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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2019年1月31日木曜日

変化の中

すべての人は、人生を豊かに生きなければなりません。
この世界には、人生を乏しく生きて良い者など存在しないのです。
すべての人が、豊かな人生を生きなければならないのです。
あなたは、自らの人生に豊かさを感じているでしょうか?
もしも、空しさや苦しみなどの乏しさを感じているのならば、その道は間違っています。
あなたは、人生を乏しく生きるために生まれたのではありません。
あなたは、今、この瞬間にも豊かさを感じていなければならないのです。
過去に執着し、未来に期待してはなりません。
大切なのは、今、この瞬間にどう感じているか?ということなのです。
現状に対して、豊かさを感じることが出来なければ、他の道を探さなければなりません。
悩みや苦しみが問題なのではありません。
悩みや苦しみを抱えていながらも、豊かさを感じる人はいるのです。
問題は、悩みや苦しみに対して乏しさを感じているということだと理解しなければなりません。
あなたは、どのような現状に対しても、豊かさを感じることが出来ます。
人生を豊かなものにするためには、どのような現状に対しても豊かさを感じなければならないのです。
自分にとって都合の良い状況には豊かさを感じても、自分にとって都合の悪い状況には豊かさを感じられないでいる人が多いのです。
多くの人は、都合によって豊かさを考えます。
自分に都合の良い状況を豊かさだと思い込んでいるのです。
残念ながら、人生には、自分に都合の良い状況というものが実現することはありません。
どのような状況も、自分にとって都合の良い部分と、都合の悪い部分が存在しているのです。
豊かさを感じるためには、自分にとっての都合で人生を考えることをやめなければなりません。
豊かさは、都合では計ることが出来ないのです。
大切なのは、都合によって心が左右されないことです。
心はいつも都合によって惑(まど)わされます。
あなたはいつも、心に従います。
人生は、常に豊かなものです。
しかしながら、それを分解し、一部だけを所有しているのがあなたなのです。
一部を理解していることでは、全体を理解することは出来ないのです。
全体を理解することがなければ、豊かさを得ることは出来ないのです。
多くの人は、一部に執着し、一所(ひとところ)に停滞しています。
それでは、人生は乏しいのです。
あなたは一部を手放し、全体を手に入れなければなりません。
変化の中にいなければならないのです。
新鮮な空気を吸い、新鮮な水を飲み、新鮮な食物を摂(と)らなければなりません。
清潔に身体を洗い、清潔な服を着て、清潔な寝床で休まなければなりません。
変化とは、特別なことをする訳ではありません。
当たり前のことを行うだけなのです。
自然に生きることです。
自然とは、変化です。
変化が止まることは不自然なのです。
あなたは、変化を生きなければなりません。
吸い込んだ空気をいつまでもとどめておくことは出来ません。
それは、不自然だからです。
身体は自然と空気を吸い込み、吐き出すのです。
それが自然です。
自分の都合によって呼吸を止めれば、不自然によって苦しみが生じるのです。
嬉しくても、苦しくても、あなたは呼吸をしなければなりません。
嬉しいからといって、呼吸を止める訳にはいきません。
同じように、苦しいからといって、呼吸を止める訳にもいかないのです。
あなたは、嬉しくても、苦しくても、同じように呼吸しなければなりません。
人生には、常に変化が生じます。
あなたには、それを食い止めることは出来ません。
それは、豊かさを実現するためなのです。
人生は、すべての人に豊かさを与えようとしています。
しかしながら、多くの人はそれを拒(こば)むのです。
あなたは、受け取らなければなりません。
そして、あなたは手放さなければならないのです。
それは、豊かさのために仕方のないことです。
新たに受け取るものは、以前よりも良いものです。
新たに手放すものは、以前よりも良いものを手にするためなのです。
変化によって、あなたは全体を得ます。
全体を手にすることによって、人生は豊かさを実現するでしょう。

2019年1月30日水曜日

自業は自得

すべての人生には、大切な意味が存在しています。
この世界に、意味の無い人生は存在しないのです。
どのような人物の、どのような人生にも、大切な意味が存在しているということを理解しなければなりません。
そして、それを忘れてはならないのです。
すべての人生は、意味を以(もっ)て展開します。
しかしながら、人生の意味を理解することは容易ではありません。
人生の意味は隠されているのです。
あなたは、人生の意味を探さなければなりません。
探さなければ見付かりません。
待っているだけでは得られないのです。
人生の意味は、人生の目的です。
あなたは、人生の目的を探さなければならないのです。
人生の目的は、それぞれに異なります。
人生の目的は、それぞれに定められているのです。
あなたは、自分の人生の目的を探さなければなりません。
自分の人生の目的を探し、人生の意味を見出さなければならないのです。
しかしながら、人生の目的や意味を見出すことは容易ではありません。
なぜなら、あなたは未熟であるからです。
すべての人は未熟です。
未熟であるが故に、探さなければならないのです。
あなたは、目的を果たすために生まれました。
人生の意味を知るために生まれたのです。
しかしながら、未熟であるあなたには、人生の目的や意味を理解することは難しいでしょう。
そのために、あなたは成長しなければならないのです。
成長することが出来れば、人生の目的や意味を理解することも出来るでしょう。
そのために、あなたは自分を見つめなければならないのです。
あなたには、常に自分と向き合う状況が実現しています。
あなたは、目の前の状況から、自分を学びます。
目の前の状況は、そのすべてがあなたを教える学びなのです。
例外は存在しません。
どのような状況が導かれたとしても、それは自分を知るための学びであるということを覚えておかなければならないのです。
そのことを忘れてしまえば、目の前の状況に価値を見出すことが出来ません。
価値を見出すことができなければ、それを学ぶことは出来ないのです。
残念ながら、多くの人は、それが学びであることを知りません。
それが、どのような状況であろうとも、大切な意味を持つということを忘れてはならないのです。
目の前の状況は、あなたの選択によって導かれます。
人生は、あなたの選択の結果なのです。
あなたの選択が、目の前に導かれる状況を決めます。
それは、どのような学びを得るか?ということを決めるのです。
すべての選択が、自分を成長させるための学びです。
あなたは、そのことを覚えておかなければならないのです。
自らの選択は、学びとなって導かれます。
自業(じごう)は自得(じとく)となるのです。
人生には、自分にとって都合の悪い状況も導かれます。
それを得だとは思えないかも知れません。
大切なのは、結論を急がないことです。
自らの蒔(ま)いた種から、成長の実りを得ることが出来ます。
しかしながら、実りはすぐには得られないのです。
あなたが目の前の状況の意味を理解するためには、相応の時間と経験が必要なのです。
人生を焦る必要はありません。
時間はたっぷりと使いましょ。
人生を都合によって考えてはなりません。
人生は、あなたの都合に関係なく、必要を導きます。
意味のない状況は存在しません。
そのことを覚えておきましょう。
すべての状況を大切に扱わなければなりません。

2019年1月29日火曜日

輪郭

すべての人は、人生に豊かさを求めています。
すべての人が、人生に豊かさを求めているのです。
しかしながら、多くの人は豊かさに辿り着くことが出来ません。
なぜなら、豊かさが何か分かっていないからです。
多くの人は、豊かさを誤解しています。
愛する人がいて、健康であり、生きるのに必要な財産を所有し、戯(たわむ)れに生きたとしても、それは豊かさではありません。
それは、幸福というものなのです。
すべての人は、幸福を求めています。
なぜなら、幸福が豊かさだと思い込んでいるからです。
残念ながら、幸福は豊かさではありません。
なぜなら、幸福という状態は、自分にとって都合の良い状態のことだからです。
幸福という状態は、偏見であり、誤解に過ぎません。
幸福は、思考の偏りに過ぎず、それを豊かさだとは呼べないのです。
幸福の対局には、不幸という状態が存在しています。
そのため、幸福を追求するということは、不幸からは離れるということなのです。
何事も、バランスを欠けば倒れてしまいます。
あなたが幸福に近付くことは、不幸を遠ざけることです。
それでは、倒れてしまうのです。
豊かさとは、バランスの保たれた状態のことです。
幸福であっても、不幸であっても豊かさではありません。
今、ここに、幸福と不幸が同時に存在する状態こそが豊かさであるのです。
そのため、不幸が乏しさということでもないのです。
幸福も、偏れば乏しさであるということを理解しなければならないのです。
大切なのは、バランスを保つことです。
人は、幸福に偏っても、不幸に偏ってもなりません。
幸福と不幸は、同じように存在しなければならないのです。
実は、すべての状況には、幸福と不幸が同じように存在しています。
それを、人は偏見によって認識しているに過ぎないのです。
ある人は、幸福を認識します。
そして、ある人は、不幸を認識するのです。
すべての人が、同じものを見ています。
しかしながら、別のものを取るのです。
すべての人が同じ樹木から果実を取ります。
すべての人が、同じ果実を口にするのです。
しかしながら、味わい方が異なるのです。
ただ、それだけのことなのです。
多くの人は、”味音痴”なのです。
多くの人の認識には異常があるのです。
多くの人は、正しく見ることが出来ません。
多くの人は、正しく認識することが出来ないのです。
あなたの目の前には、幸福と不幸が同じように存在しています。
あなたには、幸福だけを抜き取ることは出来ません。
もちろん、不幸だけを抜き取ることも出来ないのです。
幸福だけを抜き取った者には、残りの不幸が与えられます。
不幸だけを抜き取った者には、残りの幸福が与えられるのです。
一方だけを抜き取ることは出来ません。
それは、バランスが崩れてしまうからです。
大切なのは、幸福と不幸を同じように受け取ることです。
自分の都合で人生を考えてはなりません。
人生には、自分の都合に関係なく、最善が導かれているのです。
付け上がってはなりません。
あなたは、学ぶために生まれたのです。
それは、あなたが未熟であるからです。
人生の目的を考えましょう。
あなたは豊かさを得るために生まれたのです。
決して、幸福を得るために生まれたのではありません。
光と影は、同時に存在することによって、輪郭(りんかく)という美しさを生むのです。
光だけでも、影だけでも、美しくはないということを覚えておきましょう。
豊かさとは、輪郭を愛(め)でることです。
人生の輪郭(りんかく)を愛でることは、最大の豊かさなのです。
あなたは、美しい人生を生きましょう。

