人生をどのような場所にするのかはあなたの自由です。
あなたが生きたいように生き、築きたいように築けば良いのです。
人生という場所は無形であり、決められたものに従っていくものではありません。
どのように生きようと、どのような人生に築こうとも、それはあなたの自由なのです。
あなたの人生の決定権は、あなたに与えられているのです。
あなたはどのように生きますか?
どのように人生を築くでしょう?
生きたいように生き、築きたいように築き、成りたい自分に成れば良いでしょう。
しかしながら、それは自由ではあれど、そこには明確なルールが存在しています。
ルールを無視することはできません。
何の規制も責任も秩序もない場所には、自由というものは存在し得ないからです。
自由には責任というものが必ず伴っているのです。
それは、人生をどのように築くのもあなたの自由ですが、世界に存在しているのはあなた独りではなく、あなた以外の多くの存在との共存の中でそれを築かなければならないからです。
自分独りならば好き勝手に何もかもを決めることができます。
しかしながら、そこに自分以外の存在が関わるとそうもいきません。
あなたは全体の中のひとつです。
どのように生き、どのような人生を築こうともあなたの自由ですが、それは全体に共通するルールに従ってこその自由であるということを覚えておかなければならないでしょう。
ルールに従わずに得られる自由はありません。
ルールに従わなければ得られる自由は大きいように思えるかもしれません。
しかしながら、ルールに従わなければ必ず罰則が科せられることになります。
人生における罰則というものは直接的なものとは限りません。
それは確実に受け取らなければならず、逃げ果せることはできないのです。
世界には原因と結果のルールが存在しています。
因果関係を断ち切ることなどできはしません。
すべての原因は結果として必ず現れます。
その結果は思わぬ形と成って現れるということもあるのです。
罰則に気が付いた時点でそれを回避しようとしても、時は既に遅いのです。
あなたは必ずしも正直に生きる必要はありません。
正直にする必要がないと判断したのならば、そうすればいいでしょう。
しかしながら、それが正しくない選択であるのならば、そこに何らかの罰則が科せられることは覚悟しておかなければなりません。
あなたはできる限り正しく生きなければなりません。
思いやりや貢献という建設的な方向性を正しさと解釈すればいいでしょう。
そこに思いやりがあるのか?
それが何かに貢献することなのか?
ということを基準に物事を考え、選択するのであれば、その判断が正しいのかどうかということが分かるでしょう。
思いやりと貢献の中で人生を築こうとするのなら、それが遠回りに感じたとしてもあなたは大きな豊かさを得ることができるでしょう。
人はルールに縛られます。
何かの規則を振り払ったとしても、そこには既に新たな規則が存在しているのです。
どのような人物も世界(全体)に存在するルールを無視することはできないということを理解しなければなりません。
自由というものは責任の中にこそ許されるのです。
自分勝手や利己主義がもたらす自由はまやかしです。
本物に見えるかもしれませんがそれは偽物なのです。
似非(えせ)を掴もうとしてはなりません。
でき得る限り本物の自由を掴みましょう。
そのためにあなたは、思いやりや貢献を選択しなければならないでしょう。
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