの証明です。
目の前の状況に対して文句があるのであれば、それは嫌っているということなのです。
あなたが自分を嫌うことや、人生を嫌うことは自然なことです。
そうあるようになっているのです。
人は、自分という嫌悪を抱えながら生きなければならないのです。
それは、自分という嫌悪と向き合うためです。
人は誰もが、嫌悪と向き合わなければならないのです。
そのため、人生が苦しいのは当然です。
あなたが自分を嫌い、人生を嫌っているのも当然なのです。
多くの人は自分を嫌うことを悪いことのように考えています。
もちろん、その気持ちを乗り越え、汚れを取り除かなければなりませんが、自分を嫌うことが悪いことではないのです。
生理現象を否定しても有益ではないということを理解しましょう。
そのため、あなたは自分や人生を嫌っても構いません。
寧(むし)ろあなたは、自分や人生をとことん嫌えば良いのです。
しかしながら、いつまでもそうしている訳にはいきません。
いつかは嫌悪を乗り越えなければならないのです。
嫌悪を乗り越えるためには、嫌悪と争ってはなりません。
嫌悪を愛する必要があるのです。
あなたは、自分を嫌うことが悪いことではないと知りましょう。
嫌悪感を抱えたままであれば、自分を愛することはできないのです。
あなたは自分を嫌いましょう。
人生を嫌いましょう。
あなたは自分や人生を嫌うことによって、知らず識(し)らずの内に自分と向き合っているでしょう。
嫌うことによって結び付くのです。
あなたは嫌っているもののことを考え続けます。
向き合い続けることによって、争いではなく、愛することが導かれるのです。
大切なのは向き合うことです。
その方法がどのようなものであろうとも構わないのです。
向き合う内に好きになるのです。
あなたは素直になり、自分や人生を嫌いましょう。
そして、それ等を嫌っていることに気が付きましょう。
そうすれば、膿(うみ)が流れ出るでしょう。
向き合うことにより、あなたは愛によって汚れを取り除くでしょう。

2016年8月20日土曜日

調和

この世界には違いが与えられています。
すべての存在が違いを所有しているのです。
この世界において、違いは重要です。
あなたは違いの重要性を理解しなければなりません。
違いがあるために、人は成長することができるのです。
違いが存在しなければ、成長することはないと理解する必要があるのです。
あなたは違いについて考えなければなりません。
違いが存在することによって、変化が生まれるのです。
もしも、違いが存在しなければ、そこには何の変化も生まれません。
違いが存在しなければ、変化が生まれることもないために、変化する必要もなくなります。
それは、成長する必要がないということなのです。
状況が変化すれば、選択を変化せざるを得ません。
状況に対しての選択をしなければ、最善の結果を導くことができないからです。
あなたの目の前の状況は常に変化し続けています。
その変化に対応することがなければ、満足を得ることができないのです。
あなたが求められているのは変化することです。
変化に対して変化することが求められているのです。
変化に対して変化することが成長であり、それが人生の豊かさを導くのです。
変化のない環境には、成長もないということを覚えておきましょう。
そのため、多くの人が求める安定というものは、人を不幸にするということを理解しなければならないのです。
あなたが人生の豊かさを求めているのであれば、満足しなければなりません。
満足するためには、変化する必要があるのです。
変化を続け、常に違いを超越しなければならないのです。
違いとは、問題を引き起こす原因となるものです。
人は違いによって苦しんでいます。
問題の本質は無知にありますが、それは違いを理解しないことに端(たん)を発するのです。
違いの重要性を理解することなく、違いを否定することによって、問題が生じているということを理解しなければならないのです。
あなたは、多くの違いを経験するでしょう。
それは、すべての存在があなたとは違うからです。
あなた以外の存在は、あなたとは違うのです。
そのため、どのような存在との間にも違いが問題として生じることになるのです。
あなたはすべての存在との違いに苦しむことになるでしょう。
そのため、違いに対する免疫力(めんえきりょく)が必要となるのです。
あなたは、違いを否定してはなりません。
違いは存在する必要があるのです。
寒暖(寒気団と暖気団)の違いが存在することによって、そこには雨が生じるのです。
恵の雨は、気団の違いによって生じるのです。
違いが存在しなければ、恵は受けられないのです。
多くの人が違いを嫌いますが、違いを排除することが恵をもたらすのでしょうか?
違っているからこそ、多くの豊かさを生み出せるのではありませんか?
皆が同じ考え方や生き方をすれば、あなたは幸福を得るのでしょうか?
すべての人があなたに賛同するのであれば、未熟さは改善されることはないのです。
成長は止まってしまうのです。
それで満足なのでしょうか?
あなたを否定し、認めない人がいるおかげで、知恵を増し、成長することができるのではないでしょうか?
多くの人が賛同を欲しています。
多くの人が認められたいと考えていることでしょう。
しかしながら、それが危険な行為であるということを理解する人は少ないのです。
人生が思い通りに進めば良いと、愚かなことを考えてはなりません。
未熟者の理想が実現すること程、苦しみを導くことはないのです。
そのため、人は理想とは懸(か)け離れた現状を生きる方が良いのです。
すべての人が理解し合えることは理想です。
それは素晴らしいことですが、この世界においては無益です。
それは、目的に反するのです。
この世界の目的は成長することにあります。
そのためには、互いに違うことが求められるのです。
そのため、理解し合えないことの方が有益であるのです。
宗教のように、違いを恐れてはなりません。
違いを超えて調和するのです。
別れて合うのです。
それが豊かさを導くために大切であるということを理解しましょう。

2016年8月19日金曜日

深い価値

人生の目的は心の成長にあります。
人は、心を育まなければなりません。
心とは、目には見えない価値です。
それを育むためには、目には見えないものに価値を見出すことが必要なのです。
目に見える価値に捕らわれているのであれば、心を育むことにはならないということを覚えておきましょう。
大切なのは目には見えない価値観を育むことです。
目には見えない部分に価値を見出すことができれば、心が育まれた証明となるでしょう。
心の育まれていない人物は、物事を見た目によって判断します。
それは、価値観が表面的な部分のみを認識するためです。
心が育まれていないために、”深み”を理解することができないのです。
そのため、価値判断は目に見える表層にとどまります。
子ども(肉体の年齢的な意味ではない)は感情的に判断します。
心の認識する能力が育まれていないために、その価値観は表層にとどまるのです。
それは、短絡的な判断となり、未熟な判断として映るのです。
そのため、未熟者であるという意味の”子ども”として判断されるのです。
子どもには、物事の奥行きが見えません。
そのため、目に見える部分に対して価値観が集中します。
物事を見た目で判断し、見た目が好ましいという理由によって価値を見出すのです。
しかしながら、本質を考慮していないために、その価値判断に裏切られることになります。
価値があると信じていたものには、求める程の価値が無いということに気が付(かされる)くのです。
例えば、果実の価値は果肉にあると信じている人は、果肉を得ることによって腹を満たします。
それを価値とすることが、子どもの判断なのです。
果肉を得て腹を満たし、幸福を得ることにも価値はあります。
しかし、それは一瞬の満足でしかありません。
すぐに空腹が襲うでしょう。
果実の価値は果肉にもありますが、その何倍もの価値が種子にあるのです。
種子を育めば、何十、何百、何千倍もの果実を得ることができるのです。
それには、多くの時間を必要としますが、未来への投資ができるのは心が育まれた大人の力なのです。
見た目に捕らわれてしまうのであれば、多くの価値を失います。
大切なのは、価値を引き出すことです。
あなたの心には、大きな可能性が眠っています。
すべての子どもが将来、今よりも大きなことを実現するでしょう。
それは、どのような子どもも、心を育むことによって大人に近付くからです。
経験を重ねることによって、人は心を育むことができます。
それは、目には見えない価値の発見であり、本質との出会いであるのです。
多くの人は心が育まれてはいないために、目に見えるものに価値観を集中します。
そのため、感情的に人生を築いているのです。
多くの人の人生が簡単に崩壊します。
幸福だと信じているものは、簡単に不幸となります。
不安や心配が付きまとい、争いの中に生きなければなりません。
子どもの人生とは、不安定なものであり、儚(はかな)い硝子細工(がらすざいく)のようなものなのです。
子どもの心は繊細(せんさい)であり、簡単に壊れてしまいます。
それを防ぐために、懸命に闘っているのです。
それが、不安や心配などの感情的結論に至り、争うことに繋がるのです。
子どもは獣のように争うのです。
子どもは、目に見える価値が育まれることを喜びます。
容姿が褒められることを求めます。
家屋が大きいことを誇ります。
身に付けているものが豪華であることを喜ぶのです。
所有が抱えきれないことを望みます。
多くの人からの賞賛(しょうさん)に酔い痴(し)れます。
これ等の価値に身を寄せるのです。
これ等の目に見えるものに、本当に価値があるのでしょうか?
容姿が褒められなくても、家屋が小さくても、身に付けているものが質素であっても、所有が少なくても、他人の賛同が得られなくても、価値のある人生を生きることはできるのです。
寧(むし)ろ、それ等の価値を乗り越えた先にこそ、真の価値が存在しているのです。
目に見える価値に投資することを悪いと言うのではありません。
それにとどまってはならないということなのです。
あなたは常に深い価値を探さなければなりません。
そのために、心を育みましょう。
あなたは物事の本質が存在する”深み”を覗かなければなりません。
果肉である目に見える価値に酔い痴れてはなりません。
種子である目には見えない価値を含めて喜びましょう。