2019年1月28日月曜日

すべての人は、成果を求めています。
それは、目的が存在するからです。
すべての人は、目的を果たすために生きているのです。
どのような人物も、人生に目的を持ちます。
目的の無い人生は存在しません。
どのような人生であろうとも、目的が存在しているのです。
あなたの人生には、あなただけの目的が存在しています。
あなたはそれを果たさなければなりません。
人生の目的を理解していなくても、それを果たさなければならないことを知っているのです。
すべての人が成果を求めるのは、それによって少しでも人生の目的を果たすことの実現に近付くからなのです。
成果を積み重ねることによって、人生の目的を果たすことが出来ます。
一歩一歩を積み重ねることによって、目的地へと辿り着くことが出来るのです。
一つの成果は、人生に踏み出す一歩なのです。
そのために、人は成果を求めるのです。
しかしながら、成果を思い通りに手に入れることは出来ません。
なぜなら、成果を導くのは、必要であるからです。
すべての成果は、必要に従って導かれるのです。
必要な時に、必要な分だけ与えられるのです。
必要とは、最善のことです。
最善とは、人生の目的を果たすための最も優れた状況のことです。
人生は、目的を果たすために存在しています。
それがどのような状況であれ、人生の目的を果たすための最も優れた状況であるということなのです。
人生には、都合の悪い状況というものが存在しています。
しかしながら、悪い状況というものは存在しないのです。
あなたには、理解することが出来ないだけです。
多くの人は、自分の都合によって物事を判断します。
多くの人にとっては、自分の都合に良いものが良く、自分の都合に悪いものが悪いのです。
多くの人は、自分が利己的に生きているということを知りません。
多くの人は、自分が謙虚(けんきょ)であり、健気(けなげ)であり、正しいと思い込んでいるのです。
しかしながら、実情は傲慢(ごうまん)であり、自己中心的なのです。
そのため、必要なのは傲慢と自己中心を手放すための学びです。
あなたは先ず、傲慢と自己中心を手放すための学びを得なければならないのです。
それは、自分の思い描いた成果とは異なる状況です。
それを都合によって判断するのであれば、悪い状況ということになります。
そのため、人生には、あなたにとって都合の悪い状況が次々と導かれるのです。
しかしながら、それは決して悪いことではありません。
寧(むし)ろ、それは、あなたにとっての喜びなのです。
理解することが出来ないことを、悪いことだと判断してはなりません。
あなたには、何が良くて、何が悪いかを理解することは出来ないのです。
成果はすぐには現れません。
人生の大半は、あなたの抱えている問題の解決に費やされるのです。
成果として現れるのは、あなたの抱えている問題が解決した後なのです。
土壌が肥(こ)えていなければ、作物は実りません。
痩せた土地に種を蒔いても、作物は実らないのです。
作物を豊かに実らせるためには、土壌の改良が必要です。
それは、実りが土壌によって左右されるからです。
種が悪い訳ではありません。
あなたは、土を作らなければならないのです。
その後に、作物を作るのです。
土が痩せているのに、種を蒔いてはなりません。
それでは、土は益々痩せてしまうのです。
思い通りの成果が現れなくても、焦ってはなりません。
人生は、思い通りに展開しないものです。
人生は、思い通りに展開しないのが自然であり、最善なのです。
そのことを理解しなければなりません。
思い通りにならない状況が、”土”を作ります。
思い通りにならない状況を嫌ってはなりません。
辛抱強く努力を重ねましょう。
思い通りにならない状況を嘆(なげ)くものではありません。

2019年1月27日日曜日

生涯を通じた課題

すべての人は、役割を担っています。
すべての人は、役割を果たさなければならないのです。
人は、ただ生きるために生まれて来た訳ではありません。
すべての人は、目的を以(もっ)て生まれたのです。
そのため、人生には意味があり、価値があるということを理解しなければならないのです。
多くの人は、人生の意味や価値に興味を抱きません。
自分が何者であり、何のために生きているか?という問いに対して、考えることが無いのです。
考えることがあるとしても、それは一時的なことであり、生涯を通じた課題とはならないのです。
多くの人は、人生を考えません。
多くの人が考えているのは、目の前の欲望や快楽や苦悩についてなのです。
多くの人は、目の前の欲望や快楽を貪(むさぼ)るように生きています。
そして、多くの人は、苦悩に溺れてしまうのです。
目の前の欲望や快楽を貪ることは、人を苦しみへと導きます。
その結果、人は人生に対しての考察を手放してしまうのです。
目の前の欲望や快楽を貪ることによって苦悩に溺れてしまえば、人生の目的を考える余裕はなくなってしまうのです。
多くの人が、人生を考える余裕を無くしています。
平穏な生活を送っている人であっても、人生を考察することが出来なければ、余裕を無くしているのです。
残念ながら、平穏な生活を送っている人は、そのことに気が付きません。
平穏な生活が最上だと思い込み、それを守ろうとするのです。
苦しみを生きていても、平穏を生きていても、人生の目的を知らなければ同じです。
どちらが良いということはなく、どちらも悪いのです。
人生の最上は、役割を果たし、目的を果たすことです。
苦しみを生きていても、平穏を生きていても、役割を果たし、目的を果たすことが良いのです。
人生の目的を果たさなければ、満たされることはありません。
何を成し、何を得ても同じなのです。
それでは満たされることはないのです。
多くの人は、人生を誤解しています。
自分に都合の良い人生を実現することが幸福であり、人生の成功だと思い込んでいるのです。
人生の成功とは、自分に都合の良い現実を作り出すことではありません。
例え、人生が自分に都合の悪いものであったとしても、役割を果たし、目的を果たせば成功なのです。
目の前の欲望や快楽を貪ったところで、人生が成功することはないのです。
すべての人は、役割を担っています。
役割とは、自分に都合の良いものではありません。
役割とは、自分の都合に関係なく、果たさなければならない義務なのです。
しかしながら、人には、自分の担っている役割と目的が分かりません。
それは、隠されているものなのです。
なぜなら、苦労して探し出さなければならないからです。
何の苦労も無しに探し出せるものならば、有り難みがありません。
有り難みの無いものを懸命に果たそうとする人はいないのです。
人生は、あなたに自らの役割を果たし、人生の目的を果たして欲しいと願っているのです。
役割は、あなたの都合には関係ありません。
自分の都合で人生を計ってはなりません。
役割を担っているのだから、人生が思い通りにならないことは自然なのです。
あなたは、自然を生きなければなりません。
自然は、あなたの都合に関係なく、恵みと災いをもたらします。
自然は、あなたの都合に関係ないのです。
それが最上であり、最善であるということを理解しなければなりません。
自然を生きることが無ければ、人生を成功することは出来ません。
人生を深く考えましょう。
そうすれば、自分の都合の方が間違っていることを理解することが出来るでしょう。
すべての人の都合は不自然です。
それは、すべての人が未熟であり、不自然であるからです。
大切なのは、思い通りにならない現実を大切にすることです。
その結果として、あなたは自らの役割を果たすことが出来るでしょう。
人生について考えることを、生涯を通じた課題としましょう。




