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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2012年7月17日火曜日

貧弱な言葉

物事の本質に近付くほどに、あなたは真実に触れることができます。
それはあなたに力と豊かさを導くでしょう。
本質に近付くほどに、あなたは「本物」になっていくのです。
「本物」とは、より本質に近い存在です。
志を持つすべての者がその道の先に「本物」を目指しています。
志によって動いているすべての者が本質を見極めようとしているのです。
しかしながら、志を持っているというだけは、本質に辿り着くことはできません。
本質に辿り着くことができないのですから、もちろん「本物」になることもできません。
志した道を行く過程で本質に辿り着くことのできる者もいれば、そこには辿り着けない者もいるのです。
なぜでしょう?
あなたにはその理由が分かりますか?
本質に辿り着く者と辿り着くことができない者の違いは、「苦しみ」に対する価値観の違いによる差だけです。
「苦しみ」という感情に対する価値観の違いが、その者を本質へ辿り着かせるのか?それとも、本質へは辿り着くことができないのか?を決めるのです。
物事の本質に辿り着くためには、その過程においてどうしても向き合わなければならないものがあります。
それは、問題であり、失敗であり、厳しさであり、苦しみなのです。
それらに対して向き合うことのできない者は本質へは辿り着くことはできません。
苦しみを知らない、それを理解していない者が、物事の本質であったり道理を語ることなどできはしないのです。
苦しみを知らない言葉は単なる綺麗事です。
苦しむこともなく知識だけによって紡ぎ出される言葉というものは、そのどれもが単なる綺麗事であると言えるのです。
実際に知らないことを軽々しく口にするものではありません。
自らが苦しんだ末に理解したことでなければ、すべては綺麗事として中空をさ迷うことになるのです。
「本物」の言葉は中空に漂うようなことはありません。
苦しみを知った言葉は真っ直ぐに心に届き、その胸を打つのです。
本質に辿り着くためには、その道における「苦しみ」を知らなければなりません。
自ら苦しみもしないで、薄く貧弱な言葉を紡いではなりません。
「本物」は皆、その道の苦しみを理解した者です。
「本物」ほど、その道の厳しさを知っています。
本質に辿り着くためには、時として命を掛けなければならない場合もあります。
自らの命を掛けるほどの覚悟がなければ、どのような本質へも辿り着くことはできないのです。
あなたはそれを大げさだと笑うかもしれません。
あなたがもしも命を掛けることを笑うのならば、本質へは辿り着くことができないでしょう。
「本物」にもなれません。
物事の本質に辿り着くことができるのは「苦しみ」を恐れることなく、命を掛けることも辞さなかった者だけです。
物事の本質に辿り着くためには、「苦しみ」は避けては通れない問題です。
あなたが志したその道で「本物」を目指しているのであれば、安易に「苦しみ」を拒絶してはならないでしょう。
「苦しみ」に対しても建設的な心でいられる自分を目指さなければならないでしょう。
「本物」になるためには退路はありません。
例え「苦しみ」が相手であっても、本質へと辿り着くことを諦めてはならないのです。
あなたは何になりたいのですか?
何になりますか?
「本物」か?それ以外か?
選ぶのはあなたです。

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