どのような人物であっても、人生の目的を抱えています。
どのような人物であっても、この世界に必要な役割を担っているのです。
人は、自らの目的を果たさなければなりません。
それ以外には、人生の目的は存在しないからです。
しかしながら、多くの人は自らの目的を見失い、他者の目的を自らの目的にすり替えています。
それは、本人であっても気付かぬ内に行われるのです。
そのため、多くの人が、自分の目的ではない目的のために人生を消費しているのです。
あなたの人生、命は、自らの目的のために存在しているのです。
誰かや何かのために行動することは美しく見えます。
しかしながら、そのような理想を掲げている人物ほど、自らの目的を見失っているのです。
自らの目的を見失っているために、誰かや何かのために行動することによって、自分を納得させようと努めているのです。
大切なのは、自分のことを充実させることです。
自分のことを充実させた上で初めて、誰かや何かのために貢献することができるのです。
順序があるのです。
溺れている人を助けることのできる知識や体力や技術を身に付けずに、どうやって助けることができるのでしょうか?
自分の知識や体力や技術が不足しているのであれば、溺れている人を助けることはできません。
そのような者が溺れている人を助けようとするのであれば、自分自身も同じように溺れることさえ有り得るのです。
ミイラ取りがミイラになってはならないのです。
大切なのは、自分自身のことであり、その先に他者のことなのです。
自分自身のことも充実させることができない者が、どうして他者を充実させることができるのでしょうか?
多くの人は、自分のこともままなりません。
しかし、自分のことを蔑(ないがし)ろにしています。
誰かや何かのために行動することは美しく見えますが、それを行っている人物が美しくなければどうしようもないのです。
苦悩に溺れる者が、苦悩に溺れる者を助けることなどできません。
当然のことですが、多くの人はそれを知らないのです。
なぜなら、自らの現状を知らないからです。
多くの人は、自らの現状を知りません。
それは、自分を知らないためです。
多くの人は、自分を知ろうとはしません。
それは、恐れているからです。
人は自我意識を抱えています。
それは、弱い心なのです。
弱い心は、変化を嫌うのです。
そのため、正当化と美化によって、現状を覆い隠してしまうのです。
人が自分(の現状)を知るためには、知識を集める必要があります。
自我意識によって、自分を直接的に理解することは難しいのです。
そのため、自分以外の存在を知ることによって、相対的に自分を知るのです。
あなたは、人生の目的を果たすため、誰かや何かに貢献するために、勉強しましょう。
あなたは学び続けなければならないのです。
変化を手放せば、現状を知るための情報は手に入りません。
現状を知らなければ、何をすれば良いかも分からないのです。
それは、虚無(きょむ)という停滞を導くのです。
停滞することによって、あなたは人生の目的も、誰かや何かに貢献する機会も失うのです。
先ずは、自分のために、自分のことをするのです。
必ずしも他者と共感する必要はありません。
多くの人は、他者を気に掛け過ぎ、本来の道を見失っているのです。
他者との共感を手放さなければ、自分の目的を見失うのです。
自分の目的を見出し、その道を進む過程において、他者と共感するのです。
自分の目的も道も見出していない者が、他者と共感したところで、お互いの目的と道を隠し合うだけなのです。
多くの人は孤独を嫌います。
孤独が恐いのです。
しかしながら、自らの目的と道を見出すためには、孤独の力が必要なのです。
自分が充実するまでは、他者を助けようとしてはなりません。
その気持ちを抑えて、自分の成長に努めるのです。
未熟な自分を不甲斐無(ふがいな)く思えば成功です。
その気持ちがあなたを孤独へと導き、成長を実現させるのです。
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