すべての人は、豊かさを求めています。
しかしながら、その行為は乏しさを引き寄せます。
多くの人は、矛盾を抱えているのです。
理想と現実の間に大きな矛盾を抱えているのが現状なのです。
すべての人が豊かさを求めていますが、その多くが乏しさを引き寄せる選択をしているのです。
豊かさとは、調和によって実現する循環のことです。
滞(とどこお)りが生じれば、豊かさは実現しません。
乏しさとは、不調和によって実現する停滞のことです。
それは、争いによって引き起こされるものなのです。
豊かさを求めている人の多くは、争いを選択しているのです。
豊かさを実現するためには調和を必要とします。
調和を実現するためには、争う訳にはいかないのです。
しかしながら、多くの人が争っているのが現状なのです。
あなたも豊かさを求めているはずです。
豊かさを求めているあなたは、争いを抱えてはいませんか?
不満や文句を吐いて生活してはいませんか?
争いとは、他者との間の揉(も)め事のことだけをいうのではありません。
自分自身の心の葛藤(かっとう)ですら、争いであるのです。
不満や文句によって心を満たしておきながら、わたしは誰とも争ってはいないと主張したところで、それは偽りであるということを知らなければなりません。
あなたは人生と、状況と、自分自身の心と敵対し、争っているのです。
他者であろうが、自分自身であろうが、その他の何かであろうが、敵を作れば争いです。
争いは分断を招きます。
それは、調和を滞らせてしまうのです。
それでは、豊かさを実現することはできないのです。
あなたは、争ってはなりません。
争えば、必ず乏しくなります。
多くの人は、争うことによって豊かさを得られると思い込んでいます。
争いによって得られるのは、一時的な、それも利己的な利益だけなのです。
それは、一時的にあなたに利益(と思われるもの)をもたらしますが、後にそれが負債でしかなかったことを知るでしょう。
この世界における豊かさの理(ことわり)は調和なのです。
そのため、調和を求めない者には豊かさは導かれないのです。
人は、その愚かさ故(ゆえ)に安易に争います。
人は、その浅はかさ故に奪い合うのです。
不調和によって豊かさを実現したこれまでに人はいません。
それは、これからもいないのです。
例えば、自然環境を破壊して、豊かに生きることのできる人間が存在するでしょうか?
それが不可能なことは、誰にでも理解することのできる簡単なことなのです。
あなたが不調和によって得られる豊かさがあるでしょうか?
それが存在しないということは、想像に容易(たやす)いことなのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、争いを選択してはなりません。
どうすれば自分の利益に繋がるか?ということではなく、どうすれば互いの利益に繋がるか?ということを考えましょう。
取り分が半分になったとしても、互いで分け合った方が後の利益に繋がるということを理解しましょう。
相手から利益を奪うことによって絶交するよりも、少ない利益を分け与えることを続ける方が、結果的には多くの利益を得ることができるのです。
これは誰にでも理解することができることなのです。
争ったとしても、良いことなど何もありません。
争えば、互いの消耗が導かれるだけなのです。
責任や信頼を放棄して得られるものに、どのような価値があるというのでしょうか?
利己的に生きたところで、価値のあるものは手に入りません。
思慮(しりょ)を深くしましょう。
そうすれば、争うことが価値を生み出さないということに気が付くでしょう。
小さなことに執着せず、大きな視野と器によって生きましょう。
あなたは自らの選択を改めなければなりません。
争いを手放すことなく、乏しさを手放すことはできません。
あなたの抱えている問題の本質は、自らの闘争心にあるということを理解しましょう。
争うことをやめれば、問題は解決します。
大切なのは、実践することです。
争わずに生きましょう。
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