すべての人には、個性の道があります。
	それは、自分のための道であり、それは、他者のための道でもあります。
	個は全体と等しいのです。
	個を失えば全体を失います。
	そして、全体を失えば、個を失うのです。
	すべての人には役割が与えられています。
	人は、役割を果たすために生まれたのです。
	すべての人の人生には意味があり、その意味を見出すことが求められているのです。
	あなたが人生の意味を見出すためには、個性を見出す必要があります。
	自分が何者であるのか?ということを知らなければ、人生の意味を見出すことはできないのです。
	あなたは何者ですか?
	あなたの担っている役割とはどのようなものでしょうか?
	多くの人は、個性の道を知りません。
	多くの人が個性を埋没させることによって、人生の意味を遠ざけるのです。
	それは、気楽であるからです。
	人生の意味を考えずに済めば、苦悩は薄まるのです。
	人生の意味を考えるということは、誰にとっても苦悩と向き合うことになるのです。
	個性の道を行くことは独立の道であり、培った結束を解かなければならないのです。
	多くの人は、無個性という状態で結束しています。
	それは、自分で考える必要がないために気楽です。
	従うことは、気楽だとする考え方があるのです。
	それは、未熟な考え方です。
	親に甘えている子どものようなものなのです。
	親の庇護(ひご)に守られている子どもは、その環境が気楽であるために追従(ついじゅう)するようになるのです。
	親の指示に従わなければ、気楽な環境を損なうことを知れば、そのような危険を冒すこともないのです。
	人は恐怖に根差し、安楽を求めます。
	個性の道を断てば、恐怖に会うこともなく、安楽を失わずにも済むのです。
	そのように考えるのです。
	多くの人は、気楽な環境を好みます。
	しかしながら、気楽な環境は滅びの道です。
	個性を育まなければ、個は力を失うのです。
	個が力を失えば、全体は滅びるのです。
	多くの人の選択する無個性の道は、自分を守っているように見えて、その実は滅ぼしているのです。
	個性とは、自然です。
	無個性とは不自然なのです。
	人は、それぞれの個性を発揮することによって初めて、誰かや何かに貢献することができます。
	何かに追従するだけの無力な者に、何が出来るというのでしょうか?
	あなたは個性を育まなければなりません。
	我が道を行くのです。
	心配しなくても、それで利己的な結果を招くことはありません。
	個性を生かすことによって初めて貢献することができるのです。
	我が道を行く者は、貢献することができるのです。
	貢献する者が利己的であるはずがないのです。
	あなたが誰かや何かに貢献したいと考えているのであれば、個性を大切にしなければなりません。
	多くの人は同調圧力に屈しているのです。
	誰一人として理解者が現れることがなくても、それがあなたの個性の道であるのならば突き進みましょう。
	その時点で理解者が現れなくても、個性の道を進む者は必ず輝きを放ちます。
	その輝きが誰かや何かに貢献するのです。
	主役はあなたです。
	あなたの抱える問題は、あなたが自力で解決するのです。
	これはあなたの人生なのです。
	他者が介入することができるようなものではないのです。
	誰もあなたを助けることはできません。
	個性という自然の力を失った者には、豊かさを導くことはできません。
	無個性とは、別の個性のことであり、それは不自然な力なのです。
	不自然は乏しさを導くのです。
	個性の道は、決して気楽なものではありません。
	そこには、多くの困難が存在し、多くの苦悩を受けるでしょう。
	しかしながら、そこには必ず喜びが導かれるのです。
	無個性の道には、気楽が存在します。
	そこには、困難も苦悩も存在しません。
	しかしながら、そこには必ず虚しさが導かれるのです。
	自然は不自然に勝ります。
	個性は無個性に勝るということを覚えておきましょう。
	誰もがいつかは、個性を育むようになるでしょう。
	
0 件のコメント:
コメントを投稿