人生は、あなたのものです。
	あなたは自分の人生を生きているのです。
	あなたは誰かの人生を生きているのではありません。
	人生は、あなたに任せられているのです。
	あなたは、自由に選択することができます。
	あなたは、生きたいように生きれば良いのです。
	やりたいことをやれば良いのです。
	やりたくないことを、我慢しながら続ける必要はありません。
	もちろん、やりたいと思い始めたことであれば、何があっても諦めてはなりません。
	しかし、やりたいとも思わないことを続ける必要はないということなのです。
	あなたは人生を好きに生きるべきなのです。
	それが最善なのです。
	多くの人は、自分の人生を生きてはいません。
	多くの人は、これが自分の人生であるという自覚を持たないのです。
	これが自分の人生であるという自覚を持たないが故(ゆえ)に、選択を蔑(ないがし)ろにするのです。
	それは、生きたいように生きるという選択の放棄であるのです。
	多くの人は、やりたくないことを我慢しながら続けています。
	多くの人は、生活のため、金銭のため、家族のため・・・
	このような言い訳によって矛盾を抱えているのです。
	生活のため、金銭のため、家族のためなど、自分以外の何かのために生きたところで、満足することなどできないのです。
	誰もが、自分の人生を生きなければ満たされないのです。
	自分の生き方を美化し、正当化したところで、納得することはできません。
	そのような生き方には、必ず後悔が導かれるのです。
	残念ながら、多くの人が自分の人生を生きてはいません。
	誰にでも、やりたいことはあるのです。
	すべての人物が目的を以て生まれているのです。
	やりたいことがないはずがないのです。
	自分に嘘を吐いていく過程で見失ってしまったのです。
	すべての人は、他者によって抑制されます。
	それは、親であったかもしれません。
	それは、兄弟であったかもしれません。
	それは、友人であったかもしれません。
	それは、常識であったかもしれません。
	それは、教育であったかもしれません。
	それは、自分自身であったかもしれないのです。
	あなたは、様々な他者からの抑制を受けているのです。
	その結果、やりたいことを見失い、どのような人生を生きたいのか?ということを見失うのです。
	あなたの人生の最善は、あなたにしか分かりません。
	あなたのやりたいこと、あなたの生きたい人生は、あなたしか知り得ないのです。
	どのような人物も、あなたの人生を知らないのです。
	そのため、他者に求めても無駄です。
	もちろん、自分自身に求めても、その答えは得られません。
	なぜなら、あなたが自分だと思い込んでいる存在は、自我意識に他ならないからです。
	やりたいことも分からず、生きたいようにも生きられない存在は、あなたではないのです。
	やりたいことを見据(みす)え、生きたいように生きているのがあなたなのです。
	あなたは自分を知りません。
	自分でさえ、信用することはできないのです。
	あなたは自分を信用してはなりません。
	そして、他者を信用してはなりません。
	誰かがあなたにどのような言葉を投げ掛けようとも、あなたは自分の人生から目を離してはなりません。
	他者や自分(自我意識)がどのような言葉を投げ掛けようとも、それを信用する必要はないのです。
	前向きな言葉も信用する必要はありません。
	結果がどのようなものになっても良いのです。
	あなたがやりたいことをやり、生きたいように生きたことに価値があるのです。
	やりたくないことを我慢して続け、それで生き長らえたところで、そのような人生に価値を見出すことはできないのです。
	そのような人生には満足することができないのです。
	あなたは、純粋にやりたいと思うことを大切にしましょう。
	純粋に生きたいと思う人生を生きるのです。
	誰が何と言おうとも、好きなように生きてみましょう。
	しかしながら、好きに生きることには責任が生じます。
	好きに生きるのであれば、決して諦めてはなりません。
	そして、決して逃げてはなりません。
	好きなように生きるのです。
	
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