2019年1月26日土曜日

乾き

すべての人は、人生に対して役割を担って生まれます。
どのような人物にも、この世界における重要な役割が与えられているのです。
重要性は、常識では計ることは出来ません。
この世界には、意味のないと思えることであったとしても、大きな意味を持ち、重要な価値があるのです。
塵(ちり)の一つでさえも、重要な意味を以(もっ)て存在するのです。
しかしながら、常識では、多くのものが無駄として扱われます。
そのため、この世界には苦しみが絶えないのです。
無知こそが苦しみです。
無知は、偏見を生みます。
そして、偏見は誤解を生じさせるのです。
誤解によって、価値は損なわれるのです。
この世界には、必要以外は存在することが出来ません。
不要は、存在することが許されないのです。
どのようなものであっても、必要であるためにこの世界に存在しているのです。
この世界に存在するすべてには、大切な価値があるということを覚えておかなければならないのです。
あなたにも、あなたの人生にも価値があります。
あなたは、必要としてこの世界に生まれたのです。
理由は分からなくても良いのです。
残念ながら、あなたは自分が生きている意味を知ることは出来ません。
あなたは、迷いの生存を続けなければならないのです。
自分が生きている意味を知ることは出来なくても、自分が価値のある存在であることは知っていても良いのです。
自分が価値のある存在であることを知っていれば、自らの価値を探すのです。
人は、価値を探す過程において、自らの担っている役割に気が付くのです。
すべての人は、担っている役割を果たさなければなりません。
役割を果たすことがなければ、人生に幸福を実現することは出来ないのです。
役割を果たすことがなければ、何を得ても満たされることはありません。
役割を果たすことがなければ、何を得ても乾(かわ)くのです。
人は、乾きを覚えると、それを潤すために働きます。
それは、喉(のど)の乾きを覚えたならば、無意識の内にでも、何か飲めるものを探し、それを口にすることと同じなのです。
人は、人生に乾きを覚えたならば、それを潤すために働きます。
それは、自らの役割を果たすための行動を起こすということなのです。
すべての人は、人生に対して役割を担っています。
しかしながら、多くの人は、自らの担っている役割を忘れています。
しかしながら、それは頭(自我意識)で忘れているだけであり、魂(非我意識)では覚えているのです。
多くの人は、頭(自我意識)を使って生活しています。
それは、自らの役割を忘れて生きているということなのです。
魂(非我意識)を使って生活している人はいないのです。
苦しみを覚えず、乾くことなく生きられる人はいないのです。
すべての人が苦しんでいます。
すべての人が乾いているのです。
あなたも、苦しみ、乾いていることでしょう。
それは、自らの役割を忘れ、それに反する選択(生き方)をしているからなのです。
残念ながら、役割に反する選択(生き方)を続けることは出来ません。
なぜなら、それは人生の目的に反するからです。
すべての人は、目的を果たすために生まれたのです。
あなたは、自らの役割を果たし、人生の目的を果たさなければならないのです。
すべての人は、道を誤ります。
しかしながら、それは長くは続きません。
人は、自らの役割に反して生き続けることは出来ないのです。
喉の乾きを無視していれば、命を失うことになります。
あなたは、好きに生きることが出来ますが、喉の乾きを無視することは出来ないのです。
そのため、あなたは、喉の乾きを潤すものから離れることは出来ません。
自らの役割を無視し続けることは出来ないのです。
人生は、自由に選択することが出来ます。
しかしながら、役割を置き去りにすることは出来ないのです。
あなたが喉の乾きを無視することが出来ないように、人生の目的を無視することは出来ません。
あなたは、自らの役割を果たし、目的を果たすことによって自らを潤しましょう。
満足は、役割を果たすことがなければ得られないのです。
あなたが幸福を必要としているのであれば、魂に耳を傾け、自らの担っている役割を果たすことによって、人生の目的を果たしましょう。
乾きを潤すのです。

2019年1月25日金曜日

それぞれの道

人は、それぞれの人生を生きています。
人は、それぞれの人生を生きなければなりません。
誰一人として、同じ人生を生きることは出来ません。
すべての人生には、隔(へだ)たりが存在しているということを覚えておかなければなりません。
これは、あなたの人生です。
他者が介入(かいにゅう)する余地はありません。
どのような人物も、あなたの人生に割り込み、あなたに代わって決定することは出来ません。
誰も、あなたの人生を操作することは出来ないのです。
あなたの人生の決定権を持つのは、あなた自身です。
あなた以外には、あなたの人生を操作することは出来ないのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
これは、重要なことなのです。
あなたは、自分の人生を自分で決めなければなりません。
残念ながら、最終的な決定権を持つのはあなただけです。
誰かに期待したとしても、叶わないことなのです。
これは、自分の人生であるということを覚えておきましょう。
それは、他者にも同じことが言えます。
あなたと同じように、他者も自分の人生を生きています。
他者もあなたと同じように、自分の人生は自分で決めなければなりません。
人生は、それぞれの判断によって展開されるものなのです。
そのため、あなたは他者の人生に介入することは出来ません。
あなたは、他者を操作することは出来ないのです。
あなたが生きているのは、自分の人生だけです。
他者も、同じように自分の人生だけを生きています。
そして、人は、それぞれに役割を以(もっ)て生まれるのです。
それは、それぞれが果たさなければならない人生の目的なのです。
人は、目的を無視して生きることは出来ません。
すべての人は、目的を果たすために生きなければならないのです。
どのように否定しようとも、目的に従って生きなければなりません。
すべての人は、自らの役割を離れることが出来ないのです。
あなたは、自らの役割と共に生きなければなりません。
他者も同じように、自らの役割に従って生きなければならないのです。
あなたの役割と、他者の役割は異なっています。
あなたの人生の目的と、他者の人生の目的は異なっているのです。
人は、それぞれの目的のために生きなければなりません。
人は、それぞれの目的地へと通ずる、それぞれの道を歩まなければならないのです。
あなたは、自分の人生の目的地へと歩まなければなりません。
他者も同じように、自分の人生の目的地へと歩まなければならないのです。
そのため、あなたには、他者を導くことは出来ません。
他者の目的地を、あなたは知らないのです。
他者も同じように、あなたを導くことは出来ません。
それは、他者も同じように、あなたの目的地を知らないからです。
目的地も知らずに、道程(どうてい)を教えることは出来ません。
況(ま)して、あなたは自分の目的地も知らないのです。
自分も導くことが出来ない有り様で、どうやって他者を導くというのでしょうか?
あなたは、自分が何のために生まれ、何のために生きているか?そして、何のために死ぬか知っていますか?
他者の”それ”は、より難しいのです。
他者の人生は、本人に任せる他ありません。
心配しなくても、他者は自分の役割に従って、目的地へと歩みを進めることが出来るのです。
種は、教えなくても芽吹きます。
鳥は、教えなくても飛び、魚は教えなくても泳ぎます。
人は、教えなくても考えるのです。
すべての人は、必要に迫られるのです。
あなたが厚かましく介入する必要はないのです。
人を導くことが出来ると考えるのであれば、それは傲慢(ごうまん)であるということを理解しなければなりません。
あなたは、他者を放っておく他ないのです。
他者がどのような選択をしても、それが役割であり、目的を果たし、目的地へと辿り着くための一歩なのです。
理解する必要はありません。
残念ながら、あなたには理解することは出来ません。
自分を整えておきましょう。
そして、自分の人生を懸命に生きましょう。
あなたに出来るのは、それだけのことです。

2019年1月24日木曜日

終わりのための始まり

すべての始まりは、終わりへと辿り着きます。
終わりへと辿り着くことのない始まりは存在しません。
終わりが存在するからこそ、始まるのです。
誤解してはならないのが、始まりが存在することで終わるのではないということです。
終わりが存在しなければ、始まることはありません。
例えば、死が存在するからこそ、人は生まれるのです。
死が存在しなければ、生も存在しないのです。
すべては終わりへと辿り着くのです。
この世界において、終わりへと辿り着くことのない始まりは存在しません。
どのようなことも、始まればやがては終わるのです。
永遠に生き続けることが出来ないように、終わりに辿り着かないことはありません。
あなたは、始まりを経験します。
それは、何も無いところからのスタートではありません。
終わりが存在するからこそ始まったのです。
重要なのは、始まりではありません。
終わりこそが重要であるということを理解しなければならないのです。
この世界に存在するものは、必ず終わりへと辿り着きます。
例外はありません。
終わりは必ずやって来るのです。
どのようなことも、必ず通り過ぎていきます。
何事も、とどめておくことは出来ないのです。
多くの人は、通り過ぎてしまうことに対して思い悩んでいます。
それをいつまでもとどめておくことなど不可能であるのに、思い悩んでいるのです。
どのような問題や苦しみも、必ず通り過ぎていきます。
通り過ぎてしまえば、それは最早(もはや)、問題や苦しみではないのです。
人生に思い悩む必要はありません。
すべては通り過ぎてしまい、目の前にとどめておくことなど出来ないからです。
あなたは、感傷(かんしょう)に浸ることさえ出来ません。
なぜなら、あなたが立ち止まっていたとしても、それは終わりへと向かって進み続けるからです。
誰にも、その進行を妨げることは出来ません。
始まったものは、必ず終わるのです。
あなたには、思い悩んでいる時間など与えられません。
すべては、通り過ぎてしまうのです。
大切なのは、後悔しないように生きることです。
残念ながら、後悔は先に立ちません。
なぜなら、すべてが終わることを知らないからです。
多くの人は、終わりが来ないと思っています。
しかしながら、終わりは必ず訪れます。
終わりのための始まりなのです。
そのことを理解することなく、満足を得ることは出来ないのです。
終わりが来ることを知らなければ、人は手を抜いてしまいます。
終わりが来ないのだから、いつでも機会があると思い込んでしまうのです。
残念ながら、機会は二度と訪れません。
始まりは、川の流れのようにとどまることなく進み続けるのです。
始まりが終わりを忘れることはありません。
あなたがどれだけ逆らおうとも、始まりは終わりへと辿り着きます。
後悔は先に立ちません。
そのため、あなたは目の前の状況に対して、懸命に向き合わなければならないのです。
目の前の状況は、それがどのようなものであっても、あなたにとって必要なことなのです。
あなたは、それを学ばなければなりません。
そして、終わりへと辿り着いた時に、成長を実現しなければならないのです。
始まりは、ただ終わりへと向かうのではありません。
その目的は、あなたを成長させることなのです。
思い悩んでいてはなりません。
すべては通り過ぎて行くのです。
過程は、そのすべてが学びのための経験です。
思い悩むことによって、経験を無駄にしてはなりません。
どのような苦しみも、通り過ぎれば苦しみではありません。
すべての始まりは、終わりへと辿り着く時に、喜びと成るのです。
終わりは必ずやって来ます。
あなたは、いつ終わりが訪れても良いように、目の前の現実を大切にしましょう。
人生には、気に入らないことばかりかも知れません。
しかしながら、それで良いのです。
学びとは、気に入らないものなのです。

