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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2012年8月6日月曜日

道を踏み外さない生き方

人の道はその意思が築きます。
どのような意思を持って生きるのか?によって、どのような道を歩むのか?ということが決まるのです。
人は自らの考える人物になります。
それは、自らの持つ意思が目的地を定め、道を築くからです。
あなたは自らの持つ意思通りに生きることしかできません。
自らの持つ考えに逆らうことはできないのです。
所有する考えはやがて考え方となり、あなたに習慣を与えます。
習慣を手にしたあなたは、それにそう様に選択をしていきます。
あなたがどのように注意を払っても、習慣に対抗することはできません。
あなたにとって重要なことは、その考えや考え方がどのような性質や方向性を持っているのか?
そして、その考え方があなたにどのような習慣をもたらしているのか?
ということなのです。
理想の道を歩もうとする時、その考えや習慣がその道に反しているのであれば、それを実現させることはできません。
掲げる理想と所有する意思が一致していなければ、世界に理想と意思を実現させることはできないのです。
ある道で大成したいと思っている者が、道を踏み外しているような状態でそれを実現させることなどできると思いますか?
何かを成すためには、それ相応の時間と労力、それに思想と熱意が必要なのです。
理想と意思、考え方と生き方が一致しないような「ぶれた状態」では、何かを成すことはできないと心得なければならないでしょう。
正しい考え方は志となります。
志とは、利他を根本に置いた考え方の習慣です。
誤った考え方は野心となります。
野心とは、利己を根本に置いた考え方の習慣です。
あなたがこの人生において、自らの理想を人生させるために選択しなければならないのは、志という道(方法)です。
利他的な方法でなければ、どのような理想も実現させることは難しいということを理解しなければならないでしょう。
野心に導かれ、欲望に根差して生きるのが悪いという訳ではありません。
しかしながら、利己的な考えで欲望に根差して生きれば、それ相応の代償を支払わなければならない状況が訪れるということを理解しなければならないのです。

世界は全体的な繋がりによって成り立っています。
欲望に根差して自分以外の存在のことを無視してしまうと、世界は成り立つことはできないのです。
それは自身の足場を崩すことになるため、代償を支払わなければならないということなのです。
人はその欲求(意思)に従い生きる必要があります。
生命が肉や水を求め、植物が日光を求めるように、欲求に従い生きることは自然なことです。
その時に、自分以外の存在のことを忘れ、それらに豊かさを還元することを忘れてはなりません。
あなたは多くの豊かさを得ています。
それらは自分以外の存在から受け取ることによって成り立っているのです。
自然は受け取った豊かさ自分以外の存在に還元することによって成り立っています。
互いに支え合うことができなければ、どのような世界も存在することはできないのです。
あなたが築きたい世界(理想)はあなたがどのような考えを持つのか?どのように生きるのか?によって、それが実現するか決まります。
判断を誤ってはなりません。
野心ではなく、志によって道を行かなければなりません。
人の道、人の姿はその意思が築きます。
どのような思想によって生きるのか?
道を踏み外さない生き方とは?
それはとても大切なことなのです。

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