あなたが人生に幸福を求めるのであれば、目の前の状況を充実させなければなりません。
目の前の状況を充実させることができなければ、人生というものを充実させることは難しいのです。
それは、人生というものが一つ一つの状況の積み重ねであるからです。
一つ一つの状況が積み重なったものが人生です。
その一つ一つの状況が充実するほどに、人生というものは幸福へと近付くことができるでしょう。
それは、状況に対する充実感を得ることによって、あなたの心は満たされていくからです。
心が満たされるほどに、人は人生に対して幸福を感じるものなのです。
心が満たされていなければ、どのような状況や環境の中にいようとも、幸福を感じることはできないのです。
大切なのはその心が充実を感じ、幸福感を認識することができているのか?ということなのです。
状況を充実させるということは、状況の中の不足を補(おぎな)い、情勢を潤すということだけではありません。
どれだけ、その状況を物質的な観点から満たそうとも、それで心が満たされることがなければ、その状況が満たされているとは言えないのです。
物質的な状況と、その心の状況がバランス良く満たされている必要があるのです。
しかしながら、人がどのように努力をしても、満たされない状況というものは存在します。
人の力はすべてを満たすことはできないのです。
人為で満たすことのできる範囲のものは知れています。
すべてが人の手で満たされるということはないということを覚えておかなければならないでしょう。
状況には、何かが不足しているということが自然なのです。
どのように尽力しても不足する状況を充実させるためには、自らの心(考え方、受け取り方)を充実させる必要があるのです。
どのような不足な状況においても、その不足すら充実と捕えることのできる価値観が必要なのです。
不足を充実として捕えることができれば、あなたはそこに感謝の気持ちを生み出すことができます。
不足を充実として捕えることができなければ、あなたはそこに不満を生み出してしまうでしょう。
不満を生み出してしまえば、状況を充実させることはできません。
それは、不満という破滅的な感情では心が満たされることがないからです。
充実というものにも様々な形状があるということを知らなければなりません。
不足の中にも備わっている「充実」を充実として捕えることができなければ、目の前の状況に対して充実感や可能性を得ることは難しいのです。
人は目の前の不足に対して嫌悪感を覚えます。
不足から逃れたいと思う気持ち(嫌悪感、危機感)が力になるということもあります。
しかしながら、それらの気持ちを経て最終的に辿り着くのは、本当の不足というものは自らの心の中だけに存在しているという事実なのです。
状況における物質的な不足は不足ではあれど、本当の不足であるとは言えないのです。
因果の法則に従って導き出された状況に間違いはないのです。
状況に感じる不足も、自らにとっては正しいものなのです。
状況における本当の不足とは、自らの心が不足を捕えてしまうということなのです。
物質的な何かが不足しているからといって、状況が不足していると決め付けてはなりません。
自らにとっての不足の事態にも必要性が備わっています。
それを不足だとして破滅的に捕えてはならないのです。
状況的な不足、問題、壁は建設的な気持ちによって乗り越えなければならないでしょう。
一つ一つの状況を大切にすることができるほど、人の心は充実していきます。
心が充実していれば自ずと状況の不足も満たすことができるでしょう。
心が充実していなければ何をやっても上手くはいかないでしょう。
目の前の不足に対しても、あなたは感謝の気持ちを持たなければなりません。
あなたがどのように感じていようとも、すべては必要で満たされています。
それを信じることができる者だけが、自らの志を成し遂げることができるでしょう。
不満や文句を吐いている時間はありません。
あなたは自らの心を満たす努力を続けましょう。
状況における不足を許し、認めなければなりません。
心の不足に気が付かなければならないでしょう。
心が不足に捕われることを防がなければならないでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