2019年1月23日水曜日

形を整える

すべての人は、役割を果たさなければなりません。
人には、それぞれに役割が与えられているのです。
どのような人物にも、大切な役割が与えられています。
役割には、優劣は存在しません。
目立つものと目立たないものはありますが、それが優劣を分けるということではないのです。
目立つ役割も、目立たない役割も、価値は同じです。
すべての役割がこの世界において大切なものなのです。
役割とは、分際です。
分際とは、それぞれの程度です。
人には、それぞれに適切が存在するのです。
あなたは、自らの分際に相応しい役割を担っています。
あなたの役割がどのようなものであったとしても、それは、あなたに相応しいものなのです。
あなたは、自らの分際を生きなければなりません。
分際とは、特性のことです。
あなたには、何か得意なことがあるはずです。
それが、目立つものであっても、目立たないものであっても構いません。
どちらにしても、得意なことがあるはずなのです。
この世界には、特性を持たずに生まれる人はいません。
その特性が、現時点において、役に立つかどうかは関係ありません。
役に立とうが立つまいが、誰もが自分の特性を持っているのです。
大切なのは、自らの特性を生かすことです。
役に立とうが立つまいが、自らの特性を生かすのです。
そうすれば、あなたは自らの役割を果たすことが出来るのです。
自らの役割を果たすことが出来れば、それは必ず何かの役に立ちます。
あなたは、何も心配せずに、自らの役割を果たしましょう。
目立とうが目立つまいが、役に立とうが立つまいが、自らの役割を果たすために努めなければならないのです。
この世界には無駄は存在しません。
あなたの役割が、どのような形で役に立つか分からなくても、役に立たない役割は存在しません。
どのような役割も、必ず役に立つのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
自らの役割を諦めてはなりません。
自らの特性を信じなければならないのです。
あなたは、自らの役割を果たすための人生を歩むことになります。
それは、避けられないことなのです。
あなたは、自らの特性に従い、自らの役割を果たさなければなりません。
そのためには、役割を果たすために必要な形を整えなければなりません。
役割を果たすために必要な形を整えるためには、そのために必要なものを手放し、そのために必要なものを得なければならないのです。
何かを得るためには、それに相当する何かを失わなければなりません。
何かを失わなければ、それに相当する何かを得ることは出来ないのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
どのような人物も、因果の仕組みに逆らうことは出来ません。
なぜなら、因果の仕組みとは、この世界の理(ことわり)であるからです。
何かを得るためには、それに相当する何かを失わなければなりません。
因果のバランスが崩れることはありません。
何かを得る代わりに何かを失い。
何かを失う代わりに何かを得ます。
この世界に実現するのは必要だけなのです。
あなたは、手放す時が来たら手放しましょう。
そして、何かを得る時には、快(こころよ)く受け入れましょう。
あなたは、自分の役割を知りません。
あなたは、何を手放し、何を得れば良いかを知らないのです。
あなたには、答えが分かりません。
そのため、人生に従う他ないのです。
人生に従って、必要を手放し、必要を得ていれば、あなたは役割を果たすことの出来る形へと変化していくでしょう。
人生は思い通りにはなりませんが、それで良いのです。
思い通りには展開しないからこそ、人生は楽しいのです。
予定調和には楽しみがありません。
何を失い、何を得ても楽しまなければなりません。
それが、分際を生きるということなのです。
あなたは、自らの役割を果たすことの出来る形を整えましょう。

2019年1月22日火曜日

飽きることのないもの

すべての人は、より良いものを探しています。
より良いものとは、本質的なもののことです。
この世界において、本質よりも良いものは存在しません。
本質に近付く程に、優れているということを理解しなければならないでしょう。
すべての人が本質を求めています。
それは、本質こそが至高であることを知っているからなのです。
あなたが求めているのは本質です。
そのことを認識しなければなりません。
多くの人は、自分が求めているものを知りません。
より良いものを求めているにしても、それが本質であるということを知らないのです。
あなたは、自分が求めているものが本質であるということを理解しなければならないでしょう。
すべての人は、本質を求めています。
それは、この世界において最も優れているものであるからです。
それは、この世界において、最も価値のあるものなのです。
この世界の本質とは、愛です。
愛こそが、最も優れており、最も価値のあるものなのです。
すべての人は、愛を求めているのです。
すべての人は、様々なものを通じて愛を得ようとしています。
あなたが様々に努力するのは、本質である愛を欲しているからです。
愛は、すべてに勝ります。
どのようなものも、愛には及ばないのです。
自分が求めているものが何であるかを知れば、選択を誤ることはないでしょう。
あなたは、愛を求めているのです。
それ以外への執着は手放しましょう。
残念ながら、多くの人は、自分が何を求めているかを知りません。
そのため、詰(つ)まらないものに対して、詰まらない執着を抱くのです。
詰まらないものに対する詰まらない執着は、あなたを苦しめます。
なぜなら、それは、本質ではないからです。
本質以外は苦しみです。
愛以外は苦しみなのです。
そのため、人生において、苦しまない人はいません。
苦しみの存在しない人生は、どこを探しても見付からないのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければならないでしょう。
あなたは、苦しみと共に生きなければなりません。
それは、あなたが未熟であり、本質である愛を得ることが出来ないからです。
それは、仕方のないことです。
あなたは、苦しみを諦めましょう。
苦しみから逃れることは出来ません。
苦しみと共に生きることを受け入れなければならないのです。
苦しみを否定しながら生きること程、苦しいことはありません。
なぜなら、それを退(しりぞ)ける手立てがないからです。
不可能に挑戦すること程、苦しいことはないのです。
あなたは、どのように努めても苦しみから逃れることは出来ません。
あなたは、苦しみと共に生きなければなりません。
苦しみを受け入れることによって、苦しみから学ぶことが出来ます。
それは、あなたの成長を助け、本質へと導くのです。
愛は飽きることがありません。
愛を飽きることなど出来ないのです。
愛は時間の経過と共に深みを増し、あなたはそれをより気に入るようになるのです。
本質に近付く程に、愛に近付くことが出来ます。
飽きることなく続けられること程、本質や愛に近いということなのです。
良いものに飽きは来ません。
しかしながら、粗悪なものには飽きが来るのです。
良いものは、より本質的なものです。
本質的なものには、愛が宿っているのです。
あなたは、飽きないものを探しましょう。
飽きないものとは、あなたが好きなことです。
根本的に嫌いなことを続けようとしてはなりません。
その先に愛を見出すことは出来ないのです。
愛を無理矢理に見出すことは出来ません。
愛は、自然の中にこそ生まれるのです。
嫌いなものを好きになろうとして努力を重ねても、そこに愛を見出すことは出来ません。
あなたが、より良いものを手にしたいと考えるのであれば、苦しみを諦め、共に生きましょう。
そうすれば、より良い人生を生きることが出来るでしょう。
飽きることがない程に好きなことを探しましょう。

2019年1月21日月曜日

失うこと

すべての人は、人生において必要を満たさなければなりません。
すべての人生は、必要を満たします。
誰も、必要に対して反発することは出来ません。
どのように抵抗しようとも、必要は必ず実現するのです。
どのように努めても意味を成しません。
あなたは、人生において自らに与えられた必要を満たさなければならないのです。
あなたは必要を満たすために生きています。
人生の目的は、自らに与えられた必要を満たすことなのです。
必要を満たすことのない人生は存在しません。
花の咲かない春や、風の吹かない冬がないように、必要を満たすことのない人生は存在しないのです。
あなたの必要は満たされます。
人生は、どのような手段を用いても、あなたの必要を満たすのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
残念ながら、あなたにとっての必要というものは、あなたの都合を配慮(はいりょ)したものではありません。
すべての人は未熟に生まれます。
そのため、すべての人には、自分に対する必要が分からないのです。
必要は、自分にとって都合の良いものとは限りません。
大抵の場合、自分にとって都合の良いものとは、自分にとって都合の悪いものなのです。
それは、あなたが未熟であるからです。
残念なことに、未熟者は価値を理解することが出来ません。
未熟者は、未熟であるが故(ゆえ)に紛(まが)い物に価値を見い出すのです。
若人(わこうど)が価値を見誤ることを老人は知っています。
それは、自らも昔に同じように見誤ったからです。
若人は、価値を見誤ります。
それは、経験が浅いからです。
それは仕方のないことなのです。
若人は、価値を理解する必要があります。
若人にとっては、価値を理解することが必要なのです。
価値を理解するためには、失わなければなりません。
既存(きそん)を失わなければ、価値を理解することは出来ないのです。
なぜなら、既存よりも、新規(未知)の方が価値があるからです。
人生においては、変化にこそ価値があります。
変化を重ねる程に、人は本質へと近付くことが出来るのです。
ただし、古いものや伝統が悪いということではありません。
これは、あなたの価値観や考え方や生き方についての話なのです。
あなたは、自らの内側に所有する既存を手放し、新規(未知)を得なければならないのです。
その繰り返しによって、人はやがて本質を得るのです。
人生において、本質を得ることは必要です。
それは、人生の意味や目的でもあるからです。
人生の意味や目的を得なければ、人生は空しさを離れることが出来ないということを理解しなければなりません。
失うことを恐れてしまえば、本質に近付くことは出来ません。
抱えている荷物を手放すことなく、新たな荷物を抱えることは出来ません。
失うことを恐れる頑固者には、必要を満たすことは出来ないのです。
失うことを悪いことだと考えてはなりません。
寧(むし)ろ、失うことは良いことなのです。
あなたは、失うことを否定してはなりません。
失うものは、失うべくして失うのです。
決して、無意味や無駄に失う訳ではありません。
あなたが失うのは、より良いものを得るためです。
悪いものを得るのではありません。
あなたは、既存を最高だと考えてはなりません。
既存というものは、それがどのようなものであっても居心地が良く、継続したいと考えるかも知れません。
しかしながら、それでは停滞することで精一杯なのです。
停滞することでは、必要を満たすことが出来ません。
それは、人生を乏しくする方法だからです。
あなたは、人生に逆らうことは出来ません。
失うことを避けることは出来ないのです。
失うことを恐れず、その時が来れば、自ら手放しましょう。
腐ってしまった食べ物をいつまでも大切に抱えていてはなりません。
それは、あなたの腹には苦(にが)いのです。
食べ物は大切ですが、腐ってしまえば価値がありません。
それが、どれだけ大切なものであったとしても、腐ってしまえば手放しましょう。
腐ったものをいつまでも所有していれば、苦しみが襲うことになるのです。
あなたは、そのことに気が付かなければならないのです。
価値を見極めましょう。
今のあなたにとって価値の無いものに執着してはなりません。
失う時には、快(こころよ)く手放しましょう。

