このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2015年6月30日火曜日

窮屈な人生

歪んだ心は、歪んだ行為を引き起こします。
歪んだ行為は、歪んだ人生を築きます。
歪んだ人生は、歪んだ幸福を導きます。
歪んだ幸福は、歪んだ心を形成するのです。
このようにして、破滅は導かれます。
それは、繁栄のように見えるけれども、その実は破滅です。
多くの人は歪んだ幸福を幸福であると考えています。
それは、本当の幸福を知らないからに他なりません。
多くの人は歪んだ幸福こそが、真の幸福であると教え込まれます。
それは、宗教を信じる哀れな愚者(ぐしゃ)と同じです。
自分が信じているものが、その実反対の結果をもたらすのです。
しかし、そのことには気が付きません。
そして、何度も同じ過ちを繰り返すのです。
あなたの信じている幸福は、真の幸福なのでしょうか?
それは、巧妙に歪められてはいませんか?
宗教を信じる人は多いですが、真の幸福を得ている人がいるでしょうか?
教典(きょうてん)は巧妙に歪められ、それを信じて行う者は豊かさを吸い上げられています。
すべての宗教は巧妙に歪められているのです。
すべての教育、すべての方法が歪められていると疑わなければなりません。
疑いを以て見なければ、歪みに気が付くことはできません。
歪みに気が付くことがなければ、歪んでいくことは必至であるのです。
正しいことだと思い込んではいますが、それがこの世界に仇(あだ)なすということは多々あるのです。
あなたはそのことに気が付かなければならないのです。
すべての人が未熟です。
それは、無知であるからです。
そのため、信仰も選択も間違っているのが自然なのです。
それは、子どもの考えを見て、浅はかであることを知るのと同じなのです。
経験の少ない子どもに先見性が無いのは明白です。
それは、経験が少ないために視野が狭いからなのです。
自分自身はどうでしょうか?
あなたは歪んでいないと言えるでしょうか?
歪んだ心によって、歪んだ幸福を求めてはいないでしょうか?
客観視しなければ理解することはできません。
自らを疑うことをしなければ、それが歪んでいることを知ることもできないのです。
人は思い込みによって補正(ほせい)します。
無意識において、正当化や美化を行っているのです。
あなたが心の底から求めるものは何でしょうか?
あなたが人生において最も大切にしたいことは何ですか?
あなたの選択(生き方)によって、本当にそれを守ることができるでしょうか?
人は心に従って生きなければなりません。
それは、純粋な心のことです。
あなたが真に求めるものです。
世の中の柵(しがらみ)や過去を考慮せずに、求めるものです。
それがあなたの真の幸福であるのです。
巧妙に歪められた価値観を信じてはなりません。
人生はあなたが考えているよりも自由な場所です。
狭い価値観の中に閉じこもっていてはならないのです。
窮屈(きゅうくつ)な人生を生きてはなりません。
豊かな心を育みましょう。
豊かな心は、豊かな行為を引き起こします。
豊かな行為は、豊かな人生を築きます。
豊かな人生は、豊かな幸福を導きます。
豊かな幸福は、豊かな心を形成するのです。
始まりは、いつも心です。
何を選ぶのか?を心の深くに問いましょう。

2015年6月29日月曜日

ひとつなぎ

すべての人が無知を抱えています。
すべての人が未熟であるのです。
この世界において、無知と未熟を超越する人物は存在しません。
すべての人が無知と未熟の中に生きているのです。
あなたは自分が博識(はくしき)であり、有智(ゆうち)な存在であると思いますか?
それとも、自分が無知であり、未熟な存在であることを認めるでしょうか?
自分を高く置く者は、その傲慢さを恥じなければなりません。
あなたが知っていることは少しのことに過ぎず、あなたの知恵は不完全であるのです。
そのような者には、謙虚にあることを勧(すす)めます。
そうでなければ、その無知と未熟によって苦悩を引き起こすからです。
それでは、幸福も豊かさも満足も手にすることができないのです。
自分を低く置く者は、自己憐憫(じこれんびん)に注意を払わなければなりません。
あなたは無知であり、未熟ではありますが、決して劣っている訳ではありません。
人が無知であり、未熟であることは自然なことなのです。
それを克服していくための人生であるのです。
そのため、無知と未熟さを恥じることはないのです。
それを高めていくことに意味を見出さなければなりません。
人生は時間の積み重ねです。
あなたは多くの時間の中に生きているのです。
それは、幾重もの経験をあなたに導きます。
その経験を通じて、無知と未熟を克服していくのです。
あなたがどのような日常を暮らしていようとも、それが無意味であることはありません。
退屈な日々も、要は考え方です。
あなたの過ごしている日々は”点”です。
それは、パズルのピースのようなものなのです。
あなたは人生というパズルのピースを毎日並べているのです。
しかし、それが何を現しているのかを知ることは容易ではありません。
それは、完成形を知らずに並べているからです。
一つ一つのピースがどのように繋がるかを知らずに並べているのです。
そのため、あなたの日々の出来事には繋がりがないように見えることもあります。
大抵の人は、人生の意味を知らずに生きているでしょう。
今やっていることが何になるのか?と絶望を抱える者もいるのです。
多くの人は人生に対して希望を持てずにいます。
あなたはどうでしょうか?
人生は楽しいですか?
それは充実していますか?
幸福や豊かさを感じていますか?
あなたは日々の出来事を大切にしなければなりません。
すべては、全体を理解するためです。
日々という”点”を集めて、それを一つに結び繋げるのです。
そうすれば、それが人生の意味を教えてくれるでしょう。
毎日を勤勉に生きなければなりません。
パズルには、無駄なピースはありません。
すべてのピースが必要なのです。
一つも無駄にしてはなりません。
あなたの人生において、無駄な一日があるでしょうか?
あなたは無知であり、未熟であるのです。
無駄にできる時間があると思いますか?
それが、どのような一日であろうとも、そこに潜在している意味を探しましょう。
意味の分からないことであろうとも、後にはそれを知ることができます。
あなたが知恵を増した時に、その意味を理解することができるのです。
あなたが理解することができないことが、あなたにとって無意味であるというのですか?
あなたが利用している利器(りき)の構造を理解しているというのでしょうか?
あなたはどのような原理で効果が得られているのかも分からずに、その恩恵を授かっているのです。
あなたが無知であり、未熟であろうとも、大切にしなければならないものは多々あるのです。
日々を一つに繋げましょう。
そこに知恵が生まれるのです。
繋げることをしなければ、あなたは無知と未熟の中で、人生は乱雑なままです。
どのように生きるべきなのかを考えましょう。

2015年6月28日日曜日

消費期限

あなたの信じるその知識は、いつまであなたを助けることができますか?
あなたの信じるその常識は、いつまであなたに寄り添うでしょう?
この世界において、変わらないものはありません。
すべてのものが変化の中に存在しているのです。
変化を否定することができるものは存在しないのです。
あなたが信じる対象であっても、それは刻々と変化し続けているのです。
あなたはそのことを理解しなければなりません。
変化することを知らないでいるのならば、あなたは苦悩を得ることになるからです。
すべての有機物は腐敗を始めます。
目には映らない微生物の働きによって、死後にも変化を続けているのです。
腐敗の進んだ有機物を食物とすることはできません。
なぜなら、それによって体調に異変を来すからからです。
特別な事情がない限り、腐敗したものを食することはありません。
それがどのような結果を招くのかを知っているからです。
知識はどうでしょう?
常識は腐敗しないのでしょうか?
それ等も有機物と同じように、死後には腐敗を始めます。
知識は偽りとなり、常識は非常識となるのです。
それは、その知識や常識に”消費期限”が存在しているからなのです。
知識や常識は、時代によって有効的であり、無効的です。
現代において、十年前の知識や常識が通用するでしょうか?
大抵の場合、十年も経てばそれ等は使い物にならなくなっているのです。
知識や常識がいつまでも使えると思ってはなりません。
現状において所有している知識や常識にいつまでも頼っていてはならないのです。
それ等は確実に腐敗していくのです。
多くの人はそのことを知りません。
いつまでも古い知識や常識に固執(こしゅう)する人がいます。
いつまで経っても前時代的な発想を頑なに守り、周囲に押し付けるのです。
同じことを何度も繰り返す人の知識や常識も、変わりがないのです。
時代が変わるということは、状況や環境が変わったということです。
状況や環境が変わったのに、同じ方法を用いることはできません。
古い方法は役に立たないのです。
間違った方法をどれだけ用いても、苦悩を導くだけであるということを覚えておかなければなりません。
腐敗の始まったものは手放さなければなりません。
残念ではありますが、仕方のないことなのです。
役に立たない荷物をいつまでも抱えていてはならないのです。
夏が迫っているのに、防寒着を着ていてはならないのです。
それは、あなたの生命をも脅かすのです。
夏には夏の服装が必要です。
その時代にはその時代に合った知識と常識が必要なのです。
柔軟に生きなければなりません。
時勢を読み取らなければなりません。
それによって、所有する知識や常識の腐敗に気が付かなければならないのです。
現代において、情報は膨大です。
知識は抱え切れません。
常識は次の日には変わっていることさえあるのです。
そのことを心に留めておきましょう。
時代に追随(ついずい)しなければなりません。
腐敗が進む前に捨てるのです。
あなたは常に新鮮な知識や常識を求めましょう。
既成概念(きせいがいねん)に捉われていてはなりません。
人生には様々な可能性があるのです。
いつまでも、前時代的な常識に拘(こだわ)っていてはなりません。
変化するのです。
そして、より核心に迫るのです。


2015年6月27日土曜日

過積載

人生の旅路においては、抱え切れない荷物を運ぶことはできません。
あなたは裸一貫で生まれました。
生きている時には、多くの道具と助けを得るでしょうが、人生において頼ることができるのは自力(力量)のみです。
あなたが運んでいるものは、自力に叶うものだけなのです。
誰もが自力以上には運ぶことはできません。
あなたは人生において、自力以上に何かを運ぶことができないと理解する必要があるのです。
分(ぶん)を弁(わきま)える必要があるでしょう。
分相応の生き方しか叶わないのです。
しかし、多くの人は見栄を張ります。
そして、自力では運び切れないほどの荷物を抱えるのです。
それは、欲望によって抱えた荷物であるということを理解しなければなりません。
欲望によって余計に抱えることになるということなのです。
強過ぎる欲望は分を弁えません。
自分が自力よりも大きな存在だと思い込んでしまうのです。
重量を超えた荷物によって、身動きが取れなくなってしまうのです。
それは、人生の苦悩としてあなたに襲い掛かります。
人生の苦悩は何かが不足しているということにはないのです。
余計に持ち過ぎていることから生じていることに気が付かなければならないのです。
身軽な人物がどうして苦悩するのでしょうか?
身軽であるほど、足取りは軽いものとなるのです。
多くの人が不安によって支配されています。
多くの荷物を持たなければ、旅が上手くいかないという恐怖に襲われているのです。
動植物が必要以上に何かを溜め込むでしょうか?
余計な荷物を持つのは人間だけなのです。
多くの動植物は荷物を持ってすらいないのです。
必要なものは、必要な時に調達するのです。
それで、足りるのです。
あなたの抱えているそれは、本当に必要な荷物なのでしょうか?
恐怖によって余計に抱えてはいませんか?
必要の無い荷物を抱えていることほど大変なことはないのです。
登山するのにテレビが必要ですか?
余計なものは抱えないことが求められるのです。
恐怖を克服しましょう。
余計に荷物を抱えてはなりません。
あなたはすでに持ち過ぎているのです。
余計な荷物が苦悩を導くということを忘れてはならないのです。
問題が発生し、苦悩が生じたのであれば、あなたは先ず”捨てる”ことを考えましょう。
沈没しそうな船であれば、あなたは迷わず荷物を捨てるはずです。
過積載であるために、その船は沈むのです。
簡単な話です。
あなたは余計に考え過ぎています。
余計な不安や心配を抱えているのです。
余計な習慣もあるのです。
普段の食事によって十分に栄養は足りているのに、(栄養を補助する)薬を飲むようなものです。
多くの人が”捨てる”ことをしません。
そのため、病を抱えれば、余計な薬を抱えるのです。
病の原因は余計な”荷物(考え方や習慣)”を抱えているからに過ぎません。
それ等を捨てなければ、同じことの繰り返しになることなど明白なのです。
しかし、それには気が付きません。
もしくは、欲望に従って捨てることがないのです。
力量を超えているために病という問題が生じているのです。
そのことに気が付かなければならないのです。
すべての問題は力量を超えた過積載にあるのです。
欲望に従ってはなりません。
今こそ、自らを省みる時です。

