すべての人が、不自然を所有しています。
	すべての人が、不自然な存在なのです。
	あなたが思い込んでいる自分という存在は、不自然な状態を指しているのです。
	すべての人が無知を所有しています。
	すべての人が誤解の中にあるのです。
	すべての人が偏見を信仰しています。
	すべての人が幻想を生きているのです。
	幻想を見極め、偏見を疑い、誤解を脱し、無知を克服している者はいません。
	そのため、すべての人が不自然な状態であるということなのです。
	あなたは無知を所有しています。
	あなたは誤解をし、偏見を信じているのです。
	そして、偏見とは幻想に過ぎません。
	例えば、幻想は理想として現れます。
	理想とは、不自然な願望です。
	事実は理想と異なります。
	理想は、事実を否定しているのです。
	目の前に導かれた状況こそが事実であり、その事実が自然なのです。
	事実である自然を否定することによって、人は不自然を抱えることになるのです。
	有りの儘(まま)が自然の姿です。
	我が儘は不自然な姿なのです。
	多くの人が事実を否定し、理想の実現を願います。
	その願望こそが、人生に対する偏見であり、誤解であり、無知なのです。
	理想が実現する方が魅力的であるかも知れません。
	願望が実現する方が喜ばしいでしょう。
	しかしながら、人生の目的を考えた時には、理想も願望も実現しない方が有益なのです。
	人生とは、不自然な自分から、自然な自分へと成長する場所なのです。
	無知や誤解や偏見などの多くの歪みを抱えている不自然な状態から、知恵によって単純で純粋な自然な状態に向かうことを求められているのです。
	複雑なものは優れているとはいえません。
	それは、複雑なものは本質を欠いているからです。
	単純なものこそが優れているのです。
	本質とは、単純で純粋なものなのです。
	不自然な存在である人間が形成する社会は、非常に複雑な構造をしています。
	それは、方々(ほうぼう)で絡み付き、解くことが困難である状態になっているのです。
	人が問題を抱えるのは、複雑であるからです。
	誰もが不自然な思想を抱え、不自然な生き方をしているのです。
	人生は単純で良いのです。
	苦悩と向き合って成長することさえ考えていれば良いのです。
	人が自然な状態で生きれば、社会が複雑な構造を形成することもありません。
	誰もが自分の苦悩と向き合って成長しようと努める社会であれば、調和と協力が生まれるのです。
	誰もが自分の苦悩と向き合うことから逃げようと努める社会であるために、不調和と争いが生まれているのです。
	人は成長するために生まれたのです。
	それが自然の姿です。
	自然から離れた人間は苦悩を抱えます。
	苦悩から逃げるだけであれば、成長することは出来ません。
	苦悩することが自然であり、それと向き合うことが自然なのです。
	不自然な自分を放置してはなりません。
	無知、誤解、偏見、幻想を疑うことによって、手放さなければならないのです。
	しかしながら、あなたが不自然な自分と向き合い、自然の道を歩もうとすれば、そこには必ず障害が現れます。
	あなたは、様々な誘惑によって、自然な道から逸らされるでしょう。
	誘惑に打ち克(か)つ強い意志を保っていなければ、不自然を脱することはできないのです。
	多くの人は誘惑によって、不自然な自分へと連れ戻されます。
	自然を得ることは簡単なことではないのです。
	その道は険しく、多くの困難が待ち構えています。
	自然の道には多くの苦しみが存在しているのです。
	苦悩と向き合って成長することだけを考えるということは、誘惑に負けない意志を見失うなということなのです。
	あなたは自然へと向かいましょう。
	無知や誤解や偏見や幻想(理想)を手放すことによって、あなたは自然を得るでしょう。
	
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