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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2017年3月8日水曜日

簡単に信用出来ないもの

人は、自分が何者であるのかを知りません。
人は、自分を知らないのです。
多くの人が知っていると思い込んでいるのは、不自然な自分であり、それは誤解と矛盾なのです。
多くの人は、誤解と矛盾を自分だと思い込んでいます。
誤解と矛盾を正当化し、美化することによって、納得しているのです。
誤解と矛盾は自分の本質ではありません。
それは、自分から生じる排出物(はいしゅつぶつ)のようなものなのです。
排出物は、自分にとっては不要なものです。
それを溜め込むことは有害であるために、排出されるのです。
多くの人は、それを自分だと思い込んでいるのです。
残念ながら、自分が何者であるのかを知る人はいません。
すべての人が、自分を知らないのです。
あなたが考えている自分とは、決して自分ではありません。
あなたは”それ”を自分だと思い込んではなりません。
あなたは、人の心が常に移り変わっていることを知っているでしょうか?
人の心は決して安定的なものではありません。
それは、常に揺れ動き、決してとどまることはありません。
次の瞬間には異なっているようなものなのです。
多くの人は、そのようなものを自分だと思い込んでいるのです。
そして、そのようなものを他者だと思い込んでいるのです。
残念ながら、あなたは人の心を信用してはなりません。
常に移り変わっている人の心は、信用に価(あたい)しないということなのです。
本質とは、変わらないものです。
多くの人の考えている自分という存在は、次の瞬間には様相を変えています。
そのようなものが本質であるはずがありません。
しかしながら、多くの人は、そのようなものを自分だと思い込んで信用しているのです。
あなたは心を疑わなければなりません。
自らの心も、他者の心も疑うのです。
あなたが信用することが出来るものがあるとすれば、それは、目の前に導かれる事実だけです。
残念ながら、人の心には真実はありません。
そこには、微量であれ、確実に正当化と美化が入り込んでいるからです。
人は、自らの排出物に対して、特別な嫌悪は抱きません。
それは、正当化と美化が入り込んでいるからです。
しかしながら、他者の排出物に対しては、特別な嫌悪を抱くのです。
そこには、正当化と美化という心の働きが生じないためです。
人は本質を見極めることが出来ません。
それは、自分の本質を知らないからです。
自らが本質的ではないのに、どうやって物事の本質を見極めるというのでしょうか?
誤解と矛盾を抱えている人には、すべてに誤解と矛盾が反映されるのです。
しかしながら、そのことには気が付きません。
あなたが本質を見極めたいと考えているのであれば、疑うことを忘れてはならないでしょう。
あなたは既に、自分の本質を見失っています。
あなたに出来ることは、疑うことだけなのです。
素直に受け入れるということは大切です。
しかし、不自然な状態によって素直に受け入れるのであれば、不自然な解釈を行うだけなのです。
歪んだ自分の解釈は、それに相応しく歪んだものとなるのです。
疑わなければ、歪んだ解釈を行うことになるのです。
歪んだ解釈は、歪んだ選択肢によって、歪んだ状況を導くのです。
誤解と矛盾が導く状況は、誤解と矛盾そのものなのです。
人は、自らに相応しい状況を得るのです。
目の前の事実こそが真実であり、唯一の信用することが出来るものなのです。
多くの人は自らの心を信用し、自分が正しいと思い込んでいます。
しかしながら、誤解と矛盾に満ちたあなたが、正しいはずがないのです。
自分が正しいと思っているのであれば、その浅はかな考えを疑いましょう。
疑わずに、本質に近付くことはできません。
あなたは自らの掲げる信仰を疑いましょう。
価値観を疑いましょう。
疑いを手放してはなりません。
あなたは簡単に道を踏み違えるのです。
真の道を歩みたければ、疑いを手放してはなりません。

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