あなたには、自由は与えられていません。
あなたは、制約の中に存在しているのです。
何事もあなたの自由には行えないのです。
あなたは自由には生きることができないということを知りましょう。
あなたがどれだけ努めても、自由が与えられることはありません。
それは、この世界には目的が存在しているからです。
その目的を放棄して、あなたの自由が優先されることはないということなのです。
人は愚かな存在です。
すべての人が未熟であり、この世界に自らの汚れを取り除くために生まれました。
すべての人が自らの汚れと向き合い、それを取り除くことを目的としているのです。
しかしながら、多くの人はそのことを見失っています。
多くの人は、何のために生きているのか?ということを知らずにいるのです。
そのため、自由を求めます。
自由にも様々な形がありますが、多くの人が求める自由とは、責任を放棄して得られる自由をいうのです。
それは、自分勝手な状態のことであり、汚れによって導かれる欲求なのです。
自由を得ることは素晴らしいことですが、未熟者の考える自由には危険が備わっているのです。
あなたは無知な子どもの欲求の通りに与えることができるでしょうか?
無知な子どもには、感情的な判断しか下せません。
無知であるが故(ゆえ)に、理性的な判断を下すことができません。
それは、短絡的な判断であり、本来の自由の形とは程遠いものとなります。
無知な子どもの求める自由とは、不自由以外の何物でもないのです。
多くの人が自由を求め、不自由を手にしています。
それは、自由の意味を履き違えた結果なのです。
自由とは責任です。
責任を果たした先にこそ、自由が与えられるのです。
あなたが責任を果たしているのであれば、それ以外の選択をとやかく言う者はいないのです。
しかし、あなたが責任を果たしていないのであれば、何をしなくても責められるのです。
多くの人の求める自由とは、責任を考慮してはいません。
責任を取り除いた、歪んだ自由のことなのです。
歪んだ自由が不自由であるということは、誰にでも理解することができるでしょう。
あなたが自由を求めているのであれば、この世界(人生)の目的を考えなければなりません。
この世界の目的を見失っているのに、自由を手にすることはできません。
自由のための責任とは、この世界の目的を果たすことにあるのです。
この世界の目的とは、汚れを取り除くことです。
あなたが汚れを取り除くためには、苦悩に向き合う必要があります。
苦悩に向き合うための不自由なのです。
それは、責任を果たすためなのです。
好き勝手に生きているのであれば、あなたが苦悩と向き合うことはありません。
苦悩からの逃避は、その時には自由を感じることもできます。
しかし、それは一瞬のことに過ぎないのです。
すぐに、それは更なる不自由としての苦悩を導くのです。
多くの人は不自由を嫌います。
目の前の思い通りにならないことに抗(あらが)います。
多くの人は誤解しています。
あなたの目の前に導かれる苦悩は”身から出た錆”です。
それは、あなたの汚れを取り除くための処方箋(しょほうせん)なのです。
それは口には苦く、腹には甘いのです。
多くの人が口には甘く、腹には苦い”毒”を欲しがります。
病気を得ればそれに従い、心を修養(しゅうよう)する必要があるのです。
そうすれば、病気という不自由によって心を改めたあなたは、自由を得ることができるでしょう。
この世界の目的を見失ってはなりません。
あなたには自由は与えられていないのです。
汚れを取り除くための制約の中に存在しているということを忘れてはならないのです。
あなたの求める自由とは、自分勝手なものではありませんか?
現状に満足し、感謝することができない者が自由を得ることなどできないのです。
現状に自由でない者が、それ以外の状況に自由であるはずがないのです。
安易に自由を求めてはなりません。
現状の制約を大切にしなければなりません。
あなたは汚れを取り除き、この世界に責任を果たしましょう。
そして、真の自由を得るのです。
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