2015年6月26日金曜日

”神”の庭

相手の意思を知りたければ、相手を観察しなければなりません。
相手の本意は、その行為を見て、その言葉を聞き、その思いを感じなければ理解することはできません。
より深く相手を観察する者でなければ、その本意を理解することはできないのです。
本意は隠されています。
すべての相手が秘密を抱えているのです。
それは、あなたに対して特別に教える必要のない事実です。
わざわざあなたに知らせる必要のないこともあるのです。
それが、如何に大事であろうとも、あなたには隠されているのです。
すべてを正直に話す人はいません。
すべての人の本意は、何等かの形で隠されているのです。
あなたはそれを読み取らなければならないのです。
簡単に人が秘密を打ち明けることなどないのです。
どのように信頼している相手であっても、あなたは簡単には秘密を打ち明けることはしないでしょう。
それと同じで、どのような相手もあなたに本意を打ち明けることはないのです。
本意である真実を知るためには、自身がそれを読み取る力を身に付ける必要があります。
何度も言いますが、相手があなたに本意を伝えることはありません。
あなたの理解力が重要なのです。
この世界は”神”の庭です。
どのような植物を植え、どのような景色にするのかは”神”が決めるのです。
それは、全体的な流れの中に垣間見(かいまみ)ることができるでしょう。
時代の流れと呼んでも良いこの動きこそが”神”の意思であるのです。
この世界がどうなるのか?は”神”が決めます。
人は全体に抵抗することはできません。
時代の流れに逆らうことのできる人間など存在しないのです。
誰もが時代に流されていくのです。
その時代に合った生き方が求められます。
それがあなたの目的でもあるからです。
”神”があなたという植物を、自身の庭であるこの世界に植えました。
あなたはそこで美しい花を咲かせなければならないのです。
花を咲かすこのない植物は、丁寧に育てられます。
花を咲かすまで何年も見守るように、何度も何度も同じ行程を繰り返させるのです。
あなたが人生に繰り返しを感じるのはこのためです。
自分が”神”の庭に植えられた植物であり、どのような花を咲かすのかを知らないために、何度も何度も繰り返すのです。
あなたは何のために生きているのか?
自分が何者であるのか?を知っていますか?
それを探すための人生なのです。
あなたが多くのことを理解して、自分らしい花を咲かすまで、”神”は辛抱強くあなたの世話をするのです。
この世界は”神”の庭です。
あなたは常に”神”の意思を見ているのです。
時勢を読まなければなりません。
この世界のことを良く観察するのです。
そうすれば、この先自分がどのように生きるべきなのか?
自分がどうあるべきなのか?ということを知ることができるのです。
時代の流れに飲み込まれてはなりません。
時勢を読んで、それに乗って進むのです。
すべての状況が”神”の意思です。
時代を観察しなければなりません。
既成概念(きせいがいねん)に捉われていてはなりません。
ただ、目の前のことばかりを考えていてはなりません。
自分勝手に生きてはなりません。
これまで通りではならないのです。
”神”の本意を知る努力を欠かしてはなりません。
”神”はあなたにいつも話し掛けています。
小さな価値観の中に生きてはなりません。
時代に取り残されてはならないのです。
”神”の声を聞きましょう。

2015年6月25日木曜日

”神”の映画

人生の目的とは何でしょうか?
すべての人が人生に目的を持ちます。
何を始めるにしても、そこには理由が存在します。
理由こそが目的であるのです。
人生を始めるにあたって、人は誰もが理由を持っているのです。
理由もなく始まることはありません。
あなたが覚えていないにしても、理由は存在しているのです。
あなたは、現在行っていることを始めた理由を覚えていますか?
どのような目的で、それを始めたのでしょうか?
大抵のことの理由を忘れているのが現状です。
人生は勝手に始まるのではありません。
明確な理由に従って始まるのです。
この世界には因果の仕組みが存在します。
すべては、原因によって導かれる結果であるということです。
人生という結果は、どのような原因によって導かれたのでしょうか?
それは、人生における経験によって知ることができるのです。
人生における様々な経験から得られるものは何でしょうか?
それは、向上であり、成長であるのです。
すべては成長のための経験であるということです。
生きている者が成長を実現しないことは有り得ません。
どのような生き方をしようとも、必ず成長が実現するようになっているのです。
それが、忘れている目的であり、理由であるからです。
どのような経験を通しても、結果的に人は成長することができます。
人生の目的とは成長であるのです。
それは、個人的な目的と、全体的な目的を持ちます。
全体の中に生きる個人が、利己的に生きることはできません。
全体が主体であり、個人が客体(きゃくたい)であるのです。
個人は全体のために貢献することによって、豊かさを得ることができるのです。
全体を蔑(ないがし)ろにすれば、個人は滅びます。
汚染された湖の魚は全滅するのです。
魚が豊かに暮らすためには、湖が美しくなければならないのです。
あなたは個人的な目的と全体的な目的の両方を持ちます。
あなたは個人でありながら、全体であるということなのです。
そして、優先すべきは全体です。
全体のために個人を扱うのです。
多くの人は個人のために個人を扱います。
それは、自我(我欲)の蔓延(まんえん)に貢献します。
多くの人は自分勝手に生きているのが現状なのです。
そこに悪意は無いにしても、無知と無意識の内に自我に従うのです。
そして、それが”普通”とも、美徳ともなっているのです。
自我による行為によって全体は滅びます。
全体が滅びれば、個人は確実に滅びるのです。
そのため、自我による行為は、全体の為にはならないということなのです。
しかし、人は魂という名の純粋な意識を持ちます。
これは心のように汚れることも、歪むこともありません。
魂とは”神(高次)”と繋がる崇高な意識であるのです。
これを扱うためには、無我の状態でなければならないのです。
我欲によって、人は思うままに人生を描きます。
意向というものは、自我に属しているのです。
大切なのは任せることです。
非我(ひが)によって生きることが重要なのです。
思い通りにいかないことに不満や不安を持ち出す必要はないのです。
”神”が映し出す映画の上に、自我によって他の映画を上映してはならないのです。
二つの映画が重なり合えば、そこに何が映し出されているのかを理解することはできないのです。
そのため、あなたは真っ白のスクリーンであることが求められます。
それは、純粋であるということです。
不満や不安に駆られて無理に求めなくても、必要は満たされるのです。
あなたは”神”の見せる映画を楽しみながら理解すれば良いのです。
人生の目的はそんなところにあるのです。
自我によって人生を歪めてはならないでしょう。
純粋な気持ちで、”神”の見せる人生を楽しみましょう。

2015年6月24日水曜日

人生の伴侶

物事の本質を見極めなければ、永遠に苦悩は連れ添(そ)います。
本質を見極めることがなければ、あなたは永遠に間違い続けるのです。
苦悩を引き起こしているのは他人ではありません。
他の何かがあなたに苦悩を導いているのではないのです。
あなたが苦悩しているのは、間違った解釈と行為によって状況を築いているあなた自身の責任であるのです。
人生から苦悩を取り除くためには、物事の本質を見極める必要があるのです。
しかし、人生から苦悩が消え去ることはありません。
それは、一生涯、人が未熟であるからです。
そのため、これは目の前の苦悩を解消し、次のレベルの苦悩に向かうための話なのです。
それが成長であり、幸福であり、人生の目的でもあるからなのです。
本質を見極めれば、それが問題としての形を取るということは有り得ません。
それが問題として存在するのは、その本質を見極められないからなのです。
間違った見解を所有しているために、それが間違っているということを知らせているのです。
そのため、あなたの見解が正しく導かれるのであれば、問題は問題としての形を取らず、苦悩は苦悩として存在することはないのです。
誤解によって成長することはできません。
間違った解釈によって誰が成長するというのでしょうか?
物事の本質を見極め、正しく理解することがなければ、誰も成長を実現することはできないのです。
そのため、物事の本質を見極めなければならないと、この場において何度も伝えているのです。
表面的な装飾(そうしょく)に捉われ、本質を見失ってはならないのです。
しかし、多くの人は表面的な装飾に心を奪われ、それが本質であると解釈するのです。
そのため、目の前の状況に対して”本気”になるのです。
人生には様々な苦悩が存在しています。
大抵の人がそれを真に受けるのです。
苦しいことがあれば、それを本気で苦しみます。
楽しいことがあれば、それを本気で楽しむのです。
それは正しいことなのでしょうか?
本質は目に見える形なのでしょうか?
そのように”浅い”ものなのでしょうか?
人生はあなたに何を伝えたいのでしょうか?
何のために生きているのでしょう?
ただ苦しみ、ただ楽しむためなのですか?
それを繰り返す理由は何なのですか?
なぜ、あなたは苦悩するのですか?
なぜ、喜ぶのでしょう?
表面的に捉えては、その本質を見極めることはできないのです。
多くの人は何かを失うこと、何かが終わることを恐れます。
多くの人にとって、大切なのは不安であるのです。
あなたの心の内で最も大きな感情な何ですか?
それは不安かも知れません。
人生は苦しいものであり、修行の場所だとする考え方があるのです。
多くの人はそれを信じているのです。
人生は成長の場所ではありますが、苦行の場所ではないのです。
本質を見極めるのであれば、何かが終わり、何かを失うことによって、より良い何かが始まり、より良い何かを得ることができるのです。
より良くなることは明らかです。
より悪くなるという人は、小さな視野によって歪んで見ているに過ぎません。
冷静に観察すれば、より良くなっていることに気が付くはずなのです。
本質とは、成長にあるのです。
すべてが成長のために存在しているということなのです。
ネガティブな思想によって本質を見失ってはなりません。
不安に煽(あお)られて、苦悩と連れ添ってはならないのです。
あなたが連れ添わなければならない相手は成長であるのです。
人生の伴侶(はんりょ)を間違えてはならないのです。
物事の本質を見極めましょう。
そして、苦悩を乗り越え、新たな苦悩に向き合いましょう。
その過程があなたに成長をもたらすのです。
同じことを繰り返していてはならないのです。
人生の目的を忘れないようにしましょう。
そうすれば、本質を見失うこともないでしょう。

