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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2012年7月3日火曜日

顔色

あなたが人から必要とされる存在になるためには、相手の顔色を伺うだけの人間になってはなりません。
相手を思いやり、相手を理解し、相手に譲り、相手を認めることは大切です。
しかしながら、相手を尊重するあまり、相手に対する客観的事実を伝えることができないというのであれば、それは結果として相手を苦しめ、自分自身をも苦しめてしまうことになるでしょう。
大切なのは苦しみと向き合うということです。
自分にとってばつが悪い事実に向き合い、それを克服するということが重要なのです。
自らにとってばつの悪い事実というものは、自らの弱さに起源するものです。
人は自らの弱さを認めることを苦手とし、できる限りその事実に対して知らぬ素振りを決め込もうとします。
多くの人は自らの弱さ、そこから生み出される問題や苦しみと向き合うことに抵抗があるのです。
できる限りそれらを否定し、関わらないようにするのが人間の心理なのです。
人は抱えている問題を先送りにするのです。
あなたには抱えている問題はありませんか?
それを解決する必要があるという認識を持っているにもかかわらず、先送りしていることがありませんか?
自分自身にとっても、相手にとっても、問題とは無視することができないものです。
それは豊かさを崩壊させる力を持っているからです。
自分自身に対しても、相手に対しても、問題を先送りにすることが、今後得るであろう豊かさを崩壊させる原因になっていることを理解しておかなければなりません。
病気を抱えていることを認識していながら、それを放置することが得策であると思いますか?
あなたなら、自らの病気と向き合い、それを逸早く治療することが得策であると理解することができるはずです。
間違いであると認識していながら、その方法に対して無視を決め込むことが得策であると言えるでしょうか?
答えは自ずから出てくるはずです。
あなたならば、抱えている問題に逸早く向き合い、それを正しい方向へと向かわせることが正しいことだと分かるはずなのです。
あなたは自分自身に対し、相手に対して、ばつの悪い部分を指摘し、それを実際に改善することができていますか?
自分自身の問題も解決しない者を、誰が必要とするでしょうか?
自らの問題(間違え)を客観的事実として伝えてくれない相手を誰が必要とするでしょう。
あなたは客観的事実を相手に伝えることで、相手があなたのことを嫌うと思っているかもしれません。
確かに、その場では嫌われてしまうこともあるでしょう。
しかしながら、相手が成長した時、あなたのことを嫌っているかといえば、決してそのようなことはありません。
あなたに感謝することはあっても、嫌うことなど有り得ないのです。
あなたが本当に相手のことを大切に思うのであれば、それが相手にとってばつの悪いことでも、勇気を以てそれを伝えることをしなければならないでしょう。
相手の顔色を伺うだけのような人間を誰が信用するでしょうか?
自分に対して厳しく接し、事実を伝えてくれる相手ほど人は信用することでしょう。
当たり障りのない人間としての評価を得る代わりに、嘘つきとして信用を失うのです。
例え相手に嫌われたとしても、それが問題であり、それが問題を解決する可能性のある客観的事実であるのならば、それを伝えることも必要でしょう。
間違ってはいけないのは、相手の顔色を伺うあまり、事実ではなく嘘を吐いてしまうということです。
嘘は決して豊かさを導きません。
医者があなたに嘘の病名を告げて、あなたは幸せなのでしょうか?
真実を知った時、それでも医者が嘘を吐いていたことに幸せを感じるでしょうか?
人が信用をおけるのはでき得る限りの事実を伝える人なのです。
人に嫌われることを恐れてはなりません。
嫌われても良いのです。
その言葉が事実であり、相手のことを本当に考えているものならば。

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