2016年8月18日木曜日

仕事

多くの人は問題を”悪者”として考えています。
問題には益が無く、多くの損失を導くと考えているのです。
問題を抱えることによって不自由に束縛(そくばく)され、可能性が縮小すると考えるのです。
多くの人にとって、問題とは災難でしかなく、それを喜ぶことはできないのです。
多くの人が喜ぶのは、平穏であり、安定であるのです。
問題を喜ぶ人はほとんどいないのです。
あなたは、この世界を良く観察しましょう。
世の中はどのような構造となっているでしょうか?
人が豊かな人生を生きるためには、世の中においても豊かに生きる必要があります。
世の中で豊かに生きるためには、不足を補えば良いだけなのです。
不足とは新たな需要です。
不足に供給すれば良いだけなのです。
しかしながら、多くの人が不足に供給しようとはしません。
それは、現在不足しているからです。
簡単なことのように聞こえるかも知れませんが、現状において不足しているということは、それが難しいということを示しているのです。
難しいために不足しているのです。
そのため、不足に供給することは簡単なことではないのです。
しかしながら、あなたはそれを実現しなければなりません。
世の中の不足を満たすのです。
それは、この世界の不足を満たすことにも繋がるのです。
不足とは、世の中の問題です。
あなたは世の中の問題を解決すれば良いだけなのです。
世の中の不足を満たすことによって、世界の不足を満たすことになります。
それと同じように、あなたが自分自身の抱える不足を満たすことは、世の中の不足を満たすことになるのです。
個人と世の中と世界は、規模の違いでしかありません。
その本質は同一であるのです。
個人が世の中を作り、世の中が世界を作っているのです。
あなたにとって最も簡単な不足は、自分自身の不足にあるのです。
あなたは、最も簡単な不足を満たせば良いのです。
あなたは、自らの抱える問題を”悪者”としてはなりません。
問題とはあなたの不足なのです。
問題によって、あなたは豊かさを得ることができるのです。
問題を抱えなければ、豊かさを得ることはできません。
それは、仕事が無いのと同じなのです。
あなたの抱える問題とは、あなたの仕事なのです。
それを否定してはなりません。
問題への対応を蔑(ないがし)ろにするのであれば、仕事を疎(おろそ)かにするようなものです。
問題は、あなたの生きる意味となるのです。
問題を抱えているということは、仕事があるということなのです。
世の中において仕事があるということは喜ばしいことです。
あなたは仕事が無いということがどういうことか理解できるでしょうか?
人生に問題を抱えない人は存在しませんが、もしも問題が少ないのであれば、退屈な時間を過ごすことになります。
そして、何の経験も得られず、思考の向上も、自身の成長も実現しないでしょう。
問題によって、人は多くを経験し、思考を練ることによって知恵が増し、成長することができるのです。
問題が存在しなければ、これ等の”宝”を得ることはできないのです。
仕事は、不足に対して存在します。
不足が存在しなければ、仕事は存在する意味を失うのです。
あなたは、目の前に問題が存在していることを喜びましょう。
それは、あなたに生きる意味を教えてくれるでしょう。
問題に背を向けて逃げ出す者には、人生の意味を理解することはできません。
一生涯を投じても理解することができないのです。
あなたが生きる意味を理解し、人生を豊かなものにしたいと考えているのであれば、問題を大切に扱わなければなりません。
問題と向き合うことがこの世界における仕事であり、あなたの仕事なのです。
その意味を理解しなければなりません。
感情的に判断してはなりません。
苦しいからといって、簡単に投げ出してはなりません。
意味を考えましょう。
そうすれば、問題があなたの最高の協力者となるでしょう。
親兄弟であろうとも、問題以上にあなたの支えとなるものはありません。
他人に頼るよりも先に、目の前の問題を大切に扱う心を育みましょう。

2016年8月17日水曜日

人生の無限

人生というものは、無限の可能性で満ち溢れています。
あなたの人生には制限がありません。
もしも、何かしらの制限が存在しているというのであれば、それはあなた自身に制限が存在しているだけなのです。
この人生は無限の可能性に満ちています。
多くの人が人生に制限を感じていますが、そのようなものは存在しないのです。
あなたは、人生には可能性が満ち溢れているということを知りましょう。
そして、誰もあなたから可能性を奪うことができないということを知るのです。
多くの人が誤解を所有しています。
人生に制限が存在していると考えること自体が誤解です。
それに加えて、誰かや何かの働き掛けによって制限されていると考えているのです。
これ以上の誤解はありません。
あなたは、誰かや何かの働き掛けによって制限を受けることなどないのです。
あなたは誰にも、何にも制限されません。
あなたが何かしらの制限を感じているのであれば、それは自分自身が作り出した制限であるということを理解しなければならないのです。
人生における制限は、あなたが作り出しているのです。
誰かや何かがあなたの人生に干渉(かんしょう)することはできません。
あなたの人生はあなたのものなのです。
あなたが責任を負うものなのです。
そのことを理解しなければなりません。
そうでなければ歪みます。
あなたは、人生の責任が自分自身にあるということを理解しましょう。
現在の人生がどのようなものであろうとも、それはあなたの選んだ結果に過ぎません。
あなたが自ら可能性を見出し、自ら制限を設けた結果なのです。
あなたの人生は、あなたの選択を正確に表現します。
すべてがあなたの選んだ結果なのです。
そのため、現状に不満があるのならば、あなたがそれを解消しなければならないのです。
多くの人は、不満の原因だと思い込んでいる対象に変化を求めます。
気に入らない対象が変化することによって、不満が解消すると思い込んでいるのです。
それは、気に入らない相手に、この場から立ち去るように命令するようなものです。
あなたが気に入らない相手であっても、そこにいることには意味があります。
大切な意味があってそこに存在しているのに、それを排除することが最善だと考えているのです。
すべてが故(ゆえ)あって存在しているのです。
この世界に無駄は存在しません。
あなたは今までに無意味なものを見たことがあるでしょうか?
十年後、それが無意味であったと言えると思いますか?
十年後のあなたは、無意味に思えたことに確実に意味を見出し、感謝していることでしょう。
時間の経過に伴い、人は経験を重ねます。
それがあなたに大切なことを気付かせるのです。
大切なことは、人生が無限の可能性で満ち溢れていることです。
それ以外に大切なことはないのです。
あなたには、それ以上に大切にしなければならないことはないのです。
あなたは決して、人生を恨(うら)んではなりません。
それは、自分が決めたことなのです。
自分が設けた制限によって苦しんでいるのです。
あなたは苦しむ必要などないのです。
人生を制限するのをやめましょう。
あなたは多くの制限を抱えて苦しんでいるのです。
例えば、理想を掲げることによって苦しんでいるのです。
理想を掲げることによって、理想に反する結果を否定します。
それが”悪いこと”なのです。
多くの人が”悪いこと”を恐れています。
そして、そこに陥らないように努めているのです。
しかしながら、それが制限であるということには気が付かないのです。
人生には無限の可能性が存在しています。
そして、そのすべてが最善です。
そのため、どのような結果を得ても良いのです。
あなたの考える”悪いこと”も、一つの可能性であるのです。
それを忘れている人が多いのです。
あなたは人生がどのような状況を導いても構わないということを理解しましょう。
すべての結果を可能性と捕らえなければ、苦しみはすぐにあなたを飲み込んでしまうでしょう。
苦しみを抱えている人は、可能性に対して偏見を抱えているのです。
偏見こそが苦しみの正体であるということを理解しましょう。
あなたには何が最善なのか分からないはずです。
何が最善なのか分からないのであれば、人生がどのような状況を導いても構わないということを理解しましょう。
すべての可能性を大切にしなければなりません。
すべての可能性とは、目の前の現状のことなのです。