2015年6月23日火曜日

節度ある自由

人は伸び伸びと生きなければなりません。
健(すこ)やかに生きるためには、伸び伸びと生きる以外に方法はないのです。
しかし、多くの人は伸び伸びと生きてはいません。
様々な制約に縛られているのが現状なのです。
ルールは大切です。
節度の無い自由ほど、苦悩をもたらすものはありません。
自由の意味を履き違えて節度を忘れてはなりません。
この世界には陰陽が存在しています。
何事にも自由と制約という二つの極が存在しているのです。
それは、自動車でいうブレーキとアクセルのようなものです。
自動車が安全に目的地に辿り着くためには、ブレーキとアクセルの使い分けが必要です。
ブレーキだけでは前に進まず、アクセルだけでは事故を起こすのです。
アクセルを踏み込むことは開放的であり、自由を得ることができます。
しかし、ブレーキという節度を忘れてしまえば、自由は不自由となるのです。
自動車に乗るすべての人が、ブレーキとアクセルの重要性を理解しています。
そして、それを節度の中で使い分けているのです。
しかし、人生における節度を理解している人は少ないのです。
あなたの心は、自動車のようなものです。
心は人生を歩んでいるのです。
心にもブレーキとアクセルが存在しています。
それは、破滅的な感情と建設的な感情です。
破滅的な感情は心を止めます。
それは、心にブレーキをかけて、歩みを止める役目を持っているのです。
不安や怒りなどの破滅的な感情によって、人は何かを止める(投げ出す、諦めるなど)のです。
建設的な感情は心を進めます。
それは、心のアクセルとなり、歩みを速める役割を持っているのです。
思いやりや楽しみなどの建設的な感情によって、人は何かを始めるのです。
どちらとも大切な役割ではありますが、バランスを欠いてはなりません。
破滅的な感情が多くてもなりませんし、建設的な感情が多くてもなりません。
どちらとものバランスが正しく保たれた時に節度が生まれ、人生は展開するようになるのです。
多くの人は破滅的な感情に縛られています。
人生を苦しい場所だと考えているのです。
そして、苦悩を抱えるのです。
ブレーキを踏み続けているのであれば、前進することはありません。
前進することがなければ、車は車庫から出られないのです。
多くの人が破滅的な感情を大切にしているために、心が苦悩の中から出られないでいるのです。
走り出せば景色を楽しむことができますが、ブレーキから足を離さなければそれは叶わないのです。
人は伸び伸びと生きなければなりません。
あなたは自らの心に乗って、人生という旅路を行くドライバーなのです。
日が沈む前に目的地に辿り着かなければならないのです。
あなたは心を自由に運転していますか?
破滅的な感情によって、その場に縛り付けてはいませんか?
多くの人が自由というものを誤解しています。
破滅的な感情は”悪”ではありません。
ブレーキの備わっていない自動車が”悪”でしょうか?
ブレーキが備わっていない自動車なんて、恐ろしくて運転することができないでしょう。
破滅的な感情を敵としてはなりません。
また、それに縛られてもなりません。
ブレーキとアクセルを使い分け、伸び伸びと運転するのです。
そうすれば、安全な旅路を楽しむことができるでしょう。
ハンドルばかりを眺めていたら、自分がどのような状態でどこにいるのか分かりません。
小さな視野、小さな価値観の中で生きてはならないのです。
あなたは伸び伸びと生きていますか?
強過ぎる制約の中に生きてはいませんか?
立ち止まっていてはなりません。
足踏みしても、時間は過ぎていくのです。
あなたは何のために生きているのですか?
ブレーキを外し、アクセルを踏み込まなければ分かりません。
自分なりの節度ある自由を楽しみましょう。
そして、人生の目的地へと辿り着きましょう。


2015年6月22日月曜日

家族

人は自然の一部です。
人が自然と離れることはありません。
あなたは自分が人間であるということは知っています。
ならば、自分が自然の一部であるということも知っておきましょう。
多くの人は自分が自然の一部であるということを知りません。
自分が生物であるということは知っています
しかし、自然の一部であるということを知っている人は少ないのです。
人はどうにかして、自分を自然から遠ざけようと努めます。
自分が他の生物とは違うと思い込みたいのです。
それは、自分が特別な存在であるという惨(みじ)めな自尊心を所有しているためです。
あなたは他の生物と何かが違うのでしょうか?
あなたは”神”から生まれたのです。
それは愛情であり、光です。
あなた以外の生物は何から生まれたのでしょう?
どのような生物であろうとも、それは”神”から生まれたのです。
残念ながら、多くの人はそのことを知りません。
そのため、他者に対して敵意を生み出し、醜く争うのです。
あなたは家族で争っているのです。
それがどれほど情け無いことであるのかを知る必要があるのです。
自分が特別な存在であると信じる自尊心よりも、互いを尊重するための自尊心を育まなければならないのです。
あなたは特別な存在なのですか?
他の生物よりも、あなたが優先されるべきなのですか?
あなたの命と、他の生物の命には違いがあるのですか?
他の生物はあなたを特別に扱いはしません。
それは、あなたを家族としているからです。
自然界に生きる他の”純粋な”生物から見れば、あなたは決して特別な存在ではなく、この自然界に生きる家族の一員であるということなのです。
あなたは自然界に生きる生物を家族と考えたことがありますか?
自分が自然の中の一部であると考えたことがあるでしょうか?
あなたには”自然の力”が流れています。
あなたの肉体は、自然からの恵みなのです。
他の生物、そして、自然界という家族を尊重しなければ、あなたは本当の力を呼び覚ますことができないのです。
残念ながら、あなたは自らの持つ本当の力を知りません。
自分が何者であるのかも知らないのです。
それなのに、どうやって所有している力を引き出して扱うことができるのでしょう?
あなたは自然の一部です。
それと離れてはならないのです。
自然はあなたなのです。
他の生物とあなたは家族なのです。
もちろん、他人であっても同じことです。
それぞれが利己的な考えを捨てなければなりません。
利己主義が、人を愛情(神)から遠ざけるのです。
自らの利益のために、他者を軽んじてはならないのです。
互いに尊重し合い、分け合うことが大切なのです。
広大な空や海を眺めましょう。
狭小(きょうしょう)な草花や生命の営みを見つめるのです。
あなたはそこから自分というものを知ることができるでしょう。
そして、自分が自然の一部であったことを思い出すでしょう。
そこには、利己的な考えは蔓延(はびこ)りません。
あなたが他者と争い、分裂することもないのです。
あなたは協力しなければなりません。
互いに分け合い、支え合う時なのです。
互いが奪い合えば、そこに待っているのは滅亡です。
一人一人が考えなければなりません。
八紘(はっこう)を一宇(いちう)としなければなりません。
大切なことです。
忘れないようにしておきましょう。

2015年6月21日日曜日

主人

人は自らの主人によって報酬を得ることができます。
人は、主人によって与えらえれる報酬により、人生を築いていくのです。
主人によって与えられる報酬がなければ、人生は築かれません。
どのような主人に仕(つか)えるにしても報酬は支払われますが、大切なのはその報酬の質であるのです。
すべての人は主人を持ちます。
あなたは主人に仕えています。
あなたがどのように考えようとも、あなたは主人のために仕え、そこから報酬を得ているのです。
その事実に気が付かなければなりません。
あなたの受け取る状況が、あなたの主人から支払われる報酬であるのです。
この世界には因果の仕組みが存在しています。
それは”神”が創造した理(ことわり)です。
何者も、これを離れることはできません。
すべての存在が真理の下に有るのです。
しかし、あなたの上には主人がいます。
あなたの父や母、尊敬する人物、あなたよりも社会的地位が上の人物・・・
あなたに何かを与えている人は、あなたの主人であると言えるでしょう。
しかし、主人といっても、それは人間だけに限られたものではありません。
人間でなくても、あなたの主人には成り得るのです。
例えば、あなたの思想の根本を成す”主義”です。
すべての人は、目には見えない主義という主人に仕えています。
主義を持たない人間は存在しません。
人が思考し、行為するためには、その根本である主義が必要であるからです。
主義と言えば、厳格な印象を持つかも知れませんが、そのように考える必要はありません。
動機こそが主義であるのです。
人は無意識の内にでも何かを信じ、仰(あお)いでいるものなのです。
それがあなたの主人となります。
あなたは、信仰の対象から得る報酬によって生きているのです。
主人は、自らの持っているものを与えます。
農夫ならば野菜を与え、漁夫ならば魚を与えます。
主人が自らの持っていないものを与えることはありません。
そのため、あなたは主人が何を持っているのか?ということを気に掛ける必要があるのです。
あなたの仕えている主人が持っているものは何ですか?
持ち物以外の報酬を支払うことはできないのです。
主人の本質を見極める必要があるのです。
野菜が欲しければ農夫に仕える必要があります。
魚が欲しければ漁夫に仕えるのです。
野菜が欲しいのに漁夫に仕えてはなりません。
矛盾していることは、不自然であるのです。
毛髪が自然に抜けることには苦痛はありません。
しかし、それを無理矢理に引き抜けば、強い苦痛を受けることになるのです。
不自然であり矛盾していることは、人生に苦悩を導きます。
”神”に仕えているつもりであっても、その実、それ以外のものに仕えているのであれば、支払われる報酬があなたの理想に等しいことはないのです。
”神”とは何ですか?
それは愛情です。
あなたが”神”に仕えているのであれば、思いやりや慈(いつく)しみを以て働きましょう。
”神”に仕えていると自称していても、愛情を働いていないのであれば、違う主人に仕えているのです。
報酬は主人によって与えられます。
あなたの働きに相応しい主人が、あなたの働きを見込んで、その働きに相応しい報酬を支払うでしょう。
あなたは労働の代価を受け取らなければなりません。
あなたの働きによって発生した報酬は、あなたが受けなければならないのです。
他人のものを受け取ることは罪になります。
あなたは、自らの働きの報酬として、目の前の状況を受け取っているのです。
そのため、人生は自己責任の世界であるのです。
誰かや何かのせいにすることはできないのです。
あなたは自らの意思によって、その主人に仕えたのです。
人生に後悔するのであれば、自らを省みましょう。
どの主人に仕えるのかは、あなたが決めれば良いのです。

2015年6月20日土曜日

魂の治療

乱れた心であっては、乱れた人生を生きることになります。
人は、心によって世界を見て、心によって世界を歩み、心によって世界を築くのです。
心の状態が大切なのです。
心が乱れていたり、分裂していたり、歪んでいるのであれば、それに相応しい人生を得ることになるということを理解しなければならないのです。
人生が心を無視することはありません。
心の状態が人生を築くということを覚えていなければなりません。
人の本質は魂です。
それは霊的なものであり、幾重の人生を経験します。
魂は違う時代に、違う肉体を以てこの世界に生まれます。
そのため、魂の中には、これまでの人生の経験が蓄積されています。
そのため、すべての生命には、生まれながらに個性が存在しているのです。
性格や感性というものは、固体によって全く違うものであるのです。
すべてが教育の成果であるのならば、性格や感性といった個性が存在するのは矛盾するのです。
そのため、人は生まれながらに多くのものを所有しているのです。
魂の中には多くの経験が蓄積されています。
しかし、それは問題でもあるのです。
人は人生においてポジティブな経験ばかりを得るのではありません。
当然、ネガティブな経験も得ます。
陰陽どちらの経験も得て、漸(ようや)く正しい道を見極めることができるのです。
そのため、人は陰陽すべての経験を得るようになります。
しかし、ネガティブな経験から生じるネガティブな感情や価値観というものが、時には進路を塞ぐこともあるのです。
そのため、必要に応じてネガティブな感情と価値観を取り除く作業をしなければなりません。
それが、人生における問題であり、苦悩であるのです。
多くの人は問題や苦悩を誤解しています。
それが”悪いもの”であると思っているのです。
しかし、それはあなたの成長を促す大切な役割を担ってるものであるのです。
これまでの経験が無駄になったことはありません。
それが苦しい経験であろうとも、あなたを支え、人生を築いてきたのです。
あなたにはそのようには思えないかも知れませんが、それが事実であるのです。
しかし、状況(学びの段階)の変化によって、役割を終えることになります。
役割を終えたものは取り除かなければなりません。
そうでなければ、向上は難しいからです。
既に役に立たなくなった荷物を抱えてたままで、これからのために必要な荷物を持ち運ぶことはできないのです。
必要な荷物を持ち運ぶためには、不要になった荷物を下さなければならないのです。
その工程が問題や苦悩として現れているのです。
病の治療は簡単ではありません。
それは問題と苦悩を導くでしょう。
しかし、その工程によって病から解放されるのです。
問題と苦悩に向き合うという治療を恐れ、それを拒否するのであれば、病は明らかに進行し、手には負えなくなるのです。
病に対する治療を”悪いこと”だと考える人がいるでしょうか?
誰もが病を治療したいと願うのです。
人生における問題や苦悩は、あなたの魂の抱える問題を解決するための治療です。
魂は心と人生を通してあなたに教えているのです。
あなたが正さなければならないのは、状況的な問題や苦悩ではありません。
あなたは自らの心を正すことを優先しなければなりません。
その乱れや分裂や歪みを取り除くことを主とする必要があるのです。
そうでなければ、同じことが繰り返されるからです。
表現は違えど、同じような問題や苦悩は何度でも導かれるのです。
季節によって畑には違う作物を育てなければなりません。
収穫する予定の無い草木を蔓延(はびこ)らせてはならないのです。
草木が蔓延る畑であっては、作物は収穫に結び付かないのです。
草木の根を残すのであれば、同じことが繰り返されます。
問題を解決するためには、草木の根を処理しなければならないのです。
人生における状況的な問題や苦悩に捉われてはなりません。
それは草木の枝葉のように見掛けに過ぎないのです。
本質は心(魂)にあります。
状況が知らせる問題や苦悩を手掛かりとして、自らの心の乱れを解決するのです。

