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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2017年8月31日木曜日

美しい器

あなたは、何を得るにしても、何を失うにしても、人格の向上を実現しなければなりません。
人生の目的は成長です。
それは、人格の向上を指しているのです。
人格とは、人柄のことであり、それは美しい器です。
あなたは、様々な体験を通じて、自らを磨く必要があるのです。
すべての体験は、自らを磨くために導かれます。
あなたが自らの人格を向上させるためにすべてを体験しているのです。
すべての体験が、あなたの人格を向上させるための手助けです。
すべての体験は、それ以外の目的を持たないのです。
あなたは、すべての体験が自らの人格を向上させるために導かれているということを理解しましょう。
何を得るにしても、何を失うにしても、人格の向上を実現することができるのです。
人生において、人格の向上以上に大切な目的はありません。
なぜなら、この人生は、あなたに相応しく導かれるからです。
多くの人は、そのことを理解しません。
そのため、自分の人格に対して相応しくないものを要求するのです。
例えば、熱意の無い者が幸福を求めています。
あなたは、熱意の無い者を幸福にする方法を知っていますか?
周囲の人にも聞いてみましょう。
そうすれば、誰一人として、熱意の無い者を幸福にする方法を知らないということを知るでしょう。
それは、そのような方法が存在しないからです。
本人に熱意が無い状態であっては、それに相応しい状況が導かれるのです。
本人に熱意が無いのに、幸福が導かれるということはないのです。
どのような状況が導かれようとも、それを無下(むげ)にするのは本人なのです。
あなたのどのような助言も、熱意の無い者には届きません。
あなたのどのような助力も、熱意の無い者には意味を成さないのです。
自分で歩こうとしない者を歩かせることはできません。
あなたは、自分で歩こうとしない他者を連れて行くことはできないのです。
自分で歩こうとしない者は地面に伏せて動きません。
それが、相応しいからです。
自分で歩こうとする者は、目的地へと向かいます。
それが、相応しいのです。
これは、当然のことですが、多くの人がこのことを理解しません。
人生には、思い掛け無いことが起こります。
何を得るにしても、何を失うにしても、それはあなたの理想に反することなのです。
多くの人は、理想に反する状況を得ても、それを失っても熱意を手放します。
本来ならば、すべての状況があなたの人格を磨くための最善なのです。
しかしながら、そのことを理解することができないのです。
状況が理想に反する時には、誰もが幼い子どものように不貞腐(ふてくさ)れます。
それは、器に収まらないからです。
器に収まらないのであれば、器を広げるしかありません。
残念ながら、状況は常に理想に反します。
そのために、あなたはいつも嘆(なげ)いているのです。
すべてが、人格の向上のために導かれているということを理解しましょう。
人格の向上を実現するということは、今までとは異なる対応をしなければならないということなのです。
同じ対応をしているのであれば、人格が変化することはないのです。
多くの人は、何を得るにしても、何を失うにしても嘆きます。
不満や不安によって対応するのです。
人格が向上すれば、美しい対応ができるようになります。
それは、嘆きを感謝に変えるようなものなのです。
人生は、あなたに人格の向上だけを望んでいます。
それ以外のことは望みません。
人生は、あなたの成長を喜ぶのです。
人格が向上すれば、それに相応しい状況が導かれます。
人生の原因は、自分自身の人格であるということを理解しましょう。
原因に相応しい結果が導かれるのです。
良いものを求めるのではなく、自分自身を変えましょう。
そうすれば、求めなくても良いものが得られるのです。
良いものを求めても、それが自分に相応しくなければ得られません。
誰もあなたに与えることはできないのです。
あなたは自らを改めることによって、人生を改めましょう。

2017年8月30日水曜日

調和と豊かさ

すべての人は、豊かさを求めています。
しかしながら、その行為は乏しさを引き寄せます。
多くの人は、矛盾を抱えているのです。
理想と現実の間に大きな矛盾を抱えているのが現状なのです。
すべての人が豊かさを求めていますが、その多くが乏しさを引き寄せる選択をしているのです。
豊かさとは、調和によって実現する循環のことです。
滞(とどこお)りが生じれば、豊かさは実現しません。
乏しさとは、不調和によって実現する停滞のことです。
それは、争いによって引き起こされるものなのです。
豊かさを求めている人の多くは、争いを選択しているのです。
豊かさを実現するためには調和を必要とします。
調和を実現するためには、争う訳にはいかないのです。
しかしながら、多くの人が争っているのが現状なのです。
あなたも豊かさを求めているはずです。
豊かさを求めているあなたは、争いを抱えてはいませんか?
不満や文句を吐いて生活してはいませんか?
争いとは、他者との間の揉(も)め事のことだけをいうのではありません。
自分自身の心の葛藤(かっとう)ですら、争いであるのです。
不満や文句によって心を満たしておきながら、わたしは誰とも争ってはいないと主張したところで、それは偽りであるということを知らなければなりません。
あなたは人生と、状況と、自分自身の心と敵対し、争っているのです。
他者であろうが、自分自身であろうが、その他の何かであろうが、敵を作れば争いです。
争いは分断を招きます。
それは、調和を滞らせてしまうのです。
それでは、豊かさを実現することはできないのです。
あなたは、争ってはなりません。
争えば、必ず乏しくなります。
多くの人は、争うことによって豊かさを得られると思い込んでいます。
争いによって得られるのは、一時的な、それも利己的な利益だけなのです。
それは、一時的にあなたに利益(と思われるもの)をもたらしますが、後にそれが負債でしかなかったことを知るでしょう。
この世界における豊かさの理(ことわり)は調和なのです。
そのため、調和を求めない者には豊かさは導かれないのです。
人は、その愚かさ故(ゆえ)に安易に争います。
人は、その浅はかさ故に奪い合うのです。
不調和によって豊かさを実現したこれまでに人はいません。
それは、これからもいないのです。
例えば、自然環境を破壊して、豊かに生きることのできる人間が存在するでしょうか?
それが不可能なことは、誰にでも理解することのできる簡単なことなのです。
あなたが不調和によって得られる豊かさがあるでしょうか?
それが存在しないということは、想像に容易(たやす)いことなのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、争いを選択してはなりません。
どうすれば自分の利益に繋がるか?ということではなく、どうすれば互いの利益に繋がるか?ということを考えましょう。
取り分が半分になったとしても、互いで分け合った方が後の利益に繋がるということを理解しましょう。
相手から利益を奪うことによって絶交するよりも、少ない利益を分け与えることを続ける方が、結果的には多くの利益を得ることができるのです。
これは誰にでも理解することができることなのです。
争ったとしても、良いことなど何もありません。
争えば、互いの消耗が導かれるだけなのです。
責任や信頼を放棄して得られるものに、どのような価値があるというのでしょうか?
利己的に生きたところで、価値のあるものは手に入りません。
思慮(しりょ)を深くしましょう。
そうすれば、争うことが価値を生み出さないということに気が付くでしょう。
小さなことに執着せず、大きな視野と器によって生きましょう。
あなたは自らの選択を改めなければなりません。
争いを手放すことなく、乏しさを手放すことはできません。
あなたの抱えている問題の本質は、自らの闘争心にあるということを理解しましょう。
争うことをやめれば、問題は解決します。
大切なのは、実践することです。
争わずに生きましょう。

2017年8月29日火曜日

失敗の数

あなたは、自らの人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人の人生には、目的が存在しているのです。
あなたは、自らの人生の目的を果たすために生まれたのです。
もしも、人生に目的が存在しなければ、人生は意味の無いものになってしまうでしょう。
意味の無い人生などありません。
それは、目的の無い人生は存在しないということなのです。
すべての人生に目的が存在しているということを覚えておかなければなりません。
しかしながら、あなたには、自らの人生の目的を知ることは難しいのです。
すべての人生には目的が存在しますが、それを知ることのできる人はいません。
人に許されているのは、目的の推測(すいそく)だけだからです。
人生に目的は存在しますが、それを理解することはできないのです。
なぜなら、それは、人生を終えるまでは理解することができないからです。
終わりを見ずに導く結論は、推測の域を脱することはできません。
結論とは、終わりを見た者にしか導くことができないのです。
そのため、すべての目的は推測にとどまるのです。
あなたは、人生の目的を探し続けなければなりません。
何が目的であるのかを知ることができないのだから、探し続ける必要があるのです。
しかしながら、多くの人は人生の目的を探すことをしません。
探す人があっても、自分勝手な推測を信じて疑わないのです。
人生の目的を探さない人も、自分勝手な推測を目的と信じて疑わない人も、共に停滞するのです。
停滞する者には、人生の目的を果たすことはできません。
それは、何が正解であるのか?ということを知ることができないからです。
間違った目的のために尽力したとしても、人生の目的を果たしたことにはなりません。
そのため、あなたは常に人生の目的を探し続ける必要があるのです。
探し続けるためには、試し続ける必要があります。
あなたは変化を続けましょう。
そして、自らの人生に適合する目的を探し続けるのです。
しかしながら、多くの人は変化を嫌います。
多くの人は、腰が重たいのです。
そのような者には人生の目的を見付けることはできません。
それは、乏しい人生を生きることになるということなのです。
腰の重たい者には、何も成すことができません。
変化を嫌う者には、知恵が導かれないからです。
人が知恵を得るためには、行動しなければなりません。
行動することによって、失敗を学ぶのです。
人は、失敗によって成功の方法を学ぶのです。
行動すれば必ず失敗します。
すべての人は、失敗を避けることができません。
それは、すべての人が未熟であるからです。
あなたは、失敗を重ねなければなりません。
そのためには、行動を積み重ねる必要があるのです。
失敗の数だけ知恵が増します。
そのため、あなたは行動してみなければならないのです。
行動してみなければ、何も理解することができません。
多くの人が言い訳をして、今できることを先延ばしにしています。
今できることを先延ばしにする程に、知恵を得ることも先延ばしにしているのです。
それは、知恵の乏しい状態で時を過ごすということです。
知恵の乏しい者の行為は、愚かな結果を導くのです。
行動しない者は乏しさを得ます。
時間は無限ではないのです。
時間を無駄に過ごす者には、豊かさが導かれることはないのです。
失敗を恐れてはなりません。
失敗を恐れていれば、行動を恐れます。
失敗は決して悪いものではありません。
人は失敗によってのみ、知恵を得ることができるのです。
あなたが豊かな人生を望むのであれば、失敗を恐れずに行動しましょう。
やりたいことをするのです。
今できることをするのです。
それが、人生を豊かにする唯一の方法です。
そして、人生の目的を果たすための道なのです。

2017年8月28日月曜日

美しい仕事

すべての人は、豊かな人生を生きる権利を所有します。
誰もが、人生を豊かに生きることが許されているのです。
あなたも、豊かな人生を生きることができます。
すべての人が、豊かな人生を生きることができるのです。
しかしながら、多くの人は乏しい人生を生きているのが現状です。
多くの人は満足することができず、文句を吐いて生活しているのです。
豊かな人生とは、満足し、感謝することのできる人生のことです。
それは、状況や環境には起源しません。
どのような状況であったとしても、そこに満足と感謝があれば、それは豊かな人生となるのです。
多くの人が乏しい人生を生きているのは、満足と感謝を見失い、不満と文句を吐いているためなのです。
原因は常に自分自身にあり、それは相応しい結果を導くのです。
人は、自らの行うような人生を生きるのです。
すべての人が豊かに生きる権利を得ていますが、多くの人がそれを拒否しています。
人生とは、自らの選択の通りに成るということを覚えておきましょう。
あなたが人生に乏しさを感じているのであれば、それは不満と文句を吐いているからです。
人生は、その通りに実現するのです。
あなたが豊かな人生を求めるのであれば、不満と文句に気を付けましょう。
不満と文句を安易に用いてはならないのです。
それは、仕事を粗末なものにしてしまうからです。
豊かな人生を生きるためには、良い仕事を納めなければなりません。
良い仕事とは、美しく収まる仕事のことです。
美しさとは、収まりが良いということです。
美しさとは、調和の中に実現するものなのです。
そのため、あなたが良い仕事を納めようとすれば、美しさを求めるはずなのです。
しかしながら、多くの人は美しさを追求することをしません。
小手先の仕事によって、浅はかにも未熟な仕事を納めるのです。
未熟な仕事には、美しさがありません。
それは、収まりが悪いのです。
収まりが悪ければ、そこには不調和が導かれます。
不調和によっては、問題が生じるのです。
問題が生じている状態を豊かさとは言えません。
大切なのは、美しい仕事を納めることなのです。
あなたは、美しさを求めなければなりません。
怠慢(たいまん)や傲慢(ごうまん)によって行う仕事が、美しさを得ることはありません。
不満や文句を吐いている者が、どうして美しい仕事を納めることができるでしょう?
そのような者の態度には、美しさが備わりません。
美しさを持たない者の仕事は、美しくないのです。
あなたは、不平不満を抱える者の仕事を見たことがあるでしょう。
そこに責任感は無く、投げ遣りな態度によって事に当たることしかできないのです。
いい加減な仕事を納める者には、それに相応しい報酬(ほうしゅう)が支払われます。
粗悪なものは売れ残り、負債を抱えることになるのです。
いい加減な仕事をする程に、あなたは負債を抱えることになります。
負債とは足枷(あしかせ)です。
それは、乏しさを導きます。
実力には限界があり、完璧な仕事を納めることはできません。
しかしながら、実力の範囲内で最善を尽くし、できる限り美しい仕事に仕上げる努力は行えるのです。
美しい仕事とは、努力の結晶です。
美しい仕事を納めるためには、努力が必要です。
知識も技術も必要です。
そして、何よりも意欲が必要なのです。
美しい仕事を納めることは簡単ではありません。
そのため、あなたは努め励まなければならないのです。
美しい仕事のために努めましょう。
何度もやり直しましょう。
そうやって、美しさに到達するのです。
美しい仕事とは、美しく収まります。
それは調和の中にこそ存在するのです。