2016年8月16日火曜日

苦しい人生

あなたは何のために生きているのでしょうか?
あなたは何のために生まれて来たのでしょう?
このような疑問に悩んだことはありませんか?
人生の意味を考えることは、誰にでも訪れる機会です。
すべての人の人生には意味が与えられています。
それは、人生には目的があるからです。
それぞれには、使命が与えられているのです。
人生における最終的な目的は成長することです。
人生はとても単純な目的のために存在しているのです。
そのため、人生というものに対する考え方というものは、本来ならば単純なものであるべきなのです。
”好きなことを仕事にして生きる”
この程度の単純さで構わないのです。
人生を複雑に、難しく考える必要はありません。
動機はいつも単純なもので良いのです。
寧(むし)ろ、単純なものである程優れていると考える方が自然でしょう。
なぜなら、単純な答えはあなたの心の奥底より導かれるからです。
複雑で難しく考える答えは、あなたの臓器(肉体、脳、本能)が導くのです。
単純な答えは、純粋な心から生じます。
そこには喜びの動機が存在しているのです。
それは、源流に近付く程に不純物の少ない澄んだ水を得られるようなものです。
複雑な答えは、過去の恐怖に対する防衛反応により、心の表層に存在している汚れやトラウマからの反応によって生じます。
そこには恐怖の動機が存在しているのです。
それは、下流では多くの不純物が含まれる濁(にご)った水を得るようなものなのです。
多くの不純物が含まれることによって、人は本来の水の姿を忘れてしまうのです。
澄んでいようが、濁っていようが水は水です。
濁った水しか見たことがなければ、それが当然であると思い込むのです。
下流に生活する人には、源流の澄んだ水を想像することができないのです。
多くの人は自らの目的意識に多くの不純物を含んでいます。
それは、物事を複雑化し、難しく考える必要を迫るのです。
”好きなことを仕事にして生きる”
ただ、これだけの理由で構わないのです。
しかし、そこには多くの問題が生じます。
それは、不純物である破滅的な感情が含まれるからです。
多くの不純物の含まれる水は、人の腹を下します。
それは、人の腹には毒なのです。
人生に対して、複雑に難しく考える人は、苦悩を得るということを理解しなければならないのです。
苦悩を抱えている人は、人生を難しく考えています。
本来ならば、単純な理由で良いのです。
しかし、恐怖がそれを拒みます。
”好きなことを仕事にして生きる”ことは、誰もが望むことでしょう。
これは単純な答えなのですが、多くの人がそれを難しいと考えます。
確かに、”好きなことを仕事にして生きる”ことは難しいのです。
しかし、それが感情問題であるということを知る人は少ないのです。
”好きなことを仕事にして生きる”のは苦しいことです。
我慢して、嫌いな仕事をすることは優しいのです。
なぜなら、”好きなことを仕事にして生きる”ということは、大きな責任を伴(ともな)うからです。
我慢して、嫌いな仕事をすることには手を抜くこともできます。
しかし、”好きなことを仕事にして生きる”ことには手が抜けないのです。
それは純粋な心からの欲求であるために、手を抜きたくても抜けないのです。
怠慢(たいまん)を欲する人は、”好きなことを仕事にして生きる”ことを諦めましょう。
そのような人は、我慢して、嫌いな仕事をして生きるのです。
それが悪いというのではありません。
感情問題が発生することによって、満足が得られないということなのです。
矛盾を生きてはなりません。
”好きなことを仕事にして生きる”こと程苦しいことはありません。
あなたはそのことを知っておきましょう。
どうするかはあなた次第です。
しかし、そこには常に感情問題が付きまとうということを覚えておきましょう。

2016年8月15日月曜日

深い道

あなたはとにかく繰り返さなければなりません。
何度も繰り返すことです。
何度も繰り返すことによってのみ、活路を見出すことができるのです。
何度も繰り返すことがなければ、可能性を得ることはできません。
それは、人が未熟であるからです。
未熟であるが故に繰り返す必要があるのです。
人は余りにも知らな過ぎるのです。
人が知らないために繰り返す必要があるのです。
あなたは何も知りません。
あなたが知っていると思っていることに関しても、それを知らないということを理解しなければならないのです。
あなたは知っていると思い込んではなりません。
あなたは常に不足の中に存在しているのです。
不足しているが故に繰り返す必要があるのです。
あなたは、繰り返すことによって不足を補(おぎな)うでしょう。
それは、繰り返すことによって新たに知ることができるからです。
繰り返すことをしなければ何も知り得ないのです。
何度も繰り返すことによって、あなたには見えてくるものがあるのです。
繰り返す度に知識が深まるでしょう。
繰り返す度に可能性が高まるのです。
繰り返すことを拒絶してはなりません。
何度も繰り返すのです。
それ以外に方法が無いということを理解しなければなりません。
多くの人は繰り返しを嫌います。
同じことを何度も繰り返すことの意味を理解しないのです。
繰り返す必要がないと考えているのです。
それは無知であり、未熟であるからです。
無知であり、未熟であるために、知ったつもりでいるのです。
しかしながら、知っている人間は存在しません。
すべての人間が知らないのです。
その知識は常に不足しています。
あなたがどれだけ繰り返しても、必ず不足しているのです。
それ程、道は深いということを知らなければならないのです。
思い上がってはなりません。
繰り返す必要がないと思い込んではなりません。
あなたは何も知らないのです。
あなた以外のすべての人間も何も知りません。
そのため、飽きることなく繰り返さなければなりません。
初めて通った道の景色は、記憶に残りません。
その道を再び通った時には、僅(わず)かに記憶に残るでしょう。
三度その道を通れば、より鮮明に記憶に残るのです。
毎日通る道であれば、僅かな変化にさえ気が付くことができるのです。
繰り返すことによって見えるようになるのです。
あなたの進んでいる道は決して浅いものではありません。
目的地はあなたの考える遥か先に存在しているのです。
あなたの位置からは見えません。
それは夜空に瞬(またた)く星のように、朧(おぼろ)げには見えているかも知れません。
しかしながら、地上から見る星の姿は、星に辿り着く者の見るそれとは違うものなのです。
あなたが幸福だと思い込んでいるそれは、真の幸福なのでしょうか?
何度も繰り返して問い掛けなければなりません。
何度も何度も繰り返し、本質へと近付きましょう。
あなたは、自分が知らないということを自覚し、向上意欲を失ってはなりません。
常に知識を欲していましょう。
常に成長を求めていましょう。
道は深いのです。
どのように努めても、道があなたを飽きさせることはありません。
あなたが飽きているのは、立ち止まっているからです。
夜空の星も、同じ場所から眺めているだけならば飽きてしまうでしょう。
星をもっと近くで見たのならば、あなたは感動するに違いありません。
肉眼で見飽きたら、望遠鏡で見るのです。
望遠鏡で見飽きたら、他の方法を考えましょう。
道に対して繰り返しを拒絶してはなりません。
遥か先の目的地へと向かって、その歩みを繰り返しましょう。

2016年8月14日日曜日

知識の量

人は、信じるところに従って行います。
人は、信じること以外には行えません。
すべての人が、自分の信じるところに従って生きているのです。
人の信仰とは、知識に従います。
知識を超える信仰は存在しません。
人の信仰は知識に比例するのです。
そのため、知っていること以上には行うことができないのです。
人は、自らの知識の中にのみ生きるということを覚えておきましょう。
知識の量が、その人の人生の範囲を決めます。
知識の量に比例した世界を生きるのです。
知識の量が乏しければ、狭い範囲の世界を生きることになります。
それは、少ない資源によって生きるようなものです。
資源が乏しければ、人生の可能性も乏しいものとなるのです。
知識の量が豊かであれば、広い範囲の世界を生きることになります。
それは、多くの資源によって生きるようなものです。
知識が豊かであれば、それだけ人生の可能性も豊かなものとなると覚えておきましょう。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、知識の豊かさが必要なのです。
豊かな知識を有することなく、豊かな人生を得ることはできないのです。
知識が乏しければ、どのような方法を用いても、人生が豊かさを得ることはできません。
それは、乏しい資源によっては、何をするにも限界があるからです。
資源以上の豊かさを得ることはできません。
知識以上の人生を得ることはできないのです。
しかしながら、多くの人はそのことを知りません。
そのため、知識を蔑(ないがし)ろにするのです。
多くの人は知識の価値を知りません。
そのため、知識を得ようとは考えません。
多くの人は知識を求めず、小さな世界にとどまるのです。
勉強を疎(おろそ)かにする者がいます。
それを愚者(ぐしゃ)と呼ぶのです。
世の中には愚者が多過ぎます。
あなたは知識を求め続けなければなりません。
人生の可能性を途絶えさせてはならないのです。
小さな世界を楽しみ、乏しい知識によって築かれる虚しい人生を喜ぶ者がいます。
そのような者は自分で考えることができません。
自分で決めることができないのです。
それは、知識という力を持たないからです。
本人は自分で決めていると考えています。
そして、自分の人生を生きていると豪語(ごうご)するでしょう。
しかしながら、知識が不足し、力不足であるために、人生を捻出(ねんしゅつ)することができません。
そのため、与えられたことに従うだけの人生となるのです。
知識が乏しい者は、与えられたことに従う以外に方法はありません。
それ以外の方法や世界を知らないからです。
知らないのだから行うことができないのです。
あなたは、知識の量に比例する自由を得るということを理解しましょう。
乏しい知識によって生きる者には自由がありません。
子どもには、何の自由も与えられないのです。
それは、知識が乏しいからです。
そのため、勉強しなければならないのです。
歳を重ねても知識の乏しい人間には、成長は認められません。
そのような者は、子どもと同じことを喜んでいるのです。
あなたは知識を集めなければなりません。
欲望の赴(おもむ)くままに生きることをやめ、理知的に生きなければなりません。
信仰を深くしなければなりません。
あなたは多くを学びましょう。
そして、広い世界を生きるのです。
豊かな人生は知識の量に比例するということを覚えておきましょう。

