すべての器には、それに相応しい容量が存在します。
	どのような器も、容量を超えて蓄えることはできません。
	すべての器は、容量を越えれば溢れてしまうのです。
	あなたは、自らの器というものを弁(わきま)えていなければなりません。
	人は、自らの器を超えて何かを許容(きょよう)することはできないのです。
	人は、それぞれに器を所有します。
	それを分際と呼べば良いでしょう。
	人は、それぞれの分際と共に生きているのです。
	自らの分際を弁えることによって、人生は豊かなものとなっていくのです。
	しかしながら、多くの人が自らの分際を弁えません。
	多くの人は、分際を弁えずに多くを求めます。
	多くの人は、欲深いのです。
	自らの分際を超えて欲しがるのです。
	理想とは、欲の形です。
	現実とは、分際の許容範囲です。
	多くの人が理想を求めています。
	しかしながら、理想とは、許容を超えた欲求なのです。
	許容を超えて欲すれば、それは器から溢れ出してしまいます。
	器から溢れ出せば、汚れるのです。
	汚れるのであれば、掃除しなければなりません。
	これが問題であり、苦悩であるということを知る必要があるのです。
	人生における問題や苦悩は、許容を超えて欲する強欲によってもたらされるのです。
	あなたは、そのことを覚えておかなければならないでしょう。
	どのような胃袋も、食べ過ぎれば吐き出します。
	あなたが食欲に飢えていたとしても、胃袋には限界があります。
	胃袋の許容を超えて食べ続けることはできません。
	食べ続ければ必ず問題と苦悩を引き起こすのです。
	そのことは、誰にでも理解することのできる簡単なことです。
	しかしながら、多くの人がそれを人生に当てはめて考えることができないのです。
	多くの人が、より多くを所有することを求めています。
	多くを所有することが安心と安全を実現すると考えているのです。
	しかしながら、そのようなことにはなりません。
	多過ぎる所有は、問題と苦悩を引き起こす原因となるのです。
	食欲を制限することによって、人は食事を楽しむことができます。
	心地好い食事を楽しむためには、胃袋の許容を超えてはならないのです。
	それと同じように、豊かな人生を生きるためには、自らの器の許容を超えてはならないのです。
	あなたは、自らの分際を弁えなければなりません。
	抱えられる重量以上の荷物を抱えてはなりません。
	必要以上に欲しがってはならないのです。
	あなたは欲に溺れてはなりません。
	必要以上に所有しても、豊かさは導かれないのです。
	最善とは、少し足りない程度です。
	満たされることは最善ではありません。
	現実が満たされることはありません。
	現実は、必ず少しだけ何かが足りないのです。
	しかし、それで良いのです。
	あなたは理想との折り合いをつけなければなりません。
	器に対して目一杯に蓄えても、それを運ぶことはできません。
	何事にも余裕が必要なのです。
	そのことを理解しましょう。
	あなたは、”まだ足りない”と思ってはなりません。
	不満や不安が駆り立てても、それに従ってはなりません。
	惑わされることなく、自らの分際を弁えていましょう。
	理想に従ってはなりません。
	何かが少し足りない現実を大切にしましょう。
	
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