すべてのものには対極的な二つの性質が存在しています。
プラスとマイナス、光と闇、建設的と破滅的…
すべてのものは対極的な二つの性質を所有しているのです。
どちらか一方だけを所有しているということはありません。
プラスだけ、光だけ、建設的な性質のみを所有しているものなど、どこを探しても存在することはありません。
それがどのような存在であろうとも、必ず対極的な二つの性質を所有しているということを了解しなければならないでしょう。
人の心の中には、建設的な部分と破滅的な部分とが存在しています。
強い心と弱い心が共存しているのが人の心というものです。
強さだけを所有している人物は存在しません。
弱さだけを所有している人物も存在しません。
人の心というものは、強さと弱さ、建設的な部分と破滅的な部分が共存しているのが自然なのです。
愛というものでさえ、慈しみと恨みが共存しているのです。
それは、人の心が対極的な二つの性質を所有し、「外」にも存在している対極的な二つの性質を捕らえるからに他なりません。
あなたはすべての中には対極的な二つの性質が存在し、それらが大切な役割を持っているということを理解しなければならないでしょう。
必要であるからそれらは存在しているのです。
その意味を見失ってしまってはなりません。
ひとつの存在の中に対極的な二つの性質が存在しているのは、互いが共存、協力することによって、よりその存在の本質と素晴らしさを理解するために他なりません。
対極的な二つの性質が存在しないのであれば、そのものが持つ本質や素晴らしさを理解することは難しいでしょう。
対極的な部分を知ることで、それぞれの良い部分を理解することができるのです。
日常の素晴らしさを理解している人がどれほどいるでしょう。
多くの人は日常に退屈し、不満さえ持っていることでしょう。
それは、日常に対してその認識が傾いているからに他ならないでしょう。
日常の素晴らしさを理解するためには、それと対極的な存在である非日常というものに認識を広げることが必要なのです。
日常から離れると、日常のことを客観視することができます。
非日常の中にいれば、日常が自らにとって本当はどのようなものであったのかを理解することができるでしょう。
日常の中にどっぷりと浸かっているのであれば、日常の素晴らしさを理解することができないのです。
日常の中にいれば、非日常の素晴らしさを理解することができるでしょう。
人には遠くにあるものほど綺麗に映るのです。
愛の中にいれば愛の素晴らしさを理解することができません。
素晴らしいと思えるものでも、長い間その中に浸っているのなら、いつかはその素晴らしさを見失ってしまうのです。
大切に思えていたものが、何時の間にかに大切に思えていないということもあるでしょう。
慈しみが恨みに変わってしまうということもあるのです。
それらは、その対極的な部分をもう一度理解するために必要なことです。
失敗を受け取ることがなければ、成功の素晴らしさを理解することはできません。
苦しみを味わうことがなければ、喜びを噛みしめることはできないでしょう。
対極的な二つの性質が存在しているのは、目の前の状況と対極にある部分の素晴らしさを理解するためなのです。
非日常の中に長くいれば、どれほど不満に思っていた日常であってもその素晴らしさに気が付くことができるでしょう。
愛から遠ざかっていれば、わずかな親切や小さな慈しみの素晴らしさを理解することができるでしょう。
うまくはいかない状況、失敗、問題、苦しみ…
それらはただあなたを困らせるために存在しているのではありません。
その状況から対極的な部分にある素晴らしさを理解してもらうために存在しているのです。
人は身を以て学ぶことで成長することができます。
すべてはそのものが持つ素晴らしさを理解するためであることを理解しましょう。
当たり前や不満の中に存在している素晴らしさを理解するのが目的なのです。
日常に浸かっているのであれば、非日常に向かいましょう。
当たり前に浸かっているのであれば、当たり前ではないことをしましょう。
そうすれば、当たり前や日常の中に存在している素晴らしさを理解することができるでしょう。
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