心を動かさなければなりません。
感情を育てなければなりません。
感情とは心の表情です。
感情が乏しくなってしまえば、心に表情(動き)が乏しくなってしまいます。
心に表情が乏しければ、感情を十分に吸収することはできません。
心が動き、感情を吸収するほどに、あなたは世界の変化を実感することができるでしょう。
世界の変化を実感することができたなら、あなたの心は感動し、躍動することができるでしょう。
躍動する心はあなたに力を与え、成長を実現させることができます。
その結果、あなたはより多くの豊かさを得ることができるでしょう。
顔の表情が乏しければ、楽しいことも嬉しいことも、悔しいことも悲しいことも半減してしまうことでしょう。
心の表情が乏しければ、感情も感動も半減してしまうのです。
顔も心も動かすことが必要なのです。
心と身体が合わさっているのが人というものです。
どちらもが動くことによって目の前の対象を認識することができるのです。
どちらかが動くことがなければ、それを認識することは難しいのです。
目で追っていても、心が動いていなければ上の空です。
人生を楽しむためには、目の前の状況をできる限り味わう必要があります。
その本質に近付くほどに、その状況を味わうことができるでしょう。
心と身体のどちらもが動くことによって、人はその状況をより深く味わうことができるのです。
味わいのある状況や人生ほど、あなたに豊かさを導くことでしょう。
人生を豊かなものにするためには、それを味わうことが重要なのです。
状況や人生を味わうためには、それが求める感情を自らの心の中から導き出さなければなりません。
感情が動くほど、状況の要求に応じることができているということが言えるでしょう。
どのような感情にも執着してはなりませんが、感情を動かすということはとても大切なことなのです。
一つの感情に執着してしまえば、状況の要求に応えることはできません。
状況は常に変化を続けています。
何か一つの感情に執着しているならば、その時の状況の要求とは的外れな感情を提示しなければなりません。
的外れな感情では状況の情緒を味わうことはできないのです。
感情を動かし、状況に寄り添うことこそ、人生を味わうためには必要なことなのです。
あなたは感情を動かさなければなりません。
それに加えて身体も動かす必要があります。
感情が動いていても、身体が動いていないのであれば、感情はやがて死んでしまうことでしょう。
感情を生かすためには、身体の手助けが必要なのです。
嬉しければ笑えば良いのです。
悔しければ歯を食縛り、悲しければ泣けば良いのです。
感情を殺すこと、身体の動きを止めることには注意をしなければなりません。
より多く、より深く感情と身体を動かし、状況をより深く味わうことが人生を豊かなものにするためには必要なことなのです。
心と身体の動きが乏しくなれば、やがてそれらは使い物にならなくなってしまうでしょう。
動きを失った心や身体では、あなたに豊かさを導くことはできないのです。
錆び付いた機械が利益を生み出すことはできません。
錆び付く前に動かすことが重要です。
機械を手入れするように、自らの心と身体も動きを失わないようにケアするように努めましょう。
ラーシャさん、こんにちは
返信削除もしかしたら、私は心を動かさない努力を一生懸命して来たかもしれません。
嬉しい、楽しいという感情は解放されていますが、悲しいとか辛いという感情を感じても、悲しまない、辛く思わないように…
それは、破滅的思考を持たないようにするためで、状況を良くするためにそれが必要だと理解して、努力していました。
もちろん、それは難しいことなので、実際は悲しみが湧き上がって来てしまったり、苦しさから人を責めたくなってしまったり、妬ましく思ってしまいそうになります
そんな時は『ありがとうございます。ありがとうございます』と呪文のように心で唱え、心を静める努力をしました。
そしていずれは、そのような感情や思考がわき上がらず、状況を受け取れるようになるのがよいことだと思っていたのです。
悲しみや、辛さを感じる心が麻痺しているわけではありません。
また、ラーシャさんのおっしゃる『執着するのはよくない』というのも、自分では上手く説明出来ませんが、私の心の中ではしっくり収まっていて
多分私は『執着しない』事を心がけていたつもりだったのだと思います。
ですが『ありがとうございます』と唱えている自分の顔が能面のようであることも感じていました。
きっと、何かが少し違うのかな…とこのお話を聞いて思いました。
『何か』はまだわかりませんが…
志保凛さん☆
削除破滅的な感情を抑える努力は正しいことだと思います。
それは、自らの心のバランスを保つことに役立ち、感情のコントロールに繋がるからです。
感情というものは長引かせずに、瞬間的なものが良いと感じます。
喜びも苦しみも、瞬間的に高まりすぐ様消え去るのが理想ではないでしょうか?
どのような感情であっても、それに捕らわれるのは現状を見失う原因になってしまうのかもしれませんね。
ただ、破滅的な感情や思考は建設的なものよりも強力なために、それを抑える努力をしなければ破滅的な感情や思考に取り込まれてしまうということだと理解します。
建設的な感情や思考を意識的に増長させ、破滅的な感情や思考は抑制するのは、感情や思考の
性質上とても大切なものなのではないでしょうか?
ただし、破滅的な感情や思考も大切にしなければならないというのが今回の言葉なのだと思います。
ラーシャさん、おはようございます。
削除返信ありがとうございました。
そういえば、随分前に『破滅的思考も大切に』というお話を伺った事があります。やはり、その時の私は『何故だろう』と思っていました。
でも、今回はラーシャさんの返信を読んで心に思い当たる事がありました。
私は破滅的思考を『悪』と捉えて嫌っていたようです。
それは、私の中の破滅的思考だけでなく、他の人の破滅的思考に対してもです。
破滅的思考の言葉を口にしているのを聞いて必要以上に否定的な気持ちになっていたことを、ラーシャさんの返信を読んで初めて気づきました。
それは『愛』とは反対ですよね。
感情を長引かせないことの大切さや幸せも感じています。
ありがとうございます。
今後はそれらを踏まえた上で、自分の心も他の人の心も大切にする事を心がけてみようと思います。