2016年8月13日土曜日

心の住まい

人生において大切なことは、退屈しないことです。
あなたは退屈に陥ってはなりません。
退屈は、人の心を腐らせるのです。
それは、人生の目的が成長することにあるからです。
退屈とは、成長を絶っている状態を言います。
成長する過程になければ、人は退屈を得なければならないのです。
成長する過程は、誰にとっても楽しいものです。
それは変化の直中(ただなか)にあり、心がそれを喜ぶからなのです。
退屈とは、心から変化を奪った状態なのです。
退屈に陥るということは、心を苦しめるということを覚えておきましょう。
多くの人が心を苦しめようと努めています。
心の住まいとは、変化の中なのです。
しかしながら、多くの人は心を退屈の中に放り込みます。
変化することを恐れているのです。
変化することを恐れるために、変化を嫌います。
変化を嫌うことによって、安定という名の退屈に陥るのです。
安定が豊かさを導くことはありません。
それは、安定という状態が変化を否定しているからなのです。
同じことを繰り返しているのであれば、心は楽しみを失います。
どのような人も、退屈によって心を楽しませることはできないのです。
多くの人が安定という名の退屈を求めていますが、それが心を腐らせることは知りません。
腐った心によって豊かさを得られると思っているのです。
残念ながら、そのような矛盾は生じません。
心が腐っているのであれば、心を原因として生じる状況も、同じように腐った結果として現れるのです。
不満を抱える者が生じる状況は、苦悩に満ちたものとなるのです。
人生は、心の通りに導かれます。
しかしながら、多くの人がそのことを知りません。
当たり前のことなのに、それに気が付きません。
人生と心が繋がっているということを知らないのです。
そのために、奇跡という名の幻想に焦(こ)がれているのです。
原因が存在しなければ、結果は生じません。
これはこの世界の理(ことわり)です。
これに矛盾することはありません。
原因の無い結果を導くことはできないのです。
あなたは人生を観察しましょう。
そうすれば、心の通りに導かれているということを理解することができるでしょう。
どのような人の人生も、その人の心の通りに導かれているのです。
退屈している人の人生が豊かであるはずがありません。
それは、成長しないからです。
成長しない者には、それ以上に豊かな状況が与えられるはずがないのです。
人生は、その人に相応しいものとして導かれるのです。
あなたがそれ以上の豊かさを求めているのであれば、退屈に陥らないように注意しましょう。
退屈とは、暇(ひま)であることばかりではありません。
忙しくても、忙しいだけでは退屈なのです。
同じ状態を継続するということを退屈だというのです。
マンネリズムに陥ってはならないのです。
あなたは心に新鮮な思考や感情、状況や環境、課題を与えましょう。
安定の中に引き籠(こ)もってはなりません。
多くの人が知らず知らずの内に型にはまります。
それは、一度安定を得た場所に居心地の良さを感じるからです。
居心地の良さは一瞬です。
それが継続することはありません。
多くの人は居心地が良いと勘違いしているのです。
いや、そう思い込もうとしているのです。
あなたは本当に居心地が良いのですか?
あなたは本当に退屈していないのでしょうか?
慣れは退屈の原因です。
慣れに注意しましょう。
常に新しく挑戦し、退屈に陥らないように努めましょう。

2016年8月12日金曜日

毎日学ぶ

人生は毎日あるのです。
あなたは、人生を毎日行っています。
あなたは毎日、人生を体験しているのです。
それは、あなたの成長を求めているためです。
人生は、あなたに成長するための体験を毎日与え続けています。
あなたには、毎日成長する機会が与えられています。
そして、あなたは毎日成長することが許されているのです。
あなたは毎日成長することができます。
それは、毎日変化することができるということなのです。
あなたが真の人生を生きているのであれば、毎日成長し、毎日違う自分に気が付くことができるでしょう。
変わらない自分を生きているのであれば、それは真の人生を生きていないということなのです。
あなたは毎日変わらなければならないのです。
人生は無駄な時間を決して導きません。
あなたは、常に学びを与えられているのです。
しかし、多くの人は人生が学びの場所であるということを忘れています。
目の前の快楽に魅入(みい)られてしまい、本来の目的を見失っているのです。
そのため、自主的に学びを得ようと考える頻度(ひんど)は低いものとなるのです。
多くの人が日々を無難に生きています。
無難に生きることによって、滑稽(こっけい)な安心感を得ようと努めているのです。
成長することがなければ、何を得ても人生は虚しいのです。
無難な毎日を生きることは、あなたを腐らせるのです。
多くの人が虚しい人生を生きています。
そのような人の学びは、思い付いた時だけに限られるのです。
そのため、学びは極端に少なく、成長も微々たるものにとどまります。
何十年と生きていようとも、何の悟りも得ていないのです。
虚しく生きている人が多過ぎるのです。
あなたは毎日学んでいるのです。
それなのに、思い付いた時に少しだけ学ぼうとするのは虚しいのです。
多くの人は思い付きによって生きています。
そして、それが思い付きであるために、継続することができません。
継続することができなければ、何も理解することはできません。
何も理解することができなければ、悟りを得ることもできないのです。
悟りを得ずに生きることは愚かであるということを知りましょう。
多くの人が悟りを得ずに生き永らえているのです。
悟りを得ずに生きるということは、法を持たずに生きるということです。
それは混乱を導くのです。
秩序(ちつじょ)の無い世界ほど、苦悩に満ちた世界はありません。
多くの人は無難な毎日を生きているつもりでしょうが、それは却(かえ)って苦悩を導く結果になるということを理解しなければならないのです。
すべての人が悟りを得なければなりません。
悟りとは、学びを終えるということです。
それは、この世界の理(ことわり)を理解し、共栄する法を得るということなのです。
悟りを得ていない人は理を知りません。
そのために、自我(我欲)が強く、この世界と共栄することができません。
理を理解していないために争うのです。
争っている者は皆、悟りを得ていない愚者であるということを覚えておきましょう。
あなたが何かと争っているのであれば、理を知らないということです。
それは、毎日の学びを知らないということなのです。
あなたは常に成長するように求められ、それに必要な学びは与えられているのです。
しかし、自我がそれを否定します。
自分の思い通りに事を運ぼうとするのです。
何も知らない者の思い通りに事が進めば、苦悩が導かれるのは当然の結果なのです。
あなたは愚かに生きてはなりません。
人生を虚しいものとしてはならないのです。
目の前には常に学びが存在し、あなたはいつでも成長することができるのです。
人生は毎日あるのです。
あなたは毎日学ぶことができます。
虚しく過ごしてはなりません。
この世界の理を知り、豊かに生きましょう。

