あなたは、何を得るにしても、何を失うにしても、人格の向上を実現しなければなりません。
人生の目的は成長です。
それは、人格の向上を指しているのです。
人格とは、人柄のことであり、それは美しい器です。
あなたは、様々な体験を通じて、自らを磨く必要があるのです。
すべての体験は、自らを磨くために導かれます。
あなたが自らの人格を向上させるためにすべてを体験しているのです。
すべての体験が、あなたの人格を向上させるための手助けです。
すべての体験は、それ以外の目的を持たないのです。
あなたは、すべての体験が自らの人格を向上させるために導かれているということを理解しましょう。
何を得るにしても、何を失うにしても、人格の向上を実現することができるのです。
人生において、人格の向上以上に大切な目的はありません。
なぜなら、この人生は、あなたに相応しく導かれるからです。
多くの人は、そのことを理解しません。
そのため、自分の人格に対して相応しくないものを要求するのです。
例えば、熱意の無い者が幸福を求めています。
あなたは、熱意の無い者を幸福にする方法を知っていますか?
周囲の人にも聞いてみましょう。
そうすれば、誰一人として、熱意の無い者を幸福にする方法を知らないということを知るでしょう。
それは、そのような方法が存在しないからです。
本人に熱意が無い状態であっては、それに相応しい状況が導かれるのです。
本人に熱意が無いのに、幸福が導かれるということはないのです。
どのような状況が導かれようとも、それを無下(むげ)にするのは本人なのです。
あなたのどのような助言も、熱意の無い者には届きません。
あなたのどのような助力も、熱意の無い者には意味を成さないのです。
自分で歩こうとしない者を歩かせることはできません。
あなたは、自分で歩こうとしない他者を連れて行くことはできないのです。
自分で歩こうとしない者は地面に伏せて動きません。
それが、相応しいからです。
自分で歩こうとする者は、目的地へと向かいます。
それが、相応しいのです。
これは、当然のことですが、多くの人がこのことを理解しません。
人生には、思い掛け無いことが起こります。
何を得るにしても、何を失うにしても、それはあなたの理想に反することなのです。
多くの人は、理想に反する状況を得ても、それを失っても熱意を手放します。
本来ならば、すべての状況があなたの人格を磨くための最善なのです。
しかしながら、そのことを理解することができないのです。
状況が理想に反する時には、誰もが幼い子どものように不貞腐(ふてくさ)れます。
それは、器に収まらないからです。
器に収まらないのであれば、器を広げるしかありません。
残念ながら、状況は常に理想に反します。
そのために、あなたはいつも嘆(なげ)いているのです。
すべてが、人格の向上のために導かれているということを理解しましょう。
人格の向上を実現するということは、今までとは異なる対応をしなければならないということなのです。
同じ対応をしているのであれば、人格が変化することはないのです。
多くの人は、何を得るにしても、何を失うにしても嘆きます。
不満や不安によって対応するのです。
人格が向上すれば、美しい対応ができるようになります。
それは、嘆きを感謝に変えるようなものなのです。
人生は、あなたに人格の向上だけを望んでいます。
それ以外のことは望みません。
人生は、あなたの成長を喜ぶのです。
人格が向上すれば、それに相応しい状況が導かれます。
人生の原因は、自分自身の人格であるということを理解しましょう。
原因に相応しい結果が導かれるのです。
良いものを求めるのではなく、自分自身を変えましょう。
そうすれば、求めなくても良いものが得られるのです。
良いものを求めても、それが自分に相応しくなければ得られません。
誰もあなたに与えることはできないのです。
あなたは自らを改めることによって、人生を改めましょう。