2019年1月20日日曜日

学び

あなたは、学ばなければなりません。
あなたにとって、学びは何よりも大切です。
なぜなら、人は学ぶことによって人生に豊かさを実現することが出来るからです。
学ぶことがなければ、人生を豊かに生きることは出来ません。
学ばずに生きた者が、豊かに生きることは出来ないのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
多くの人は、学ぶことをせずに豊かさを得ようと考えています。
それは、傲慢(ごうまん)です。
学ぶことなく豊かさを得ようとする考えは、原因もなく成果を得ようと試みるのと同じなのです。
豊かさの原因は学ぶことです。
あなたが、豊かな人生を望んでいるのであれば、学ばなければなりません。
学ぶことなく、豊かさの原因を得ることは出来ないのです。
すべての状況が、あなたの学びです。
あなたは、すべてを状況を通じて学ぶことが出来るのです。
それは、どのような状況や状態からでも、人生を豊かにすることが出来るということなのです。
あなたは、学ぶことによって、どのような状況や状態であっても、豊かさの原因へと変換することが出来るのです。
学ぶことによって、あなたは、目の前の状況や状態を変えることが出来るということを覚えておかなければなりません。
あなたがどのような状況や状態に陥(おちい)っていたとしても、学ぶことによって現実を改めることが出来るのです。
人生を改めるためには、学ぶ以外には方法がありません。
学ぶことは何よりも大切です。
現実を変え、人生を改めるためには、学ぶことによって自分自身を変える以外には方法がありません。
偶然や奇跡を待ち侘(わ)びたとしても、そのようなものは実現しません。
因果関係の存在しないものは、この世界には実現しないのです。
すべてが因果の結び付きによって実現する最善です。
あなたは、学ぶことによって最善を理解することが出来るのです。
学ぶことがなければ、目の前の最善に気が付くことは出来ません。
最善に気が付くことが出来なければ、人生は空しさを実現してしまうのです。
あなたは、豊かに生きるために生まれました。
乏しく生きるために生まれたのではありません。
そのことを覚えておかなければならないのです。
すべての人は、未熟に生まれます。
それは、学びを必要としているということなのです。
この世界には、学びを必要としない人は存在しません。
なぜなら、すべての人が豊かな人生を望んでいるからです。
豊かな人生を望まない人はいないのです。
あなたは、豊かな人生を望んでいるはずです。
それは、すべての人に与えられた当然の権利なのです。
あなたは、豊かに生きなければなりません。
そのためには、学ばなければならないのです。
学びは、直接的に役に立つというものではありません。
思い通りの結果を得ることなど出来ないのです。
そのため、多くの人が学びを軽んじてしまいます。
学びを軽んじ、目の前の快楽や欲望に従ってしまうのです。
学ぶとは、目の前の思い通りにならない実現を受け入れるということなのです。
目の前の快楽や欲望に逃げることは、学ぶことではありません。
受け入れることこそが、学ぶということなのです。
学びは、間接的に役に立ちます。
そのため、期待せずに成果を待たなければなりません。
人生は、思い通りにならないのが自然です。
人生が思い通りにならないからといって、投げやりな態度で生きてはならないのです。
あなたは学ばなければなりません。
自分が学ぶ立場であることを理解しましょう。
謙虚(けんきょ)な姿勢で、人生を生きましょう。
人生に対して安易に反発してはなりません。
人生は、必ず意味のある状況を導くのです。


2019年1月19日土曜日

心を磨く

これは、あなたの人生です。
あなたは、自らの人生を完成させなければなりません。
人生は、自分に相応しく展開します。
人生を完成させるためには、自分自身を完成させなければならないのです。
人生の完成とは、人生が豊かさを実現することです。
”これで良かった”と思うことの出来る人生であれば、完成したということなのです。
あなたは、人生を終える時に、”これで良かった”と思えるような生き方をしなければならないのです。
人生を決めるのは、自分自身の状態です。
人生は、自分自身に相応しく展開するのです。
あなたが気にしなければならないのは、自分自身の状態です。
しかしながら、多くの人は、自分自身の状態を気に掛けていません。
多くの人は、自分以外の何かを気に掛けているのです。
例えば、他者のことを気に掛けています。
多くの人は、自分が他者にどのように評価されるか?ということを気にしています。
例えば、財産のことを気に掛けています。
多くの人は、どのようにすれば多くの財産を貯(たくわ)えることが出来るか?ということを気にしています。
例えば、多くの人は将来のことを気に掛けています。
多くの人は、将来を危惧(きぐ)しているのです。
例えば、健康のことを気に掛けています。
多くの人は、病気によって苦しむことを恐れているのです。
多くの人は、自分自身のことを考えるよりも、それ以外のことを考えているのです。
これは、あなたの人生です。
人生の原因は自分自身であるということを覚えておきましょう。
自分以外のどのような存在も、あなたの人生の原因ではありません。
自分以外の存在は、人生の過程に過ぎないということを理解する必要があるでしょう。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
どのようなことにも、因果が存在するのです。
この世界においては、原因に相応しい結果が実現するのです。
人生の原因は、自分自身です。
自分以外のどのような存在も、あなたの人生の原因ではありません。
あなたは、そのことを覚えておかなければならないのです。
自分の状態に相応しい人生が導かれます。
あなたは、自分自身の状態を気にしなければなりません。
目の前のどのような状況が存在しても、自分自身の状態を気にしなければならないのです。
人生の原因に成り得ないものをどれだけ気にしても、人生には影響がありません。
他者や、財産や、将来や、健康などは、豊かである方が良いのです。
しかしながら、それ等は自分自身の副産物に過ぎません。
自分自身の状態こそが、他者や財産や将来や健康などの、自分以外の状態を決めるということを理解しなければならないのです。
大切なのは、心を美しく保つことです。
窓ガラスを磨くように、心を美しく磨きましょう。
そうすれば、美しい景色を美しいままで望むことが出来るでしょう。
人生は美しいのです。
しかしながら、多くの人は人生を醜(みにく)いものだと考えています。
それは、心の汚れを通じて人生を見ているからなのです。
どのように美しい景色も、窓ガラスが汚れているのであれば、醜いものとなってしまいます。
多くの人は、自らの心の汚れを見ていることに気が付かず、人生に対して不平不満を吐いているのです。
醜い景色を見たくないのであれば、窓ガラスを磨けば良いのです。
そうすれば、本来の美しい景色を望むことが出来るのです。
多くの人は、目の前の窓ガラスに気が付きません。
なぜなら、先入観を抱えているからです。
人生は、心の整っていない者には苦しいのです。
”わたし”が人生は苦しいものだと言うのは、これを読むあなたの心が整ってはいないからです。
それは、仕方のないことです。
それが悪いと言っているのではありません。
なぜなら、すべての人が未熟に生まれるからです。
あなたは、自分が未熟であり、先入観を抱えて人生を見ているということを理解しましょう。
そのことを理解すれば、自分が見ているものが何であるのか?ということに気が付くことが出来るでしょう。
あなたは、自分の心を見ているのです。
それを美しく保ち、人生を望みましょう。
心を美しく保つためには、目の前の状況がどのようなものであろうとも、それを感謝の気持ちを以(もっ)て受け入れるということです。
否定や拒絶などの反発によっては、心を美しく保つことは出来ないということを覚えておきましょう。

2019年1月18日金曜日

納まるところに納まる

この世界には、因果の仕組みが存在しています。
因果の仕組みとは、原因に相応しい結果が導かれ、結果には、それに相応しい原因が存在しているということです。
この世界において、因果の仕組みを無視することの出来るものはありません。
すべての存在は、因果の仕組みに従わなければならないのです。
あなたも、因果の仕組みの中に存在しています。
あなたが受け取るすべての状況は、自分自身である原因に相応しい結果であるということを理解しなければならないのです。
人生を決めているのは、自分自身です。
人生は、あなたに相応しく展開するのです。
人生が、あなたを無視して展開することはありません。
あなたは、人生において、自分自身を体験しなければならないのです。
どのような状況が導かれようとも、それは、あなたに相応しい状況です。
この世界には、無駄は存在しません。
無意味も無価値も存在しないのです。
あなたの目の前に導かれる状況は、それがどのようなものであれ、あなたにとっての必要です。
それは、あなたの人生の目的に対して、必要不可欠な状況なのです。
すべては、人生の目的を果たすために実現します。
すべては、あなたが目的を果たすための手助けであるのです。
これは、あなたの人生です。
人生は、あなたを助けます。
あなたの人生が、あなたに不利に働くことはないのです。
すべての状況は、あなたが成長を実現し、人生の目的を果たすための最善なのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
そのことを忘れてしまえば、目の前に導かれた最善に対して、不平不満を吐くことになります。
最善に対して不平不満を吐くことは、人生に対して、問題を引き起こす原因を準備することになるのです。
人生の原因は、あなたです。
あなたの態度が、人生そのものであるということを覚えておかなければなりません。
努力は無駄に思えるかも知れません。
それは、思うような成果を得られないからです。
しかしながら、それでも最善が導かれています。
人生は、あなたの都合によって動いている訳ではありません。
残念ながら、あなたの都合によって動いてしまうのであれば、人生は乏しいものになってしまうのです。
なぜなら、あなたは未熟であり、無知であるからです。
未熟であり、無知であるあなたの都合は歪んでいます。
未熟であり、無知な者の都合に合わせてしまえば、多くの問題が生じてしまうのです。
大切なのは、人生を自分の都合で考えないことです。
人生を自分の都合で考えているのであれば、あなたは偏見と誤解を強めてしまうでしょう。
それは、傲慢(ごうまん)を形成してしまうのです。
傲慢によって、人生を豊かなものにすることは出来ません。
傲慢は、必ず人生を乏しいものにしてしまうのです。
どのような状況が導かれようとも、心配は無用です。
どのような状況が導かれようとも、あなたは努力を積み重ねましょう。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
努め励(はげ)んでいる者は、良いところに納まるのです。
努め励んでいる者が、悪いところに納まることはありません。
悪いように見える状況に至(いた)ることはありますが、悪いように見ているのは、未熟者の歪んだ認識なのです。
悪いように見えるだけで、悪い訳ではありません。
努力は決して無駄にはなりません。
成果は、思ったような形では実現しないかも知れません。
しかしながら、それで良いのです。
未熟者に理解することが出来ない状況こそが正しいのです。
心配する必要はありません。
人は、納まるところに納まります。
安心して努め励みましょう。
この世界においては、何一つとして無駄にならないことを覚えておきましょう。