2016年8月11日木曜日

純粋な感情

すべての人は人生に目的を所有しています。
すべての人が自らの抱える目的を達成する必要があるのです。
目的はそれぞれに異なっています。
それぞれの人は、それぞれの目的のために生きているのです。
あなたは自らの抱える目的を自覚しなければなりません。
それは、あなたの心の底にあって、純粋な感情です。
あなたが何よりも求めるものが、あなたの純粋な感情であり、人生の目的なのです。
例えば、苦しくても欲するものがそうです。
例えば、何等かの報酬(ほうしゅう)が得られなくてもやりたいことです。
例えば、誰からも理解されなくても、行っていることです。
あなたの純粋な感情は、どのような障害にも止めることはできません。
どのような問題が生じても、それを乗り越えていくものなのです。
そのような強い力が、あなたの心の底に存在しているのです。
あなたはそれを汲み上げ、この世界に撒(ま)かなければなりません。
それを汲み上げ、目の前の人にプレゼントしなければならないのです。
純粋な感情は、誰にとっても”美味”です。
すべての人がそれを欲しているのです。
それは、すべての人が自らの人生の目的を果たすことを欲しているからです。
人生の目的を果たすためには、純粋な感情に触れる必要があります。
心の底からそれを汲み上げなければ、人生の目的を果たすことができないのです。
それは、人生の目的を果たすために必要な原動力です。
純粋な感情がなければ、人生の目的は果たすことができないのです。
あなたは純粋な感情に従っているでしょうか?
例えば、苦しくても欲するものを持っているでしょうか?
例えば、何等かの報酬が得られなくてもやっていることがあるでしょうか?
例えば、誰からも理解されなくても、実行していることがありますか?
すべての人が人生の目的を所有しています。
そして、すべての人がそれを果たさなければならないのです。
なぜなら、それが人生の目的だからです。
至極単純な理由です。
人生の目的を果たすことがなければ、人が満足することはありません。
それは、何をしても幸福を得られないということなのです。
自分の人生の目的ではないことのために力を使っているのであれば、自分の人生の目的からは遠ざかります。
目的地は、人生の目的なのです。
そこを目指さずに目的地に辿り着くことはできないのです。
大海に彷徨(さまよ)い、波や風に翻弄(ほんろう)されて回遊(かいゆう)していてはなりません。
大海の中にあっても、目的地を見失わず、波や風に逆らって進まなければならないのです。
そうでなければ、決して満足することはないのです。
あなたは大海に浮かぶ小舟のようなものです。
多くの場合、目的地は定まらず、航路(こうろ)を知ることもありません。
どこへ、どのように行けば良いかも分からずに、波や風に流されるのです。
それは、他人や常識、伝統などに流されるようなものなのです。
あなたの現状は、あなたの人生の目的のための人生なのでしょうか?
他人や常識、伝統のための人生になってはいませんか?
他人も常識、伝統も大切です。
それを尊重しなければなりません。
しかし、その前提としては、自分の人生を生きている必要があるのです。
自分の人生の目的を果たす道のりにおいて、他人や常識、伝統を大切にしなければならないのです。
自分の人生の目的を果たす道のりを行くこともなく、他人や常識、伝統を大切にしている場合ではないのです。
多くの人は波風に翻弄されています。
そのため、愚痴(ぐち)を吐くのです。
自分の不甲斐無(ふがいな)さを、他人や常識、伝統のせいにしているだけなのです。
それ程に滑稽(こっけい)な姿があるでしょうか?
あなたは自分の人生の目的を所有しています。
そのために、純粋な感情と向き合いましょう。
例えば、苦しくても、無報酬でも、理解者に恵まれなくても、やりたいと思えるものを探しましょう。

2016年8月10日水曜日

それで良い

あなたは成長を実現しなければなりません。
すべての存在の目的は成長です。
これは何度も伝えなければならないことです。
それは、成長という目的が根源的なものであり、それ以外を求める必要はないからです。
成長を考えていれば、すべての豊かさに対して事足りるのです。
どのような豊かさを求めていようとも、成長することだけを考えているのであれば、それは実現するのです。
あなたが求めるに従って成長することによって、どのような豊かさも実現するのです。
あなたは、自らの求めるように成長しなければなりません。
どのような方向性でも構いません。
それが、多くの人に反対されるような方向性でも、あなたが求めるのであれば、”それで良い”のです。
善悪を気にする必要はありません。
それは、善悪とは価値観や立場の問題でしかないからです。
何が善であり、何が悪であるのか?ということは、誰にも分からないことなのです。
状況や環境が変わるだけで、善悪は入れ替わります。
人が考える善悪とは、その程度のものなのです。
善悪には正しさは存在しません。
それは、所詮(しょせん)感情に左右される幻想に過ぎないからです。
そのため、あなたが善悪の基準を考慮したところで意味がないのです。
善悪とは、人の感情によって導き出された根拠のない偏見に過ぎません。
それを基準とする必要はないのです。
あなたが求めるものが、あなたにとって正しいと理解しましょう。
求めていないものを実現させることは、自分自身に矛盾を突き付けることになるのです。
矛盾を抱えて生きることは、苦悩を生じさせるのです。
それは、豊かさではありません。
あなたが豊かさを得るためには、矛盾を抱えないように生きる必要があるのです。
矛盾を抱えずに生きるためには、自分に正直でなければなりません。
それは、自分が求めるに従って行うことです。
自分が求める方向に成長するということなのです。
それ以外に豊かさを得る方法はありません。
常識的な豊かさをどれだけ得ようとも、あなたが満たされることはないのです。
あなたにはあなたの豊かさの形があるということを覚えておきましょう。
そして、他人には他人の豊かさの形があるのです。
それぞれの豊かさの形を追求すれば良いのです。
あなたは自分の豊かさを求め、他人には他人の豊かさを求めさせましょう。
自分以外のすべての人が他人です。
血を分けた家族であろうと関係ありません。
親や子であろうとも、別の人生を生きる他人(別人)なのです。
それぞれの豊かさの形があるのです。
日光を受けて育つ植物があります。
人工の光を受けて育つ植物もあるのです。
そこに善悪は存在しません。
どちらが正しいのかは、立場によって決まるのです。
日光を受けて育つ者は、日光を受けて育てば良いのです。
人工の光を受けて育つ者は、人工の光を受けて育てば良いのです。
どのような結果を得るかを危惧(きぐ)する必要はありません。
どのような結果を得ようとも、その結果によって学ぶことがあるからです。
人は反対の立場にあることを理解することが難しいのです。
自分に無いものを受け入れることができないのです。
しかしながら、それでは矛盾を抱えることになるのです。
それぞれが良いと思うものを求めています。
その結果がどのようなものになろうとも、その人にとってはそれが必要な学びであり、乗り越えるべき課題なのです。
”それで良い”ということを知っておきましょう。
善悪に根拠はないのです。
そのため、結果にも善悪の根拠はありません。
善悪を決め付けてはならないのです。
必要なのは成長することです。
成長することができれば、手段はどのようなものであろうとも構わないのです。
成長すれば良いだけです。
それ以外の難しい目的はありません。
そのため、あなたは善悪に捕らわれてはなりません。
多くの人が反対しても、貢献に役立つことがあるのです。
それが善であろうと、悪であろうとも、あなたが求めるのであれば探求しましょう。
”それで良い”のです。

2016年8月9日火曜日

新しい世界

あなたの人生の目的は、新しい世界を築くことにあります。
あなたは、新しい世界を築かなければならないのです。
それは、より向上した世界です。
世界は、発展を求めているのです。
あなたの役割は、世界の要求を実現することにあるのです。
この世界は成長を求めているのです。
何かがより良くなるということが重要なのです。
何が良くなっても構いません。
どのようなことであっても、より良くなることが求められているのです。
何かを発展させるためには、古いものを手放さなければなりません。
古い知識、古い方法、古い体系、古い価値観・・・
固定化された状態を克服する必要があるのです。
同じことを繰り返すだけであれば、新しく始めることはできません。
古いものを守るだけでは、何かがより良いものとして発展することはないのです。
あなたは、自らの目的を自覚しなければなりません。
あなたには、物事をより良いものとすることが求められているのです。
古いものを手放し、新しく始めなければなりません。
携(たずさ)わる事柄を、より良いものに作り替えなければならないのです。
どのような形でも構いません。
どのような方法でも構いません。
それが評価されることがなくても良いのです。
とにかく新しく始めなければならないのです。
何が正しいかを知る者はいません。
誰にも、何が正しいかを理解することはできないのです。
正しさとは、状況に符合(ふごう)するものであるからです。
そのため、試してみなければ知り得ないのです。
何が正しいかは、試してみなければ分からないため、あなたが失敗を恐れる必要はないのです。
何が正しいかは誰にも分からないことです。
そのため、誰もが新たな変化に挑戦することができるのです。
例えば、仕事によって世間に貢献するためには、新しい商品、新しいサービス、新しい価格、新しいイメージなどの、新しい発明が必要とされるのです。
同じ商品、同じサービス、同じ価格、同じイメージによって、どうしてその仕事が世間に貢献することができるでしょうか?
あなたが客であるのならば、その仕事を必要とするでしょうか?
客はより良い仕事を求めているのです。
世間は、より良い提案を待っているのです。
すべての人が幸福を求めています。
それは、より豊かさを感じることにあるのです。
現状よりも豊かさを感じることが幸福の本質なのです。
豊かさを感じるためには、より良いものを手に入れなければなりません。
より良いものを手に入れるためには、より良いものが提供されていなければならないのです。
あなたは自分が提供する立場であるということを知らなければなりません。
多くの人は自分が提供される立場だと考えていますが、提供されるためには、提供しなければならないのです。
因果の仕組みです。
人は原因に従った結果を得るのです。
原因に相応しくない結果を得ることはできないのです。
そのため、より良いものを提供する者だけが、より良いものを得ることができるのです。
あなたはより良いものを提供しようと努めていますか?
物事の発展に努め、新しい情報を探求しているでしょうか?
あなたには、新しい世界を築く機会が与えられているのです。
新しい世界を築くことは挑戦です。
あなたは常に何かに挑戦し続けなければなりません。
同じことを繰り返してはなりません。
違うアプローチを試みることによって、物事は発展を実現します。
何が正しいのか誰にも分かりません。
あなたは周囲の意見を恐れる必要もないのです。
新しい発想によって、新しい世界の建設に貢献しましょう。