2017年8月27日日曜日

必要な道具

あなたは、欲するものすべてを手にすることはできません。
あなたが手にすることのできるものは、あなたにとっての必要だけです。
あなたは、自分に必要のないものを手にすることはできません。
あなたは、自分に相応しいものを手にするのです。
不要なものを手にすることはできません。
どのように努めても、相応しくないものを手にすることは叶わないのです。
この場所は、一つのものが分裂した世界です。
全体は個に分かれました。
役割はそれぞれに分担されたのです。
あなたには、あなたに相応しい役割が与えられています。
あなたには、自らの役割を超えた働きは許されません。
あなたには、自らの役割の範囲での働きが許されているのです。
そのため、あなたが欲して手にすることのできるものは、自らの役割の範囲内のものに限定されます。
役割の範囲を超えた何かを手にする必要がないのです。
人は、自らの役割を果たすために生まれたのです。
役割に関係のないものを手にしたとしても、それに価値を見出すことはないのです。
あなたが本当に求めているものは、自らの役割に相応しいものだけです。
自らの役割に相応しくないものを手に入れたとしても、それはすぐに失われてしまいます。
そして、それに価値がないことに気が付くのです。
大工が漁師の道具を必要としないように、あなたには必要と不要があるのです。
大切なのは、仕事を果たすことです。
大工は、大工道具によって仕事を果たします。
漁師は、漁具(ぎょぐ)によって仕事を果たすのです。
あなたにとって必要なものとは、他者にとっての必要なものとは異なります。
あなたは、自分にとって必要なものを求めなければなりません。
そのためには、冷静に判断する必要があるのです。
多くの人は、自分にとって必要ではないものを求めています。
大工も漁具に憧れを抱くのです。
漁師も大工道具を欲しがるのです。
しかしながら、それでは仕事がはかどりません。
それぞれの仕事には、それぞれの仕事に相応しい道具が存在するのです。
あなたは、自分が何者であるのか?ということを考えなければなりません。
自分が何者であるのか?ということを知らなければ、何が必要であり、何が相応しいのかを知ることもできないからです。
磁石は鉄を得ることができます。
しかし、茨(いばら)を得ることはできません。
茨を得るのは布なのです。
しかし、布は鉄を得ることはできません。
それぞれには、それぞれの特性が備わります。
あなたには、あなただけの特別な役割が与えられているのです。
そのため、あなたが他者を羨(うらや)んで、自らの仕事に必要ではない道具を欲してはならないのです。
あなたが手にすることが許されているのは、その仕事(役割)に相応しいものだけです。
多くの人は、自らの役割を超えて欲しがるのです。
強欲は身を滅ぼします。
強欲に根差して、身を立てる者は無いのです。
磁石は鉄を欲し、布は茨を欲する必要があるのです。
何もかもを欲しがったところで、仕事の邪魔になるだけです。
あなたは強欲に注意しなければなりません。
必要でないものを無闇矢鱈(むやみやたら)に欲しがってはなりません。
あなたは自分が何者であり、何のために生まれたのか?ということを考えましょう。
そうすれば、自らが欲しているそれが、必要か不要かということを知ることもできるでしょう。
必要のないものを求め続けていれば、本当に必要なものを見失います。
あなたは、何もかもを手にする必要はありません。
欲望が実現すれば良いということでもないのです。
大切なのは、人生を考えることです。
あなたには、特別な役割が与えられています。
それを見失ってはなりません。
自分に相応しいものを見極めましょう。
分際を見誤ってはなりません。

2017年8月26日土曜日

思いを抱き続ける

すべての人は、生まれた理由を所有しています。
すべての人は、理由を以(もっ)て人生を歩んでいるのです。
人生に理由を持たない人はいません。
それは、人生の目的であるからです。
すべての人は、目的を果たすために生きているのです。
しかしながら、多くの人はそのことを忘れてしまいます。
多くの人が目的を見失い、理由を忘れてしまうのです。
人生において、それは最大の問題です。
人は、生まれた理由と人生の目的を見失ってはならないのです。
生まれた理由と人生の目的を見失う者は、豊かさを得ることができません。
それは、豊かさというものが、生まれた理由と人生の目的に関係しているからです。
生まれた理由と人生の目的を見失って生きる者は、暇を持て余します。
生まれた理由と人生の目的が無いということは、無気力に生きるということなのです。
生まれた理由と人生の目的を見失って生きる者は、どこへも行けないのです。
そのような者は停滞します。
することが何もなければ停滞し、停滞すればすることが何もないのです。
それは乏しさを導く結果となるのです。
豊かさは、貢献することによって導かれます。
貢献することのない者が、豊かさを得ることはできないのです。
人が誰かや何かに貢献するためには、自らの生まれた理由と人生の目的を必要とします。
意欲の無い者には、貢献することは難しいのです。
意欲は、目標によって導かれるのです。
生まれた理由と人生の目的とは、目標として現れるのです。
あなたが目標を定める時、生まれた理由と人生の目的と共にあります。
それ等を考えるとは限りませんが、目標を定め、それを実現しようとする時には、生まれた理由と人生の目的と向き合っているのです。
意欲のある者は誰かや何かのために貢献することができるでしょう。
しかしながら、意欲の無い者には、貢献することはできません。
あなたが豊かさを得るためには、意欲を抱き続ける必要があるのです。
そのためには、生まれた理由と人生の目的を考え続けなければならないのです。
それは簡単なことではありません。
生まれた理由と人生の目的に対する思いを抱き続けることは難しいのです。
なぜなら、多くの人がそれを見失ってしまうからです。
ある者は、欲望に溺れて見失います。
ある者は、恐怖に駆られて見失います。
ある者は、憤怒(ふんど)に焼かれて見失います。
ある者は、怠慢(たいまん)に委(ゆだ)ねて見失うのです。
多くの人が、これ等の状態に陥(おちい)っているのです。
あなたは、周囲の人達からの影響を受け続けています。
”普通”に過ごしていれば、生まれた理由と人生の目的を見失ってしまうのです。
あなたは、周囲の人達からの強い影響を受け続けているということを理解しましょう。
多くの人は、生まれた理由と人生の目的を見失うことによって乏しく生きています。
多くの人が苦悩を所有しているのです。
それは、意欲を失っているからです。
文句を吐くのが”普通”です。
誰かや何かが悪いのが”普通”です。
多くの人は、汚い言葉によって自らの首を絞めているのです。
意欲のある者には、汚い言葉は似合いません。
あなたは、意欲のある者が口汚く罵(ののし)るのを見たことがありますか?
汚い言葉を吐くのは、意欲の無い者だけなのです。
そのような者が豊かさを得ることはできないのです。
あなたが豊かな人生を望んでいるのであれば、生まれた理由と人生の目的を考え続けなければなりません。
しかしながら、それが難しいということを覚えておきましょう。
多くの人は、簡単に豊かさを手放します。
それは、その行為が教えているのです。
あなたは、多くの人がするように行為してはなりません。
”普通”を真似てはなりません。
思慮深(しりょぶか)くありましょう。
生まれた理由と人生の目的に対する思いを抱き続けましょう。
それを手放してはなりません。

2017年8月25日金曜日

豊かさを支える力

人生には、苦しみが付き添(そ)います。
すべての人が苦しみと共に歩まなければなりません。
この世界において、苦しみを退けることのできる者はいません。
それは、すべての人が成長する必要があるからです。
すべての人は、成長を求められています。
成長とは、すべての人に与えられた魂の義務なのです。
成長を否定することのできる者はいません。
どのような人物であろうとも、成長することを求められているのです。
あなたは、自分が成長する必要があるということを覚えておきましょう。
そして、それは豊かさのためだと理解する必要があるのです。
人が豊かさを求めるのに理由は必要ありません。
それは、魂に刻み付けられた目的なのです。
豊かさを得るのに理由は必要ではありません。
それぞれの豊かさの形は違っていますが、それぞれが豊かさを目指すのに特別な理由は必要ではないのです。
豊かさを得る理由は、豊かさを得た後に知ることができるでしょう。
理由を欲していれば、豊かさを得ることは難しいのです。
それは、豊かさを得るための実践が疎(おろそ)かになってしまうからです。
大切なのは、豊かに生きることであり、豊かさを得るための理由を探し回ることではないのです。
あなたは豊かに生きましょう。
そのためには、時間も資金も場所も必要ではありません。
あなたが豊かに生きるためには、多少の労力が必要なだけなのです。
それは、豊かに生きるための選択を実践することです。
それは、今すぐにでもできることなのです。
例えば、苦しみに対して建設的な思考を絶やさず、それが導かれた因果を探るということです。
この世界においては、導かれるすべての状況には因果が存在するのです。
豊かさには、それを実現する原因が存在しています。
豊かさの原因とは、豊かに生きるための選択の実践です。
ただ、それだけのことです。
多くの人が豊かさを実感してはいません。
多くの人が問題を抱え、それに悩みを抱き、苦しみに打ち拉(ひし)がれています。
そのような状態を豊かさとは呼びません。
豊かさとは、問題を知恵に変え、悩みを喜び、苦しみを可能性に導くという状態のことなのです。
それが、豊かさを得るための実践なのです。
すべての人に苦しみが付き添うのは、すべての人が豊かさを得るためなのです。
人は、苦しみによって豊かさを得ることができるのです。
しかしながら、多くの人はその事実を知りません。
そして、苦しみを否定はしても、それを活用することはないのです。
そのため、多くの人が乏しい人生を生きているということなのです。
この世界には、陰陽の仕組みが存在しています。
喜びには苦しみが寄り添うのです。
どちらか一方を選んで、豊かさを得ることはできません。
豊かさとは、喜びと苦しみの両方を選ぶことのできる人にだけ導かれるものなのです。
努力もせずに怠慢(たいまん)に過ごしている者が、どうやって豊かさを得るというのでしょうか?
遊びだけを選んでしまえば破産するのです。
仕事だけを選んでも同じことが言えるでしょう。
仕事と遊びを同時に選ぶことによって、豊かさが導かれるということを理解しましょう。
あなたは、苦しみの意味を考えなければなりません。
無意味に導かれるものはありません。
あなたは、苦しみの価値を見失ってはならないのです。
喜びと同時に、苦しみも大切に扱いましょう。
苦しみとは、豊かさを支える半分の力なのです。
苦しみの力がなければ、豊かさを支えることはできません。
あなたは、苦しみの力を活用しなければなりません。
与えられたものを蔑ろにしてはなりません。
自由を得るには責任を果たさなければなりません。
陰陽の一致によって豊かさが導かれ、陰陽の分離によって乏しさが導かれます。
あなたは苦しみと争うことなく、手を携(たずさ)えて歩まなければなりません。

2017年8月24日木曜日

成長と習慣

この世界に存在する一切は、成長の只中にあります。
すべての存在は成長に反することはできません。
すべての存在は、常に成長と共にあるのです。
あなたは、どのような理由があろうとも、成長を否定することはできません。
例え、成長することを否定し、それに反したとしても、そこには常に成長の助力が存在し、あなたは結果的に成長することになるのです。
成長に対する意識的な努力とは、成長を早めるための手段です。
成長に対する意識的な努力をしなくても、成長は実現します。
しかしながら、その成長は乏しいものにとどまるのです。
人生において重要なのは、成長することですが、成長に対する意識によって、その速度は左右されるのです。
成長するということは、変化するということです。
変化とは発展のことをいうのです。
すべての変化は発展です。
どのような変化も必ず成長へと繋がっているからです。
その時には発展を否定するような変化であったとしても、後にそれが発展のための変化であったことを知るのです。
それは、倒れて朽(く)ちた大樹が、新しい植物達の苗床となるようなものです。
無駄に朽ちる大樹はありません。
それと同じように、無駄な変化は存在しないのです。
その時には、破滅的に思える変化であったとしても、それは後の発展のための変化であるということなのです。
苦しみを得た者が、成長しないということはありません。
問題が生じるのは、次のより良い状況のためなのです。
人生が成長を否定することはありません。
あなたは、どのような状況からも学び、成長することができるのです。
あなたが成長を離れることはありません。
それはどこへでも付き添(そ)うのです。
成長の速度は違えど、すべての人は成長します。
それは、求められる必要が変わっていくということなのです。
人は、成長の段階によって、求められる必要が変わります。
子どもが求められることと、大人が求められることは異なります。
誰もが成長します。
そのため、誰もが違うことを求められるのです。
子どもが大人のように求められることはありません。
大人が子どものように求められることもないのです。
人生は、その人の成長段階に相応しい求めをするのです。
そして、人の仕事とは、人生からの求めに応じることなのです。
人生の求めは、その人の成長段階によって異なります。
すべての人は、少なからず成長し続けています。
それは、人生からの求めも変化し続けているということなのです。
あなたは、自分の成長段階を理解し、人生からの求めに応える必要があります。
それは、人生からの求めに応えることこそが、豊かさを導く方法であるからです。
人は、この世界に貢献する必要があります。
貢献することなく、豊かさを実現する人はいません。
あなたがこの世界に貢献するためには、自らに求められる仕事に応える必要があるのです。
仕事とは、習慣です。
あなたの仕事の出来栄えは、習慣によって決まります。
良い仕事は、良い習慣によって導かれるのです。
大人がいつまでも子どものようにはいられません。
成長に合わせて、習慣を改める必要があるのです。
あなたは自らの習慣を、より良いものに改めなければなりません。
そのために、あなたは常に自らの選択を調整する必要があるのです。
あなたは、より良い選択をしましょう。
より良い選択とは、より本質的な選択のことです。
より本質的な選択とは、より貢献することのできる選択のことなのです。
あなたは、自分が何かの役に立てる選択は無いか?と探し続けましょう。
貢献しようとする者は、成長の速度を速めることができるでしょう。
貢献しようと考えない者の成長の速度は遅くなるのです。
成長の度合によって豊かさが異なります。
この世界においては、貢献する程に豊かに有利に働きます。
そのことを覚えておきましょう。
あなたは、自らの選択が貢献に向くように努めましょう。
成長が素早く実現するように、あなたはそれ等のことを意識的に努めなければなりません。