2015年6月19日金曜日

依託(いたく)

あなたは何を遺しますか?
あなたは何を託(たく)すのでしょう?
あなたはこの世界に生まれました。
そして、この世界に生きています。
生きているということは、何かしらの役割を担っているということです。
すべての存在が必要性を以(もっ)て生まれたのです。
不要なものは存在することができません。
それは、不要であるからです。
”神”が無駄を創造することなど有り得ないのです。
すべては必要であり、最善です。
人生を客観視すれば、それを理解することができるでしょう。
多くの人は主観的にしか見ません。
そのため、すべてが必要性を以た最善であるということを理解しないのです。
そして、必要と最善を蔑(ないがし)ろにするのです。
それでは、役割を果たすことはできないのです。
多くの人が自らの役割を知りません。
それは、先述したように、客観性を以て生きてはいないからです。
目の前の小さな出来事のみを気にかけ、その裏にある真実に気が付かないのです。
そうやって、人は世俗的な存在へと自らを貶(おとし)めるのです。
この世のやり方を学ぶことは大切です。
それを否定するのではありません。
しかし、それは”当たり前”のことであり、それが目的ではないのです。
生きること、生活すること、金儲けをすること、贅沢を謳歌(おうか)すること、誰かよりも優位に立つこと・・・
このようなことが目的ではないのです。
それは人生の目的ではないのです。
あなたは自分が何者であるのか?ということを思い出しましょう。
あなたは性的な肉体ではないのです。
自分が動物的な生命体であるなどと考えてはなりません。
それは、あなたの一面に過ぎないのです。
生きることは、人生の一面に過ぎません。
生きることだけでは、あなたの心は満たされません。
何年生きても、ただ生活するだけであっては、あなたは満足できないのです。
あなたは、自分が生体活動や経済活動をするためだけに生まれたのだと思うのですか?
健康と財産が手に入れば、それだけで幸福であると思いますか?
それが人生のすべてなのですか?
あなたは良く考えなければなりません。
あなたは健康を保つ方法と、金儲けの方法を遺すのですか?
処世術(しょせいじゅつ)を託すのですか?
それで人生に満足することができるのでしょうか?
それで様々な疑問は解消されるのでしょうか?
それで苦悩は取り除かれるのでしょうか?
それで良いのでしょうか?
あなたは何のために生きているのでしょうか?
他人は何のために生きているのでしょうか?
何のためにこの世界が存在しているのでしょうか?
あなたは確実に死を迎えます。
死を避けることのできる人はいません。
誰でも必ず死ぬのです。
死を以て考えた時に、あなたの大切に思っているものは輝きを増すでしょうか?
死と照らし合わせた時に、それは本当に価値のあるものなのでしょうか?
世界は常に前進します。
人類は叡智(えいち)に向かっているのです。
何のためなのでしょうか?
あなたは何を遺しますか?
何を託しますか?
あなたのいなくなった世界を想像しましょう。

2015年6月18日木曜日

新しい世界

当たり前を当たり前としてはなりません。
あなたの信じている常識というものは、正しい道ではないかも知れません。
正しいと思えるようなものであっても、見方を変えれば綻(ほころ)びが生じるのです。
自らの見方だけを正しいと思い込んではなりません。
何が正しいのかは、様々な角度から捉えてみなければ分からないのです。
現在のあなたが持っている見方は、将来には有効的ではない可能性があるのです。
常識が非常識となるように、この世界に対する見方は不安定なものであるということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたの当たり前は、現状において有効なだけであり、それが永続するとは限らないのです。
そのため、常に当たり前や常識に対しては疑いを持つ必要があるということを覚えていなければならないのです。
当たり前を当たり前とするのであれば、物事の本質に向かうことはできません。
当たり前を受け入れた時点において、それ以上の向上は見込めないのです。
あなたが受け取るすべての事柄は、現時点においては未完です。
すべてのものが未完であり、それが最高の形ではないのです。
そのため、当たり前(正しいもの)として受け入れているものであっても、それが将来には役には立たないものとなるのです。
過去の当たり前が、現在も有効的であったことがありますか?
常識が常識のままで有り続けたことがありましたか?
当たり前は役に立たなくなり、常識は非常識となるのです。
それが、この世界での理(ことわり)であるのです。
それは、この世界の目的が成長(向上)にあるからなのです。
成長から離れることのできるものは存在しません。
すべてのものが成長を目的として存在しているのです。
そのため、古いものと新たなものが生まれるのは必然であるのです。
それは、老人と幼子(おさなご)のようなものなのです。
世代によって担う役割は違います。
時代が違っているのです。
その時代に必要な人物が生まれます。
そのため、古い世代の者が新たな世代の者に古い常識を押し付けても、それが有効的に作用することはないのです。
新たな常識でなければ、新たな時代には役に立たないということなのです。
新たな常識というものは、何も斬新なものであるということではありません。
より本質に近いということです。
それが、新たな常識として、世界に受け入れられるのです。
斬新であっても、それが本質である真理に近くなければ、それが時代に受け入れられることはありません。
現状において、より真理に近いものが常識となるのです。
そのため、多くの人は常識を信用するのです。
過去に比べて、それはより確信的であるためです。
しかし、それはいつまでも通用しないのです。
新たに生まれたものは、やがて古くなるのです。
この世界は、その周期によって向上を実現するのです。
新たに生まれたものが古くなって滅びる。
そうしなければ、より確信的な新たなものは生まれては来ないのです。
古いものは役割を終えて滅びるのです。
新たなものがその役割を担い、より向上した形にして、新たなものに託(たく)すのです。
天下は続きません。
すべては必ず滅びるのです。
そのため、あなたの信じている当たり前も、いつまでも当たり前であるということはないのです。
その常識は、必ず非常識となるのです。
そのような不安定なものにいつまでもしがみ付いていてはならないのです。
沈み行く船からは、逃げ出さなければならないのです。
変化を受け入れることが大切なのです。
古い価値観に捉われていてはなりません。
あなたは常に変化を求めていましょう。
ただし、それが真理(本質)に向けた変化でなければなりません。
当たり前を疑いましょう。
常識を信用してはなりません。
時代は常に変わっていくのです。
世界を疑いましょう。
そして、世界を新しくしましょう。


2015年6月17日水曜日

家畜

世界にはネガティブの網が張り巡らされています。
あなたは、自分がネガティブの網の中にいるということを知っておきましょう。
それはあなたをネガティブの中に閉じ込めるための籬(まがき)です。
その中にいる者はネガティブによって支配されます。
そこで与えられるものを食べ、与えられた生き方を強いられます。
囲いの中で生きるというのはそういうことなのです。
家畜には自由が与えられません。
それは、家畜として利用されるからです。
家畜がどうあるかは、主人の気分次第です。
主人の気分一つで、家畜はこれからどうするかを決められるのです。
しかし、家畜はそのことを”普通”だと考えています。
それは、囲いの中の生活が長引くに連れて、感覚が麻痺してくるからです。
家畜は、自分が自由に生きていたこと、自由に生きることができることを忘れていくのです。
そして、いつの間にかに囲いの中が自分の安心できる世界だと思い込むようになるのです。
そして、その囲いの外を恐れるようになるのです。
外には自由が存在しています。
自由とは責任です。
何があろとも、それは自己責任に違いありません。
しかし、囲いの中で不自由を得るのと、囲いの外で自由を得るのでは、結果には大きな違いが生じるということを理解しなければならないのです。
人は何のために生まれてきたのか?ということを考えます。
人生の理由を知りたいのが自然です。
多くの人はその疑問を持ちながらも、ネガティブの囲いの中に生きるために、その情熱を失っています。
そのため、多くの人にとっては、自分が何のために生まれ、何のために生きているのか?ということは価値を持たないのです。
多くの人にとって重要なことは、どうやって我欲を満たすか?ということでしかないのです。
ネガティブの囲いの中に生きているために、偽物の価値を本物として自分を慰(なぐさ)めているのです。
しかし、それは人の生きる道ではありません。
なぜなら、人は自分が何のために生まれ、何のために生きているのか?という答えを得ることがなければ、真の幸福を感じることができないからです。
偽物の幸福を得ることはできます。
しかし、それでは、魂を納得させることはできないのです。
あなたは自分が囲いの中に生きていることを知っていますか?
あなたは自分が家畜であるということに気が付いていますか?
あなたの知っている自由とは、本当の自由なのでしょうか?
あなたの求めている価値には、本当に価値があるのでしょうか?
自我によって太ってはなりません。
我欲によって必要以上を貪(むさぼ)ってはならないのです。
あなたは注意しなければなりません。
自分を律するのです。
家畜は多くの餌を与えられます。
それは、慣れさせて懐かせ、太らせて収穫するためです。
それ以外にはありません。
自我によって太っている者は、ネガティブの網を通り抜けることはできません。
大きな自我を持つ者は、自由を得ることはできないのです。
あなたは現状を正確に理解しなければなりません。
不満や不安は自己中心的な考えから導き出される結果です。
自分のことを考えているので、不満や不安が生じるのです。
それは、自我による結果なのです。
そのような者はネガティブの網の中が相応しいのです。
そこには苦悩が満ち溢れています。
自我、我欲を手放し、非我(ひが)によって生きるのです。
そうすれば、あなたは”痩せる”ことができるのです。
自我を小さくした者だけが、ネガティブの網を通り抜けることができるのです。
しかし、通り抜けた先には、更にネガティブの網が囲ってあるのです。
通り抜けるほどにネガティブの網の目は細くなります。
そのため、人は一生涯、精進する必要があるのです。
何重にも重なるネガティブの網を抜けましょう。
家畜として生きてはなりません。
あなたは自由を勝ち取るのです。
自分を律し、世界に貢献するのです。

2015年6月16日火曜日

時代

世界は前進します。
それは後ろを省みることをしません。
時代は常に新たな局面へと向かっているのです。
時代は変わります。
新たな時代へと進むのは、この世界が進化を欲しているためです。
世界は成長という目的のために存在しています。
すべての存在が成長を目的としているのです。
この世界において、成長を目的としないものは存在しません。
成長を阻害しているように思えるものであっても、その負荷によって成長を促しているのです。
そのため、それがどのような存在であろうとも、成長を目的として存在していることには変わりないのです。
時代は、より高次を目指しています。
すべての存在がこれまでよりも向上していなければなりません。
時代が移り変わるのは個人のためではありません。
時代はあなたを待ちません。
時代が個人を庇(かば)うということはないのです。
付き従うことができないのであれば、振り落とされるのです。
時代は常に前進しています。
あなたは時代の変化に気が付かなければなりません。
この変化に気が付くことがなければ、時代に振り落とされ、苦悩の内に取り残されてしまうでしょう。
時代に取り残されるということは、低次の段階に取り残されるということです。
それは、成長という目的とは対極です。
成長することができなければ、人は苦悩を受ける以外にはないのです。
あなたが幸福を求めているのであれば、自らを向上させ、時代に取り残されないようにしなければならないのです。
時代は常に移り変わっています。
それは季節のようにです。
季節が変わるのに、自らを変えることがなければ、その変化に対応することができずに苦しみを得ることになります。
樹木は秋に葉を落とし、冬には休眠しながらも蕾(つぼみ)を育てます。
春になれば花を咲かし、新芽を芽吹かせて夏に備えるのです。
そして、秋にはまた葉を落とすのです。
季節の変化に対応することをしなければ、それを乗り切ることはできないのです。
時代が変化しているにも関わらず、自らを変えることがなければ、時代に翻弄(ほんろう)されるだけなのです。
夏になっているのに、冬の装いであっては身が保たないのです。
いつまでも、前時代的な価値観や考え方や生き方にしがみ付くつもりですか?
時代は移り変わっているのです。
前衛的な価値観や考え方や生き方を開拓しなければなりません。
古い人間は滅びるのです。
それは、時代の変化に対応することができないからです。
これまでの方法が通用しなくなります。
それは、時代が変化するためです。
古いものにも良いものはあります。
しかし、それが真理でなければ”良いもの”ではありません。
前代に価値が認められるものであっても、現代に価値の認められないものは”良いもの”ではないのです。
全時代に通用する価値こそが真理であるのです。
時代によって変わるものなど、真理ではないのです。
そのようなものに頼っていても、あなたが人生の目的を果たすことはできないのです。
間違った価値を追えば、苦悩に辿り着くのです。
真理に従うことがなければ、幸福を得ることはできないということを覚えておきましょう。
古い価値観、考え方、生き方に執着してはなりません。
時代は移り変わるのです。
古い衣は脱ぎ捨てなければなりません。
意地を張っても良いことはありません。
潔(いさぎよ)く、前時代的な価値観を捨てましょう。
新時代に参加することができるのは、前衛的な者だけなのです。
柔軟に生きなければなりません。
何が本当に大切なのか?ということを考えましょう。
時代の変化に気が付きましょう。

