人生の目的は心の成長にあります。
人は、心を育まなければなりません。
心とは、目には見えない価値です。
それを育むためには、目には見えないものに価値を見出すことが必要なのです。
目に見える価値に捕らわれているのであれば、心を育むことにはならないということを覚えておきましょう。
大切なのは目には見えない価値観を育むことです。
目には見えない部分に価値を見出すことができれば、心が育まれた証明となるでしょう。
心の育まれていない人物は、物事を見た目によって判断します。
それは、価値観が表面的な部分のみを認識するためです。
心が育まれていないために、”深み”を理解することができないのです。
そのため、価値判断は目に見える表層にとどまります。
子ども(肉体の年齢的な意味ではない)は感情的に判断します。
心の認識する能力が育まれていないために、その価値観は表層にとどまるのです。
それは、短絡的な判断となり、未熟な判断として映るのです。
そのため、未熟者であるという意味の”子ども”として判断されるのです。
子どもには、物事の奥行きが見えません。
そのため、目に見える部分に対して価値観が集中します。
物事を見た目で判断し、見た目が好ましいという理由によって価値を見出すのです。
しかしながら、本質を考慮していないために、その価値判断に裏切られることになります。
価値があると信じていたものには、求める程の価値が無いということに気が付(かされる)くのです。
例えば、果実の価値は果肉にあると信じている人は、果肉を得ることによって腹を満たします。
それを価値とすることが、子どもの判断なのです。
果肉を得て腹を満たし、幸福を得ることにも価値はあります。
しかし、それは一瞬の満足でしかありません。
すぐに空腹が襲うでしょう。
果実の価値は果肉にもありますが、その何倍もの価値が種子にあるのです。
種子を育めば、何十、何百、何千倍もの果実を得ることができるのです。
それには、多くの時間を必要としますが、未来への投資ができるのは心が育まれた大人の力なのです。
見た目に捕らわれてしまうのであれば、多くの価値を失います。
大切なのは、価値を引き出すことです。
あなたの心には、大きな可能性が眠っています。
すべての子どもが将来、今よりも大きなことを実現するでしょう。
それは、どのような子どもも、心を育むことによって大人に近付くからです。
経験を重ねることによって、人は心を育むことができます。
それは、目には見えない価値の発見であり、本質との出会いであるのです。
多くの人は心が育まれてはいないために、目に見えるものに価値観を集中します。
そのため、感情的に人生を築いているのです。
多くの人の人生が簡単に崩壊します。
幸福だと信じているものは、簡単に不幸となります。
不安や心配が付きまとい、争いの中に生きなければなりません。
子どもの人生とは、不安定なものであり、儚(はかな)い硝子細工(がらすざいく)のようなものなのです。
子どもの心は繊細(せんさい)であり、簡単に壊れてしまいます。
それを防ぐために、懸命に闘っているのです。
それが、不安や心配などの感情的結論に至り、争うことに繋がるのです。
子どもは獣のように争うのです。
子どもは、目に見える価値が育まれることを喜びます。
容姿が褒められることを求めます。
家屋が大きいことを誇ります。
身に付けているものが豪華であることを喜ぶのです。
所有が抱えきれないことを望みます。
多くの人からの賞賛(しょうさん)に酔い痴(し)れます。
これ等の価値に身を寄せるのです。
これ等の目に見えるものに、本当に価値があるのでしょうか?
容姿が褒められなくても、家屋が小さくても、身に付けているものが質素であっても、所有が少なくても、他人の賛同が得られなくても、価値のある人生を生きることはできるのです。
寧(むし)ろ、それ等の価値を乗り越えた先にこそ、真の価値が存在しているのです。
目に見える価値に投資することを悪いと言うのではありません。
それにとどまってはならないということなのです。
あなたは常に深い価値を探さなければなりません。
そのために、心を育みましょう。
あなたは物事の本質が存在する”深み”を覗かなければなりません。
果肉である目に見える価値に酔い痴れてはなりません。
種子である目には見えない価値を含めて喜びましょう。
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