すべての人は目的を持ちます。
すべての人が、目的を果たすために道を進んでいるのです。
すべての人は、自らの目的地へと向かって歩んでいるということを覚えておきましょう。
どのような人物も、道を進まなければなりません。
それは、困難を乗り越えて進むということです。
残念ながら、道には多くの障害が存在しています。
多くの問題が道を塞いでいるのです。
あなたは簡単に道を進むことはできません。
進もうとしても、問題が障壁となり、先へ進むことを阻(はば)むのです。
どのような人物であろうとも、必ず問題が立ちはだかります。
それは、すべての人が未熟であるからです。
人生における問題とは、自らの未熟さです。
人は、自らの未熟によって道を阻まれるのです。
そのことを覚えておかなければ、道を進むことはできません。
しかしながら、多くの人はそのことを知りません。
誰かや何かが障壁となって立ちはだかっていると思い込んでいるのです。
残念ながら、これは自分を知るための人生です。
誰かや何かを知るための時間ではないのです。
そのため、あなたは常に自分自身と向き合うことを強制されます。
問題なのは、人はそのことを自覚しないということです。
多くの人が、未熟さ故(ゆえ)に誰かや何かと向き合っていると思い込んでいるのです。
冷静に考えれば、どのような状況も自らの心によって定められているということに気が付くはずなのです。
あなたが問題を抱えているのは、誰かや何かに原因があるのではなく、自分自身の感情の状態に原因があるということです。
別の人であれば、あなたと同じ状況に対して、同じ感情の状態を導きません。
あなたが問題とする状況であっても、別の人にとっては何の問題にもならないということが多くあるのです。
あなたであるために、それを問題としているということを理解しましょう。
それは、問題の原因が自分自身にあるということの証明なのです。
道に存在している障壁とは、自分自身の感情の歪みであるということを理解しなければなりません。
目の前の状況に対して、上手く感情を処理することができないために、それを問題としているのです。
例えば、目の前の状況に対して感謝することができるのであれば、それが問題として存在するでしょうか?
あなたは、感謝することができる状況を問題とはしないでしょう。
目の前の状況に対して、不満や不安などの破滅的な感情を用いるために、それが問題として立ちはだかるのです。
大切なのは、自らの感情に対して意識を向けることです。
問題は外にはないのです。
それは常に内に存在しているということを覚えておきましょう。
どのような道を進むにしても、感情の歪みが立ちはだかります。
多くの人は、感情の歪みを解消しないままに無理に押し通ろうとしますが、無理に押し通ることはできません。
目の前の茂みを切り開かずに進もうとすれば、全身に傷を負うことになるでしょう。
もちろん、先へと進むことは叶いません。
感情は、茨(いばら)のように絡み付き、道を塞いでるのです。
道を進むためには、茨を取り除く必要があるのです。
目の前に問題が生じ、それによって道を阻まれたのであれば、あなたは自分自身の感情に意識を向けましょう。
誰かや何かを問題の原因と考えて、争いを持ち込んではなりません。
道に障壁が導かれたのは、誰かや何かのせいではなく、あなたの感情の歪みが原因だからです。
あなたは、惑わされることなく、自分自身と向き合いましょう。
それ以外に問題は存在しません。
世界は最善の形を成しています。
未熟なのは、あなたの方なのです。
誰かや何かを変える必要はありません。
それ等は問題ではないのです。
問題を見誤ってはなりません。
誰かや何かに原因を探しても無駄なことです。
争えば、苦悩が導かれます。
自らを顧(かえり)みれば、幸福が導かれるでしょう。
道を急いではなりません。
急ぐ程に、自らの感情の歪みに傷付くことになるでしょう。
焦らずに、自分自身と向き合いましょう。
そうすれば、道は開けるでしょう。
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