2015年6月15日月曜日

未来の可能性

あなたは未知を拾い集めなければなりません。
未知とは、あなたにとって価値のあるものです。
それを散乱させていてはならないのです。
あなたの足元には、様々な未知が落ちています。
あなたはそれを拾い集めるだけで良いのです。
それ等を拾い集めることによって、あなたは様々な知識を得ることができます。
それ等は、統合性の無い情報の集まりです。
しかし、それで良いのです。
統合性の無い情報であろうとも、それは後に統合性を持ち、あなたを助ける知恵となるからです。
この世界に無駄なものはありません。
どのような知識であろうとも、あなたの助けとなるのです。
そのことを覚えていなければなりません。
多くの人は、自分にとって有益な情報のみを大切にします。
自分にとって有益ではない知識には興味がないのです。
それは、唯物的な価値観と、資本主義によって導かれた利己主義が招く結果であるのです。
多くの人が利己主義に従って生きているのが現状です。
あなたは、自らの求める利益にならないことを行うことができますか?
あなたは自らの求める利益のため、なん等かの財産のために行っているのです。
それが現状なのです。
あなたは、自分が不利になること、自分の損失に関わることは行いません。
そのため、自分が無駄であると判断した知識には興味を抱かず、それを集めようとはしないのです。
しかし、この世界には無駄は存在しません。
どのような知識が役に立つかは分からないのです。
あなたが利益になると考えている知識が、次の瞬間には価値を失うということは良くあることなのです。
多くの人が信じているお金の価値も、常に上下動しているのです。
あなたは常に不安定な価値の上に生きているということを理解しなければならないのです。
以前に価値を失ったものが、現在では価値を持つことがあります。
現在には価値のあるものが、将来には価値を失うこともあるのです。
何かに偏ることは有益ではありません。
そのため、自分にとって有益なものだけを大切にしてはならないのです。
可能性を狭めてはなりません。
人生にとって大切なのは、多くの可能性であるからです。
何を所有していようとも、可能性がなければ終わりです。
そのような事態に陥らないために、可能性を広げなければならないのです。
可能性を広げるためには、多くの知識が必要となります。
未知を拾い集めることによって、あなたは可能性を得ることができるのです。
多くの食材を集めれば、料理の種類は増えるのです。
冷蔵庫を開けて、料理を考える時には、食材が多い方が有利なのです。
自分の好きな食材だけを偏って蓄えてあっても、料理の種類が増えることはありません。
あなたはそのような食生活に嫌気が差すことでしょう。
それでは可能性を失っているのです。
その知識は今すぐには役に立たないかも知れません。
しかし、いつかは必ず役に立つ時が訪れます。
あなたはそのことを覚えていなければなりません。
どのような知識が役に立つかは分かりません。
しかし、すべてがなん等かの形で必ず役に立ちます。
あなたは未知に対する興味を持ち続けましょう。
歳を経て、自分が知った気になってはなりません。
あなたが無知を埋めることはできません。
あなたにとっての未知は、いくらでも存在し続けるのです。
自分が賢くなったなどと自惚れてはなりません。
毎日、知識の勉強に励みましょう。
多くのことを知るのです。
足元には多くの未知が散乱しています。
良く見て、それを集めましょう。
無知を放置してはなりません。
未来の可能性を広げるのです。

2015年6月14日日曜日

有るべき姿

ネガティブな意思に注意を払わなければなりません。
ネガティブな思想とは、怒りや恐怖などの”暗い”意思のことです。
それ等の持つ力とは、破滅的な性質です。
それ等を用いるのであれば、人は多くの豊かさを破滅させてしまうことになるのです。
あなたが求めているのは幸福であるはずです。
幸福を求めている人が、ネガティブな意思に従うということには矛盾があるのです。
あなたは、その矛盾に気が付かなければならないのです。
しかし、多くの人はそのことに気が付いてはいません。
自らが用いている意思が、ネガティブなものであるということにさえ気が付いてはいないということもあるのです。
それは危険なことなのです。
ネガティブな意思を用いれば、状況は必ず歪んでしまいます。
歪んだ状況は歪んだ結果を導きます。
それは、苦悩という歪んだ状態をもたらすのです。
それでは幸福を実現することはできないのです。
どのような理由があるにしても、怒りや恐怖などのネガティブな意思を用いないように努めなければならないのです。
しかし、怒りや恐怖の感情自体がネガティブな訳ではありません。
ポジティブな怒りや恐怖というものも存在しているのです。
要するに、それを扱う者がどのような理由によって用いるのか?ということが重要であるということなのです。
しかし、多くの人は怒りや恐怖をネガティブなものだと決め付けているのです。
そのため、ここでは、怒りや恐怖を用いないようにと勧告(かんこく)しているのです。
ポジティブに扱うことができるのであれば、それ等を利用することは構わないのです。
ただし、細心の注意が必要であるのです。
多くの人は疑問を持ちません。
自らが怒りや恐怖を用いることは当然であると考えるのです。
そこに疑問を持たないために、当たり前に怒りや恐怖などのネガティブな意思を用いているのです。
あなたはそれを当たり前としてはなりません。
あなたが怒りや恐怖などのネガティブな意思を用いるのには、それなりの理由があるはずなのです。
あなたが怒りや恐怖を覚えるということは、そこには幸福に対する問題が生じているということでしょう。
問題が存在しないのに、怒りや恐怖を覚える人はいないのです。
あなたはそこに疑問を持たなければならないのです。
あなたがネガティブな意思を用いなければならない状況とは何ですか?
その問題を抱えたままでは幸福を得ることなどできるはずがないのです。
しかし、多くの人はそれを当たり前としているのです。
その矛盾を放置してはなりません。
ネガティブな意思を放置していては、問題はより大きく複雑なものとなるのです。
樹木の苗を放置しておけば、その幹は大きく、その根は複雑なものとなるのと同じです。
それを取り除くことは、時間の経過と共に難しくなっていくのです。
そのため、ネガティブな意思に対しては、注意を払わなければならないのです。
怒りや恐怖によって、人は利己的になります。
それは、争いや分裂を生むのです。
人の世に苦悩が存在しているのは、ネガティブな意思を制することをしないからです。
多くの人が当たり前として、それを放置しているのです。
どのような理由があろうとも、あなたが怒りを覚えるのは当たり前ではないのです。
あなたが恐怖を覚えるのも同じです。
被害者意識によって、多くの人は自らの意思を当然の権利だと思い込んでいます。
しかし、それは違うのです。
他者のため、全体の向上のために存在することこそ、人の有るべき姿であるのです。
ネガティブ(利己的)な意思の者が、他者や全体の向上のために生きることができるでしょうか?
残念ながら、そのような”奇跡”は起きないのです。
求めてはいないにしても、争いや分裂のために生きている者が、どうやって他者や全体の向上を実現するというのでしょうか?
自らを律(りっ)し、滅することのできない者にはどうしても不可能であるのです。
すべての問題は個人的な意思によって引き起こされています。
そのことを理解しなければなりません。
先ずはあなたが、自らを正す必要があるのです。
他人を気にする必要はありません。
あなたは自らを正すのです。
世界を争いと分裂で汚してはなりません。

2015年6月13日土曜日

階段

人生とは問題との対峙です。
問題と向き合い、それを解決していくことが目的です。
それは、問題を乗り越えることによって、そこには成長が実現するからなのです。
問題を問題としないことが、成長への道であるのです。
そのため、人は誰もが問題に対峙しなければならないのです。
それが、成長という名の幸福を実現するための唯一の手段であるのです。
あなたは問題が存在していることを喜ばなければなりません。
問題の数だけ、成長があると考えましょう。
しかし、多くの人は問題の本質を理解することができません。
問題というものに対して、嫌悪感を持っているのが現状なのです。
大抵の人は問題に対して破滅的な考えを覚えます。
それは、問題の”見た目”が恐ろしく映るからです。
多くの人は問題を恐れています。
それは、あなたを苦しめるからです。
すべての問題は簡単なものではありません。
簡単ではないために、問題となっているのです。
そのため、問題に対して嫌悪感を抱くことは普通となっているということなのです。
しかし、あなたは冷静に考えなければなりません。
あなたの人生の目的とは何ですか?
あなたが本当に求めているものは何なのですか?
あなたが覚えているのかは分かりませんが、あなたの人生の目的とは成長することにあるのです。
成長することが最大の喜びであるのです。
そのことを忘れている者が多いのです。
人生の目的を忘れているために、喜ぶことを忘れているのです。
問題が存在するということは、喜びを得るためのチャンスであるのです。
あなたは問題に対して歪んだ価値観を身に付けてはなりません。
あなたの周囲の人は、歪んだ価値観をあなたに見せるでしょう。
問題が恐れるべきものであり、そこから逃げ出さなければならないと教えるのです。
悪気は無いかも知れません。
しかし、間違った解釈は結果としてあなたを苦しめているのです。
理解することは難しいでしょうが、問題に対峙する時には、それを喜びましょう。
問題を解決する度に、状況が好転しているという事実に気が付かなければならないのです。
問題が存在するからこそ、あなたは成長を実現することができるのです。
問題が存在しなければ、あなたは退屈な時間を生きることになるのです。
それは、何の変化も望めない時間です。
そこには停滞が導かれるのです。
停滞が続けば、後退を余儀(よぎ)無くされるのです。
それでは成長は望めません。
成長が望めないのであれば、喜びを得ることはできないのです。
それは、あなたの求めている人生ではないのです。
あなたが求めている人生は、喜びの溢れる幸福なものでしょう。
それを実現するためには、問題となるものを解決していく必要があるのです。
問題を抱えたままであっては、幸福も何もないのです。
あなたは既に間違った価値観を植え付けられています。
問題を苦しいものと決め付けてはなりません。
問題と対峙することができることを喜びましょう。
それは、あなたの人生にそれ以上の可能性が導かれているということだからです。
可能性が存在していなければ、問題と対峙することすら許されないのです。
問題を嫌うのは間違いです。
あなたの成長のため、幸福のために問題が導かれているのです。
それを勘違いしてはなりません。
人生から問題がなくなることはありません。
しかし、それで良いのです。
一つ一つの問題が階段となり、あなたを高みへと押し上げているのです。
問題から逃げることを優先するのではなく、その本質と向き合ってみましょう。
そうすれば、問題に対する見解は、これまでのとは正反対なものとなるでしょう。