2017年8月23日水曜日

近くを見る人

人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人が人生の目的を果たすために生きているのです。
すべての人が目的を所有します。
人生の目的を知ることは難しいですが、その道を進むことはできます。
人生の目的地への道程(みちのり)を知らなくても、あなたはそこへ向かって進まなければならないのです。
あなたが知らない目的地へと進むためには、目的地への目標を辿(たど)らなければならないのです。
どのような道を進むにしても、目的地へと向かう道程には、それを示す暗示(あんじ)が存在しているのです。
それを辿っていくことによって、人は目的地へと近付くことができるのです。
それは、地道な方法です。
一歩一歩を積み重ね、一つ一つの目標を通過しなければならないからです。
目標を通過することなく、目的地へと辿り着くことはできません。
それは、あなたが目的地を知らないからです。
理想は、あなたの目線を”遠く”へ運びます。
それは、一歩一歩を積み重ねることを否定し、一つ一つの目標を通過することを拒絶します。
人が理想に従う時には、地道な方法を嫌うのです。
多くの人が理想に従うことによって、人生の目的地に辿り着けると考えています。
それは、簡単に道を進む方法があると思い込んでいるからです。
しかしながら、そのような方法は存在しません。
あなたが尊敬する誰かは、一歩一歩を積み重ね、一つ一つの目標を通過してきたのです。
そのために、人生の道を進むことができているのです。
理想に従い、遠くを見ることによって、一歩一歩を積み重ね、一つ一つの目標を通過することを蔑(ないがし)ろにするのであれば、道を進むことができません。
そのような人物は、尊敬に値する人には成り得ないのです。
誰かに尊敬される人物とは、自らの人生の目的地に向かい、実際に歩むことができている人のことなのです。
誰かに尊敬されるというのは、結果でしかありませんが、あなたは結果的に誰かに尊敬される方が良いでしょう。
それは、あなたを尊敬する誰かの指標として役に立つことができるからです。
人は、誰かの役に立たなければならないのです。
道を進んでいる者ほど、誰かの役に立つことが許されるのです。
それは、道を進んでいなければ、誰かの役に立つことはできないということなのです。
多くの人は、そのことに気が付いていません。
誰かの役に立ちたいという意欲を持つ者は大勢いますが、意欲だけあったとしても、実際には役に立つことができません。
口先だけで、知識も技術も方法も持たない者が、どうやって誰かの役に立つというのでしょうか?
それは、不可能な話なのです。
あなたは、自らの分際を弁えなければなりません。
道を進むには、意欲だけではなりません。
実際に一歩一歩を積み重ねるための努力と、一つ一つの目標を通過するための辛抱(しんぼう)が求められるのです。
実際に行わなければ、何事も実現することはありません。
意欲とは、その時点においては幻想に過ぎないのです。
そのため、あなたは理想に従ってはなりません。
人生は、実践の場所であるということを理解しなければならないのです。
遠く(理想)を見ることも良いですが、近く(現実)を見て、目の前の問題を解決することを大切にしましょう。
近くを見るということは、問題と向き合うということです。
それは、多くの人にとっては苦しみなのです。
多くの人は、苦しむことを嫌います。
そのために、理想に従う気持ちが強くなり、目線は遠くへと向けられるようになるのです。
遠くを見ながら歩むことのできる人はいません。
足元の疎(おろそ)かな人は、必ず躓(つまず)きます。
それは、道を進むことができないということなのです。
豊かさを実現するためには、道を進む必要があります。
人生における豊かさとは、道の進み具合によって決まるのです。
目的地に近い程に、豊かさの度合いは増すのです。
そのため、あなたは道を進まなければなりません。
地道な方法を大切にしましょう。
人として、当たり前のことを忘れてはなりません。
思いやりを見失った者には、決して道を進むことはできないのです。
一歩一歩を積み重ね、一つ一つの目標を通過し、人生の目的地へと向かいましょう。

2017年8月22日火曜日

能力の贈り物

あなたは、豊かな人生を生きることが許されています。
あなたは、豊かな人生を生きることができるのです。
人生は、自分次第で形を変えます。
人生に対する豊かさも乏しさも、それは自分で決めることができるのです。
人生が初めから決まっているということはありません。
人生は、あなたの認識によって決まるのです。
豊かさも乏しさも、あなたが決めることができるのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、それを選択する必要があるのです。
自ら選択しなければ、人生が豊かさを得ることはできません。
人は、常に選ばなければならないのです。
豊かさを選ばなければ、乏しさを選んでいることになります。
人は、決断と否定によって、選択しているのです。
あなたは決断によっても、否定によっても、自らの人生の形を選択しているということを覚えておかなければならないでしょう。
すべての人が豊かさを求めます。
しかしながら、そのための選択はしていないのが現状です。
豊かさへの選択とは、能力の使用です。
人は、誰もが自分の人生を豊かなものにするための能力を授(さず)かって生まれたのです。
その能力を使用することによって、人生は豊かなものとなるのです。
しかしながら、能力を眠らせておくのであれば、人生は乏しいものとなるのです。
大切なのは、能力を使用することです。
そのためには、能力を発見しなければなりません。
大抵の人は、自分の授かった能力を知りません。
多くの人は、自分に何が出来るのかを知らないのです。
それは仕方のないことです。
それは、人が、自分が何者であるのか?を忘れてしまうからです。
能力は心の中に存在(潜在)しています。
それを引き出すためには、自分が何者であるのか?という問い掛けを続け、自分に何が出来るのか?という働き掛けを続ける必要があるのです。
あなたは、現状において出来ることをしなければなりません。
現状に対して、懸命に努めることこそが、自らの能力を使うことになるのです。
あなたは、今の自分に出来ることを続けましょう。
どのようなことでも良いのです。
出来ることを続けることが必要です。
能力には、それぞれの特色があります。
あなたには、あなただけの能力があるのです。
目の前の状況に対して努めるということは、自らの内に潜在している能力に関わるということなのです。
授かった贈り物は、丁寧に包装(ほうそう)されています。
その中身を手にするためには、包装を解く必要があるのです。
能力を扱うためには、それを扱うための段階を経なければなりません。
自分自身に対して向き合い続けることによって、人は自らの能力に触れることができるのです。
この世の道具は、使う程に劣化します。
しかしながら、能力だけは、使う程に優れていくものなのです。
そのため、あなたは自らの能力に触れなければなりません。
そして、能力を使い続けるのです。
どのような努力によっても、能力に触れることになります。
何かに努めている時、あなたは能力を使っているのです。
どのようなことでも構いません。
あなたはそれを努めましょう。
人生を豊かに生きるためには、努力を欠かすことはできません。
どのような能力(才能)も、努力に支えられているということを忘れてはなりません。
努力とは、すべての能力の基本です。
努力がなければ、どのような能力も引き出すことはできないのです。
努力の先に能力があり、能力の先に豊かさがあるということを覚えておきましょう。
あなたは、努力を怠(おこた)ってはなりません。
努力を怠らなければ、必ず能力が引き出されるでしょう。
能力を使い続けていれば、必ず豊かさへと辿り着くことができるでしょう。
あなたは、自分が豊かな人生を生きることが許されているということを忘れてはなりません。

2017年8月21日月曜日

器の許容

すべての器には、それに相応しい容量が存在します。
どのような器も、容量を超えて蓄えることはできません。
すべての器は、容量を越えれば溢れてしまうのです。
あなたは、自らの器というものを弁(わきま)えていなければなりません。
人は、自らの器を超えて何かを許容(きょよう)することはできないのです。
人は、それぞれに器を所有します。
それを分際と呼べば良いでしょう。
人は、それぞれの分際と共に生きているのです。
自らの分際を弁えることによって、人生は豊かなものとなっていくのです。
しかしながら、多くの人が自らの分際を弁えません。
多くの人は、分際を弁えずに多くを求めます。
多くの人は、欲深いのです。
自らの分際を超えて欲しがるのです。
理想とは、欲の形です。
現実とは、分際の許容範囲です。
多くの人が理想を求めています。
しかしながら、理想とは、許容を超えた欲求なのです。
許容を超えて欲すれば、それは器から溢れ出してしまいます。
器から溢れ出せば、汚れるのです。
汚れるのであれば、掃除しなければなりません。
これが問題であり、苦悩であるということを知る必要があるのです。
人生における問題や苦悩は、許容を超えて欲する強欲によってもたらされるのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければならないでしょう。
どのような胃袋も、食べ過ぎれば吐き出します。
あなたが食欲に飢えていたとしても、胃袋には限界があります。
胃袋の許容を超えて食べ続けることはできません。
食べ続ければ必ず問題と苦悩を引き起こすのです。
そのことは、誰にでも理解することのできる簡単なことです。
しかしながら、多くの人がそれを人生に当てはめて考えることができないのです。
多くの人が、より多くを所有することを求めています。
多くを所有することが安心と安全を実現すると考えているのです。
しかしながら、そのようなことにはなりません。
多過ぎる所有は、問題と苦悩を引き起こす原因となるのです。
食欲を制限することによって、人は食事を楽しむことができます。
心地好い食事を楽しむためには、胃袋の許容を超えてはならないのです。
それと同じように、豊かな人生を生きるためには、自らの器の許容を超えてはならないのです。
あなたは、自らの分際を弁えなければなりません。
抱えられる重量以上の荷物を抱えてはなりません。
必要以上に欲しがってはならないのです。
あなたは欲に溺れてはなりません。
必要以上に所有しても、豊かさは導かれないのです。
最善とは、少し足りない程度です。
満たされることは最善ではありません。
現実が満たされることはありません。
現実は、必ず少しだけ何かが足りないのです。
しかし、それで良いのです。
あなたは理想との折り合いをつけなければなりません。
器に対して目一杯に蓄えても、それを運ぶことはできません。
何事にも余裕が必要なのです。
そのことを理解しましょう。
あなたは、”まだ足りない”と思ってはなりません。
不満や不安が駆り立てても、それに従ってはなりません。
惑わされることなく、自らの分際を弁えていましょう。
理想に従ってはなりません。
何かが少し足りない現実を大切にしましょう。

2017年8月20日日曜日

道を急ぐ

すべての人は豊かさを求めます。
それは、豊かさこそが、生まれてきた意義だからです。
すべての人が豊かさを目指しているのです。
そして、多くの人は豊かさを急ぎます。
最短の距離を進めば、豊かさに辿り着けると考えているのです。
人生の目標は豊かさです。
誰もが、豊かさに辿り着く必要があります。
そのため、多くの人は豊かさを急ぐのです。
残念ながら、急いだところで豊かさに早く辿り着けるという訳ではありません。
急ぐことによっては、却(かえ)って豊かさは遠ざかるということを覚えておかなければならないでしょう。
豊かさとは、急いで辿り着けるものではありません。
豊かさへと辿り着くためには、それに必要な条件を満たしておく必要があるのです。
この世界には、逆らうことのできない理(ことわり)が存在しています。
誰も、理に反することはできません。
当然のことながら、豊かさも理の中に存在しているのです。
そのため、理に反すれば、豊かさに辿り着くことはできないのです。
社会には交通規則が存在し、それに反して目的地へと辿り着くことができないように、この世界には自然法則(理)が存在し、それに反して豊かさを得ることはできないのです。
多くの人が道を急ぎます。
それは、目的地への憧れを抱えているからです。
早く辿り着きたいと願うのです。
そこで、規則を破ります。
それは、目的地へと逸早(いちはや)く辿り着くための姑息(こそく)な方法なのです。
姑息な方法では、目的地へと辿り着くことはできません。
規則を破って先へ進もうとする者には、その行為に相応しい罰が与えられるからです。
規則を破れば、早く進んでいるように錯覚します。
しかしながら、それは幻想に過ぎません。
その時は良くても、後には足止めを食らうことになるからです。
規則を破る者は、決して早くは進めないのです。
大切なのは、規則を守って進むことです。
豊かさへと辿り着くための条件とは、理を外れないことです。
豊かさとは、理の中に存在しています。
理を外れるのであれば、豊かさへと辿り着くことはできないのです。
規則を破って足止めを食らうのは、その道が間違っているからです。
あなたが道を踏み外しているために、それを止めようとしているのです。
しかしながら、多くの人はそのことに気が付きません。
多くの人は、規則を破ってまで、豊かさを求めているのです。
どのように急いでも、理から外れて豊かさに辿り着くことはできません。
多くの人がそのことを理解しません。
理とは、思いやりのことです。
規則とは、それだけなのです。
相手のことを考えることこそが思いやりです。
相手のことを考えるのであれば、理を外れるようなことはありません。
人が理を外れる時、それは自分のことを考えている時なのです。
利己的な者は決して豊かさへと辿り着くことはできません。
利己的な者は、必ず足止めを食らうのです。
急いでは、相手のことを考える余裕がなくなります。
急(せ)いても豊かさへは辿り着けません。
あなたは落ち着いて行動しましょう。
交通規則を守らない者は、却って遅くなるのです。
事故を起こしても詰まらないのです。
思いやりを大切にしましょう。
自己の利益を追求しているようでは、豊かさへと辿り着くことはできません。
目的地へと辿り着くためには、道のりと規則を学ばなければなりません。
自分勝手に辿り着けると思い込んではなりません。
この世界には、どうにもならないことがあるのです。
あなたには、この世界の理をどうすることもできないのです。
道を急がず、思いやりを以(もっ)て確実に進みましょう。

