この世界には、無駄なものは存在しません。
どのようなものであれ、それは必要であるために存在しているのです。
多くの人は、”頭の中”で物事を考えます。
それは、小さな価値観や、歪んだ決め付けによって、ものの価値を判断しているようなものなのです。
そのため、多くの人にとっては、無駄が存在するのです。
多くの人にとって価値の無いと思えるものであっても、本来は価値のあるものです。
多くの人は、好みによって価値を判断しているに過ぎません。
自分にとって価値の無いものは、価値が無いと思い込んでいるのです。
しかしながら、その価値を理解することができないだけであって、そのものに価値が無いということではありません。
大切なのは、自分が小さな価値観や歪んだ決め付けに騙(だま)されているということを理解することです。
すべての人は未熟です。
どのような人物であろうとも、その価値観には偏(かたよ)りがあるのです。
どのような人も、価値を分別しています。
自分(現状)にとって価値の高いものと低いものを分別することは大切です。
しかしながら、自分にとって価値の低いものを無価値と決め付けることには注意する必要があるのです。
今は価値が低いと思えるものであっても、後には価値が高いと思えることもあるのです。
例えば、多くの人が人生に後悔を残しているのは、ものの価値に気が付くことができなかったからに他ならないのです。
多くの人が欲望に溺れ、勤勉な生活を嫌います。
しかしながら、多くの人が堕落した時間の使い方に後悔するのです。
欲望に従って生きることが悪いという訳ではありません。
欲望に従って生きながらも、勤勉さを見失ってはならないのです。
勤勉に生きている者は、欲望を否定します。
しかしながら、勤勉に生きている者は欲望の価値を見失ってはならないのです。
どのようなものにも、それぞれの価値があり、それは豊かな人生に対して活用することができるものなのです。
活用することができる価値を否定すれば、豊かさは半減するのです。
多くの人が、自分が勝手に考える価値だけで豊かさを得ようと考えています。
自分にとって価値のあるものだけで、人生を豊かに生きようとしているのです。
残念ながら、それは不可能です。
それは、夜を嫌っている人が、昼だけを求めるようなものだからです。
残念ながら、あなたは独りでは生存することができません。
あなたの人生は、自分以外の様々な存在によって成り立つのです。
多くの人は、そのことを忘れているのです。
多くの人は、知らず知らず利己的な思考に陥(おちい)っているのです。
自分にとっては価値の無いものであろうとも、自分を支えてくれている他者には価値のあるものなのです。
あなたが不要だと思うものであっても、誰かには必要なものなのです。
自分のことだけを考えるのであれば、それは価値の無いものに思えます。
しかしながら、そのような狭い視野であっては、豊かさを実現することはできないのです。
大切なのは、全体性を見失わないことです。
客観的な視点に立つことによって、価値の偏見を手放すのです。
無駄に思えるものはあったとしても、無駄なものは存在しません。
あなたは常に自分を疑う必要があるのです。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいるのです。
残念ながら、自分が正しいという思い込みには、高い価値はないのです。
自分が正しいという思い込みは無駄ではありません。
しかしながら、それを盲信(もうしん)すれば、一つの価値観に執着することになるのです。
一つの価値観に執着すれば、価値を変換することはできません。
それでは、現状が変わることはないのです。
例えば、多くの人は恐怖心を否定します。
恐れることを恐れているのです。
しかしながら、恐怖心にも大切な価値があるのです。
例えば、恐怖心が無ければ、方針を変更することはできません。
なぜなら、恐怖心がブレーキの役割をしているからです。
多くの人が勇気を求め、恐怖心を否定します。
それは、突き進むことだけに主眼を置いているようなものなのです。
目的地へと辿り着くためには、恐怖心による減速が必要です。
突き進むだけでは、決して目的地へと辿り着くことはできないのです。
今までは否定していた恐怖心を活用しましょう。
汚れることを恐れることによって清まるのです。
歪むことを恐れることによって正すのです。
価値を限定してはなりません。
この世界には、無駄なものは存在しないのです。
価値を変換することによって、すべてのものを活用しましょう。
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