2016年8月8日月曜日

展望

人生とは、選択の産物です。
人生は選択によって築かれていきます。
選択に関連しない人生は存在しません。
どのような人生であろうとも、それは、あなたの選択によって築かれているのです。
多くの人はその事実を忘れています。
自らの選択が人生を築いているということを忘れているのです。
そのため、選択に対して精査(せいさ)することをしません。
その場の感情に流されるようにして、短絡的に選択しているのです。
多くの人は先を見据えません。
物事の本質を探ろうとはせず、表面を飾る麗(うるわ)しさに心引かれ、それを楽しんでいるのです。
人生というものは、本質的な選択によってのみ豊かさを導きます。
短絡的な判断による表面的な選択は、その場凌(ばしの)ぎの方法に過ぎず、限定的な利益をもたらすだけです。
それは、短い時間で爆発的な利益をもたらすでしょうが、全体量としては少ないのです。
本質的に物事を考え、長期的な判断によって本質的な選択をするのであれば、時間は長く必要とするものの、少しづつ蓄える利益は、全体量としては多くを得ることができるのです。
少ない時間で少ない利益を得るのと、長い時間で多くの利益を得るのではどちらが良いと思いますか?
考え方は人それぞれで構いません。
あなたが豊かさを求めているのであれば、後者を選ぶ方が有益であるということは覚えておいた方が良いでしょう。
しかしながら、多くの人は前者を選択します。
それは、感情的に人生を生きているからです。
理性的に人生を生きている人は少ないのです。
自分自身や人生を客観視する人は少ないのです。
多くの人は狭い視野の中に生きているのです。
それは、人を盲目(もうもく)にし、人生を乏しいものとするのです。
そのため、目に見える利益を求めます。
大切なのは、見た目に騙されないことです。
その日に一万円を受け取るよりも、一ヶ月間、毎日五百円を受け取る方が得なのです。
目に見える利益を求めるのであれば、人は乏しくなるということを覚えておきましょう。
人生を焦ってはなりません。
人生は長期的な価値観によって計る必要があるのです。
五年後、十年後、三十年後、百年後・・・
出来る限り長期的に考えるのです。
あなたのその選択が、五年後、十年後、三十年後、百年後、どのような結果を導きますか?
長期的に考えれば、その選択の価値を理解することもできるでしょう。
短絡的な考えによって、感情的な判断しか下さないために、人生は乏しくなっていくのです。
後悔するということは、乏しいということです。
現状においては、後悔することを知らないことが大半です。
人は自らの選択を何の根拠もなく正しいと思っているからです。
それは、その選択によって興奮することができるからです。
鼓動の高まり、脳の過度な活動を以て正しいとしているのです。
戯(たわむ)れに過ごすこと、快楽に溺れること、肉欲に従うこと・・・
本能的な選択は鼓動を高め、脳を活発にします。
それに興奮を覚え、楽しいと感じているために、正しいと考えているのです。
しかし、五年後、同じように楽しめているでしょうか?
その時を楽しむことは良いことです。
その時にしかできないこともあります。
しかしながら、それは人生というものを考慮した選択に根差すものでなければなりません。
人生を考慮しない選択は、必ず後悔を導きます。
あなたは物事を長期的に考えなければなりません。
長期的に考えれば、少しでも本質的な選択ができるようになります。
その選択が本質的である程、後悔は少ないものとなるでしょう。
人生は選択の産物です。
人生をどのようなものにするのも、あなたの選択次第なのです。
誰かや何かがあなたの人生を決めることなどないのです。
この事実を理解しない者が、人生を短絡的に考え、感情的な選択によって人生を乏しくするのです。
取り敢(あ)えずは、その選択を五年後に後悔しないか?ということを考えましょう。

2016年8月7日日曜日

制約

あなたには、自由は与えられていません。
あなたは、制約の中に存在しているのです。
何事もあなたの自由には行えないのです。
あなたは自由には生きることができないということを知りましょう。
あなたがどれだけ努めても、自由が与えられることはありません。
それは、この世界には目的が存在しているからです。
その目的を放棄して、あなたの自由が優先されることはないということなのです。
人は愚かな存在です。
すべての人が未熟であり、この世界に自らの汚れを取り除くために生まれました。
すべての人が自らの汚れと向き合い、それを取り除くことを目的としているのです。
しかしながら、多くの人はそのことを見失っています。
多くの人は、何のために生きているのか?ということを知らずにいるのです。
そのため、自由を求めます。
自由にも様々な形がありますが、多くの人が求める自由とは、責任を放棄して得られる自由をいうのです。
それは、自分勝手な状態のことであり、汚れによって導かれる欲求なのです。
自由を得ることは素晴らしいことですが、未熟者の考える自由には危険が備わっているのです。
あなたは無知な子どもの欲求の通りに与えることができるでしょうか?
無知な子どもには、感情的な判断しか下せません。
無知であるが故(ゆえ)に、理性的な判断を下すことができません。
それは、短絡的な判断であり、本来の自由の形とは程遠いものとなります。
無知な子どもの求める自由とは、不自由以外の何物でもないのです。
多くの人が自由を求め、不自由を手にしています。
それは、自由の意味を履き違えた結果なのです。
自由とは責任です。
責任を果たした先にこそ、自由が与えられるのです。
あなたが責任を果たしているのであれば、それ以外の選択をとやかく言う者はいないのです。
しかし、あなたが責任を果たしていないのであれば、何をしなくても責められるのです。
多くの人の求める自由とは、責任を考慮してはいません。
責任を取り除いた、歪んだ自由のことなのです。
歪んだ自由が不自由であるということは、誰にでも理解することができるでしょう。
あなたが自由を求めているのであれば、この世界(人生)の目的を考えなければなりません。
この世界の目的を見失っているのに、自由を手にすることはできません。
自由のための責任とは、この世界の目的を果たすことにあるのです。
この世界の目的とは、汚れを取り除くことです。
あなたが汚れを取り除くためには、苦悩に向き合う必要があります。
苦悩に向き合うための不自由なのです。
それは、責任を果たすためなのです。
好き勝手に生きているのであれば、あなたが苦悩と向き合うことはありません。
苦悩からの逃避は、その時には自由を感じることもできます。
しかし、それは一瞬のことに過ぎないのです。
すぐに、それは更なる不自由としての苦悩を導くのです。
多くの人は不自由を嫌います。
目の前の思い通りにならないことに抗(あらが)います。
多くの人は誤解しています。
あなたの目の前に導かれる苦悩は”身から出た錆”です。
それは、あなたの汚れを取り除くための処方箋(しょほうせん)なのです。
それは口には苦く、腹には甘いのです。
多くの人が口には甘く、腹には苦い”毒”を欲しがります。
病気を得ればそれに従い、心を修養(しゅうよう)する必要があるのです。
そうすれば、病気という不自由によって心を改めたあなたは、自由を得ることができるでしょう。
この世界の目的を見失ってはなりません。
あなたには自由は与えられていないのです。
汚れを取り除くための制約の中に存在しているということを忘れてはならないのです。
あなたの求める自由とは、自分勝手なものではありませんか?
現状に満足し、感謝することができない者が自由を得ることなどできないのです。
現状に自由でない者が、それ以外の状況に自由であるはずがないのです。
安易に自由を求めてはなりません。
現状の制約を大切にしなければなりません。
あなたは汚れを取り除き、この世界に責任を果たしましょう。
そして、真の自由を得るのです。