2017年8月19日土曜日

真似事

これは、あなたの人生です。
これは、他者の人生ではありません。
あなたは、自分の人生を生きているのです。
あなたは、他者の人生を生きている訳ではありません。
自分の人生と他者の人生を混同してはなりません。
自分の人生と他者の人生を錯覚してはなりません。
人生とは、それぞれの学びであるのです。
あなたと他者の学びは異なります。
あなたが他者の学びを得ることはできません。
他者があなたの学びを得ることもできないのです。
自分の学びを否定したとしても、それを退(しりぞ)けることはできません。
他者の学びを欲したとしても、それを導くことはできないのです。
あなたは、自分の人生と他者の人生を、別のものとして考えなければなりません。
残念なことに、多くの人は、自分と他者の人生を混同しています。
例えば、他者が金銭的に豊かな人生を歩んでいることを知れば、自分もそれと同じ人生を歩むことが良いと考えるのです。
金銭的に豊かな人生を歩んでいる人には、金銭的に豊かなことによって得られる学びを体験する必要があるのです。
金銭的に乏しい人生を歩んでいる人には、金銭的に乏しいことによって得られる学びを体験しているに過ぎません。
どちらが良いということはありません。
人生は、必要なことを学ぶ場所なのです。
不要なことを学ぶことはできません。
そのため、あなたが他者のように何かを学ぼうとしたところで、それは相応しくなく、必要でもないのです。
そのことを理解する必要がありますが、多くの人は、そのことを理解しません。
そのため、必要のないものを追い求めることに執念を費やし、必要である学びを体験することができないのです。
すべての人は、豊かな人生を望んでいます。
しかしながら、多くの人が乏しい人生を生きているのが現状です。
乏しい人生とは、不満や不安を吐いている人生のことです。
多くの人が、不満や不安を吐いて生活しているのです。
その理由は簡単です。
それは、自分に相応しい選択をしていないからです。
自分に必要な学びを否定し、不要な憧れに執心(しゅうしん)しているからに他ならないのです。
残念ながら、目の前の現実こそが、あなたにとっての必要な学びです。
それは、決して喜ぶことのできるようなものではありません。
多くの場合、現実とは目を背けたくなるようなものなのです。
そのため、多くの人は現実を否定し、憧れを求めるようになるのです。
それは、あなたに、人の真似事をさせるようになるのです。
人の真似事をすることによって、多くの人が憧れを実現しようと考えています。
それは、憧れこそが豊かさだと思い込んでいるからです。
しかしながら、あなたが憧れている”それ”は、他者にとっての最善であって、あなたの最善ではありません。
もしも、あなたの最善であれば、既に実現しているはずなのです。
しかしながら、現実はそれとは異なる状況を実現しているのです。
そのことに気が付かなければ、人生に豊かさを実現することなどできるはずがないのです。
自分にとっての必要を見極められない者には、豊かな人生を生きる必要はないのです。
それは、相応しくないからです。
ただ、それだけの理由です。
自分にとっての必要を見極めることができる者だけが、豊かな人生を生きることができます。
あなたにとっての必要と、他者にとっての必要は異なります。
そのことを理解し、他者の真似事をする愚行(ぐこう)を手放しましょう。
憧れを追いかけても、人生は決して豊かさを実現しません。
憧れを追いかけている間に、現実からは遠ざかってしまうのです。
現実を見失った者には、必要な学びを体験する選択はできないのです。
あなたは、自分にとって必要な学びとは何か?を考えましょう。
これは、あなたの人生です。
誰かの真似事をする必要はありません。
他者と自分を比べる必要もないのです。
比べなければ不満も不安も生じないのです。
自分と向き合い、懸命に学びましょう。

2017年8月18日金曜日

道を開く

すべての人は目的を持ちます。
すべての人が、目的を果たすために道を進んでいるのです。
すべての人は、自らの目的地へと向かって歩んでいるということを覚えておきましょう。
どのような人物も、道を進まなければなりません。
それは、困難を乗り越えて進むということです。
残念ながら、道には多くの障害が存在しています。
多くの問題が道を塞いでいるのです。
あなたは簡単に道を進むことはできません。
進もうとしても、問題が障壁となり、先へ進むことを阻(はば)むのです。
どのような人物であろうとも、必ず問題が立ちはだかります。
それは、すべての人が未熟であるからです。
人生における問題とは、自らの未熟さです。
人は、自らの未熟によって道を阻まれるのです。
そのことを覚えておかなければ、道を進むことはできません。
しかしながら、多くの人はそのことを知りません。
誰かや何かが障壁となって立ちはだかっていると思い込んでいるのです。
残念ながら、これは自分を知るための人生です。
誰かや何かを知るための時間ではないのです。
そのため、あなたは常に自分自身と向き合うことを強制されます。
問題なのは、人はそのことを自覚しないということです。
多くの人が、未熟さ故(ゆえ)に誰かや何かと向き合っていると思い込んでいるのです。
冷静に考えれば、どのような状況も自らの心によって定められているということに気が付くはずなのです。
あなたが問題を抱えているのは、誰かや何かに原因があるのではなく、自分自身の感情の状態に原因があるということです。
別の人であれば、あなたと同じ状況に対して、同じ感情の状態を導きません。
あなたが問題とする状況であっても、別の人にとっては何の問題にもならないということが多くあるのです。
あなたであるために、それを問題としているということを理解しましょう。
それは、問題の原因が自分自身にあるということの証明なのです。
道に存在している障壁とは、自分自身の感情の歪みであるということを理解しなければなりません。
目の前の状況に対して、上手く感情を処理することができないために、それを問題としているのです。
例えば、目の前の状況に対して感謝することができるのであれば、それが問題として存在するでしょうか?
あなたは、感謝することができる状況を問題とはしないでしょう。
目の前の状況に対して、不満や不安などの破滅的な感情を用いるために、それが問題として立ちはだかるのです。
大切なのは、自らの感情に対して意識を向けることです。
問題は外にはないのです。
それは常に内に存在しているということを覚えておきましょう。
どのような道を進むにしても、感情の歪みが立ちはだかります。
多くの人は、感情の歪みを解消しないままに無理に押し通ろうとしますが、無理に押し通ることはできません。
目の前の茂みを切り開かずに進もうとすれば、全身に傷を負うことになるでしょう。
もちろん、先へと進むことは叶いません。
感情は、茨(いばら)のように絡み付き、道を塞いでるのです。
道を進むためには、茨を取り除く必要があるのです。
目の前に問題が生じ、それによって道を阻まれたのであれば、あなたは自分自身の感情に意識を向けましょう。
誰かや何かを問題の原因と考えて、争いを持ち込んではなりません。
道に障壁が導かれたのは、誰かや何かのせいではなく、あなたの感情の歪みが原因だからです。
あなたは、惑わされることなく、自分自身と向き合いましょう。
それ以外に問題は存在しません。
世界は最善の形を成しています。
未熟なのは、あなたの方なのです。
誰かや何かを変える必要はありません。
それ等は問題ではないのです。
問題を見誤ってはなりません。
誰かや何かに原因を探しても無駄なことです。
争えば、苦悩が導かれます。
自らを顧(かえり)みれば、幸福が導かれるでしょう。
道を急いではなりません。
急ぐ程に、自らの感情の歪みに傷付くことになるでしょう。
焦らずに、自分自身と向き合いましょう。
そうすれば、道は開けるでしょう。

2017年8月17日木曜日

与えられるものを探す

あなたは、成長しなければなりません。
それは、豊かさを得るためです。
人は、豊かな人生を生きる必要があります。
人は、乏しい人生を生きるために生まれたのではないのです。
しかしながら、多くの人は乏しい人生を生きているのが現状です。
多くの人が不満を吐き、不安に苛(さいな)まれているのです。
そのような人生は乏しいということを覚えておきましょう。
豊かな人生を生きる者は、簡単に不満を吐くことをしません。
そして、安易に不安を選択することもないのです。
豊かな人生とは、不満や不安の少ない人生のことなのです。
多くの人が不満や不安を選択しています。
それは、未熟であるからです。
未熟であり、無知であるが故(ゆえ)に、人は不満や不安を選択するのです。
未熟であり、無知であるために、目の前の状況の意味を理解することができず、誤った選択をするのです。
成熟し、知恵のある者が、不満や不安を選択することはありません。
それは、そのような選択によって得られる豊かさがないことを知っているからです。
人生の目的は乏しく生きることではありません。
誰もが、豊かに生きなければならないのです。
豊かさの形は、人によって異なりますが、人は、それぞれの豊かさを実現する必要があるのです。
あなたは、自分の豊かな人生を実現しなければなりません。
そのためには、成長する必要があるのです。
成長しなければ、豊かな人生を生きることはできません。
目の前の状況の意味を理解し、それを大切に扱うことのできる者だけが、豊かな人生を生きることができるのです。
不満や不安によっては、目の前の状況を蔑(ないがし)ろにしているのです。
大切なのは、不満や不安に陥(おちい)らないことです。
成長することが重要なのです。
人が成長するためには、力を身に付けなければなりません。
力こそが成長の証なのです。
多くの人が、もらえるものを探しています。
多くの人が、豊かさとは多くを受け取ることだと思い込んでいるのです。
残念ながら、受け取ることによっては、豊かさを実現することはできません。
それは、受け取ることによっては、人は力を損なってしまうからです。
受け取ることに力は必要ではありません。
ただ、口を開けて待っていれば良いからです。
力を身に付けるためには、与えることをしなければならないのです。
あなたは、もらえるものではなく、与えられるものを探しましょう。
あなたが与えられるものを探す時には、多くの力を必要とします。
誰かに何かを与えるということは、それを所有する必要があるのです。
所有し、与えることには力が必要です。
与えられるものを探し、それを手にしなければならないからです。
そのため、与える人は力を得ることができるのです。
与える人は、成長することができるのです。
人生は、与えることによってのみ豊かさを実現します。
あなたが豊かな人生を望んでいるのであれば、受け取ることを考えてはなりません。
与えることを考えて初めて、人生は豊かさへと向かうということを覚えておきましょう。
あなたは、もらえるものを探してはなりません。
そのようなものは厚かましく、思慮(しりょ)に浅く、怠慢(たいまん)です。
乞食(こじき)が豊かな人生を生きることはできないのです。
哀(あわ)れみを受ける者は皆、乏しさを得るのです。
自力を育てなければなりません。
簡単に何かをもらおうと考えてはなりません。
与える者は豊かさを得て、もらう者は乏しさを得ます。
働く者は逞(たくま)しく、乞食は貧弱です。
あなたは与えられるものを探しましょう。
もらうものを探してはなりません。
豊かな人生を生きましょう。

2017年8月16日水曜日

小さな積み重ね

大きなことを成すには、小さなことを成さなければなりません。
小さなことを成さずに、大きなことを成すことはできないのです。
すべての大きなことは、小さなことの積み重ねによって成り立っているのです。
小さなことを積み重ねることがなければ、大きなことは成り立ちはしないのです。
大切なのは、小さなことを積み重ねることです。
残念ながら、あなたにできるのは小さなことだけです。
そして、それを積み重ねることだけなのです。
多くの人は、大きなことを求めています。
多くの人は、大きなことができると考えているのです。
しかしながら、あなたにできるのは小さなことだけです。
多くの人は理想を追い求めますが、それを実現することはできません。
理想を実現する力はなく、目の前には常に理想とは異なる現実が導かれるのです。
理想とは、大きなことです。
そして、現実とは小さなことなのです。
多くの人は小さなことを蔑(ないがし)ろにします。
小さなことに価値を見出すことをせずに、それを否定するのです。
多くの人は、小さなことを嫌います。
地味であり、地道な作業を嫌うのです。
多くの人は、派手であり、手っ取り早い作業を好むのです。
多くの人が、奇跡を望んでいるのです。
しかしながら、この世界には因果の仕組みが存在しています。
導かれるすべてが、自分に相応しいものなのです。
そのため、自分に相応しくないものが導かれることはありません。
奇跡を望んだところで、そのような不自然な状況が導かれるということはないのです。
自分に相応しくないものを手に入れたところで、それを管理することはできません。
自らの力では支え切れない重荷を抱え続けることはできないのです。
そのため、いきなり大きなことを成そうとしても、それを実現することはできません。
人は、自らの力で運ぶことのできる小さな石を運び、石垣を作る以外に方法はないのです。
自らの力で運ぶことのできない大きな岩を運ぶことを夢見ていても、石垣は完成しないのです。
無理なことは無理なのです。
人生には奇跡はおきません。
自分に相応しくない状況を得ることもできません。
小さなことしか成すことができない者には、大きなことを成す力はないのです。
あなたは自分にできる小さなことを積み重ねなければなりません。
それ以外に方法はありません。
多くの人が小さなことを蔑ろにしていますが、あなたは小さなことを軽んじてはなりません。
例え小さな棘でも、それが足の裏に刺されば歩けないのです。
小さな骨でも、喉(のど)に刺されば耐えられません。
小さなことが、どれだけの力を持っているのかを理解することができるでしょう。
それでもあなたは、小さなことを蔑ろにしますか?
残念ながら、人生とは地味であり、地道なことの積み重ねです。
どのような人物も、大きなことを成すために小さなことを積み重ねたのです。
例外はありません。
あなたは、自分にはできない大きなことを成すことに執着してはなりません。
あなたは、自分にできる小さなことを成すことに執着するべきなのです。
蟻(あり)は小さな生き物ですが、自分の身体よりも何倍も大きく、重たいものを運ぶことができます。
それは、蟻が自らの力を疑ってはいないからです。
人は自らの力を疑っています。
大きなことを成すことに執着し、自らの力を疑っているのです。
蟻は大きなことを成すことができますが、人は小さなことを成すことができます。
しかしながら、人は蟻よりも大きなことを成すことができます。
それは、積み重ねるからです。
小さなことであっても、それを積み重ねるのであれば、一つの大きなことに勝るのです。
あなたは、自分にできる小さなことを成すということを大切にしなければなりません。
理想を夢見ることなく、現実を見据(みす)えましょう。
大きなことを成すために、小さなことを成しましょう。

