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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2017年3月15日水曜日

命の使い方

多くの人は、生きることに価値を見出しています。
多くの人にとっては、生きることに価値を見出すことは正しいのです。
多くの人は生きることに幸福を感じているのです。
あなたが、生きることに幸福を感じているのであれば、その道を進めば良いでしょう。
それは、正しい道です。
しかしながら、生きることに価値を見出すことができない人もいます。
生きることに価値を見出すことができない人にとっては、その道が正しいのです。
誰もが、自分にとって正しい道を進めば良いのです。
自分にとっての正しい道とは、真(本心)が求める生き方のことです。
感情に従う生き方のことではありません。
それは、理性に従う生き方のことなのです。
人は、感情に従って生きています。
人は、誰かや何かの影響に従うように生きているのです。
人は、無意識の内に同調圧力に従っています。
しかしながら、多くの人が感情に従っているために、それが同調圧力であるということに気が付きません。
同調圧力に従う生き方が、真の求める生き方だと思い込んでいるのです。
同調圧力に従うことによって、あなたは真の生き方を見失います。
あなたの人生の目的は、誰かと同じものではないのです。
似ているところは多々あるでしょうが、同じではありません。
あなたはあなたの目的を果たさなければならないのです。
そのためには、感情に従う生き方に疑いを抱き、見失っている理性に従う生き方を確立しなければならないのです。
生きるということは、感情に従う行為です。
多くの人は、周囲の人達がそうしているように、延命に重きを置いています。
自分の目的ではないことに労力を費やし、時間を無駄にしています。
あなたの使命と、他者の使命は異なります。
あなたの命は、何のために使われるべきなのでしょうか?
その答えを知るためには、生き方を見詰(みつ)めることです。
人は、自らの生き方を見詰めることによって、命が何に使われているのかを知ることができるのです。
命が何に使われているのかを知れば、自らの生き方を評価することができるのです。
あなたは、自らの命の使い方を見詰めてみましょう。
あなたは人生に満足していますか?
満足している人は、そのまま進みましょう。
もしも、満足することができないというのであれば、道を再考する時期が来ているのです。
あなたは常に自らの生き方を審査しなければならないのです。
生きることを考えるのは、人生の表層です。
生き方を考えるのは、人生の深層なのです。
現状に満足することができなければ、人生を少しだけ深く見詰める必要があるのです。
生き方に価値があるということを知りましょう。
それは、鉄の質に価値があるのと同じなのです。
鉄が錆(さ)びているのであれば、どれだけ塗装(とそう)しようとも、新たな錆によって塗装は剥がれ落ちてしまうのです。
表明を磨いたとしても、錆は浮いて出るのです。
錆によって鉄は滅びます。
大切なのは、錆に負けない鉄であるのです。
生きることは塗料です。
生き方は鉄なのです。
同調圧力に従い、真が求める生き方を手放すのであれば、良い鉄とは呼べません。
それは、すぐに錆を抱え、滅びに向かうのです。
真が求める生き方を行うのであれば、それは良い鉄でしょう。
それは、錆びることもなく、自らの役割を果たすのです。
生き方が疎(おろそ)かであるために、大量の塗料を必要とするのです。
大量の塗料とは、生きることへの執着のことです。
真の生き方をしている人には、生きることへの執着よりも、目的を果たすことへの執着が勝るでしょう。
それは、死を超越する生き方なのです。
あなたは死を恐れていますか?
人生には、死よりも大切なものがあるはずです。
それを見付けられた時、あなたの人生は良いものとなるでしょう。

2 件のコメント:

  1. 偶然にも、家族を残して死ぬことは怖いなと考えていたところでした。私はまだ子どもたちにしてあげなきゃならないことがたくさんあります。だから死を恐れるのでしょうね。

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    1. 匿名さんへ
      わたし達は、誰かに何かを施しているようでも、実は何もしていないのだと思います。
      人生はそれぞれのものであり、自分自身で行っているものです。
      子どもは無力に見えますが、それでも自力によって人生を選択しています。
      誰がいてもいなくても、人生が変わることはありません。
      わたしにも家族がいますが、わたしがいてもいなくても、彼等には影響がありません。
      しかし、それを影響と考えることはあるかもしれませんが、それは各自の事柄なのです。
      親がいてもいなくても、子どもは人生を豊かに選択することもできるのです。
      死を恐れることによって、人は無意識の内に他者に依存します。
      他者に依存することによって、人は無意識の内に死を恐れることに捕らわれるのです。
      自分自身の人生と、他者の人生を分別し、尊重することによって執着心も薄まるでしょう。
      子どもを信用することによって、無意識の内に子どもに何かを施さなければならないという執着心を手放し、子どもが自由に人生を選択する手助けができるのだと思います。

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