すべての人は、人生に対して豊かさを求めています。
	人生の目的の一つが、それに豊かさを導くことです。
	すべての人が豊かな人生を生きる権利を持ち、すべての人が豊かな人生を生きなければならないのです。
	人生を豊かなものにするのは、人の責任です。
	あなたは、人生を豊かなものにしなければなりません。
	そのための努力なのです。
	すべての努力は、人生に豊かさを導くためにあるのです。
	そのため、あなたの努力は豊かさへと向けられていなければなりません。
	しかしながら、多くの人は豊かさを見誤っています。
	何が豊かさであるのかを知らないのです。
	何が豊かさであるのかを知らなければ、豊かさを導くことはできません。
	探し物を知らない者が、探し物を見付け出すことはできないのです。
	そのため、あなたは豊かさを知らなければならないのです。
	しかしながら、豊かさを知るのは簡単なことではありません。
	それは、単純なものではありますが、見付け出すことは困難なのです。
	それは、河原から一つの石を探し出すようなものなのです。
	あなたは、自分で投げた石を、河原の石の群れから探し出さなければならないのです。
	人生の豊かさとは、人生の目的です。
	あなたが人生を始める時には、目的を掲げたのです。
	しかしながら、時間の経過と共にそれを見失っている状態なのです。
	投げた石を探し出すためには、時間の経過を許してはなりません。
	時間が経過する程に、石に対する記憶は薄れ、それを探し出す熱意も失ってしまうからです。
	そのため、あなたは今すぐに人生に対する目的意識を掲げなければならないのです。
	それは、人生を意識するということです。
	多くの人は、人生について考えてはいません。
	目の前の欲望や問題については考えていますが、最も大切な人生については考えてはいないのです。
	河原の石の群れで遊んでいるのであれば、自分の投げた石を探し出すことはできません。
	ただでさえ、投げた石を探し出すのは困難です。
	それなのに、目的意識を失ってはならないのです。
	あなたは人生について考えなければなりません。
	これは、何のための人生なのですか?
	あなたの人生の豊かさとは何ですか?
	そのような意識を以(もっ)て生きるのであれば、目の前の状況に対する関わり方にも違いが生じることでしょう。
	多くの人は、自分が無知であるということを知りません。
	自分が無知であるということを知らないばかりか、自分が正しいとさえ思い込んでいるのです。
	無知は分際を見誤ります。
	そのため、多くの人は、自らの分際を弁(わきま)えてはいないのです。
	自らの分際を見誤っていれば、選択を誤ります。
	それは、自分を知らなければ、自分にとっての豊かさを知ることができないからです。
	投げた石を知らなければ、それを探し出すことはできません。
	大切なのは、自らの分際を弁えることなのです。
	無知は、分際を覆い隠します。
	そのため、あなたは無知であってはならないのです。
	学びは、どこにでも存在しています。
	当たり前の日常は、学びの宝庫です。
	あなたは、どのような事柄からも学ぶことができるのです。
	すべての状況は、あなたが豊かさを実現するための学びであるのです。
	そのことを覚えておかなければなりません。
	そうでなければ、目の前の状況は希薄(きはく)なものになってしまうからです。
	印象の薄い言葉を重ねて聞いても、あなたが知恵を得ることはできません。
	しかしながら、一つの印象に残る素晴らしい言葉を聞くのであれば、知恵を得るには事足りるのです。
	意識の状態が重要です。
	あなたは学び取ろうとする意欲を持たなければならないのです。
	すべては豊かさのためです。
	意欲を持たない者には、豊かさは決して導かれません。
	何と無く生きてはなりません。
	努力を豊かさに変えましょう。
	無限の可能性の中から、自分の人生の豊かさを明らかにしましょう。
	
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