2017年8月15日火曜日

豊かさの解明

すべての人は、人生に対して豊かさを求めています。
人生の目的の一つが、それに豊かさを導くことです。
すべての人が豊かな人生を生きる権利を持ち、すべての人が豊かな人生を生きなければならないのです。
人生を豊かなものにするのは、人の責任です。
あなたは、人生を豊かなものにしなければなりません。
そのための努力なのです。
すべての努力は、人生に豊かさを導くためにあるのです。
そのため、あなたの努力は豊かさへと向けられていなければなりません。
しかしながら、多くの人は豊かさを見誤っています。
何が豊かさであるのかを知らないのです。
何が豊かさであるのかを知らなければ、豊かさを導くことはできません。
探し物を知らない者が、探し物を見付け出すことはできないのです。
そのため、あなたは豊かさを知らなければならないのです。
しかしながら、豊かさを知るのは簡単なことではありません。
それは、単純なものではありますが、見付け出すことは困難なのです。
それは、河原から一つの石を探し出すようなものなのです。
あなたは、自分で投げた石を、河原の石の群れから探し出さなければならないのです。
人生の豊かさとは、人生の目的です。
あなたが人生を始める時には、目的を掲げたのです。
しかしながら、時間の経過と共にそれを見失っている状態なのです。
投げた石を探し出すためには、時間の経過を許してはなりません。
時間が経過する程に、石に対する記憶は薄れ、それを探し出す熱意も失ってしまうからです。
そのため、あなたは今すぐに人生に対する目的意識を掲げなければならないのです。
それは、人生を意識するということです。
多くの人は、人生について考えてはいません。
目の前の欲望や問題については考えていますが、最も大切な人生については考えてはいないのです。
河原の石の群れで遊んでいるのであれば、自分の投げた石を探し出すことはできません。
ただでさえ、投げた石を探し出すのは困難です。
それなのに、目的意識を失ってはならないのです。
あなたは人生について考えなければなりません。
これは、何のための人生なのですか?
あなたの人生の豊かさとは何ですか?
そのような意識を以(もっ)て生きるのであれば、目の前の状況に対する関わり方にも違いが生じることでしょう。
多くの人は、自分が無知であるということを知りません。
自分が無知であるということを知らないばかりか、自分が正しいとさえ思い込んでいるのです。
無知は分際を見誤ります。
そのため、多くの人は、自らの分際を弁(わきま)えてはいないのです。
自らの分際を見誤っていれば、選択を誤ります。
それは、自分を知らなければ、自分にとっての豊かさを知ることができないからです。
投げた石を知らなければ、それを探し出すことはできません。
大切なのは、自らの分際を弁えることなのです。
無知は、分際を覆い隠します。
そのため、あなたは無知であってはならないのです。
学びは、どこにでも存在しています。
当たり前の日常は、学びの宝庫です。
あなたは、どのような事柄からも学ぶことができるのです。
すべての状況は、あなたが豊かさを実現するための学びであるのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
そうでなければ、目の前の状況は希薄(きはく)なものになってしまうからです。
印象の薄い言葉を重ねて聞いても、あなたが知恵を得ることはできません。
しかしながら、一つの印象に残る素晴らしい言葉を聞くのであれば、知恵を得るには事足りるのです。
意識の状態が重要です。
あなたは学び取ろうとする意欲を持たなければならないのです。
すべては豊かさのためです。
意欲を持たない者には、豊かさは決して導かれません。
何と無く生きてはなりません。
努力を豊かさに変えましょう。
無限の可能性の中から、自分の人生の豊かさを明らかにしましょう。

2017年8月14日月曜日

難しい方を選ぶ

人生とは、ただ楽しく生きるための時間ではありません。
人生とは、ただ利益を追求するための時間ではないのです。
人生とは、豊かに生きるための時間なのです。
豊かさとは、すべてを享受(きょうじゅ)した状態のことです。
楽しさと苦しみ、利益と損失、富と貧、善と悪、仲間と敵・・・
このように対立する両方を享受した状態こそが、豊かさであるということを覚えておきましょう。
多くの人が、乏しさを生きています。
多くの人の人生が、豊かさとは程遠いのです。
それは、すべてを享受してはいないからです。
多くの人は、自分にとっての良いものを求めています。
苦しみよりも楽しさを、損失よりも利益を、貧よりも富を、悪よりも善を、敵よりも仲間を求めるのです。
それは、豊かさの分割です。
豊かさを分割すれば、豊かさは豊かさではなくなります。
分割された豊かさは、乏しさとなるのです。
そのため、多くの人が乏しさを生きているのです。
豊かさを生きるためには、すべてを享受する必要があります。
この世界には無駄は存在せず、すべてが必要です。
必要なものを享受しないのであれば、豊かさを得ることはできないのが道理なのです。
必要に満たされて初めて、豊かさが実現するのです。
あなたが豊かな人生を望んでいるのであれば、すべてを享受するという気持ちを保たなければなりません。
良いものだけを選んでいれば、豊かさは得られないのです。
しかしながら、悪いものを選ぶことは容易なことではありません。
それは、常識が立ちはだかるからです。
多くの人の常識とは、未熟な価値観です。
良いものを選ぶことによって豊かさを得ようと考えるのが常識です。
多くの人が、その価値観に従っています。
そのため、悪いものを選ぶという行為には、制御が働くのです。
多くの人は、常識に従って、悪いものを避け、良いものを選ぶようになるのです。
それは、簡単な方法です。
多くの人は、簡単な方法によって豊かさを得られると考えているのです。
残念ながら、簡単な方法によって豊かさを得ることはできません。
良いものに加えて、悪いものを選ぶことによって豊かさは得られます。
しかしながら、多くの人にとって、それは難しいことなのです。
豊かさとは、難しい方法によって実現します。
多くの人は簡単な方法を選びます。
そのため、豊かさを生きる人が少ないのです。
人生にとって重要なことは、どれだけ難しい方を選べるのか?ということです。
自分にとって簡単な方法を用いたところで、良い結果を得ることはできないのです。
豊かさとは、可能性のことでもあります。
難しいことによって、人は可能性を広げることができるのです。
簡単なことを繰り返したところで、可能性が広がることはないのです。
簡単な方法には、可能性を広げる力はありません。
可能性が無いために簡単であるのです。
多くの可能性があるから難しいのです。
既知よりも、未知の方が難しいのです。
それは、既知よりも未知の方が可能性を抱えているからに他なりません。
あなたが豊かさを求めるのであれば、自分にとって難しい方を選びましょう。
恐怖に従って、簡単な方を選んではなりません。
人生とは、楽しさと利益を追求するための時間ではないのです。
苦しみと損失を得ることになっても、それを大切に扱わなければなりません。
苦しみと損失は決して悪い結果には結び付きません。
健康になるために病気になるようなものです。
病気は決して、悪いものではありません。
寧(むし)ろ、病気によって初めて気付くこともあれば、悟ることもあるのです。
すべてを享受すれば、必ず豊かさが得られます。
どのような状況も大切に扱わなければなりません。
それは難しいことではありますが、それが大切です。

2017年8月13日日曜日

無い物

人生において、理想は実現しません。
理想は実現する必要がないのです。
必要のないものが実現することはありません。
この世界は、必要によって満たされているのです。
理想は重要なように思えますが、それが実現しないということは重要なものではないのです。
多くの人は、理想を追い求めます。
それは、重要でないことを追い求めているということなのです。
人は、多くを求めます。
人は、多くを欲しがるのです。
それは、無い物ねだりという行為によって現れます。
人は、無い物を欲しがるのです。
理想とは、目の前に存在しない空想です。
理想とは、”無い物”であるということです。
目の前に存在しているのは、理想とは程遠い現実です。
現実こそが、常に目の前に存在するのです。
多くの人が理想を追い求めるのは、それが目の前に存在しないからです。
理由はそれだけなのです。
人は、所有しているものを満足し、無い物に対する不足を覚えるのです。
不足は欲求として心に働き掛けます。
人の心は、欲求を治めることができません。
心は、欲求に従うのです。
あなたは、人が無い物を欲しがるということを覚えておきましょう。
その性質が自分自身にもあるということを理解し、目の前の現実に向き合うのです。
人は、無い物を欲しがります。
例え、それが気に入らないことであったとしても、それを失えば欲しがるのです。
人は、目の前にある物を軽視します。
例えば、忙しい者は暇を求めます。
忙しい者が暇を得れば、そこには大きな喜びが導かれるでしょう。
しかしながら、忙しい者も暇を得ればそれに満足します。
そして、暇な者は忙しさを求めるのです。
暇な者は忙しさを求めます。
暇な者が忙しさを得れば、そこには大きな喜びが導かれるでしょう。
しかしながら、暇な者も忙しさを得ればそれに満足します。
そして、忙しい者は暇を求めるのです。
終始、忙しさに満足する者はいません。
もちろん、暇に満足し続けることのできる者もいないのです。
人は無い物に価値を見出すのです。
多くの人は、目の前の状況に不満を吐きます。
それは、無い物である理想を求めているからです。
理想を求めることによって、人は現実から逃避するのです。
しかしながら、覚えておかなければならないのは、現実から逃避したとしても、その場所で同じことを繰り返すということなのです。
現状に対する不満も、そこから離れるのであれば、次はその不満を欲するようになるのです。
それは非効率的なのです。
人には、無い物を欲しがる性質があることを理解すれば、現在自分自身が否定しているものを否定する必要がないということに気が付くでしょう。
手放せば欲しくなるのです。
あなたは、目の前の状況に対して、不満を吐かずに向き合ってみましょう。
そうすれば、目的地への到達は早いでしょう。
無い物を欲しがる性質に付き合って、否定と欲求を繰り返すのであれば、効率が悪いのです。
手放せば欲しくなります。
目の前の気に食わない状況を否定することをやめ、そこから何を学ぶことができるのか?ということを考えましょう。
後に欲するものを否定する必要はないのです。
人は、理想に惑わされています。
大切なのは、現実を重視することなのです。
理想を求める”本能”に従い、現実を否定するのをやめましょう。
無い物を欲しがる癖(くせ)に注意しましょう。
無い物を欲しがるのではなく、有る物を大切にするのです。

2017年8月12日土曜日

所属

人生を豊かなものにするために大切なのは、争いを持ち込まないことです。
どのような状況に対しても、争いを持ち込んではなりません。
争いとは分裂であり、破滅を導くのです。
それは、乏しさを導く方法であって、豊かさを導く方法ではありません。
すべての豊かさは、争いによって滅びるのです。
争いを招き入れてしまえば、どのような豊かさも維持することはできないのです。
堅固な組織も、小さな争いによって崩壊するのです。
人生に争いを持ち込むのであれば、そこから豊かさの崩壊が始まるということを覚えておきましょう。
多くの人が、大切な人生に対して、争いを招き入れています。
多くの人が人生に豊かさを得ないのは、争いと共にあるからです。
争いと共に生きる人が豊かさを得ることはできません。
巨大な石垣も、一つの落石によって崩壊します。
小さなことが切っ掛けになって、全体の崩壊が始まるのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、小さな争いに気を付けなければなりません。
では、争いは何によって引き起こされるのでしょうか?
あなたは、争いの起源を知っておく必要があるのです。
争いの原因、それは所属です。
何かに属することによって、そこには争いが生じます。
所属とは、偏(かたよ)りです。
偏りによって、すべてはバランスを崩すのです。
争いとは、バランスを崩している状態のことです。
バランスを崩しているのであれば、どのようなものも倒れてしまいます。
倒れないようにするためには、バランスを保つことなのです。
バランスを保つためには、それを崩している原因である偏りを解消すれば良いだけです。
それは簡単なことのように思えますが、多くの人にとって、所属を解消することは困難です。
すべての人が何かに所属しています。
すべての人が、偏りを所有しているのです。
人にはそれぞれの信念があり、それに従うことが普通です。
そのため、所属を解消することに対して、恐怖を覚える者もいるのです。
多くの人は、所属を喜びます。
しかしながら、所属は争いを生み出すのです。
そのため、多くの人は、それぞれの所属の一員として争うのです。
属すれば敵対します。
取り分け人は、細かく属するのです。
人間は、所属の意識が強いということを覚えておきましょう。
そのため、人は多くの争いを経験しているのです。
大切なのは、所属の意識を拡大することです。
人は、個人への所属、性への所属、家族への所属、仲間への所属、信仰への所属、種族への所属、地域への所属、国への所属・・・
多くの所属を得ますが、それが小さな規模になるほどに争いは激しさを増します。
それは、所属が小さくなるほどに、距離が狭まるからです。
人は、範囲を狭めるほどに争うようにできているのです。
狭量(きょうりょう)な者は常に争っています。
それは、所属の規模が小さいからに他なりません。
利他的な思考よりも、利己的な思考の方が争うのです。
あなたが人生に対して乏しさを感じているのであれば、争いを持ち込んでいるはずです。
この世界では、争うことは乏しさを招くのです。
争いによって豊かさを得ることはできません。
そのような人は今までにいません。
そして、これからもいないのです。
豊かな人生を望むのであれば、争いに注意しましょう。
状況に対して争いを招き入れそうな気がしたら、所属を疑いましょう。
何かと争うよりは、所属を手放した方が有益です。
多くの人はそのことを理解しませんが、あなたは覚えておきましょう。
所属など、偏見に過ぎません。
”正義”に所属するために、悪を生み出しているという矛盾に気が付きましょう。
人は、正義という偏見を笠(かさ)に着て争っているのです。
正義に属さなければ悪は存在しません。
所属を手放し、争いを手放しましょう。
そして、豊かな人生を得ましょう。