2019年1月17日木曜日

遠回りが近道

人生を思い通りに生きることの出来る人はいません。
これまでに、人生を思い通りに生きた人はいないのです。
これからもいないのです。
すべての人は、自らの人生に翻弄(ほんろう)されます。
誰一人として、予定調和を生きる人はいないのです。
人生は思い通りにはなりません。
どのように努めようとも、思い通りにはならないのです。
人生は、あなたの予想を裏切ります。
人生は、あなたの予想を遥かに上回る展開をするのです。
人生が思い通りに展開すること程、詰まらないことはありません。
予定調和を生きること程、辛いことはないのです。
人生は、思い通りにならないからこそ楽しいのです。
予定が狂うからこそ、喜ぶことが出来るのです。
人生が思い通りに展開し、すべてが予定調和であるのならば、あなたの心が揺さぶられることはないでしょう。
人生が思い通りであるのならば、人は感動することが出来ないのです。
人生において、感動することは大切です。
人生に感動することがなければ、退屈だけが残ることになるのです。
退屈とは、苦痛です。
それは、苦悩を引き起こすのです。
多くの人は、人生に退屈を求めています。
人生に安定という名の予定調和を求め、人生を思い通りにしようと考えるのです。
しかしながら、多くの人は、それが苦悩の原因であることを知りません。
そのため、苦悩の原因が外にあると考え、誰かや何かを嫌うのです。
人生の原因は自分自身です。
どのような状況を得ようとも、その原因を外に探してはなりません。
残念ながら、外に原因は存在しないのです。
人生の原因は、常に自分自身であり、それは自分自身の内に存在しているということを覚えておかなければならないのです。
外に原因を探すのであれば、人生は歪んでしまうでしょう。
人生が歪んでしまえば、それを解かなければならないのです。
それは、停滞を意味しています。
歪んだ人生を解くためには、立ち止まらなければなりません。
あなたに与えられた人生という時間は有限です。
あなたは時間までに、目的地へと辿り着かなければならないのです。
目的地へと辿り着くことが重要です。
目的地へと辿り着けば良いのです。
しかしながら、人生の目的地へと辿り着くことは容易ではありません。
なぜなら、多くの人が立ち止まっているからです。
多くの人は、人生を思い通りにしようと考えています。
しかしながら、その傲慢(ごうまん)さが人生を絡(から)めてしまうのです。
人生が絡まってしまえば、それを解かなければなりません。
あなたは、人生を解くのに更に多くの時間と労力を費やさなければならないでしょう。
人生を思い通りにしようと考えるのであれば、人生が思い通りに展開することはないでしょう。
近道をしようとするのは傲慢(ごうまん)です。
それは、山の頂上を目指すのに、真っ直ぐに登るようなものなのです。
山を真っ直ぐに登ることは困難です。
それは、とても危険なことだと理解しなければならないのです。
山の頂上に辿り着くためには、足場を確保しながら、斜めに登っていかなければならないのです。
真っ直ぐに登るのであれば、道無き道を登らなければなりません。
それでは、頂上に辿り着くことは難しいでしょう。
人生において重要なのは、確実に目的地へと辿り着くことです。
与えられた役割を果たし、人生の目的を確実に果たすことが求められているのです。
無謀(むぼう)な挑戦によって、停滞することなど求められてはいないのです。
多くの人は、近道を求めます。
目的地へと辿り着くことに焦り、先を急ぐのです。
残念ながら、近道は近道としての機能を果たしません。
なぜなら、人生はあなたの思い通りにはならないからです。
近道をすれば、目的地からは遠去かります。
それは、この世界の理(ことわり)なのです。
あなたは、遠回りが近道であるということを覚えておきましょう。
遠回りしているようでも、最善の道を歩んでいるのです。
傲慢(ごうまん)に進んではなりません。
諦めて迂回(うかい)しなければなりません。
人生においては、図(ず)に乗るものではありません。
自らの文を弁(わきま)えなければならないのです。
人生は、長い旅路です。
最終的に目的地へと辿り着くことが出来れば良いということを覚えておきましょう。
急いでは見落とします。
急いではならないのです。
遠回りをしましょう。

2019年1月16日水曜日

劣悪と優良

人生は、心の旅路です。
あなたは、心によって人生を歩みます。
あなたは、目的地へと歩んでいるのです。
すべての人生には目的地が存在します。
すべての人は、目的を以(もっ)て生まれるのです。
人生に目的も無く生まれる人はいません。
どのような人生にも、大切な目的が存在するのです。
すべての人は、目的を果たし、目的地へと辿り着くことを使命とするのです。
あなたは、自らに与えられた役割を果たし、目的地へと辿り着かなければなりません。
目的地へと辿り着くことがなければ、人生は空しいのです。
目的地へと辿り着くことがなければ、何をして何を得ても、人生を乏しく思ってしまうでしょう。
大切なのは、自らに与えられた役割を果たし、目的地へと辿り着くことなのです。
それ以上に大切なことは、この人生には存在しないのです。
あなたは、目的地へと辿り着かなければなりません。
しかしながら、目的地へ辿り着くためには、心が身軽でなければなりません。
人は、心によって人生を歩みます。
心が重たければ、心の足取りも重たいのです。
心の足取りが重たければ、目的地へと歩みを進めることは出来ないでしょう。
そして、目的地へと辿り着くことも出来ないのです。
あなたは、目的地へと辿り着くために、心を軽くしなければなりません。
心を軽くすれば、目的地への足取りも軽いものとなるでしょう。
足取りが軽ければ、目的地へと辿り着くことは特別難しいことではないのです。
心を軽くするためには、本質を見極めなければなりません。
この世界においては、本質へと近付く程に単純となります。
本質から遠く離れる程に、複雑となり、難しいのです。
本質から離れた者には、価値を見極めることが出来ません。
価値を見極めることが出来なければ、多くの物を所有しなければなりません。
なぜなら、価値を見極めることが出来ないために、価値のありそうな物を片っ端から所有しなければならないからです。
そのため、本質から離れた者は、多くの物を所有しています。
しかしながら、多くの物を所有することは、旅を困難にしてしまいます。
荷物は軽い方が良いのです。
重荷を担(かつ)いで目的地へと歩を進めるのは無謀(むぼう)なのです。
重荷を担いだままでは、必ず倒れてしまうということを理解しなければなりません。
初めは良いのです。
初めは、誰もが大丈夫だと思うのです。
しかしながら、歩むに連れて、重荷が体力と精神力を奪うのです。
少しずつ、力を失ってしまいます。
それでは、倒れてしまうのです。
すべての人が失敗を繰り返し、挫折(ざせつ)を経験します。
その度に、本質へと近付くことが出来るのです。
なぜなら、失敗と挫折の経験から、必要のないものに気が付くことが出来るのです。
必要のない荷物に気が付けば、それを手放すことが出来るのです。
残念ながら、多くの人は荷物の選別が出来ません。
多くの人は、必要のないものを必要だと考え、必要なものを必要ないと考えるのです。
そのため、荷物は増えてしまうのです。
人生において必要な物は、そう多くはありません。
あなたにとっての必要は、少ないということを覚えておかなければなりません。
劣悪なものを多く所有することは、賢明(けんめい)ではありません。
劣悪なものを多く所有するよりは、優良なものを少しだけ持つ方が良いのです。
劣悪は余計であるということを理解しなければなりません。
劣悪なものを多く所有していると、優良なものを手に入れることが出来ません。
あなたが優良なものを手に入れるためには、多く所有している劣悪なものを手放さなければならないのです。
すべての人は未熟に生まれます。
そのため、人は劣悪から集めなければならないのです。
劣悪なものは劣悪であるために、多くを集めなければなりませんが、劣悪であるために役には立ちません。
劣悪は、余計なのです。
余計なものに手を塞がれてしまえば、優良なものを掴むことは出来ません。
役に立たないものがどれだけあっても、やはり役には立ちません。
少しであっても、役に立つものがある方が良いのです。
あなたは、余計なものを手放しましょう。
歪んだ考えや感情は、あなたにとっての劣悪です。
それをいつまでも所有するものではありません。
あなたは、”真っ直ぐ”な考えや感情を所有しましょう。
目的地へと辿り着くためには、身軽が良いのです。
余計な考えや感情は手放しましょう。