2016年8月6日土曜日

明るい未来、暗い過去

すべての人が道標(どうひょう)を求めています。
それは、すべての人が道に迷うからです。
この人生には選択肢が多過ぎるのです。
無限に思える選択肢の中から、あなたは一つだけを選ばなければなりません。
一つ以上を選ぶことは出来ず、道は一本だけ遺すことを許されます。
道はあなたの軌跡(きせき)を伝えるものです。
道はあなたの後ろに生じるのです。
道はあなたの前にはありません。
すべての人が何も無い場所に道を築かなければならないのです。
前方には虚無が広がっています。
多くの人は未来に期待を抱きますが、未来には何も無いのです。
そのため、多くの人は不安を抱えて生きているのです。
虚無を喜ぶ人はいません。
そのため、未来を喜ぶ人はいないのです。
人は、自らの軌跡を見ては喜ぶのです。
あなたは、過去が栄光に満ちることが喜びであるということを知りましょう。
あなたは未来に期待してはなりません。
未来には何も無いのです。
あなたにとって確実なものは過去以外にはないのです。
過去だけが実体です。
あなたが変えることができるのは、実体である過去だけなのです。
過去を変えることに専念しなければなりません。
多くの人は過去を悔み、目を背けています。
過去は嫌なものであり、向き合うことを避けているのです。
そうやって、繊細な自尊心を守ろうとしているのです。
あなたが本当に自尊心を守りたいと考えているのであれば、何もせずに閉じ籠(こも)っていてはならないのです。
守りに徹することは、守ることにはなりません。
それでは、消耗するだけなのです。
創造することです。
創造することによってのみ、あなたは何かを守ることができるのです。
新しいアイデアを創出せずに、どうやってその仕事を守るというのですか?
可能性を広げずに、どうやってその豊かさを守るというのでしょう?
価値を創出せずに守ることができるものなど、この世界には存在しないのです。
あなたが過去を守ろうとするのであれば、新たな価値を創出することはできません。
過去を振り返ると苦しく、それは暗闇に覆われているかもしれません。
そのため、あなたは見たくないかもしれません。
しかしながら、人生の道標とは一筋の小さな光なのです。
それは、夜空に輝く星のような淡い光なのです。
あなたの力では、それを明るい場所で見付けることはできません。
それは、暗闇の中でこそ見付けることができるものなのです。
あなたが見つめなければならないのは、”明るい未来”などではありません。
それは、明るい虚無なのです。
青空にも星は輝いています。
しかし、あなたには見付けることができないのです。
未来に期待して、それを見つめる程に、人生の道標からは遠ざかります。
あなたは過去の暗闇を見つめなければなりません。
そこには、あなたの過ちが存在しています。
それを正すことが先決なのです。
自らを改めずに求めるのは、錆(さび)の上から塗装するようなものです。
それはすぐに剥(は)がれ落ちるでしょう。
暗い過去に期待しましょう。
そこには、美しく輝く人生の道標が存在しているのです。
過去を悔む必要はありません。
あなたは寧(むし)ろ、暗い過去に感謝しましょう。
暗い過去に感謝する者だけが、道を築くことができます。
人生の道標を見付けることなく、道を築くことはできません。
現実逃避をやめましょう。
快楽に溺れている暇はありません。
戯(たわむ)れに興じていては、人生の時間を浪費するでしょう。
あなたは道を遺さなければなりません。
その道を通って来る後の者が、その道を進めるでしょう。
短い道を遺す者は、小さな貢献にとどまるのです。
あなたは人生を深く進み、長い道を遺すのです。
大きい貢献は、豊かさを導くのです。


2016年8月5日金曜日

賛同者

この世界の目的は成長です。
すべての存在は成長することを目的としているのです。
この世界に存在するあなたの人生の目的も成長です。
あなたは、人生において成長し続けなければならないのです。
成長を放棄してはなりません。
あなたは常に成長を求めていなければならないのです。
人が成長するためには、理解を深める必要があります。
理解を深めるということは、真相へと向かうということです。
物事の本質である真実の姿を求め、深く進まなければならないのです。
真実は、いつも深層に隠されています。
人はそれを暴かなければならないのです。
簡単に得られる知識には価値がありません。
あなたが他人の表情や所作(しょさ)、身に付けているものや所有物を見て、その人の価値が分かるとでも言うのでしょうか?
簡単に得られる情報によっては、あなたは他人を理解することはできません。
この世界には、貧しく暮らす賢者があり、豊かに暮らす愚者があるのです。
詐欺師が笑顔を振り撒く姿を、あなたは知っているでしょう。
本当に知恵のある者は姿を隠すのです。
簡単に得られる情報や知識によっては、真実を得ることができないということを理解しましょう。
多くの人は簡単に手に入る情報や知識を喜びます。
多くの人は無知を楽しんでいるのです。
世の中に崇高な喜びがどれだけあるでしょうか?
それはほとんど存在しないのです。
それは、この世界が自らの汚れを取り除くための場所だからです。
自らの汚れを取り除くことが成長なのです。
あなたは自分自身の汚れと向き合わなければなりません。
自分自身の汚れと向き合うということは、誰にとっても苦しいものなのです。
そのため、この世の楽しみは喜びとは成り得ないのです。
苦しみが汚れを取り除くのに役立ちます。
苦しみと向き合うことによって、成長することができます。
そのため、本当の喜びとは、苦しみの先に存在しているのです。
苦しみの先には知恵があります。
無知を楽しむ人には、苦しみを乗り越える術も、その先で得られる知恵もないのです。
あなたは世の中を見なければなりません。
そこに喜びがあるでしょうか?
多くの人が賞賛(しょうさん)するものに価値があるのでしょうか?
多くの人に受け入れられる知識に、本当の価値があると思いますか?
多くの人が苦悩しているのです。
多くの人が怒り、争っているのです。
多くの人の賞賛する情報や知識とは、そのようなものであるのです。
人は信じることを行います。
苦悩している者は、苦悩するための情報や知識を信じています。
争っている者も同じです。
多くの人はそのようなものに価値を見出しているのです。
あなたは、多くの人が見出す価値に対して、それが本当に価値のあるものなのか?を考えましょう。
あなたが価値を見出す情報や知識は、多くの人には受け入れられないかも知れません。
多くの場合、人は他人と異なることを嫌います。
そのため、賛同者がいなければ人生を放棄するのです。
誰一人として、あなたに賛同する者がいなくても、あなたが正しいと考える情報や知識を大切にしなければなりません。
賛同する者がいないからといって、その情報や知識に価値が無いということではありません。
多くの場合、誰も知らなかった、誰も受け入れなかった情報や知識こそが、時代に革新を導いてきたのです。
それ以外方法での向上は無いのです。
”良いもの”とは、隠されています。
そのため、多くの人が知り得ないものなのです。
多くの人が知っている、受け入れている情報や知識は古く、(世界を向上させる)価値のないものであると理解しましょう。
多くの人が知っている情報や知識に安心していてはなりません。
新たな情報や知識を得ないということは、成長しないということだからです。
人生の目的である成長を蔑(ないがし)ろにしているのに、どうして安心することができるのでしょうか?
夏休みの宿題という夏休みの目的を果たさないのに、安心して学校に行けるのでしょうか?
あなたが生きている間に、生きている目的を果たさなければならないのです。
他人の賛同など得る必要はないのです。
(ただし、自分勝手に行ってはなりません。他人の意見は参考としなければならない)
賛同者がいなくても、価値のあるものには価値があるのです。
賛同者が多くても、価値のないものもあるということを覚えておきましょう。
価値のある人生にしましょう。

2016年8月4日木曜日

互いに栄える

あなたは、人生とは何か?を考えなければなりません。
自分とは何か?
生きるとは何か?
生活とは何か?
仕事とは何か?
人間関係とは何か?
どのようなことでも良いのです。
自分自身に関わりのあるものに対しての考えを深めていかなければなりません。
そうでなければ、あなたは誤解によって道を誤り、歪むことによって苦悩を生きることになるからです。
苦悩を生きることは決して悪いことではありません。
”わたし”は、あなたが苦悩を生きることには賛成です。
あなたには、苦悩を生きて欲しいとさえ思っています。
しかし、苦悩に停滞して欲しくはないと思っているのです。
すべての人は誤解を所有しています。
そのため、道を誤るのが自然です。
そして、歪みによって苦悩を生きることは必然なのです。
それは避けることのできない状況です。
そのため、あなたは苦悩すれば良いのです。
重要なのは、苦悩を乗り越える速度です。
人が苦悩に落ち込めば、出来るだけ素早くそこから抜け出して欲しいのです。
いつまでも苦悩を生きてはならないのです。
一つの状況から抜け出すことができないのは、知識に変わりがないからです。
知識に変わりがないために、同じ選択を繰り返すのです。
あなたは必ず苦悩に落ち込みます。
しかし、その時には前述した疑問を追求しなければならないのです。
知識を追求することがなければ、新たな選択肢を得ることができないのです。
苦悩に落ち込んだ時に、その考えが変わらないのであれば、苦悩に落ち込んだ時と同じ状態を得るということになるのです。
人が苦悩を乗り越えて豊かに生きていたいと願うのであれば、様々な事柄について考えを深めていかなければならないのです。
多くの人は、考えを深めることなく、それに携わっています。
例えば、仕事です。
あなたは何のために仕事をするのですか?
すべての人が何のために仕事をするのか?という疑問に向き合ったことがあるでしょう。
最も簡単な答えは、お金のため、生活のため、家族や大切な人のため、楽しいから、夢を実現するため・・・
このようなものでしょう。
これ等の答えが簡単であるのは、自分の感情に起源していることだからです。
人は、自分のことを考えるのは簡単です。
多くの人が自分の感情を優先しているのです。
多くの人が、自分の幸せのために働いているのです。
そのため、仕事というものは生存競争の中にあると考えているのです。
仕事が生存を争うものであると考えているために、自分の優位を目指すのです。
優位を得るために、争うのです。
争いとは、自分勝手な選択です。
多くの人の仕事が、自分勝手な理由によって世に出されているのです。
あなたは仕事について、世の中について、人生について考えなければなりません。
仕事の目的が、本当にお金を得るためなのでしょうか?
社会的地位や個人的な成功を収めるためのものなのでしょうか?
社会的地位や個人的な成功を収めることは、一つの豊かさの形です。
それを否定することはできません。
しかし、それに傾倒することはできないのです。
なぜなら、仕事の目的を社会的地位や個人的な成功に置いている人は、必ずしも幸せではないからです。
この世界においては、自分のことは一つの側面に過ぎません。
何事に関しても、自分以外のことという側面が存在しているのです。
そのため、あなたは自分以外のことを考えなければならないのです。
自分のことと、自分以外のことの両方を考えなければ、本質を見ることはできないのです。
あなた独りが満足しても意味がないのです。
あなたの大切な人たちだけが幸せであっても、何の価値もありません。
互いに栄える必要があるのです。
自分の人生、自分の事柄、自分の生き方、自分の生活、自分の仕事、自分の人間関係・・・
このように限定的な繁栄は実現しません。
それは、矛盾が生じるからです。
あなたは自分以外と繋がっています。
何かが独立していることはありません。
そのため、自分のことを考えるのであれば、自分以外のことも同時に考える必要があるということなのです。
自分の幸せを考えるのであれば、自分以外の幸せも同時に考えましょう。
何事においても、共に栄えることを目的としましょう。
そうすれば、あなたは豊かに生きるでしょう。