2015年6月12日金曜日

提起

あなたは問題と向き合わなければなりません。
あなたの目の前には、様々な問題が存在しています。
それは、あなたに苦悩を導くものです。
小さな問題もあるでしょうが、大きな問題もあるのです。
そのどちらも解決するように努める必要があるのです。
小さな問題と大きな問題の違いは、それを解決するために必要な年月にあります。
小さな問題と大きな問題の本質は変わりません。
なぜなら、どちらも人間が生み出す問題であるからです。
人間が生み出す問題であるのならば、ただ小さいか大きかの違いでしかないのです。
そのため、それを解決するためには、それにかかる時間に違いがあるだけなのです。
それがどのような問題であろうとも、人間が生み出した問題であるのならば、人間であるあなたの力によって解決していくことができるのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
人間が生み出した問題は、人間によって解決することができるのです。
しかし、多くの人はそのようには考えません。
それが、酷く難解であり、自分には解決することができないと思い込んでいるのです。
あなたは、自分が人間であるということを忘れてはなりません。
そして、その問題を生み出したのも同じ人間です。
複雑に見える問題であっても、あなたにもそれを理解することはできるのです。
諦めてはならないのです。
多くの人が幸福を求めています。
それは素晴らしいことです。
幸福を得るためには、問題を解決する必要があるのです。
目の前に問題が存在しているということは、苦悩を受けるということなのです。
問題が存在している限り、人が幸福を得ることはできないのです。
作り物の幸福を楽しむことはできます。
妄想による現実逃避を行えば簡単です。
しかし、現実があなたを離すはずはないのです。
あなたは常に現実を生きなければならないのです。
そのため、問題は常にあなたを悩ますでしょう。
あなたを窮地(きゅうち)に追い込み、苦しみを与えるのです。
問題を解決しない限り、あなたは幸福を得ることはできないのです。
今すぐに、問題の解決に取り組まなければなりません。
最も身近な問題から解決していけば良いのです。
最も簡単に解決することができる問題を探しましょう。
それ等を一つ一つ解決していくことが重要なのです。
誰もが多くの問題を抱えながら生きているのが現状です。
それは個人的なものであり、全体的なものです。
この世界に存在している問題は、あなたにも関係のあるものなのです。
あなたに関係のないことなど、この世界には何一つとして存在しないのです。
「すべては一つ」です。
すべては巡り巡ってあなたに訪れるということを覚えておきましょう。
そのため、どのような問題もそれを見付けたのであれば、解決するように努める必要があるのです。
しかし、あなたによってその問題が解決するかどうか?ということを気にする必要はありません。
あなたには解決することのできない問題というものは、この世界には数え切れないほど存在しているのです。
しかし、あなたに解決することができない問題であっても、誰かとの協力によって解決することもあります。
あなたの意志を受け継いで、問題を解決するために奔走(ほんそう)する者が現れることもあります。
あなたには解決することができないかも知れませんが、その働きは決して無駄にはならないのです。
あなたは礎(いしずえ)となるのです。
問題を提起(ていき)することで、それに誰かが気が付きます。
多くの人がそれに気付けば、解決策も導かれるのです。
問題を黙認してはなりません。
”おかしい”と思うことがあるはずです。
あなたが苦悩を覚えることであれば、他者も同じように苦悩するのです。
そのままで良いのですか?
解決しなければならない問題は山の様にあるのです。
あなたはそれと向き合わなければなりません。
すべての問題は人の心より生じます。
それも、歪んだり、汚れた心からです。
そのため、問題の本質は単純です。
そのことを覚えておきましょう。

2015年6月11日木曜日

世界の歪み

あなたが苦悩を受けるのであれば、それは既に間違った考え方によって、間違った生き方をしています。
苦悩が幅を利かすその道は、あなたにとって正しいとは言えないのです。
人生には様々な学びが存在していますが、それはあなたを成長させるものであって、あなたを苦しめるものではないのです。
しかし、その体験は苦しみをあなたに伝えるでしょう。
それが、幻想であると言ったところで、あなたはそれを信じることができません。
目の前のそれは、至極現実的であるからです。
しかし、あなたは間違えてはなりません。
それは大切な学びであるのです。
苦しみを覚えるかも知れませんが、本来の目的はそこではないのです。
難しい状況はありますが、それが苦しみであるということはないのです。
あなたがそれを苦しみであると決め付けているだけなのです。
あなたがそれを成長のための喜びであると決めるのであれば、そこに導き出される感情は、以前とは違うものになるのです。
あなたが苦悩を受けるのであれば、既にその考え方が歪んでいるということを理解しなければならないのです。
既にあなたの世界は歪んでいます。
敵に見える存在はいますが、本当の意味での敵はいないのです。
あなたにとってのネガティブな存在は、あなたが成長するのに必要な抵抗を実現します。
あなたの理想に対して抵抗をかけることによって、そこには大きなエネルギーが発生するのです。
そのエネルギーこそが、あなたの成長の原動力となるのです。
そのため、ネガティブな抵抗でさえも、最終的にはあなたの成長の糧(かて)となるということなのです。
しかし、多くの人はそのことを知りません。
それを伝えても受け入れません。
それは、目の前のことに必死になっているからです。
多くの人は目の前の生活や問題に追われ、小さな世界に縛られています。
知らず知らずの内に視野が”奪われている”のです。
しかし、多くの人はそのことにも気が付きません。
そのために、何かに対して苦悩を覚えるのです。
本来は、苦悩を覚えることは間違っています。
強情なあなたの成長のためにはネガティブな負荷は必要なことではありますが、それを成長の糧にすることができずに、苦悩に押し潰されているのが現状であるのです。
人は苦悩を抱えて生きてはならないのです。
ネガティブな負荷も楽しめるように努めるのです。
そうでなければ、人が人生の本来の目的を実現することはできないのです。
歪んだ考え方によって、歪んだ世界に生きているのであれば、本当の幸福を実現することはできないのです。
あなたは、世界の歪みを解消する必要があります。
あなたが信じていることは、本当に正しいのでしょうか?
それは、本当にあなたを幸福にするのでしょうか?
省みなければなりません。
自分が正しい人間だと考えてはなりません。
それが正しい生き方であると決め付けてはなりません。
人は常に未熟です。
未熟であるということは、少なからず歪んでいるのです。
人は我欲によって、自分自身と世界を歪めているのです。
そこには、不調和と苦悩が渦巻くのです。
あなたが苦悩を得るのは、利己的に考えているからです。
自分が有利な立場に立ちたいと考えているために、理想通りに進まない状況に苦悩するのです。
利他的な者が苦悩を覚えることはありません。
それは、どのような状況も受け入れることができるからです。
利己的な者の視野は狭いのです。
それは、自分のことだけを考えているからです。
小さな価値観によって、全体(本質)を見極めることができてはいないのです。
そのため、その状況が自分にとってどのような意味を持つのか?ということが理解できません。
そして、そこには感謝ではなく、苦悩を導いてしまうのです。
世界は既に歪んでいるということを理解しましょう。
その上で、正しく見るためにはどうすれば良いのか?ということを考える必要があるのです。
正しく見るためには、とにかく受け入れる必要があります。
それに感謝できるようになるまで、見方を変え続けてみましょう。
あなたが柔軟に見る時には、感謝が芽生える角度があるはずなのです。
そこを探し続けましょう。
世界の歪みを取り除くのはあなたです。
それは、他の誰の仕事でもありません。
人生がどのようなものになるのも、すべては自分次第であるのです。
世界の歪みを取り除きましょう。

2015年6月10日水曜日

無量息災

人は自己を整えなければなりません。
乱れた自己によって生きることは、乱れた生き方をするということです。
その道は歪み、目的地へと到達することはないでしょう。
整えられた自己によって、整った生き方をし、整えられた道を進まなければならないのです。
そうでなければ、人は人生の目的を果たすことはできないでしょう。
多くの人が人生の目的を果たすことなくこの世を去ります。
多くの人が自分が何のために生きているのか?を知らないでいるのです。
あなたは何のために生まれたのですか?
何をしているのでしょう?
乱れた自己によって、それ等を理解することはできません。
乱れた自己は、歪んだ窓ガラスのように景色を歪めてしまうからです。
自己を整えることが求められます。
自己を整えるということは、自らの思考や感情に対して責任を持つということです。
それが、思いやりから離れないように努めなければなりません。
それが、目的意識から離れないように努めなければなりません。
それが、向上意欲から離れないように努めなければならないのです。
思いやりや目的意識、そして、向上意欲から離れた自己は汚れを楽しみます。
汚れた自己は苦悩を導くのです。
それでは、人生の基本(初歩)的な目的である”穏やかさ”にすら辿り着くことができないのです。
乱れた自己を所有する者は、穏やかにすら生きることができないということを覚えておきましょう。
しかし、息災(そくさい)に生きることが人生の目的ではないのです。
息災に生きることは良いことですが、それは土台を均(なら)しただけに過ぎません。
それでは、幸福を得ることはできないのです。
荒れた土地を均したのであれば、そこに建物を築く必要があるのです。
建物を築くことによって”暖かい家庭”が実現し、それが幸福となるのです。
ここで言う建物とは、あなたの担っている使命のことです。
人は誰もが使命を持って生まれるのです。
誰もが果たさなければならない役割を担っているのです。
それは、向上です。
あなたの担っている役割とは、自己や他者、そして、世界の向上に貢献するということなのです。
人は向上を得ることがなければ、幸福を得ることができないのです。
無量息災に生きたところで、あなたの魂は満たされるのでしょうか?
”何も無い”人生が、本当に良い人生だったと思えるのでしょうか?
何も無いことが幸福なのですか?
ただ、生活し、自分や周囲の人が苦労しなければ良いと考えている人がいます。
それは、現実逃避以外の何物でもないのです。
この世界には、既に多くの問題が存在しているのです。
それは、向上に対する問題です。
ネガティブであり、破滅的な働き掛けが存在しているのです。
自分や周囲の人を守ろうとするのは立派です。
しかし、それだけでは不足しているのです。
対岸の火事と侮ってはなりません。
火の粉はあなたにも降り掛かるのです。
隣の家が火災に会えば、あなたの家も簡単に燃えてしまうのです。
誰かの家が火災に会えば、それは全員に関わることであるということを覚えておきましょう。
自己の乱れた者には理解することができないかも知れません。
しかし、理解できないままで放置してはなりません。
これが理解できるように自己を整えるのです。
あなたにはやらなければならないことがあります。
あなたには果たさなければならない使命があるのです。
あなたは向上のために働きましょう。
息災を人生の目的としてはなりません。
常に、新たに何かを学んでいましょう。
真実に気付くのです。
思慮深く生きなければならないのです。
人生とは何か?ということを考察しましょう。

2015年6月9日火曜日

人生は誰のもの?

人生はあなたのものです。
それは確かなことです。
しかし、それは他者のものでもあります。
それも確かなことです。
あなたの生きている人生は、あなたのものであると同時に、他者のものでもあるということを理解しましょう。
どちらか一方に偏ることはありません。
それは、最善のバランスを保ち、存在することを至高とするのです。
あなたが人生を考える時には、それを個人的なものとしながらも、全体的なものであるとしなければならないのです。
どちら共の視点を持つことが重要なのです。
その両方の視点を見失わないように努めましょう。
あなたは人生に対しての責任を持ちます。
それは、あなたが自己責任において管理しなければなりません。
人生に対して無責任であることは許されないのです。
それは、人生が目的に従って存在しているからです。
そして、それが他者のものでもあるからなのです。
誰一人として、自分勝手に生きることはできません。
自己の利益のためだけに選択することはできません。
自分勝手に生きることはできますが、それは破滅的な結果をもたらすことになるのです。
そのため、あなたの求めている幸福というものを実現するためには、そのような生き方を選択することはできないということなのです。
あなたは、どうすればこの世界が”良くなる”のか?ということを考えていましょう。
この世界のことを考えるのであれば、それは他者のことを考えることです。
他者のことを考えるということは、自分自身のことを考えることであると知らなければならないのです。
多くの人は自分自身のことを考えることが自分自身の利益に繋がると考えています。
それは、物質主義や資本主義などの歪んだ価値観を教わったからです。
”紙切れ”や鉱物や数字によって、あなたの人生が左右されているのです。
そのようなものに価値を定めるのが物質主義であり、資本主義の本質であるのです。
そのような思想体系によって、人々の間には主従関係が生じたのです。
人々は、尊敬し合う立場から、支配し合う立場へと人間関係を変化させ(られ)たのです。
そのようには思えないかも知れません。
本質を見極めなければ、その装飾のことだけを理解してしまうのです。
あなたが人生を考える時、その考えはどこまで広がっているでしょうか?
大抵の人は、自分自身の利益までです。
その次に、自分が大切に思っている少数の人間のところまででしょう。
多くの人の人生は、実に個人的なものであるのです。
他者のことを考えることができる人が少ないのです。
他者とは他人のことだけではありません。
すべての生命や存在のことを他者と呼ぶのです。
あなたは自分自身と他者のことを考えていますか?
この世界が”良くなる”ことを考えているでしょうか?
この世界を”良くする”ためには、柔軟に考える必要があります。
子どものように純粋に、誠実に考えなければならないのです。
いつの間にかに植え付けられた、歪められた価値観に従ってはなりません。
あなたは何のために生まれたのですか?
私腹を肥やすために生まれたのですか?
自分自身や自分の大切な者だけが幸福であるのならば、それで良いのですか?
「すべては一つ」に繋がっているのです。
残念ながら、あなたに関係のないものは存在しません。
利己的な行いは、それに相応しい因果を生み出します。
そして、相応の結果を確実に導くのです。
何を選択しても、それに相応しい結果を受け取ります。
そのことを覚えていなければならないのです。
人生はあなたのものです。
それは紛れもない事実です。
しかし、他者のものでもあるという事実を忘れてしまえば、あなたの人生はバランスを崩してしまうでしょう。
それがどのような結末を迎えるかは、あなたの想像に任せます。