2019年1月15日火曜日

仲間

すべての人は、未熟に生まれます。
この世界に生まれる人間は、例外なく未熟な存在なのです。
この世界に完璧な人間は存在しません。
どのような人物であろうとも、未熟であるのです。
すべての人は弱さを抱えています。
未熟さとは、弱さのことなのです。
未熟さは、弱さとして現れるのです。
弱さは、苦しみの原因です。
この世界においては、弱さによって苦しみが導かれているということを理解しなければなりません。
すべての人は、弱さによって苦しみます。
すべての人が弱さを抱えているために、すべての人生が苦しみなのです。
この世界において、苦しみの存在しない人生を生きることの出来る人はいないのです。
すべての人が苦しみます。
誰一人として、苦しまずに生きられる人はいないということを覚えておかなければなりません。
あなたは、苦しまなければなりません。
苦しみは避けられないのです。
それは、あなたが未熟であり、弱さを抱えているからです。
どこで、誰と、何をしようとも、苦しみを避けることは出来ません。
人生の原因は自分自身なのです。
自分自身という原因によって、人生という結果が導かれるのです。
あなたは、苦しみと向き合わなければなりません。
どのように努めても、苦しみから逃れることは出来ません。
それは、自分自身の未熟さや弱さから逃れることが出来ないからです。
どこで、誰と、何をしようとも、あなたは自分自身の弱さと向き合わなければなりません。
それは、容易なことではありません。
なぜなら、自分自身の弱さと向き合うことは、恥であり、苦しみであるからです。
それは、避けたいと思うことなのです。
多くの人は、恥や苦しみを避けようと努めています。
多くの人は、自分自身の弱さと向き合いたくはないのです。
多くの人は、自分自身の弱さを知らずに生きていたいのです。
しかしながら、人生の目的を考えると、それは避けられないことなのです。
あなたは、未熟を克服するために生まれました。
あなたは、成長を実現するために生まれたのです。
未熟を克服し、成長を実現するためには、自分自身の弱さと向き合わなければなりません。
それは、とても辛く苦しいことですが、避けられないことなのです。
どのように努めても、弱さは現れます。
あなたの、一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)に弱さは現れます。
あなたは、それに向き合わなければならないのです。
すべての人が未熟です。
良いところもあれば、悪いところもあるものなのです。
この世界には、完璧な人間は存在しません。
それは、自分自身を通じて、あなたが一番知っているはずなのです。
残念ながら、あなたは完璧とは程遠い人間です。
それは、仕方のないことです。
あなたと同じように、他者も完璧とは程遠い人間なのです。
すべての人は、未熟であり、弱い存在なのです。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
互いに未熟であり、弱さを抱え、それに翻弄(ほんろう)される人間であることを知れば、思いやりを以(もっ)て相手に接することが出来るはずです。
未熟者同士が争ってはなりません。
すべての人は、未熟者同士の仲間なのです。
良いところもあれば、悪いところもあるのです。
そのことを忘れてはなりません。
他者の良いところばかりを見て、憧れてはなりません。
他者の悪いところばかりを見て、軽んじてはならないのです。
あなたは、自分が正しいなどと考えてはなりません。
あなたは、自分が良い人間などと考えてはならないのです。
もちろん、自分が悪い人間だとも考えてはなりません。
あなたは、他者と同じように、良いところもあり、悪いところもある人間なのです。
すべての人が未熟者同士の仲間であることを理解して、互いに助け合いましょう。

2019年1月14日月曜日

腐らずに努める

これは、あなたの人生です。
そして、これは他者の人生ではありません。
あなたは、あなたの人生を生きています。
そして、他者はあなたとは別の自分の人生を生きているのです。
人生はそれぞれのものであり、別々のものであることを理解しなければなりません。
あなたは、他者の人生を生きることは出来ません。
あなたは、あなたの人生を外れることは出来ないのです。
同じように、他者があなたの代わりにあなたの人生を生きることは出来ません。
他者も自分の人生を外れることは出来ないのです。
人生とは、それぞれの役割です。
人は、それぞれの役割を以(もっ)て生まれます。
自分の役割を果たすことが人生なのです。
自分の役割を果たすことなく、人生を生きることは出来ません。
自分の役割を無視して生きることは、人生ではないということを理解しなければならないでしょう。
多くの人は、迷いの中に生きています。
多くの人は、様々な問題と苦悩を抱えて生きているのです。
多くの人は、人生の見当が付かないでいます。
自分が何のために生まれ、何のために生き、何のために死ぬか分からないのです。
人生の目的が分からなければ、迷いの中を生きなければならないのです。
人生における最大の苦しみは、迷いの生存です。
迷いの中に生きることは誰にとっても耐え難い苦しみなのです。
残念ながら、多くの人は迷いの中に生きています。
自分が何かも分からず、何のために生まれ、何のために生きて、何のために死ぬか分からないのです。
そのような状態は、人生を空しくさせてしまいます。
多くの人が、人生を空しく生きているのです。
目的も分からず、暗中(あんちゅう)に迷っているのです。
大切なのは、人生を果たすことです。
あなたは人生を完成させなければなりません。
そのために、自分の役割を果たしましょう。
自分の役割を果たすためには、先ずは自分の役割が他者の役割とは異なるということを理解しなければなりません。
残念ながら、多くの人は自分の役割と他者の役割を混同して考えています。
多くの人が、自分ではない他者の人生に憧れを抱き、それを手に入れたいと考えているのです。
それは、遠くの景色が美しく見えるのと同じことなのです。
花畑を遠くから眺める分には美しさ以外に得られる情報はありません。
しかしながら、遠くからは美しいだけの花畑も、近付いてみれば、美しさだけではないことが分かります。
花畑には、当然、土や泥が存在しています。
あなたを襲う虫や棘(とげ)も存在するのです。
実際の花畑は、遠くから眺める程美しいものではないということを覚えておかなければならないのです。
他者の人生を羨(うらや)むことは、賢(かしこ)い方法ではありません。
なぜなら、花畑と同じように、遠くから眺めて憧れているだけに過ぎないからです。
どのような人生にも困難が存在しています。
どのような人生にも、苦労が存在するのです。
遠くから眺める分には美しく見えるものです。
しかしながら、実際にはそうではありません。
どのような人生にも苦しみは存在します。
苦しみの存在しない人生などないのです。
人は、それぞれの必要に応じて苦しまなければなりません。
人は、それぞれの必要に応じて様々な経験をしなければならないのです。
どの人生を生きても同じことです。
特別な人生など存在しません。
苦労のない人生など、どこを探しても存在しないのです。
あなたはそのことを理解しなければなりません。
必要はそれぞれに異なります。
そのため、他者を羨む必要はありません。
人生は、それぞれの必要に応じて展開しているだけなのです。
(都合が)良い時もあれば、(都合が)悪い時もあるのです。
しかしながら、それは、あなたの主観的な認識に過ぎません。
実際のところは、すべての人生には、それぞれに対する最善が実現されているということを理解しなければならないのです。
目の前の損得を気にして生きるものではありません。
そのような態度は、人生を益々乏しくしてしまうのです。
あなたは、自分がどのような現状に追いやられようとも、腐らずに自分の役割を果たそうと努めなければなりません。
人生が思い通りに展開することはありません。
人生が思い通りになると思い上がってはなりません。
決して、人生が思い通りに展開することはないのです。
残念ながら、大抵の場合、人生には問題が生じ、苦しいものなのです。
気楽に生きている人など存在しません。
一時的には気楽に生きているように見えても、別の時に苦労するものなのです。
他者の人生を羨むことには、何の意味もありません。
どの人生を生きても同じことです。
例え、あなたが他者の人生を生きることが出来たとしても、同じように悩み、苦しむのです。
あなたは安心して自分の人生を生きましょう。
現実を否定しても、それ以上の状況が導かれることはありません。
人生には常に最善が導かれているのです。
目の前の現実が、今のあなたにとっての最善なのです。
難しく考える必要はありません。
どのような現実にも腐らずに努めるだけです。
役に立たないと思えることも、後に役に立ちます。
役に立たないと考え、手を抜いていたら、後にそれを使わなければならないのはあなたなのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
あなたは、自分の作った船で海を渡らなければならないのです。
そのことを覚えておきましょう。
迷いの中にあっても、腐らずに努めなければなりません。
それが、後のあなたの役に立つからです。

