人の世は、優れたものではありません。
人の世は、未熟な世界なのです。
それは、それを築いているのが人であるからです。
すべての人が未熟です。
褒(ほ)められる人は存在しません。
すべての人は無知と誤解を所有しているのです。
無知と誤解は歪みと汚れを生み出します。
すべての人が歪みと汚れによって、不足と不満を抱えているのです。
すべての人が飢(う)えを避けることができません。
すべての人が、何かを必要としているのです。
すべての人が欲求を所有します。
そして、多くの人が欲求に従うのです。
未熟な者の欲求は、自らの不足と不満を補(おぎな)うために用いられます。
多くの人は、不足と不満を補うための欲求に従っているのです。
そのため、多くの人の行為は不足と不満に寄り添(そ)うものとなるのです。
多くの人が、飢えを満たすために行為するのです。
飢えている者には見境(みさかい)がありません。
飢えている者には、分別を弁(わきま)えるほどの力はないのです。
飢えている者は必死です。
そして、飢えている者の欲求は激しさを増すのです。
世の中には、悪事を企(たくら)む者がいます。
それは、自らの飢えを満たすためです。
自らの欲求を満たすために、分別を失っているのです。
多くの人は、悪事のために心を汚します。
心が汚れているために悪事を思い付くのですが、悪事を働くことによって、更に心を汚すのです。
残念ながら、世の中には悪事が蔓延(はびこ)っています。
それは、仕方のないことです。
現状においては、そうする他ないのです。
人は、自らの学びに従って人生を選択します。
人には、それぞれに学ぶべきことがあるのです。
悪事を企み、それを働く者は、悪事によって導かれる結果を学ぶ必要があるのです。
そして、悪事を働かれた者は、それを許すことを学ぶのです。
それは、悪事を働かれた者は、過去に悪事を働いた経験があるからです。
すべての人が悪事を企みます。
この世界において、悪事を企まない者はいないのです。
それは、すべての人が悪事を働かれ、それを許す経験を学ぶためなのです。
この世界に存在するすべての人が未熟です。
そして、未熟な人が築く世の中も未熟です。
人の世には悪事があって当然なのです。
すべての人が悪事を企み、多くの人が悪事を働くのです。
それを前提として覚えておきましょう。
人を優れた存在だと考えてはなりません。
どのような人物も、決して褒められるものではありません。
人は未熟であるが故(ゆえ)に、成長することができるのです。
人生の目的は成長です。
すべての人が成長することを目的として生まれたのです。
人が成長するためには、悪事が必要であるということを覚えておきましょう。
人の世には、悪事があって良いのです。
あなたは悪事を憎んではなりません。
悪事とは結果であり、それを撲滅(ぼくめつ)しようとするのは愚かなことです。
あなたには、他人の悪事をどうすることもできないのです。
悪事の原因は歪んだ心です。
歪んだ心を正すことによって、悪事を企むことも、それを働くこともなくなるのです。
賢(かしこ)い選択とは、他人の悪事を許すことです。
それは、自らの心と他者の心を成長に導きます。
心は成長するほどに満たされます。
満たされた心は、悪事には興味を失うのです。
それは、成長した心は、悪事に対する信頼を手放すからです。
未熟な者ほど、悪事に対して強い信頼を抱いているものです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
悪事によって豊かさを得ることはできません。
悪事に付き合うことをやめて、許すことに時間と労力を注ぎましょう。
その方が有益なのです。
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