あなたには、果たさなければならない目的があります。
あなたは、ただ生き長らえるために生まれたんではありません。
この世の富を奪い合うゲームのために生まれたのでもないのです。
あなたが生まれたのは、崇高(すうこう)な目的のためです。
それは、魂を満たす目的のためなのです。
魂を満たす目的を果たすことは、誰にとっても容易なものではありません。
それは、多くの人は魂を感じながら生きていないからです。
多くの人が自分として感じているのは、自我意識です。
それは、歪んだ意識のことなのです。
残念ながら、すべての人は未熟です。
すべての人が無知であり、歪んでいるのです。
すべての人は、未熟であるために生まれます。
この世界には、未熟でない者は生まれないのです。
未熟者には、自分が何であるのか?ということを理解することが出来ません。
未熟者が自分について考えたとしても、自我意識に行き着くだけなのです。
多くの人にとって、自分というものは自我意識のことなのです。
自我意識とは、弱い自分です。
それは、歪んでいます。
歪んでいるために、偏見と誤解を抱えるのです。
自我意識とは、偏見と誤解の塊(かたまり)です。
それは、決して良いものではありません。
自我意識は、偏見と誤解の塊であるために、物事に対する認識が偏見と誤解を離れることは出来ません。
多くの人の認識は、偏見と誤解によって歪んでいるのです。
歪んだ認識によって世界を見れば、目的も大きく歪んでしまうのです。
多くの人は、自らの果たさなければならない目的を知りません。
多くの人は、自分が魂であるということを知りません。
生き長らえることや、この世の富を奪い合うことが、人生の目的ではないということなのです。
人生は、より崇高な目的のために使わなければなりません。
自我意識の求めに応じて、人生を選択するのであれば、偏見と誤解がより一層強くなるだけなのです。
あなたが、偏見と誤解を離れるためには、自我意識から離れなければなりません。
それは、偏見と誤解を手放すということなのです。
あなたは、生き長らえるためや、この世の富を貪(むさぼ)るために生まれたのではありません。
あなたには、この世界をより良くするという大切な目的があるのです。
世界をより良くするためには、その原因である自分自身をより良くしなければなりません。
自分をより良くするためには、崇高に生きるということなのです。
あなたは、より崇高な目的のために生きなければなりません。
日常の一つ一つの選択を、より崇高なものにしてみましょう。
それは、より本質的であり、美しい選択のことなのです。
あなたが本質的であり、美しい選択を行えば、状況や環境はより良いものとなるでしょう。
しかしながら、状況や環境がより良くなるためには、時間差が生じます。
選択を行ったとしても、すぐに結果が出る訳ではないのです。
結果は、後に実現します。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
あなたは、その時には悪くても、後に良いことを行わなければなりません。
理解されることがなくても、後に良いと思える選択を下さなければならないのです。
”終わり良ければすべて良し”という言葉があります。
すべての人が未熟を生きています。
未熟な者に理解を求めるのは愚(おろ)かなことです。
未熟な者に理解する力はないのです。
例え、多くの人に嫌われたとしても、後に良いことを行わなければなりません。
残念ながら、理解されることはありません。
自我意識は、その場を凌(しの)ごうとしか考えることが出来ません。
しかしながら、魂は、後のことを考えることが出来るのです。
あなたの果たさなければならない目的というのは、より本質的であり、より美しいものなのです。
種を蒔(ま)いたとしても、すぐに花を咲かせ、実を付ける訳ではありません。
種が花を咲かせ、実を付けるまでには、多くの苦労が存在するのです。
果たさなければならない目的を容易に果たせると思い込んではなりません。
果たさなければならない目的を果たそうとすれば、多くの問題が生じるでしょう。
多くの問題を乗り越えた先にこそ、果たさなければならない目的が存在しているのです。
その時に悪くても、安易に諦めてはなりません。
その時に悪くても、後に良いのであれば、その選択を続けましょう。
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