2015年6月8日月曜日

人は謙虚でなければなりません。
それは、他者から教えを得るためです。
すべての人は未熟です。
すべての人は道の途中なのです。
あなたも未熟です。
あなたは常に不足しています。
あなたは常に欲しているのです。
人は学びを得る必要があるということを覚えておきましょう。
あなたは自分以外の存在から学びを得なければなりません。
すべては自分以外の存在からもたらされる気付きであるからです。
あなたが学びを得るためには、自分以外の存在に対して教えを請(こ)う必要があるのです。
教えを受けなければ、あなたが”気付く”ことはありません。
気付くことがなければ、成長は実現しないのです。
気付くことがなければ、同じことを何度も繰り返さなければならないからです。
繰り返しに対して、それ以上の向上は望めないのです。
向上とは、今までとは違う可能性を得るということだからです。
あなたが成長するためには、何かしらの変化を必要とするのです。
その変化こそが、自分以外の存在からもたらされる学びであるというのです。
この世界は成長のために存在しています。
あなたがどのように考えていようとも、すべてが成長のために動いているのです。
あなたがそれに気が付いてはいなくても、すべては成長を実現するためであるのです。
しかし、どれだけ世界が成長を促(うなが)しても、本人がそれを受け入れることがなければ、成長が実現することはありません。
それは、自由意思によって、成長に関しては拒否することができるからです。
苦悩が存在するのはそのためです。
学びを受け入れることのない者が、苦悩を受けることになるということを覚えておきましょう。
それは、成長しないからです。
この世界においては当たり前のことです。
しかし、多くの人はそのことを知りません。
苦悩を得るのは成長しないからであって、他の理由ではないのです。
しかし、苦悩を得る人の中にそのように考える者はいないのです。
誰かや何かのせいにして、真実から目を背けているのが現状なのです。
あなたは真実に向き合いましょう。
すべては自分次第なのです。
あなたが幸福を求めているのであれば、学びを受け入れ、そこに存在している真理に気付き、成長を実現する必要があるのです。
受け入れることすらできずに、どうやって気付く(理解する)というのでしょう?
残念ながら、そのような神業(かみわざ)をあなたが使えるはずもないのです。
人は受け入れなければならないのです。
謙虚でなければなりません。
自分以外の存在から学びを得ましょう。
あなたは学びを請わなければなりません。
自分独りで成長が実現することはないのです。
それは、あなた独りではどうやっても学びを得ることができないからです。
謙虚さを忘れてはなりません。
あなたの成長は、あなた以外の存在が提供してくれる学びを原料にする以外に方法はないのです。
自分が優れているなどと考えてはなりません。
あなたは未熟であり、常に不足しているのです。
あなたがどのような立場の者であり、どれだけ歳を重ねていても関係ありません。
この世界に未熟でない者など存在しないのです。
あなたは自惚れてはなりません。
自分を見失ってはなりません。
人は謙虚に生きるべきです。
謙虚に生きることによって、他者からは多くの学びが運ばれてくるでしょう。
受け入れる態勢を整えていない者に、わざわざ学びを運ぶ者はいないのです。
備えあれば憂いなしです。
しかし、備えがなければ憂うのです。
謙虚であることは、学びを受け入れるための備えです。
成長を実現するために、謙虚であることを忘れてはなりません。

2015年6月7日日曜日

豊かな想像力

豊かな想像力を育むことが大切です。
人は、その想像力を豊かに育まなければなりません。
それをできる限り大きく育て、その限界を知ることのないように努める必要があるのです。
想像力に限界を設けてはなりません。
しかし、多くの人は想像力に限界を設けています。
自分自身で、想像力の成長に歯止めをかけているのが現状なのです。
あなたは、想像力が無限であるということを知っていますか?
固定観念や既成概念に捉われ、それ以上の想像を巡らすことができていないのではないですか?
想像力に限界を設けることは愚かなことです。
それでは、立ち行かなくなります。
上手くいくものも足止めを食らうでしょう。
人生を前進させ、豊かなものにするためには、豊かな想像力によって生きることが求められるのです。
原因は常に自分自身の内に存在しています。
あなたの心が信じることができないものは、この世界には実現しません。
あなたが想像することができないことを実現するために、どうして行動していくことができるのでしょうか?
偶然や奇跡など存在しないのです。
すべては、あなたの行動によって導き出される当然の結果でしかないのです。
あなたが想像することができないものを行動することはできません。
行動することがなければ、それが結果(状況)として現れることなどあるはずがないのです。
人生は無限の可能性を所有します。
あなたは好きなように生きることができるのです。
そのために、好きなように想像することが許されているのです。
豊かな想像力によって生きてみましょう。
常識に捉われてはなりません。
そのような小さな世界の中に縛られる必要はないのです。
多くの人は自己の利益を求めます。
何を想像するにも、それが自分に対する利益であることを主にしているのです。
多くの人は、それが自己の利益になるのか?
それが、どれだけの富をもたらすのか?
損得勘定によって、この程度のことを考えています。
唯物主義や資本主義と呼ばれる体系に固着しているのです。
人生の目的が、財産を増やすことでしょうか?
人生とは、財産に左右されるものなのでしょうか?
物品や現金が、あなたの主人なのでしょうか?
それが豊かな発想なのでしょうか?
人生とは何ですか?
あなたは何のために生きているのですか?
あなたは誰なのですか?
想像してみてください。
あなたはこの問いの答えを想像することができましたか?
小さな想像力に翻弄(ほんろう)されてはなりません。
できる限りの可能性に挑むのです。
あなたの知らない考え方があります。
あなたの知らない生き方があるのです。
自分が知っているなどと思い込んでいてはなりません。
しかし、多くの者はそう思い込んでいるのが現状なのです。
そのために、可能性を見出すことができずにいるのです。
あなたはどのような人生にしますか?
どの道を進みますか?
あなたのやりたいことは何ですか?
あなたは何をしなければならないのですか?
今日のあなたが想像している道は、あなたの心を満たすものなのでしょうか?
すべての人には、それぞれの生き方があります。
あなたの想像は何人分ですか?
様々な生き方があるということを知りましょう。
想像力を豊かに働かせ、豊かな人生を生きましょう。

2015年6月6日土曜日

行為の返還

因果の仕組みを退けることのできる者は存在しません。
すべての存在が因果の仕組みの中に生きているのです。
あなたは、そのことを十分に理解しなければなりません。
因果の仕組みに逆らうことはできないのです。
それが誰であってもです。
どのように自分自身を特別な存在だと思い込んでいても、因果の仕組みに逆らうことのできる者はいません。
誰であろうとも、因果の仕組みに従って生きる他ないということを覚えておかなければなりません。
因果の仕組みとは、原因に相応する結果が導かれるということです。
すべての原因が、それに相応しい結果として導かれるのです。
あなたの受け取る結果とは、すべての状況のことです。
すべての状況は、あなたの選択によって導かれるのです。
あなたの選択とは、意思選択のことです。
あなたの思考や心の結果として選択した行為によって、あなたは状況を築いているのです。
そのため、あなたの状況の原因とは、あなたの行為であり、思考であり心であるのです。
あなたの人生の原因は、そのすべてが自分自身にあるということを理解しましょう。
あなたは当然の結果を受け取るだけなのです。
この世界には偶然や奇跡というものは存在しません。
すべてが因果の仕組みの中に存在しているのです。
偶然や奇跡として見えるものであっても、それは、あなたには知り得ない行程によって導かれる当然の結果であるということなのです。
あなたが理解できないからといって、それが存在しない訳ではないのです。
ただ、あなたには理解できないだけです。
すべての結果には、必ずそれに相応しい原因が存在するのです。
そのことを覚えておきましょう。
原因を持っていながら、しらを切ることは許されません。
すべては当然の結果なのです。
あなたは自分自身の行為を受けるのです。
あなたのやったことが返ってきます。
そのままの形で返ることもありますが、大抵の場合は違う形を以て返ります。
それがどのような形であろうとも、必ず返るのです。
受ける時には思い当たらないかも知れません。
それは、自己を正当化するからです。
多くの人は自分自身が正しいと思っているのです。
そのため、その状況が自らの行為の返還であるということには気が付かないのです。
多くの人が自らを省みることをしません。
原因は他所(よそ)にあると信じ込んでいるのです。
自分は被害者であるなどと考える者もいるのです。
しかし、残念ながら、すべては自業自得です。
それは、身から出た錆(さび)以外の何物でもないのです。
あなたは覚えておかなければなりません。
自らの行為が自らに返ります。
それ以外はありません。
あなたがそれに身に覚えがないのは、それが自分のものであるということを知らないからです。
すべてが自分自身から生じたものであるということを認識して、状況を眺めてみましょう。
そうすれば、それが自分のものであったということを思い出すはずです。
身に覚えのないことなど、何一つとして存在しないのです。
すべては、形を変えながらも必ず返るのです。
そのことを覚えていなければなりません。
すべてが自らの結果であるということを理解するのであれば、あなたは今までとは違う行為によって人生を築くでしょう。
原因である、思考、心、行為を変えることがなければ、結果である状況と人生が変わることはありません。
偶然や奇跡をどれだけ待っても、あなたの期待するような結果は導かれないのです。
時間を無駄にしてはなりません。
意思選択はこの瞬間から変えることができるのです。
身一つでそれは実現します。
あなたは自らを改めましょう。
自分がやったことが返ります。
間違えてはなりません。
良いも悪いも、あなたの事柄です。

