すべての人は未熟です。
すべての人は無知です。
すべての人は無力なのです。
人生には、どうすることも出来ないことがあります。
人生には、どうすることも出来ないことが多過ぎるのです。
人生には問題が付き物です。
あなたはいつも問題と向き合っていることでしょう。
問題を目の当たりにした時、あなたは自らの未熟さに気が付くことでしょう。
そして、無知を知り、無力を体験するのです。
あなたには、どうすることも出来ないことがあるのです。
人生における大抵のことは、あなたにはどうすることも出来ないことなのです。
多くの人は、どうすることも出来ないことをどうにかしようと努めるでしょう。
しかしながら、どうすることも出来ないことは、どうすることも出来ません。
どうすることも出来ないことは、どうもしなくて良いのです。
重要なのは、物事の本質を理解することです。
本質を理解することなく、正解(納得)を導き出すことは出来ません。
あなたが問題と向き合うのは、自らの未熟と無知と無力に気が付くためです。
それ以上の意味はないのです。
あなたは問題と向き合い、自らの未熟と無知と無力を知れば良いだけなのです。
それ以外に何かをする必要はないのです。
多くの人は、問題の本質を状況だと理解しています。
誰かや環境などによって問題が引き起こされたと考えているのです。
そのため、他人や環境に影響を及ぼすことによって、問題を解決しようと努力します。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
すべての結果は、自分という名の原因によって導かれるのです。
それがどのような結果であれ、他人や環境などの外的要因によって導き出される結果など存在しないのです。
すべての問題は、自らの未熟と無知と無力によって導き出されるのです。
問題の本質とは、自分なのです。
あなたでなければ、その問題を受け取る必要はないのです。
他人が受け取っている問題をあなたが受け取る必要はありません。
あなただからこそ、その問題が導かれるのです。
他人だからこそ、その問題が導かれるのです。
それは、原因が自分にあるからです。
自分を知れば、自分を変える方法も知ることができます。
しかし、自分を知らなければ、どのような方法も的外れなものとなるのです。
多くの人は、問題の解決に他人の方法を用います。
残念ながら、他人の方法によっては、あなたの問題は解決しないのです。
原因が異なっているのだから、解決方法も異なっているのです。
作為(さくい)によっては、自分の方法を導くことはできません。
それは、作為をしているのは己(自我意識)であるからです。
自らの未熟と無知と無力を知らなければ、その傲慢(ごうまん)さによって己に従うことになります。
自らの未熟と無知と無力を知れば、その謙虚さによって真(真我)に従うことになるのです。
真こそが、無為(むい)によって自分の方法を導くことができるのです。
真の行為は無為となるのです。
自分を知ることによって、自分にとっての最善を知ることができます。
知らないがために、あれこれと作為を必要とするのです。
知っていれば、無為を行うことができるのです。
余計なことを考える必要はありません。
余計なことを行う必要もないのです。
どうすることも出来ないことに出会ったとしても、あなたは何かをする必要はありません。
自分を知ることだけに専念するのです。
どうにかしようと作為する必要はありません。
知れば、自然に行っているものなのです。
作為は必要ではありません。
知ることを大切にしましょう。
無為を行うことによって、問題を解決しましょう。
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