2019年1月13日日曜日

すべては授かり物

あなたは、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
人生は、その目的を果たすためにあるのです。
あなたの人生は、あなたが目的を果たすために存在するということを理解しなければなりません。
すべての状況、すべての経験が、あなたに自らの目的を果たさせるためのものなのです。
何一つとして、無駄はありません。
何一つとして、悪いことはないのです。
人生におけるすべての状況と経験には、大切な意味があり、大切な価値があるということを理解しなければなりません。
すべては、あなたが自らの目的を果たすために導かれるのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
すべては授かり物です。
すべては、あなたにとっての必要なのです。
人生においては、あなたにとって本当に必要なものが与えられます。
それが、どのような状況であり、どのような経験であっても、それがあなたに必要であるということなのです。
これは、あなたの人生です。
あなたの人生において、あなたにとって無意味なことや、悪いことは起こりません。
無駄や悪いことが起こると考えるのであれば、そのように思う心が存在するだけなのです。
実際には、あなたの人生には、あなたにとっての最善以外が実現することはないのです。
すべては、あなたが成長を実現し、与えられた目的を果たすために必要な状況と経験なのです。
あなたが無駄や悪いと思う状況や経験がなければ、あなたは成長を実現することも、与えられた目的を果たすことも出来ないのです。
人生に無駄は存在しません。
すべての状況と経験を大切にしなければなりません。
多くの人は、自分の都合によって人生を考えます。
自分の都合に良いものと悪いものとして、目の前の状況や経験を考えるのです。
残念ながら、すべての人は未熟です。
そのため、自分の都合で人生を考えているのであれば、目の前の状況や経験の価値を理解することは出来ないのです。
すべては授かり物です。
それが問題であっても、人生からの授かり物なのです。
それが苦しみであっても、人生からの授かり物なのです。
人生が、あなたに無駄を導くことはありません。
この世界には、無駄は存在しないのです。
なぜなら、無駄は存在する意味がないからです。
この世界における、すべてには価値があります。
価値は、意味によって生まれます。
そのため、どのようなことにも大切であり、重要な意味があるということなのです。
多くの人は、自分の都合によって人生を考えているために、都合に合わないものを嫌います。
問題や苦しみというのは、人生にあって当然です。
それは、あなたが未熟であるからです。
未熟者は、偏見と誤解を通じて人生を見ています。
それは、目の前の状況や経験の意味や価値を理解することが出来ないということなのです。
意味や価値を見落とすことによって、その状況や経験を悪いものだと思い込んでしまうのです。
すべては授かり物です。
すべてには重要な意味と価値があるのです。
意味や価値を理解することが出来ないからといって、それを無駄だとか、無意味だとか考えてはならないのです。
残念ながら、多くの人は、目の前の状況や経験に対して、無駄だとか、無意味だとか考えているのです。
それでは、学びを実現することが出来ません。
多くの場合、都合の悪い状況や経験によって理解力が磨かれます。
思い通りにならない状況や経験によってしか、磨かれることのない理解力もあるのです。
すべては授かり物です。
あなたは、大切に扱わなければなりません。
一つ一つの状況や経験の意味や価値を考え、人生の目的を果たしましょう。
理解力不足によって、無駄や悪さを生み出してはなりません。
これは、あなたの人生ですが、人生における意味や価値を決めるのは、あなたではありません。
なぜなら、あなたは未熟であるからです。
あなたには、理解出来ないことの方が多いのです。
安易に目の前の状況や経験に対しての意味や価値を決めず、人生の開示する意味や価値を楽しみに待ちましょう。

2019年1月12日土曜日

意図

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、自らに与えられた役割を果たすことによって、目的を果たすことが出来るのです。
人生において、目的を果たすことは重要です。
なぜなら、目的を果たすことがなければ、人生に対して満足や豊かさを感じることが出来ないからです。
人生において、満足や豊かさを感じることは重要です。
なぜなら、そうしなければ、生まれたことを後悔してしまうからです。
あなたは、後悔するために生まれたのではありません。
あなたは、人生を良かったと思えるような生き方をしなければならないのです。
人生は、辛く苦しいものだと思い込んでいたり、思い込まされている人がいます。
残念ながら、人生は辛いものでも、苦しいものでもないのです。
人生は、楽しく、幸福であるのです。
どのような人生も、決して辛く苦しいものではありません。
それは、すべてには意味があるからです。
この世界には、無意味なものは存在しません。
すべてに意味があり、意味のあるものには価値があるのです。
意味は、意図(いと)によって生じます。
人生というものは、何かしらの意図に従って展開しているのです。
その意図は、あなたの考えを遥かに凌(しの)ぐものであり、あなたに最善を導いているものなのです。
人生には、常に最善が導かれています。
それは、人生には意図があるからです。
人生には、意味があり、価値があるのです。
あなたは、そのことを忘れてはならないのです。
しかしながら、すべての人は未熟に生まれます。
未熟者の解釈(かいしゃく)は歪んでいます。
それは、偏見と誤解に満ちているからです。
すべての人には、人生の意図を理解することが出来ません。
それは、人生の意味や価値を理解することが出来ないということなのです。
そのため、多くの場合、目の前の最善を悪いものだと考えてしまいます。
それが、どのような状況であれ、目の前には最善が導かれます。
人生というものは、人の都合に合わせて展開するということはないのです。
人生は、人の都合に関係なく、最善を導いているのです。
残念ながら、人生の最善と自分の都合が一致することはありません。
なぜなら、すべての人が未熟であるからです。
大切なのは、自分が未熟であることを認めることです。
そして、人生には常に最善が導かれているということを理解することなのです。
理解とは、行うということです。
行うことが出来なければ、理解することは出来てはいません。
あなたは自分の傲慢(ごうまん)に気付き、それを手放さなければならないのです。
人生に従って生きることが、傲慢を手放すということなのです。
多くの人は、人生に対して否定的に生きています。
目の前の状況や自分の現状に対して、不平不満を吐きながら生きているのです。
人生は、最善を導いています。
それを理解することが出来ないからといって不平不満を吐くことは、傲慢以外の何物でもないのです。
傲慢を手放さなければ、あなたは目的を果たすことが出来ません。
なぜなら、傲慢とは人生に対する反抗だからです。
あなたには、果たさなければならない目的があるのです。
果たさなければならない目的を果たすためには、自分の役割を果たさなければならないのです。
自分の役割を果たさなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
あなたは、自分の役割を果たさなければなりません。
目の前の状況がどのようなものであったとしても、それを自分の都合で考えてはなりません。
現状が自分にとって都合の悪いものであったとしても大丈夫です。
この道は間違っていると思っても、心配することはありません。
正しい道は、思い通りには展開しないものだからです。
なぜなら、あなたは未熟であり、その解釈は歪んでいるからです。
どのような状況においても、あなたは自らの役割を果たさなければなりません。
人生には、意図が働いているということを理解しましょう。
闇雲(やみくも)に生きているように思えても、あなたは最善によって導かれているのです。
都合の悪いことが、悪いということではありません。
都合の良いことが、悪いということもあるのです。
自分という小さな器の中だけで、物事を考えてはなりません。
人生は、あなたよりも随分(ずいぶん)と大きなものなのです。
後悔しないように生きましょう。
人生を信用して歩むのです。

2019年1月11日金曜日

真剣に生きる

あなたは、人生を真剣に生きなければなりません。
どのような人生も、それと真摯(しんし)に向き合わなければならないのです。
すべての人生には意味が存在しています。
人生を真剣に生きるということは、人生の意味に対して真剣に向き合うということなのです。
あなたは、人生の意味を知っていますか?
あなたは何のために生まれたのでしょうか?
あなたは何のために生きていますか?
あなたは何のために死ぬのでしょうか?
それ等の問いにも、大切な意味が存在するのです。
意味がなければ、あなたは生まれることは出来なかったでしょう。
意味がなければ、あなたは生きることが出来ません。
意味がなければ、あなたは死ぬことも出来ないのです。
意味を見出すことがなければ、人はその場に停滞しなければならないのです。
人は、意味によって歩むことが出来ます。
無意味に対して歩みを進めることなど出来ないのです。
あなたは歩みを進めなければなりません。
歩みを進め、人生の目的地へと辿り着かなければならないのです。
人生の意味を見出すためには、真剣に生きる必要があります。
人生を無責任に生きたところで、意味を見出すことは出来ないのです。
無責任な者には、何も理解することは出来ないでしょう。
あなたは、自分の人生に対して責任感を以て生きなければなりません。
自分なりに真剣に生きなければならないのです。
そうすれば、現状が最善であるということに気が付くはずです。
現状が最善であるということに気が付けば、現状を受け入れることが出来るのです。
現状を受け入れることが出来れば、現状に対して、不平不満や泣き言を吐くこともなくなるでしょう。
現状を受け入れることは、歩みを進める上で重要です。
現状を受け入れることの出来ない者には、それ以上のものは与えられません。
現状が最善であると理解することのない者には、最善を受け取ることは出来ないのです。
最善を受け入れることが出来れば、次の最善を受け取ることが出来るでしょう。
あなたは、人生の目的地へと辿り着かなければならないということを覚えておかなければなりません。
現状が目的地ではありません。
目的地は、遠くに存在しているのです。
現状は最善ではありますが、真(まこと)ではありません。
真とは、人生の目的地のことです。
あなたは、真へと辿り着かなければならないのです。
残念ながら、現状は良いものではありますが、満足することの出来るものではありません。
満足は、人生の目的地である真に到達した時にこそ得られるのです。
あなたは、真を求めて生きなければなりません。
真は、変化の行き着く先に存在するのです。
そのため、無責任に生きて何かに執着することがなければ、人は真へと辿り着くことが出来るのです。
変化の中に存在するのが真の人生です。
変化を続けていれば、あなたは真を得ることが出来ます。
変化を否定し、停滞を続けているのであれば、あなたは虚(きょ)を得ることになるでしょう。
真を得なければ、人生が空虚(くうきょ)であるということを覚えておかなければなりません。
真剣に生きない者の人生は空(むな)しいのです。
どのような現状であろうとも、あなたは真剣に向き合わなければなりません。
ただし、真剣に生きるというのは、無理をするということではありません。
自分に偽りなく生きることが、真剣に生きるということなのです。
あなたは、目的を以(もっ)て生まれたのです。
その目的は、あなたの魂が知っているのです。
魂に背いてはなりません。
あなたには、どうしてもやりたいことや、どうしても諦められないことがあるはずです。
魂の要求を否定する者には、人生の目的を果たすことが出来ないのです。
自分を偽ってはなりません。
あなたは、真を生きなければなりません。
現状は最善ではありますが、真ではありません。
あなたは真の人生を生きましょう。
そして、空しい人生を手放し、人生の目的地へと辿り着かなければなりません。
真の人生とは何かを考えましょう。
自分の人生を真剣に生きましょう。