あなたは先ず、自分のことをしなければなりません。
他人のことを考えたとしても、自分のことをするのです。
あなたは、自分自身の責任を果たす必要があります。
自分のことも満足させられないのに、どうやって他人を満足させることができるのでしょうか?
あなたが考えている程、他人のことは簡単ではありません。
他人のことに比べると、自分のことなど簡単なのです。
簡単なことさえ出来ないのに、難しいことは出来ません。
しかしながら、多くの人は他人のことをしたがります。
他人のことを気に掛け、他人のことに対して時間と労力を使うのです。
あなたには、他人を心配している余裕はありません。
あなたは、自分のことも満足させることができないのです。
どうして、他人を心配しているのでしょうか?
自分のことも満足させられない人に心配される他人の気持ちを理解しなければなりません。
あなたは、自分のことも満足させられない他人の助けを必要と思いますか?
あなたが自分のことも満足させられない人を心配することになるでしょう。
多くの人は自分の状態を理解しません。
そのため、簡単に他人のことに出過ぎるのです。
あなたは、他人の迷惑を考えなければなりません。
他人のことを考えているように考えていても、真意は自分のことを考えているだけなのです。
自分のために他人を心配しています。
自分のために他人のことに出過ぎるのです。
良い指導者は、出過ぎた教育はしません。
それは、出過ぎた教育は生徒の力を奪うからです。
指導者が生徒に対して答えを教えるのであれば、生徒は育たないのです。
生徒が育つために、考える力を身に付けなければなりません。
答えを教えるということは、出過ぎた教育であり、生徒の考える力を奪う行為であるのです。
他人のことを心配する余り、他人の人生に出過ぎてはなりません。
それは、他人の学びなのです。
あなたがわざわざ首を挟む問題ではないのです。
相手が助けを求めれば、最低限の手助けをするのです。
それ以外は必要ありません。
それ以外は出過ぎた真似となるということを理解する必要があるでしょう。
あなたは他人の学びを奪ってはなりません。
他人のことをする前に、自分のことをしましょう。
他人を満足させる前に、自分を満足させましょう。
自分を満足させた後の余力が、他人の取り分なのです。
他人が欲しているのは、あなたの余力であるのです。
しかしながら、多くの人はそのことを知りません。
多くの力を注ぐことによって、他人が救われると思い込んでいるのです。
しかしながら、自分のために使わなければならない多くの力を他人に注げば、自分の分が足りなくなります。
自分の分が足りなければ、他から引き入れなければならないのです。
そうなれば、あなたは別の他人に迷惑を掛けることになるでしょう。
他人を助けるために、別の他人に迷惑を掛けることは正しい選択なのでしょうか?
それは、矛盾なのです。
愚かな行為に気が付かなければなりません。
自分を満足させることができない人の人助けは、多くの犠牲の上に成り立つ偽善なのです。
”わたし”はあなたが優しいことを知っています。
多くの人が優しいのです。
そのため、他人のことをしたがる気持ちは理解することができます。
しかし、あなたが他人のことを考えているのであれば、先ずは自分のことを満足させましょう。
他人のことを考えるのであれば、自分のことをするのです。
”急がば回れ”という言葉があります。
あなたが急いでいるのであれば、自分を満足させましょう。
これはあなたの人生であり、あれは他人の人生です。
同じ場所にあるように見えても、別々の道を歩むのです。
他人を救いたければ、先ず自分を救いましょう。
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