2017年8月11日金曜日

因果の解き明かし

この世界には、因果の仕組みが存在しています。
何者も、因果の仕組みを離れることはできません。
すべてが原因に相応しい結果を導くのです。
すべての結果には、それに相応しい原因が存在しているということを理解しなければなりません。
この世界には、無関係なことは存在しません。
すべてが関係性を所有し、それは因果であるのです。
すべては成るべくして成ったのです。
人生においては、何の矛盾も存在しません。
矛盾が存在するのであれば、それは人の心の中だけなのです。
それは、人の心が未熟であるためです。
すべての人の心が未熟です。
そのため、すべての人が矛盾を抱えているのです。
それは、目の前の状況に対する因果を理解することができないという力量不足によって導かれる当然の結果なのです。
すべての結果には、それに相応しい原因が存在しています。
そのため、すべての状況が必然なのです。
多くの人は、目の前の状況を信じることができず、受け入れることができません。
多くの人が、目の前の状況に対して、否定的な態度を示すのです。
残念ながら、人生における多くの状況は、理想に反しています。
それは、未熟である心の選択であるために、仕方のないことなのです。
すべての人が理想を掲げていますが、導かれるのは別の現実です。
それは、問題であり、それを理不尽と感じることでしょう。
多くの人は、それに納得することができずに抵抗するのです。
大切なのは、自らが未熟であるということを理解することです。
残念ながら、あなたの認識は、目の前の状況の本質には至りません。
そのため、多くの人は、目の前の状況の意味を理解することができずに苦しむのです。
しかしながら、自分が未熟であるということを理解し、目の前の状況に対して、その意味を探るのであれば、苦しむことはなくなるでしょう。
人が苦しむのは、目の前の問題に対して何もしていない時です。
目の前の問題に対して、何かをしていれば、そこに苦しみが導かれることはありません。
目の前に導かれた状況の因果を解き明かすことができなくても、それを解き明かそうとしている時には、苦しむことはないのです。
大切なのは、苦しまないことです。
あなたが苦しまないためには、目の前の状況の因果を探る必要があるのです。
多くの人は、目の前の状況の因果を探ることをしません。
それは、難しいからです。
多くの人は、目の前の状況に対する自らの見解を支持するのです。
そして、それを信じて疑わないのです。
それは、簡単だからです。
多くの人が、難しいことよりも、簡単なことを好みます。
例えば、欲望に逆らうことは難しいのですが、多くの人は欲望に従います。
人生においては、欲望に従う方が簡単です。
そのため、多くの人にとっては、欲望に従う道が魅力的に映るのです。
簡単な道を選ぶ者は、乏しさを得ます。
欲望に従って生きる者は、その時は利益を得るように思われます。
しかしながら、それは短期的なことであって、長期的に見れば多くの損失を得るのです。
簡単な道を選んでも、豊かさは得られないということを覚えておく必要があるでしょう。
難しい道を選ぶ者は、豊かさを得るでしょう。
それは、未熟な自分にとっての難しい道であるからです。
未熟な自分にとっての簡単とは、理想の道です。
それは、歪んでいるのです。
未熟な自分にとっての困難とは、現実の道です。
それは、正しいのです。
多くの人は理想を追い求めます。
多くの人は、簡単な道を離れないのです。
それが、苦しみを引き起こす因果であるということを知らないからです。
人生は選択の通りに成っていますが、それには気が付きません。
多くの人は、偶然や不運によって、自らが苦しんでいると思っているのです。
人生は成るべくして成るということを忘れてはなりません。
すべてが因果の仕組みの中に存在しています。
人生の原因が自分自身であるということを忘れてはなりません。

2017年8月10日木曜日

価値の変換

この世界には、無駄なものは存在しません。
どのようなものであれ、それは必要であるために存在しているのです。
多くの人は、”頭の中”で物事を考えます。
それは、小さな価値観や、歪んだ決め付けによって、ものの価値を判断しているようなものなのです。
そのため、多くの人にとっては、無駄が存在するのです。
多くの人にとって価値の無いと思えるものであっても、本来は価値のあるものです。
多くの人は、好みによって価値を判断しているに過ぎません。
自分にとって価値の無いものは、価値が無いと思い込んでいるのです。
しかしながら、その価値を理解することができないだけであって、そのものに価値が無いということではありません。
大切なのは、自分が小さな価値観や歪んだ決め付けに騙(だま)されているということを理解することです。
すべての人は未熟です。
どのような人物であろうとも、その価値観には偏(かたよ)りがあるのです。
どのような人も、価値を分別しています。
自分(現状)にとって価値の高いものと低いものを分別することは大切です。
しかしながら、自分にとって価値の低いものを無価値と決め付けることには注意する必要があるのです。
今は価値が低いと思えるものであっても、後には価値が高いと思えることもあるのです。
例えば、多くの人が人生に後悔を残しているのは、ものの価値に気が付くことができなかったからに他ならないのです。
多くの人が欲望に溺れ、勤勉な生活を嫌います。
しかしながら、多くの人が堕落した時間の使い方に後悔するのです。
欲望に従って生きることが悪いという訳ではありません。
欲望に従って生きながらも、勤勉さを見失ってはならないのです。
勤勉に生きている者は、欲望を否定します。
しかしながら、勤勉に生きている者は欲望の価値を見失ってはならないのです。
どのようなものにも、それぞれの価値があり、それは豊かな人生に対して活用することができるものなのです。
活用することができる価値を否定すれば、豊かさは半減するのです。
多くの人が、自分が勝手に考える価値だけで豊かさを得ようと考えています。
自分にとって価値のあるものだけで、人生を豊かに生きようとしているのです。
残念ながら、それは不可能です。
それは、夜を嫌っている人が、昼だけを求めるようなものだからです。
残念ながら、あなたは独りでは生存することができません。
あなたの人生は、自分以外の様々な存在によって成り立つのです。
多くの人は、そのことを忘れているのです。
多くの人は、知らず知らず利己的な思考に陥(おちい)っているのです。
自分にとっては価値の無いものであろうとも、自分を支えてくれている他者には価値のあるものなのです。
あなたが不要だと思うものであっても、誰かには必要なものなのです。
自分のことだけを考えるのであれば、それは価値の無いものに思えます。
しかしながら、そのような狭い視野であっては、豊かさを実現することはできないのです。
大切なのは、全体性を見失わないことです。
客観的な視点に立つことによって、価値の偏見を手放すのです。
無駄に思えるものはあったとしても、無駄なものは存在しません。
あなたは常に自分を疑う必要があるのです。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいるのです。
残念ながら、自分が正しいという思い込みには、高い価値はないのです。
自分が正しいという思い込みは無駄ではありません。
しかしながら、それを盲信(もうしん)すれば、一つの価値観に執着することになるのです。
一つの価値観に執着すれば、価値を変換することはできません。
それでは、現状が変わることはないのです。
例えば、多くの人は恐怖心を否定します。
恐れることを恐れているのです。
しかしながら、恐怖心にも大切な価値があるのです。
例えば、恐怖心が無ければ、方針を変更することはできません。
なぜなら、恐怖心がブレーキの役割をしているからです。
多くの人が勇気を求め、恐怖心を否定します。
それは、突き進むことだけに主眼を置いているようなものなのです。
目的地へと辿り着くためには、恐怖心による減速が必要です。
突き進むだけでは、決して目的地へと辿り着くことはできないのです。
今までは否定していた恐怖心を活用しましょう。
汚れることを恐れることによって清まるのです。
歪むことを恐れることによって正すのです。
価値を限定してはなりません。
この世界には、無駄なものは存在しないのです。
価値を変換することによって、すべてのものを活用しましょう。

2017年8月9日水曜日

思慮を深く

人生を豊かなものにするためには、思慮深くなければなりません。
残念ながら、人生が勝手に豊かさに向かうことはありません。
放っておけば良くなるというものでもありません。
それは、この世界には、因果の仕組みが存在しているからです。
人生は、因果によって決まるのです。
因果とは、原因に相応しい結果を得るという理(ことわり)です。
すべての人は、自らの抱える原因に相応しい結果を受けるのです。
どのような状況を受けようとも、それは自らの抱える原因による当然の結果です。
すべての人は、自分自身を学ぶために生きているのです。
そのため、それがどのような状況であろうとも、自分自身に関わるものであり、自分自身を学ぶための最善なのです。
人生には、苦しい状況というものもあります。
しかしながら、それを否定してはなりません。
なぜなら、それは自分自身を学ぶためには避けては通れない学びであるからです。
大切なのは、目の前の状況から何を学ぶことができるのか?ということを考えることなのです。
目の前の状況を蔑(ないがし)ろにしてはならないのです。
苦しい状況に対して、人はそれを拒絶します。
多くの人は、苦しい状況を受け取りたくはないのです。
それは、苦しみを悪いものだと考えているからです。
表面的に見れば、苦しみは悪いものです。
しかしながら、その苦しみも必要であるために導かれた最善なのです。
大切なのは、目の前の苦しい状況から何を学ぶことができるのか?ということを考えることなのです。
考えたとしても、その意味を理解することは簡単ではありません。
大抵の場合、学びの意味を理解することは難しいのです。
そのため、学びの意味を理解するためには、時間と労力が必要なのです。
時間を掛けて考える必要があるということなのです。
多くの人は、考えることを嫌います。
多くの人は、簡単に答えを求めるのです。
そのため、誰かや何かに対して、自らの問題を代わりに解決してもらえるように計(はか)らうのです。
あなたの問題に対して、誰かや何かが向き合ったとしても、問題の解決には結び付きません。
それは、その問題が自分自身を学ぶために導かれたからです。
大切なのは、それが自分の学びであるということを理解することです。
あなたは、目の前の苦しい状況に対して、その意味を自分の力で考えなければならないのです。
これは、あなたの人生です。
誰かや何かは、あなたの”支え”に過ぎないのです。
重要なのは自分自身であるということを覚えておきましょう。
目の前の苦しい状況に対して、あなたが考える必要があるのです。
それは、あなたのことを知る必要があるのは、あなただけだからです。
他者には、あなたを知る必要はありません。
他者もあなたと同じように、自分自身を知る必要があるだけなのです。
誰もが、自分自身を知るために人生を生きているのです。
あなたは、思慮深くなければなりません。
目の前の苦しい状況を解決するためには、あなたが自分自身を知る必要があるのです。
それ以外の解決方法は存在しません。
それは、問題の原因が自分自身であるからです。
原因を変化させることがなければ、結果は変わらないのです。
思慮深くあれば、目の前の状況から自分自身を学ぶことの重要性に気が付くでしょう。
そして、自分自身を変化させることの重要性に気が付くのです。
人生には、それ以外のことは必要ありません。
例えば、誰かや何かを変えようと努める必要はないのです。
結果と原因を結び付けることができなければ、問題は膨らむということを覚えておきましょう。
誰かや何かがあなたを守ることはありません。
”神”であれ、あなたを救うことはできません。
それは、この世界には因果の仕組みが存在しているからです。
因果の仕組みを作り出した”神”が、因果の仕組みを無視することはできないのです。
そのため、あなたは誰かや何かや”神”に助けを求めてはなりません。
あなたは、自らの思慮に助けを求めるのです。
思慮に欠けているからこそ、問題が生じるのです。
誰かや何かや”神”が問題を引き起こしている訳ではないのです。
思慮深くあれば、問題は生じないということを覚えておきましょう。
どのような状況であっても、考えることを続けましょう。
そうすれば、目の前の問題は学びの材料となるでしょう。

