道を行くためには、道に従う必要があります。
道が折れ曲がっているのに真っ直ぐ進んだとしても、壁に阻まれて先へと進むことはできません。
人生という道は自らが築いていく必要がありますが、自分独りでは限界があります。
自分以外の存在からの「手助け」がなければ、道を行くことが難しい場合もあるのです。
道を行くためには、その順路に従わなければならない場合があります。
時には流れに従う必要があるのです。
自らの判断や力によって状況を打開し、道を切り開いていく方法が最善である場合と、順路や流れに従い、それらに逆らわない方法が最善である場合があるのです。
その判断に基準はありません。
人生にどのような決断をするのかは、あなたの自由なのです。
自らの意思を貫き、道を切り開いていけるのなら、その方法が許される限りそのまま進めば良いでしょう。
しかしながら、その方法がうまくいかなくなり、先へと進むことが難しくなった時には、自らの意思を捨て、順路や流れに従うということが求められるでしょう。
自らの意思を貫くというのは、ある意味では否定を所有するということです。
否定を所有することなく、意思を貫くことはできません。
それは自らの意思を状況に対して実現させるためには、とても重要なことです。
しかしながら、その方法がうまくいかなくなった時には、自らの意思を捨て、否定する気持ちを手放し、状況をありのままに受け入れることに努めてみましょう。
自らの意思を貫いていた時には気付くことができなかったことが、意思を捨て、否定する気持ちを手放した時に、見えてくるということもあります。
目の前に何らかの障害が立ちはだかった時、それを必ずしも打ち壊し、乗り越える必要はありません。
乗り越えることで得られることもあるでしょうが、乗り越えないことで得られることもあるのです。
河川は必ずしも山を削りその道を築く訳ではありません。
そこに山があるなら、自らを曲げて進むことが最善であることを知っているのです。
それは必ずしも逃げではありません。
互いの利益を考えた時に導き出される最善の結論なのです。
うまくいかない時に無理にもがく必要はありません。
必ずしも逆らわず、違う方法や道を探すという手段もあるのです。
人生は絶えず変化を繰り返しています。
あなたを取り巻く環境も、目の前の状況も、あなた自身の価値観も、すべては絶え間ない変化の中に存在しているのです。
常に最善の方法を探すことが求められるでしょう。
様々な観点から、最も有益な方法を探さなければならないのです。
力み過ぎれば見えなくなります。
眺め過ぎれば進めません。
意思を貫けば行き詰まります。
流れに乗り過ぎれば流されます。
自らが辿り着きたい場所に辿り着くためには、どうする必要があるのか?を考えなければならでしょう。
時には意思を貫き、時には流れに従い、道を進みましょう。
大切なのは道を達成するということです。
目的を達成することができればそれが最善です。
方法や手段はそれほど重要ではないことを理解すれば、あなたの目の前には最善が導き出されることでしょう。
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