すべての人は、幸福を求めています。
人は、幸福を得るために生まれたのです。
人は幸福を探し求めます。
多くの人は、日夜幸福を探し求めているのです。
しかしながら、幸福を見付け出すことのできる人は多くはいません。
多くの人は、探し求めても幸福を見付け出すことができないのです。
多くの人が幸福を見付け出すことができないのは、幸福を探し求めているからです。
残念ながら、探し求めたとしても、幸福を見付け出すことはできないのです。
理由は簡単です。
それは、幸福を探し求めているからです。
探し求めなければ、幸福はすぐに見付かるのです。
しかしながら、探し求めるのであれば、見付け出すことはできないのです。
多くの人は、この話を理解しないでしょう。
それは、探し求めれば見付かるという前提を所有しているからです。
幸福というものが、どこかに存在していると考えているのです。
多くの人の考える幸福とは、限定的な状態のことです。
多くの人は、幸福に対して条件を定めるのです。
条件を満たすものこそが幸福であり、条件に背くものを不幸とするのです。
多くの人の考える幸福の条件は、非常に限定的です。
多くの人の幸福というものは、高い理想であるのです。
そのため、幸福を得ることのできる人は少ないのです。
多くの人が不幸を抱えながら生きているのが現状なのです。
多くの人は、幸福には条件が必要だと考えています。
条件が整うことによって初めて、幸福が実現するのだと思い込んでいるのです。
残念ながら、人生に”悪いこと”は存在しません。
しかしながら、”良いこと”も存在しません。
多くの人は”悪いこと”を避け、”良いこと”を探し求めているのです。
それが、”歪んだ”条件として成立しているのです。
人生には、悪いことも良いことも存在しません。
それ等の判断は、自らの心(頭)の中において行われているのです。
人は、自分勝手に不幸となり、自分勝手に幸福になっているということなのです。
あなたは、その”絡繰(からく)り”に気が付かなければなりません。
人は、今すぐにでも幸福を得られるのです。
要(よう)は、幸福を探し求めなければ良いのです。
探し求めるということは、条件を定めるということだからです。
限定的に探し求めるのであれば、見付かることはありません。
しかしながら、条件を定めることなく、目の前の現状の中から最善を見出すのであれば、幸福を得ることができるのです。
多くの人はこれを、自分を騙(だま)して、偽の満足を喜べと解釈するかもしれません。
しかしながら、これはそういうことではないのです。
この世界においては、小さなことを積み重ねることによってのみ、大きなことを成すことができるのです。
小さなことを積み重ねることをせずに、初めから大きなことを成そうと意気込んでいる者が多いのです。
しかしながら、そのような方法では決して大きなことを成すことはできません。
壁を築こうと思えば、運ぶことのできる石を積み重ねるのです。
運ぶことのできない大きな岩で壁を築こうとしても、それは叶わないのです。
多くの人は、運ぶことのできない大きな岩によって幸福(壁)を築こうとしているようなものなのです。
そのため、理想や妄想は膨らみますが、何も実現しないのです。
あなたは現状において、自分にできることを行うのです。
現状の中に幸福を見出すことが重要なのです。
現状という現実は、理想とは程遠い状態でしょう。
しかしながら、現状にも必ず満足することのできることがあるのです。
それは、取るに足らない小石であるかもしれません。
しかしながら、その小石を集めるのです。
多くの石によって壁を築くためには、小石の役割が重要だからです。
”幸福は一日にして成らず”ということなのです。
幸福も不幸も、自分が築きます。
石を運ぶ者は壁を築き、岩に想いを馳(は)せる者は何も得ません。
詰まらない条件に縛られず、柔軟に幸福を手にしましょう。
幸福を探し求めることをやめ、目の前の現状に最善を見出しましょう。
今、できることをやるのです。
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