2017年8月8日火曜日

幸福の条件

すべての人は、幸福を求めています。
人は、幸福を得るために生まれたのです。
人は幸福を探し求めます。
多くの人は、日夜幸福を探し求めているのです。
しかしながら、幸福を見付け出すことのできる人は多くはいません。
多くの人は、探し求めても幸福を見付け出すことができないのです。
多くの人が幸福を見付け出すことができないのは、幸福を探し求めているからです。
残念ながら、探し求めたとしても、幸福を見付け出すことはできないのです。
理由は簡単です。
それは、幸福を探し求めているからです。
探し求めなければ、幸福はすぐに見付かるのです。
しかしながら、探し求めるのであれば、見付け出すことはできないのです。
多くの人は、この話を理解しないでしょう。
それは、探し求めれば見付かるという前提を所有しているからです。
幸福というものが、どこかに存在していると考えているのです。
多くの人の考える幸福とは、限定的な状態のことです。
多くの人は、幸福に対して条件を定めるのです。
条件を満たすものこそが幸福であり、条件に背くものを不幸とするのです。
多くの人の考える幸福の条件は、非常に限定的です。
多くの人の幸福というものは、高い理想であるのです。
そのため、幸福を得ることのできる人は少ないのです。
多くの人が不幸を抱えながら生きているのが現状なのです。
多くの人は、幸福には条件が必要だと考えています。
条件が整うことによって初めて、幸福が実現するのだと思い込んでいるのです。
残念ながら、人生に”悪いこと”は存在しません。
しかしながら、”良いこと”も存在しません。
多くの人は”悪いこと”を避け、”良いこと”を探し求めているのです。
それが、”歪んだ”条件として成立しているのです。
人生には、悪いことも良いことも存在しません。
それ等の判断は、自らの心(頭)の中において行われているのです。
人は、自分勝手に不幸となり、自分勝手に幸福になっているということなのです。
あなたは、その”絡繰(からく)り”に気が付かなければなりません。
人は、今すぐにでも幸福を得られるのです。
要(よう)は、幸福を探し求めなければ良いのです。
探し求めるということは、条件を定めるということだからです。
限定的に探し求めるのであれば、見付かることはありません。
しかしながら、条件を定めることなく、目の前の現状の中から最善を見出すのであれば、幸福を得ることができるのです。
多くの人はこれを、自分を騙(だま)して、偽の満足を喜べと解釈するかもしれません。
しかしながら、これはそういうことではないのです。
この世界においては、小さなことを積み重ねることによってのみ、大きなことを成すことができるのです。
小さなことを積み重ねることをせずに、初めから大きなことを成そうと意気込んでいる者が多いのです。
しかしながら、そのような方法では決して大きなことを成すことはできません。
壁を築こうと思えば、運ぶことのできる石を積み重ねるのです。
運ぶことのできない大きな岩で壁を築こうとしても、それは叶わないのです。
多くの人は、運ぶことのできない大きな岩によって幸福(壁)を築こうとしているようなものなのです。
そのため、理想や妄想は膨らみますが、何も実現しないのです。
あなたは現状において、自分にできることを行うのです。
現状の中に幸福を見出すことが重要なのです。
現状という現実は、理想とは程遠い状態でしょう。
しかしながら、現状にも必ず満足することのできることがあるのです。
それは、取るに足らない小石であるかもしれません。
しかしながら、その小石を集めるのです。
多くの石によって壁を築くためには、小石の役割が重要だからです。
”幸福は一日にして成らず”ということなのです。
幸福も不幸も、自分が築きます。
石を運ぶ者は壁を築き、岩に想いを馳(は)せる者は何も得ません。
詰まらない条件に縛られず、柔軟に幸福を手にしましょう。
幸福を探し求めることをやめ、目の前の現状に最善を見出しましょう。
今、できることをやるのです。

2017年8月7日月曜日

悪巧み

人の世は、優れたものではありません。
人の世は、未熟な世界なのです。
それは、それを築いているのが人であるからです。
すべての人が未熟です。
褒(ほ)められる人は存在しません。
すべての人は無知と誤解を所有しているのです。
無知と誤解は歪みと汚れを生み出します。
すべての人が歪みと汚れによって、不足と不満を抱えているのです。
すべての人が飢(う)えを避けることができません。
すべての人が、何かを必要としているのです。
すべての人が欲求を所有します。
そして、多くの人が欲求に従うのです。
未熟な者の欲求は、自らの不足と不満を補(おぎな)うために用いられます。
多くの人は、不足と不満を補うための欲求に従っているのです。
そのため、多くの人の行為は不足と不満に寄り添(そ)うものとなるのです。
多くの人が、飢えを満たすために行為するのです。
飢えている者には見境(みさかい)がありません。
飢えている者には、分別を弁(わきま)えるほどの力はないのです。
飢えている者は必死です。
そして、飢えている者の欲求は激しさを増すのです。
世の中には、悪事を企(たくら)む者がいます。
それは、自らの飢えを満たすためです。
自らの欲求を満たすために、分別を失っているのです。
多くの人は、悪事のために心を汚します。
心が汚れているために悪事を思い付くのですが、悪事を働くことによって、更に心を汚すのです。
残念ながら、世の中には悪事が蔓延(はびこ)っています。
それは、仕方のないことです。
現状においては、そうする他ないのです。
人は、自らの学びに従って人生を選択します。
人には、それぞれに学ぶべきことがあるのです。
悪事を企み、それを働く者は、悪事によって導かれる結果を学ぶ必要があるのです。
そして、悪事を働かれた者は、それを許すことを学ぶのです。
それは、悪事を働かれた者は、過去に悪事を働いた経験があるからです。
すべての人が悪事を企みます。
この世界において、悪事を企まない者はいないのです。
それは、すべての人が悪事を働かれ、それを許す経験を学ぶためなのです。
この世界に存在するすべての人が未熟です。
そして、未熟な人が築く世の中も未熟です。
人の世には悪事があって当然なのです。
すべての人が悪事を企み、多くの人が悪事を働くのです。
それを前提として覚えておきましょう。
人を優れた存在だと考えてはなりません。
どのような人物も、決して褒められるものではありません。
人は未熟であるが故(ゆえ)に、成長することができるのです。
人生の目的は成長です。
すべての人が成長することを目的として生まれたのです。
人が成長するためには、悪事が必要であるということを覚えておきましょう。
人の世には、悪事があって良いのです。
あなたは悪事を憎んではなりません。
悪事とは結果であり、それを撲滅(ぼくめつ)しようとするのは愚かなことです。
あなたには、他人の悪事をどうすることもできないのです。
悪事の原因は歪んだ心です。
歪んだ心を正すことによって、悪事を企むことも、それを働くこともなくなるのです。
賢(かしこ)い選択とは、他人の悪事を許すことです。
それは、自らの心と他者の心を成長に導きます。
心は成長するほどに満たされます。
満たされた心は、悪事には興味を失うのです。
それは、成長した心は、悪事に対する信頼を手放すからです。
未熟な者ほど、悪事に対して強い信頼を抱いているものです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
悪事によって豊かさを得ることはできません。
悪事に付き合うことをやめて、許すことに時間と労力を注ぎましょう。
その方が有益なのです。

2017年8月6日日曜日

良い取引

すべての人は、因果の取引の中に存在しています。
すべての人は、因果の仕組みによって、原因と結果を取引しているのです。
与えるものが原因となり、受け取るものが結果となります。
どのような人物であろうとも、与えるものが原因となり、受け取るものが結果となるのです。
因果の仕組みを避けられる者はいません。
すべての人が、因果を取引しているということを覚えておきましょう。
因果の仕組みとは、公平な取引です。
そこに不正はありません。
すべてが相応しい取引なのです。
しかしながら、人は未熟です。
未熟である者には、その公平さを理解することができません。
そのため、取引に対して不平不満を申し立てるのです。
残念ながら、未熟なのはあなたの方なのです。
この世界の理が未熟であることはないのです。
それは、この世界が理に従って動いているからです。
未熟なのは自分自身であるということを理解しましょう。
そうすれば、因果の取引に対して、それを活用することもできるようになるでしょう。
多くの人が、因果の取引に不満を抱きます。
それは、因果の取引を死蔵(しぞう)することになるのです。
この世界の理に従うことがなければ、豊かさを得ることはできません。
ルールに従わずに豊かさを得た者は存在しません。
そして、それはこれからも有り得ないことなのです。
多くの人は自分が正しいと思い込んでいます。
多くの人は、自分がルールであるかのように振る舞っているのです。
あなたは、それが如何(いか)に愚(おろ)かな行為であるのか?ということを理解しましょう。
あなたの未熟な考えによって、この世界が動いていると思いますか?
もしも、そのように考えているのであれば、どうして上手くいかないことばかりなのでしょうか?
自分が正しいと思い込んでいる者の人生は必ず乏しさを得ます。
それは、豊かさはこの世界の理によってのみ導かれるからです。
人は、賢(かしこ)く生きなければなりません。
毒を飲んで豊かさを得る者はいません。
それは、これからもいないのです。
毒を飲んで苦しむのは当然の結果です。
毒を飲むという原因は、苦しむという結果を当たり前に導くのです。
毒を飲む者にとって、苦しむという結果が相応しいことを理解することができるでしょうか?
原因は必ず、それに相応しい結果を導くのです。
例外はありません。
大切なのは、結果を考えることではありません。
大切なのは、原因を考えることなのです。
因果の初めは原因です。
初めを考えなければ終わりを知ることはできません。
計画を立てれば、それは実現へと向かいます。
経過は理想とは異なるものの、結果は計画を実現するのです。
原因は、それに相応しい結果を必ず導くということを忘れてはなりません。
あなたは、自らの因果を良いものにしなければなりません。
それは、与えるにしても、受け取るにしても、それを気分の良いものにするということなのです。
多くの人は、因果に不満を抱きます。
それは、与えるにしても、受け取るにしても気分を害しているということなのです。
それでは、次の原因の質は低下してしまい、次の結果もそれに相応しいものとなるのです。
人生(目の前の状況)に対して不平不満を申し立てる者の人生が、豊かさを得ることはありません。
周囲を見渡して見れば分かることです。
豊かに生きる者は、決して人生に不平不満を持ち込みません。
どのような状況に対しても、気分を害さず、良い気分で過ごすようにしているのです。
人生を豊かにするために必要なことは、良い気分で過ごすということだけなのです。
ただ、それだけなのです。
これは、誰にでもできることです。
時間も労力も金銭も必要ありません。
この瞬間から始められることなのです。
良い気分によって、因果の仕組みと取引を始めましょう。
そうすれば、豊かな人生を生きることができるでしょう。

2017年8月5日土曜日

幸福の部品

すべての人は、人生に目的を所有しています。
どのような人物にも、目指すべき目的地があるのです。
すべての人は、意識的にも無意識的にも、目的の達成を目指しています。
目的意識を以(もっ)て生きる者は、少なからず目的地に向かって進むことが許されます。
目的意識を持たない者は、停滞を余儀無(よぎな)くされるか、道に迷います。
目的意識を持たない者は、目的地に辿り着くことはできないのです。
人生の目的とは、幸福のことです。
それは、人が幸福を目指して生きているということではありません。
目の前に問題が存在し、それを苦悩と考えていたとしても、それが人生の目的であるのならば、結果的にはそれが幸福となるということなのです。
問題も苦悩も、それが人生の目的に関係しているとすれば、それは幸福の部品となるのです。
必要な部品が揃(そろ)わなければ、幸福は完成しません。
それが問題であり、苦悩であろうとも、幸福のためには必要である可能性もあるのです。
必要な部品を理解することなく、それを蔑(ないがし)ろにするのであれば、幸福は完成しないということを覚えておきましょう。
大切なのは、現状を見極めることです。
人生の目的は何であるのか?という問いを自らに問い続ける必要があるのです。
そうすれば、目の前の問題や苦悩がどのような役割を担(にな)っているのか?ということにも理解が深まるのです。
残念ながら、この世界に無駄は存在しません。
あなたが問題や苦悩として決め付けているものは、あなたの幸福のための大切な部品であるということなのです。
多くの人は、大切な部品を蔑ろにしています。
それは、使い方が分からないからです。
使い方が分からないために、それを蔑ろにせざるを得ないのです。
問題や苦悩の使い方が分からないのは、現状を見極めることができていないためです。
現状を見極めることができれば、問題や苦悩として考えている部品が、幸福のためにどうしても必要な部品であるということに気が付くことができるのです。
そこまでの考えには至らないにしても、何かの意味があるということくらいには気が付くことができるのです。
あなたは現状を見極めなければなりません。
現状を見誤っている者が多いのです。
多くの人が、現状を見誤っています。
それは、人生の目的は何であるのか?という問いを知らないからです。
多くの人は、人生の目的を考えません。
目の前の”詰まらないこと(本当の目的ではないこと)”に気を取られ、大切なことに気が付かないのです。
そのため、多くの人が現状を見誤っているのが実情なのです。
多くの人は、自分が誰なのか?を知りません。
多くの人は、自分が何をするべきなのか?を知りません。
多くの人は、自分がどう死すべきなのか?を知らないのです。
多くの人は、人生の目的のために生きてはいません。
多くの人は、目の前の欲望や問題のために生きているだけなのです。
視野が狭いのです。
そのために、現状を見誤るということなのです。
大切なのは、視野を広げることです。
先程の、人生の目的は何であるのか?という問いにまで視野を広げましょう。
現状を見極めることができれば、どのような行為も最善に至るのです。
しかしながら、現状を見誤っていれば、どのような行為も不良に至るのです。
最善を導く者は豊かさを得ることができますが、不良を導く者は乏しさを得るのです。
あなたは、自分の立場を弁(わきま)えていましょう。
傲慢(ごうまん)や自己憐憫(じこれんびん)に陥らないように注意しましょう。
現状を見極めることができれば、あなたは自信と疑心の節度を保つことができるでしょう。
この世界が陰陽の仕組みで成り立っているように、人も陰陽によって成り立っています。
幸福の部品として、問題や苦悩が必要であるように、破滅的な感情もあなたには必要であるのです。
多くの人は、現状を見誤っているために、破滅的な感情を否定します。
そして、建設的な感情を追い求めるのです。
大切なのは、すべてを大切に扱うことです。
どのようなものにも思いやりの心を向けるのです。
そうすれば、それが人生の目的は何であるのか?という問いにも繋がるでしょう。
現状を見誤ってはなりません。
しかしながら、あなたは既に現状を見誤っているということを理解しましょう。
無意識的に生きてはなりません。
現状に意味を探しましょう。
そして、視野を広げることによって、人生に目的を探しましょう。
それが結果として、あなたに幸福を導くでしょう。

