心を小さくとどめてはなりません。
心を現状よりも萎縮(いしゅく)させてはなりません。
人は、心を常に現状よりも大きく広げるように心掛け、その気持ちを大きく保たなければならないのです。
人を司るのは心です。
心が人を作ります。
心がどのような状態であるのかによって、人格や人柄に違いが出てくるのです。
現状よりも萎縮し、小さくまとまろうとする者は、その人格や人柄でさえも小さくまとまってしまいます。
小さな人格や人柄の持ち主が、大きな夢や理想を持ち、大きな成果を上げることなどできはしないのです。
人の価値はその心の大きさによって決まるのです。
あなたがどのような状況に在り、どのような立場にあろうともそんなことはあなたの価値に関わりはありません。
どのような状況や立場に在ったとしても、そこで萎縮して小さな心に収まるのではなく、大きな心(夢、思想、目標、志、所作、人格)を目指して進んでいくことができるような人物にならなければならないのです。
小さくまとまろうとする者に可能性を見出すことはできません。
より高みを目指し、より深みを欲し、より広い世界を求めるような向上心を持っていなければならないのです。
ある意味では人生に安定を求めてはなりません。
安定を求めれば心は保守的に傾いてしまうからです。
保守を貫く心は、人を小さな世界へと追いやり、やがて閉じ込めてしまうでしょう。
そして、人はその小さな世界で得られる小さな安心に安堵し、いつの間にかにそこから動かなくなってしまうのです。
そして、いつの間にかにそこから動けなくなっているのです。
しかしながら、人は自らの欲求(成長するための人生における学び)から逃れることはできず、動けなくなってからも世界(新鮮さ、刺激)を欲するのです。
しかし、小さな安心の中に籠居(ろうきょ)していた者にそれを実現させる力は既になく、その不足が不満や文句、争いの心となるのです。
何かに対して愚痴(ぐち)を並べ立てる者は皆、小さな世界に籠居し、その小さな安心の中でを自らを守っている者だけなのです。
常に高みを目指し、深みを欲し、広い世界を求めている者は、愚痴を並べ立てるような「暇」な時間や考えなど持ち合わせてはいないのです。
心を小さくとどめようとする者は皆、時間と自らの可能性を犠牲にしているということを知らなければならないでしょう。
あなたの現状が理想には届かなくても良いのです。
目標とする誰かのようでなければならないと言っているのではありません。
自分自身の現状を少しでも大きなものにしようとする心掛けが必要なのです。
その心掛けを怠ってはならないということなのです。
自らを大きくしようとする心掛けを忘れたり、それを放棄してしまうのであれば、心は必ず小さな世界にとどまるようになってしまいます。
何もしなければ心は収縮してしまうのです。
心だけではありません。
すべてが収縮してしまうことを理解しなければなりません。
それは滅びを意味しています。
すべては、小さくなるほどに力を失うのです。
心が小さくなるほどに、あなたは生きる力を失ってしまうことでしょう。
視野が狭くなるほど、大切なものが見えなくなってくるのと同じです。
世界が狭まれば、生命を維持する環境も劣悪なものにならざるを得ないのです。
あなたはその心を現状よりも小さくとどめてはなりません。
夢や理想や目標はでき得る限り大きく持たなければなりません。
小さな人間になってはなりません。
大きくすべてを包み込むような愛情を持った人間にならなければならないでしょう。
あなたはその人格、その「器」を育てなければならないということを覚えておかなければなりません。
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