2016年8月3日水曜日

実験

あなたにとって、時間とは掛け替えのない宝物です。
あなたは、時間を有効的に利用しなければなりません。
人生とは、成長を目的とした場所です。
あなたに求められているのは成長です。
成長することが幸福であり、成長することが豊かさを感じる唯一の方法なのです。
成長することを拒否すれば、幸福も豊かさも決して手には入らないということを理解しましょう。
あなたが(漠然にでも)幸福や豊かさを求めているのであれば、成長することの重要性を理解する必要があるのです。
あなたが成長するためには、理解を深める必要があります。
物事に対する理解の深まりこそが、成長の必須条件なのです。
理解を深めることがなければ、成長することがどのようなことなのか?を理解することができません。
無知であっては、どうやって成長すれば良いのかも分からないのです。
あなたが物事の理解を深めるためには、”実験”する必要があります。
物事に対して様々な検証(けんしょう)を行い、比較対象を求めなければならないのです。
偏った知識であっては、理解を深めるどころか、理解すら得ることができません。
理解を深めるというのは、知識に偏りを無くし、それを更に詳しく知るということなのです。
例えば、自分が好きなことの知識をどれだけ集めたところで、それは偏った知識に過ぎません。
理解を深めるというのは、自分が嫌いなことの知識を集める必要もあるということなのです。
好きなことと、嫌いなことの両方の知識を得ることによって、真実の姿を知る機会を得ることができるのです。
多くの人は偏った知識に専念します。
嫌いなことに対する知識を欲する人は少ないのです。
誰もが、現実逃避を喜び、知識の偏りを安心しているのです。
それは理解を深めることにはなりません。
そのため、偏った知識は人を苦しめるのです。
偏見を抱えている人が幸福を得ることはできません。
なぜなら、偏見を抱えているということは、敵(嫌悪)を抱えているということだからです。
敵がいるのにどうして幸福なのでしょうか?
敵がいるのにどうして豊かなのでしょう?
敵はあなたの不満や不安の原因となるのです。
不調和は、あなたの苦悩の種としかならないのです。
多くの人が不調和を所有し、葛藤の中に落ち込んでいるのです。
葛藤によって、人は立ち止まります。
葛藤している状態は、人生の停滞を導きます。
停滞は退屈を導き、やがては不安や不満へと姿を変えるのです。
それはやはり、苦悩を導くのです。
あなたには葛藤している暇などないのです。
葛藤しているということは、結論に至っていないということです。
それはいつまでも風に運ばれる綿毛(めんもう)のように地に落ちず、実りを得ないのです。
葛藤は、知識不足によって導かれます。
人が十分な知識を得ているのであれば、葛藤することはないのです。
知識を得るためには、”実験”する必要があります。
あなたは、好き嫌いに捕らわれずに様々な働き掛けをするのです。
葛藤している間は、時間を浪費します。
それは、宝を腐らせるようなものなのです。
不足した(偏った)知識の中から答えを導き出そうとしても無駄です。
現状の知識では答えが導き出せないから葛藤しているのです。
そのことに気が付かなければならないのです。
多くの人は葛藤を抱いて生きています。
しかし、その知識も考え方も生き方も変えようとはしません。
同じ方法で何とかなると思い込んでいるのです。
時間が解決してくれると根拠のない妄想に捕らわれている者もいます。
誰かや何かが助けてくれると信じて疑わない愚か者もいるのです。
自分自身が変わらないのに、どうやって人生が変わるというのでしょうか?
あなた自身が人生を決めているのです。
あなたが変わる以外に方法はないのです。
知識の偏りを許してはなりません。
あなたは人生を実験場だと考えましょう。
そして、葛藤に時を浪費せず、結論を得るのです。
悩んでいる暇などありません。
答えを待っている暇などないのです。
あなたは自ら答えに赴(おもむ)きましょう。

2016年8月2日火曜日

自分を正す

人生とは、あなたを成長させる場所です。
あなたは、この人生において、成長することを目的としているのです。
それ以外の目的は存在しません。
それは、根源的な目的であるのです。
すべての現象が、あなたの成長のために導かれます。
それがどのような状況であろうとも、その根源にはあなたの成長という目的が存在しているのです。
人生とは、あなたの問題なのです。
それは、あなた以外の誰かや何かの問題ではありません。
多くの人がこの事実を知らないために、人生を自分以外の誰かや何かの責任として考えているのです。
多くの人は不満や不安を抱えています。
それは、自己責任である人生に対して、覚悟を決め兼ねている状態です。
多くの人は自分の責任であるということを受け入れられずにいるのです。
しかしながら、人生を考察した時には、どのような現象も自分自身に原因があるということに気が付きます。
どのような人の、どのような状況も、それは自分自身の原因によって導き出された当然の結果であるのです。
人生には、あなたに関わりのない現象は存在しません。
関わりのないものであるのならば、存在する意味もないのです。
しかし、それは存在しているのです。
それは、意味があるからです。
その意味とは、あなたが原因であるということなのです。
あなたは、すべてが自分自身の成長のために導かれた当然の結果であるということを理解しなければなりません。
多くの人が不満や不安によって否定しますが、そのような方法には何の益もないのです。
それは、人生の目的にそぐわないということです。
目的は自分自身の成長です。
それ以外の目的のために、何かが導かれることはありません。
そのため、あなたは如何(いか)なる状況に対しても、その根源には、自分自身の成長という目的が存在しているということを理解しなければならないのです。
すべての状況の根源的な目的として、自分自身の成長があるのならば、それを念頭に置いて対応する必要があるのです。
目的を見失った行為には益がありません。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、自らの目的を見失ってはならないのです。
”すべてがあなたの成長のため”です。
このことを忘れてしまえば、何もかもが不調和を得るのです。
すべてが、あなたの成長のためであるのならば、どのような状況に対しても、あなたは自分自身を顧(かえり)みなければならないのです。
それ以外にあなたのすべきことはないのです。
あなたは人生の如何なる場面においても、自分自身と向き合わなければならないのです。
あなたは、人生のすべての状況に対して自分自身を整えましょう。
人生のすべての状況に対して、自分自身を正すのです。
それ以外にすべきことはないのです。
しかしながら、多くの人が目の前の状況を自分以外の誰かや何かの責任としたいために、自分以外の何かに向き合おうとするのです。
自分以外の何かに向き合ったところで、あなたが得るものは誤解だけなのです。
なぜならば、すべてが自分自身の原因が導き出した状況であり、人生の”すべてがあなたの成長のため”の学びであるからです。
それ以外の目的など存在しないのです。
多くの人はこの事実を信じられません。
あなたも信じることができないかも知れません。
信じること、受け入れることができないのであれば、そのままで構いません。
無理をする必要はないのです。
この事実を理解するまで苦しめば良いのです。
自分自身の責任を誰かや何かに押し付けているのであれば、苦悩が導かれるのは当たり前なのです。
すべてが自分自身の成長のためであるということを信じたり、受け入れることができない人は、苦悩と向き合う必要があるということを覚えておきましょう。
目の前の現象を自分以外の誰かや何かの責任とせず、自分自身と向き合ってそれを正すのであれば、あなたが苦悩と向き合うことはないのです。
間違っているために苦悩を受けているだけです。
間違っていなければ、苦悩を受ける必要などないのです。
これ程簡単なことを理解しない人が多いのです。
自分の学びを自分以外に押し付けるために歪むのです。
人生はあなたを成長させる場所です。
それ以外の目的は持たないのです。
表面的な状況に惑(まど)わされてはなりません。
あなたはいつも、自分自身を正すのです。
それ以外にすることはありません。