2017年8月4日金曜日

自分自身の教え

人生とは、自分を知るための時間です。
すべての人は、人生において自分自身を教わっています。
誰もが、自分自身と向き合わなければなりません。
人生において、自分自身を無視することは不可能です。
それは、すべての状況に自分自身が反映されているからです。
すべての状況が自分自身です。
それは、この世界には、因果の仕組みが存在しているからです。
あなたの目の前に導かれる状況は、あなたの所有する原因による結果です。
原因とは選択であり、すべての状況はあなたが選んだのです。
あなたは、自らの選んだ結果を体験しているのです。
そのため、自分自身を無視することは不可能なのです。
すべての状況が自分自身を客観するための学びです。
あなたが行うべきは、状況に対して自分自身を客観することなのです。
しかしながら、多くの人はそのことに気が付いてはいません。
多くの人は、目の前に導かれる状況を誰かや何かのせいにしているのです。
表面的に見れば、それは誰かや何かによって導かれる状況のように思えます。
そして、誰かや何かによって導かれる状況であると思いたいのです。
しかしながら、どのような状況も、その原因は自分自身の選択です。
誰かや何かのせいにするのは簡単ですが、それでは自分自身を知るという目的を果たすことはできないのです。
導かれる状況を誰かや何かのせいにすることによっては、人生の目的に矛盾します。
自分自身を知ることがなければ、どのような経験も価値を持たないのです。
あなたは、誰かや何かと争うために生まれたのではありません。
何のために、誰かや何かと争っているのか?ということを考えるために生まれたのです。
状況の意味というものは、必ず深い場所に存在しています。
表面的な見方であっては、その意味を理解することはできません。
状況の意味を理解するためには、深い考察が必要なのです。
そのためには、簡単に結論を導いてはなりません。
目の前の状況が誰かや何かによって導かれているという短絡的な結論を避け、自分自身に内省することによって導き出される”推測”に至る必要があるのです。
残念ながら、目の前の状況に対する結論を得ることはできません。
それは、どのような状況も、簡単に結論を得られるほど単純なものではないからです。
すべての状況は、あなたの考え方によって様々に答えを導くのです。
今日の考えと明日の考えは違っています。
一年後の考え方も異なり、十年後の考え方は予測もできません。
別の時間軸で同じ状況を考察するのであれば、それぞれの答えが導かれるのです。
それぞれの答えは決して同じものにはなりません。
そのため、状況に対するどのような答えも推測を脱することはないのです。
それは、自分という存在が常に変化し続けているからです。
状況に対して、結論を急いではなりません。
どのような状況に対しても、結論を求めるものではないのです。
それは、自分自身に対して結論を求めていることに等しいからです。
残念ながら、自分自身が結論に至ることはありません。
自分自身という存在は、常に変化の中にあるからです。
そのため、人生は変化し続けます。
停滞しているように見えても、変化し続けているのです。
あなたは常に自分を教わっています。
そのことを忘れてはなりません。
自分自身を知るよりも重要なことはないのです。
何をするにしても、自分自身を知ることから始めなければなりません。
自分自身を知ることができない者は、何も成すことができないのです。
どのような状況に対しても、自分自身を探しましょう。
そうすれば、冷静に対応することができるでしょう。
冷静さを失わなければ、その状況が問題に発展することはないのです。
多くの人は冷静さを失い、感情的に争います。
人は、自らの蓄えた感情をいつかは清算しなければならないということを覚えておく必要があるのです。
謙虚(けんきょ)に学びましょう。
反抗する者は、学ぶことができないのです。

2017年8月3日木曜日

刹那

すべての人には、生まれた理由があります。
どのような人物にも、生きる理由があるのです。
それは、人生の目的です。
人生に目的を持たない者はいません。
目的を見失っている人や、それを認識することのない人はいますが、目的の無い人生というものは存在しません。
人が生きている間は、認識にかかわらず、人生の目的を持っているということを覚えておきましょう。
多くの人は、人生に対して目的を見失っている状態にあります。
人生について考えたことも無い人もいるのです。
人生の目的には、短期的なものから、長期的なものまで様々です。
中には、果たすことのできない目的を抱えている人もいるのです。
目的は決して一つではなく、それぞれの立場によって異なるものなのです。
あなたにはあなただけの目的があります。
他者は他者の目的を所有しているのです。
しかしながら、すべての人が自らの目的のために人生を生きていることには違いありません。
多くの人は、人生に豊かさを望みます。
多くの人が幸福な人生を求めているのです。
人生を豊かなものにするためには、その目的を果たす必要があります。
無計画によって、怠慢(たいまん)を行うのであれば、決して豊かさを実現することはできません。
豊かさとは、積極的な姿勢によってのみ実現するものなのです。
熱意を持たない者が豊かさを得ることはできません。
目の前の目的を見失う者が、幸福を実現することなどできるはずがないのです。
大切なのは、目的意識を持つことです。
目の前の状況に対して、それが自分にとってどのような目的を持つのか?ということを考える必要があるのです。
多くの人は、目的意識を持ちません。
そのため、目の前のことに熱意を抱くことができずに、無計画と怠慢に陥ってしまうのです。
目的を持たない者にとっての人生は長いのです。
目的を持たない者は、鈍鈍(のろのろ)と歩みます。
それは、自分がどこへ向かえば良いのか?ということを知らないからです。
どこへ向かうのかを知らない者は、次の踏み場を知らないのです。
そこには躊躇(ちゅうちょ)が導かれるでしょう。
目的を持たない者は、決断が行えません。
決断が行えないために、人生は変わらないのです。
目的を持たない者は退屈で乏しい人生を生き続けるでしょう。
目的を持たない者にはすることがありません。
何もすることがなければ、その場に立ち竦(すく)んでいる以外の方法はないのです。
あなたが豊かさを求めるのであれば、時間と労力を無駄にしてはなりません。
出来るだけ素早く決断し、人生に変化を導く必要があるのです。
目的を持つ者にとっての人生は短いということを覚えておきましょう。
それは、決断の素早さによって、同じことを繰り返す必要がないからです。
同じことを繰り返していれば、人が退屈に陥ります。
退屈を生きる人の時間は長く感じられるのです。
しかしながら、変化の中に生きている人にとっては、時間はとても短く感じられるのです。
それは、次々に新しい刺激が導かれることによって、多くの楽しみを得るからです。
時間の経過とは、学びの経過です。
学ばない者にとって、時間は永遠です。
しかしながら、学ぶ者にとって、時間は刹那(せつな)であるのです。
永遠の中に喜びを見出すことはできません。
春の花も、夏の緑も、秋の紅葉も、冬の枝振りも、変化の中に存在するからこそ美しいのです。
春の花を好んでいても、それが永遠に続くのであれば、退屈してしまうのです。
すべては刹那の中に存在するために美しいということを覚えておきましょう。
変化こそが美しさであり、豊かさであるということを覚えておきましょう。
目的意識を持って、目の前の状況を生きるのです。
そして、出来るだけ素早く決断し、状況に変化を加えましょう。
間違っていても、失敗しても良いのです。
間違いや失敗は問題ではありません。
不断こそが問題であるということを知りましょう。
人生においては、多くの失敗を繰り返す方が有利です。
それは、あなたが成功の仕組みを知らないからです。
成功を実現するためには、失敗から学ぶ以外に方法はありません。
失敗を学ぶにも、決断が必要なのです。
どのような結果を得ても良いのです。
変化を得ないことだけが問題だということを理解しておきましょう。
変化を目的としましょう。
決断によって刹那を生きるのです。

2017年8月2日水曜日

手間を惜しまず

あなたが豊かさを求めるのであれば、手間を惜しんではなりません。
豊かさにとって必要なのは、丁寧な仕事です。
丁寧な仕事を実現するためには、手間を惜しむことはできないのです。
手間こそが、その仕事を丁寧なものにするのです。
しかしながら、多くの人は手間を惜しみます。
それは、手間を掛けることは骨が折れるからです。
手間とは、労力です。
多くの人は、労力を惜しむのです。
それは、労力を注ぐことは疲れるからです。
多くの人は、楽な仕事を求めているのです。
少ない労力によって、多くの成果を望んでいるのです。
残念ながら、少ない労力によって多くの成果を得ることはできません。
それは、この世界には因果の仕組みが存在しているからです。
結果には、それに相応しい原因が必要となります。
残念ながら、この世界には奇跡というものは存在しません。
すべてには理由があり、すべてが必然なのです。
そのため、手間を惜しんだ仕事は疎(おろそ)かなものにしかなりません。
どれだけ外見を整えても無駄です。
鉄から錆(さび)が浮かぶように、疎かな仕事は必ず表面化するのです。
疎かな仕事を隠し通せるほど、この世界は甘くはないのです。
疎かな仕事は、丁寧な仕事によって暴かれます。
手間を惜しみ、疎かな仕事をする者には信用がありません。
そのような者の人生は必ず乏しいものとなるのです。
手間を惜しむ者が豊かに生きることはできません。
例え、目の前の相手を騙(だま)すことはできても、因果の仕組みを騙すことはできないのです。
多くの人が人生の乏しさに文句を吐きます。
多くの人が、現状を否定しているのです。
それは、自らが手間を惜しんだ結果なのです。
自らの疎かな仕事が、乏しい人生を築いたのです。
あなたの仕事は、自らの人生を築いているということを理解しましょう。
目の前の仕事に対して手間を惜しむ者は、人生に対しても同じことをします。
手間を掛けて、丁寧に生きることのできない者には、豊かな人生という成果を上げることはできないのです。
多くの人は、目の前の仕事に対して手間を惜しみます。
労力を費やすことを嫌うのです。
それは、怠慢(たいまん)を好むからです。
そのような者は信用されることも、重宝されることもありません。
信用も重宝もされない者が、どうやって貢献し、豊かさを得るというのでしょう?
豊かさとは、貢献の度合によって決まるのです。
何もせずに、豊かさを得られるほど、この世界は甘くはありません。
多くの人が奇跡を待ち望んでいます。
決して実現することのない奇跡を待ち望んでいるために、目の前の仕事を疎かにするのです。
水が必要であるのならば、川に汲(く)みに行けば良いのです。
それが嫌ならば、井戸を掘れば良いでしょう。
多くの人は、天が与える雨粒をいつまでも待ち望んでいます。
雨が降るまでは何もしないのです。
それでどうやって豊かさを得るのでしょうか?
手間を惜しむことは乏しさの始まりです。
あなたは、仕事に手を抜いてはなりません。
効率的なことと、手間を惜しむことは違います。
手間を掛けるほどに、その仕事は効率化していくのです。
手間を惜しみ、手を抜いているような者の仕事は無駄が多いのです。
手間を掛け、真剣に働いている者の仕事には無駄がありません。
あなたは履き違えてはなりません。
どのような仕事も丁寧に行うのです。
手間を惜しまず、後悔の無い仕事をしましょう。
勤勉な者は豊かさを得ることができます。
しかし、怠け者は乏しさを得るでしょう。
豊かさを待ち望んではなりません。
今すぐに、豊かさの原因を用意するのです。

2017年8月1日火曜日

苦しみに倒れる

誰にとっても、人生の目的は成長です。
すべての人は、成長するために人生を経験しています。
すべての状況が成長のための学びであり、すべてが必然です。
そして、すべての状況があなたの成長のために導かれる最善なのです。
あなたが人生の目的を考える時には、すべてが最善であるということに気が付くでしょう。
それは、長い歳月と労力を必要とするかもしれません。
しかしながら、人生の目的を考え続けていれば、必ずその答えに辿り着くのです。
すべてが最善であるということに気が付けば、自分が幸福であることにも気が付くでしょう。
多くの人は、自分が不幸なのだと考えています。
多くの人は、他者の良い(と思っている)部分と、自らの悪い(と思っている)部分を見比べます。
それは、他者の幸福と自らの不幸を比較するという結果に至るのです。
他者と自分を比べることはできません。
それは、人それぞれに学び(必要)が異なるからです。
そして、幸福と不幸を比べることもできないのです。
多くの人が様々なものを比べていますが、それが無意味であるということに気が付かなければならないでしょう。
あなたは、他者の幸福と自らの不幸を比較してはなりません。
他者と自分を比較しても、何の価値も生み出さないのです。
あなたは目の前に導かれる現実に向き合い、どうすればそれを幸福に変えることができるのか?ということを考える必要があるのです。
他者との比較によって嘆(なげ)いている場合ではないのです。
時を無駄にしてはなりません。
あなたは常に、自らの学びに向き合わなければなりません。
それは、これがあなたの人生だからです。
あなたは自分の人生を生きているのです。
あなたは自分の人生が導く状況によって成長することができるのです。
自分の人生が導く学びを否定してはなりません。
しかしながら、多くの人は、自分の人生が導く学びを否定します。
それは、成長のために導かれるものが苦しみであるからです。
すべての人が苦しみを与えられるのです。
どのような人物であろうとも、人生において苦しみを避けることはできません。
すべての人が、苦しみを背負わなければならないのです。
それは、あなたが倒れるためです。
人は、苦しみによって倒れます。
苦しみとは、誰にとっても重荷なのです。
それを背負って歩み続けることはできないのです。
どのように努めようとも、苦しみの重さに耐え兼ねて倒れます。
そこで、あなたは自らの無力さを痛感するでしょう。
すべての人が未熟であり、無力なのです。
それがあなたの実力であり現実です。
あなたは、自らの非力を知らずに生きることはできません。
どのような人物であろうとも、必ず自らの未熟さに向き合わなければならないのです。
無力であることは苦しいことです。
人が苦しみに会う時点において、それは自らの無力さを現しているのです。
人が成長するために必要なことは、傲慢(ごうまん)を手放すことです。
多くの人が、傲慢に溺れています。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいるのです。
しかしながら、現実には正しくありません。
あなたは自分が正しくないことを知る必要があるのです。
自分が無力であることを知れば、謙虚(けんきょ)さを得られるでしょう。
自分が無力であることを知らず、傲慢に振る舞う者には謙虚さがありません。
謙虚な者は多くを学ぶことができます。
しかしながら、傲慢な者は学びを受け付けないのです。
学ばなければ未熟さは解決しません。
それは、新たな問題と苦しみを導くことになるのです。
人は幸福に気が付かなければなりません。
そのためには、謙虚さを身に付けなければなりません。
そのためには、傲慢を手放さなければならず、そのためには、苦しまなければならないのです。
成長には、そのような過程が存在しているということを覚えておきましょう。
苦しみに倒れることを否定してはなりません。
立ち上がる度に、あなたは強くなっているのです。