重要なのは、目的を見失わないことです。
どのような道を進むにしても、その道を進むのは目的があるからです。
目的もなく道を進むことはできません。
すべての道が目的によって生じます。
道があって、目的が生じるのではありません。
あなたの目的が、あなたの後に道を生むのです。
道はあなたの軌跡(きせき)です。
用意された道など存在しないのです。
あなたが目的を見失わない限り、道が途切れることはありません。
道とは目的であるということを覚えておきましょう。
すべての人が道を進まなければなりませんが、多くの人が道を見失っています。
それは、目的を見失ってるためです。
道が途切れるには二つの条件があります。
一つは、目的を見失うことで、もう一つは道を変更することです。
道を変更するというのは、新たな目的を見出すことによって、今までの道を諦め、新たな道を築くということなのです。
これは、目的も道も見失ってはいない状態です。
人生においては、好ましい状態であるといえるでしょう。
しかしながら、多くの人はこのような状態にはありません。
多くの人は目的を見失うことによって、道が途切れている状態なのです。
目的を見失い、道が途切れてる状態の人は、無益なことを続けます。
目的を見失った状態で行う選択は有益には働かず、必ず問題を引き起こすのです。
人にとって有益な行いとは、成長することです。
成長する以上に有益なことなど存在しません。
人にとっての無益な行いとは、成長しないことなのです。
人が成長するためには、苦しむ必要があります。
苦しむことによって漸(ようや)く、自らの誤解と矛盾に気が付くことができるのです。
人が苦しむことがなければ、自らの誤解と矛盾に気が付くことはないのです。
苦しみがなければ、誤解と矛盾を抱えた状態が最善だと思い込んでしまうのです。
多くの人は、誤解と矛盾を抱えているために、苦しみの価値を知りません。
多くの人は、苦しみを拒絶するのです。
それは、無益な行いであるのです。
本来ならば、苦しんでいる時にこそ目的を見出し、道が築かれます。
しかし、多くの人は、苦しんでいる時に目的を見失い、道を途切れさせているのです。
誤解と矛盾を抱えているために、最善を最悪と置き換えているのです。
多くの人は、安楽の時に目的を見出し、道を築いていると思い込んでいるのです。
そのため、苦しみを嫌い、安楽を好むのです。
晴天が続けば、大地は乾き、植物は枯れてしまいます。
安楽を好む人の人生は、このようなものです。
そこには、中身の無い希望的観測が太々(ふてぶて)しく横たわっているのです。
人生を豊かなものにするためには、風雨が必要なのです。
風雨によって空は陰り、大地には多くの傷痕(きずあと)を残します。
しかしながら、同時に大地は潤っているのです。
風雨がなければ大地が潤わないように、苦しみによって人生が豊かさを得るのです。
苦しみは、目的を見失わないための助けです。
安楽に入り浸(びた)れば、あなたは目的を見失うでしょう。
重要なのは、目的を見失わないことです。
苦しみを敵としてはなりません。
苦しみの助けがなければ、あなたは目的を見失い、道は途切れてしまうのです。
それは、安楽の中で目的を見失わないほど、あなたは強くないからです。
あなたは未熟なのです。
安楽を選べるほど、強くはないのです。
目の前に問題が生じ、それを苦しむ時には、その苦しみが目的を見出す手助けをしているということを思い出しましょう。
苦しみから逃れるということは、手助けを否定するということなのです。
どうするべきかは、あなたが決めれば良いことです。
あなたが目的を見失ったから苦しみが手助けをしているということを覚えておきましょう。
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