2015年6月5日金曜日

好きな道

人は本当の自分でなければなりません。
すべての人が自分を生きなければならないのです。
しかし、多くの人が自分という存在を否定します。
多くの人が自分自身を嫌っているのです。
それは悲劇以外の何物でもありません。
自分自身を否定することよりも大きな悲しみは存在しないのです。
多くの人が自分自身を嫌います。
他人のようになりたいと願い、自分自身から逃れようとするのです。
多くの人は自分自身の短所ばかりに注目します。
その結果、自分自身が嫌いになるのです。
本来ならば、人は必要のみを与えられています。
あなたの持っている特徴は、そのすべてがあなたにとって必要なものであり、最善であるのです。
それは、あなただけの力ではありません。
あなたの特徴は、世界にとっての必要でもあるということを理解しなければならないのです。
すべての人が理想を持ちますが、それは自己中心的な理想に落魄(おちぶ)れています。
自己中心的な小さな価値観を元に生み出した理想像こそが、理想となっているのが現状なのです。
そのため、自分自身の持つ大切な特徴を否定するようなことになるのです。
全体を考えれば、自分自身を大切に扱うのが普通です。
自分自身の役割を理解し、その特徴を有効的に扱うのであれば、それはこの世界に対して有効的な”道具”となるからです。
すべての存在が貢献することを求められています。
あなたも世界(全体)に対して貢献する必要があります。
あなたが望んでいなくても、あなたは貢献しなければならないのです。
あなたが望んでいる理想は、自己中心的な理想であり、それが本来の目的ではないのです。
あなたの望む自分という存在も、本当の自分ではありません。
あなたはそのことに気が付かなければならないのです。
自分の理想ばかりを追い求めてはなりません。
それは、自分を否定することになるからです。
自分を認めること、それを受け入れることが重要なのです。
人は、本当の自分として生きていかなければならないのです。
しかし、多くの人は人の世の偽りによって、そのことを忘れているのが現状なのです。
そして、愚痴(ぐち)を吐きます。
本来の目的を忘れて生きるのです。
貢献しない者に、どうして報酬が支払われるでしょう?
この世界は因果の仕組みによって動いているのです。
報酬とは、お金や物などの詰まらないものばかりではありません。
大切な気付きや人格の成長など、幸福の礎(いしずえ)となる報酬を受け取ることができるのです。
人は自分自身という最善の形を与えられています。
それを理解しなければなりません。
誰かの価値観を真似て、自分自身を否定してはなりません。
誰かが求める価値と、あなたの求める価値は違うはずなのです。
心の底から届く、純粋な欲求に従いましょう。
偽りの欲求を追い求めてはなりません。
本当にあなたの心を満たすものが何であるのかを心に問い掛けましょう。
それは、あなたの心だけが知っているのです。
他人に聞いても分かりません。
あなたは自分自身に聞かなければならないのです。
本当の自分を否定してはなりません。
他人と同じでなくても良いのです。
他人と同じであってはならないのです。
自分勝手に生きろと言うのではありません。
自分の形と他人の形の両方を尊重しなければならないのです。
自分と他人の求める価値を一緒くたにしてはならないのです。
あなたはあなたで良いのです。
誰が何と言おうとも関係ないのです。
あなたが心の底から求めるものに向かって進めば良いのです。
好きなことをしましょう。
苦労は絶えませんが、それでも好きな道を進み、心地の好い人生を生きなければなりません。

2015年6月4日木曜日

飾り物

人は忠誠を以て生きなければなりません。
義(ぎ)を尽くすことが、人生においては大切なのです。
しかし、多くの人はそれを見失っています。
己のために生きることに注意深くなり、歪んでいくのです。
我欲によって生きるのであれば、それは破滅を導きます。
自分勝手な振る舞いによって、人は大切なものを失うのです。
我欲に根差して生きてはなりません。
自己を尊重しながらも、全体のために生きなければならないのです。
あなたは何のために生まれてきたのですか?
あなたの人生の目的は何ですか?
私腹を肥すために生まれたのですか?
我欲を満たし、自己の満足を得るためだけに生きているのですか?
あなたは自分が生まれた意味を深く探らなければなりません。
このことを気に掛けないままで生きてはならないのです。
表面的な部分ばかりを大切にしてはなりません。
飾りを気に掛けていても、中身が美しくなければ、それは宝とはならないのです。
化粧によって飾った顔も、歪んだ心では何の価値もないということを理解しなければならないのです。
あなたはこの世のことに目を奪われてはなりません。
どれだけ美麗(みれい)に映るものであっても、それに耽溺(たんでき)してはならないのです。
大切なのはその本質がどのようなものであるのか?ということなのです。
ただ、生活することに価値があるのでしょうか?
生きること自体に価値があると思いますか?
ただ生きるだけで、あなたの心は満たされるのでしょうか?
あなたには役割があるはずです。
あなたには果たさなければならない目的があるはずなのです。
それを実現することがなければ、心が満たされるということはないのです。
何を得たにしても、それは飾りに過ぎません。
どれだけの装飾を施しても、心を飾ることはできないのです。
それは本当の生き方ではないということを知る必要があるということを覚えておきましょう。
あなたの心を満たすものは何ですか?
それは、人生の目的です。
あなたの人生の目的は何ですか?
それは成長です。
自分自身とそれ以外のすべての存在が成長するために生まれてきたのです。
すべての存在が成長するために、あなたはこの世界に生きているということを理解しましょう。
成長のために生きなければなりません。
成長(人生の目的)に関係しないものに現(うつつ)を抜かしていてはならないのです。
あなたは人生に対して真剣に向き合わなければなりません。
命に対して、目的に対して、真摯に向き合う必要があるのです。
表面的なものに目を奪われることなく、本質を見極めましょう。
そうすれば、あなたが何に忠誠を尽くさなければならないのか?ということを思い出すでしょう。
”詰まらない”ことに現を抜かしている暇はないのです。
あなたには大切な目的があるのです。
何のために生まれ、何のために生きているのですか?
何に義を尽くし、何を遺すのですか?
全体のために尽くすように生きましょう。
己のために生きることは退屈です。
それでは心が満たされることはありません。
小さな価値観によって生きてはなりません。
あなたが義を尽くすべきものは他にあります。
視点を高く持ちましょう。
そうすれば、あなたは自らの生き方を修正することができるでしょう。
人生の目的を思い出さなければなりません。
ただ生活して、老いぼれて死ぬことが人生ではありません。
小さな価値観から抜け出さなければなりません。
装飾に忠義を尽くしてはなりません。
中身を大切にしましょう。

2015年6月3日水曜日

必要な存在

この世界に無駄は存在しません。
それがどのような存在であろうとも、そこには大切な役割が与えられているのです。
あなたにとっての大切な役割だけを与えられている訳ではありません。
誰かや何かに対する大切な役割を与えられているのです。
あなたにとって無駄に思えるものであっても、それは誰かや何かのために存在しています。
すべての存在が必要な役割を担い、それを果たすために働いているのです。
あなたには自覚が無いかも知れませんが、あなたという存在も与えれた役割を果たすために働いているのです。
自分自身のために働いて(生きて)いると主張する者がいますが、人は独りで生きていくことはできません。
どのように考えようとも、結果的に他人や他の存在のためになっているというのが現状であるのです。
あなたの行為に無駄はないのです。
すべてが何かの役に立っているということを理解しましょう。
誰や何かに対して迷惑を掛けようと考えても、それは結果として誰かや何かの役に立つ働きであるということなのです。
”神”は無駄を創りません。
すべてに大切な意味を見出すのです。
あなたは、あなたという形が必要であると判断されたために、あなたという存在が許されているのです。
他人は他人としての存在が許されています。
許されているために、存在することができるのです。
存在が許されていなければ、直様その存在は失われるのです。
あなたにとって、自分自身がどれだけ憎い存在であろうとも、それは必要性を持っているのです。
あなたが自分自身をどれだけ嫌おうとも、あなた以外の誰かや何かにとっては、その存在が必要であるということなのです。
あなたが思うほど、世界にとってあなたは不要ではありません。
あなたには大切な価値があるのです。
そのことを理解する必要があります。
自己評価が低過ぎる者がいます。
自己批判を繰り返すのです。
それは、客観性を失っている状態であるということを理解しましょう。
自分勝手な状態であるために、自分自身を不要な存在であると決め付けるのです。
あなたは大切な役割を担っているのです。
あなたの働きが重要であるという理解がこの世界にはあるのです。
そうでなければ、あなたが生まれる必要は無いからです。
自らの役割を理解することは簡単なことではありません。
しかし、それは確実に存在するのです。
理解することができないからといって、それが存在しない訳ではありません。
あなたに理解することができないことなど、この世界には数え切れないほど存在しているのです。
あなたが存在している理由は、生きていく過程において、徐々に理解することができるでしょう。
一朝一夕で理解することができるのならば、あなたは日々を重ねなくても良いのです。
簡単には理解することができないために、一度の人生に何千、何万日も生きなければならないのです。
あなたは自己に対する評価を見直しましょう。
そして、それは他人に対しても同じことです。
無駄に思えることはたくさんあります。
あなたの理念に対して邪魔になるものは多々あるからです。
しかし、その理念が変われば、それは同じように無駄になるでしょうか?
理念の変化と共に、無駄や邪魔に思えるものは簡単に変化するのです。
それほど、不安定なものであるのです。
無駄というものは、自分勝手な決め付けに過ぎないということを覚えておきましょう。
あなたは自分勝手に多くを決め付けているのです。
それが必要であると決め付けていますし、それが無駄であると決め付けています。
しかし、この世界には無駄は存在しません。
”神”は完璧に配置しています。
何かが無駄になるということはないのです。
そのことを理解しておきましょう。
どのような対立が生じたとしても、それは自分勝手な決め付けでしかないということなのです。
理念を改めるだけで、対立は無くなるのです。
すべてが大切であるということを忘れてはならないのです。
歪まないように気を付けましょう。

2015年6月2日火曜日

個人的な問題

人はすべてと一つの存在です。
人は、すべての存在の一部なのです。
人が特別な存在であり、他と差別されていることはありません。
すべての中の一部として組み込まれているのが自然なのです。
あなたは、自分自身がその他のすべての存在と一つであるということを忘れてはならないのです。
あなたは自然の一部であり、宇宙の一部です。
そのことを忘れてしまえば、あなたの視野は狭まり、それは自己中心的なものになってしまうでしょう。
あなたはすべてと一つの存在であるということを理解し、それを忘れてはならないのです。
視点を広げましょう。
目の前の小さな世界をすべてだと考えてはなりません。
遠くを眺めるのです。
多くの人は、自分と直接的に関わりのある目の前の小さな世界をすべてだと考えています。
自分と直接的に関わりのないものは、自分とは関係ないと思っているのです。
本来はそのようなことはありません。
太陽のエネルギーが無ければ、あなたは生きていくことさえできませんが、あなたはそのことを知っています。
太陽は彼方に存在し、それに直接的には関わっていません。
そのエネルギーを光や熱や動植物として間接的に受け取っているのです。
彼方に存在している太陽のエネルギーがなければ、あなた(肉体)はこの世界に存在することすらできないのです。
直接的に関わりのないものであっても、あなたには関わっているのです。
何を得るにしても、それは間接的です。
食物を摂るにしても、それはあなたには直接的に関わるものではありません。
食物とは、例外なく他者の命であるのです。
それ等との関わりは、直接的に見えても間接的なものであるのです。
あなたは自分以外の存在の助けなしには存在することができないのです。
それがどれだけ有り難いことなのかを考えましょう。
あなたは自分以外の存在を大切にしなければなりません。
それ等に対して畏敬(いけい)の念を抱かなければならないのです。
それは、自然信仰です。
あなたは自分よりも大きなものを信仰しなければならないのです。
遠くを眺めてみましょう。
そうすれば、広い世界が広がっていることが分かります。
大地は広大であり、河川は長く、山脈はそそり立ち、大海は深く、大空は果てしないのです。
宇宙はそれ等を遥かに凌(しの)ぐ規模を見せます。
あなたはこれ程広大な世界の中に生きているのです。
あなたの視野はどこまで届きますか?
目の前の小さな世界に生きてはいないでしょうか?
あなたの抱えている問題は、あなたを追い込む程のものなのでしょうか?
大きな世界に視野を広げれば、あなたは畏敬の念に出会います。
それが、”神”との出会いです。
信仰とは、”集まる”ことではありません。
信仰とは、敬(うやま)うということなのです。
それは、個人的な問題であるのです。
”集まる”ことによって信仰が実現すると考えてはなりません。
敬うことのない者がどれだけ集まっても、信仰にはならないということを覚えておきましょう。
視野を広く持つように努めなければなりません。
直接的に関わるものだけが、あなたにとっての大切なものではないのです。
あなたが好意を抱くものだけが大切なものではないのです。
自然界には様々な動植物が存在します。
互いに捕食し合う関係性もあるのです。
しかし、それが悪い結果をもたらすでしょうか?
自然界は正しく管理されています。
それを破壊しているのは誰ですか?
信仰を持たない視野の狭い人間であるのです。
あなたはどのように生きますか?
このままで良いと思いますか?
決断をするのはあなた自身です。
これは、個人的な問題なのです。

2015年6月1日月曜日

”神”の声

あなたは善く善く見なければなりません。
善く善く聞かなければなりません。
善く善く触れなければなりません。
善く善く感じなければなりません。
善く善く考えなければなりません。
善く善く思い巡らさなければならないのです。
人生において大切なのは、善く善く考察するということです。
物事を安易に捉えてはなりません。
それは、安易に理解することができるようなものではないのです。
その本意は、善く善く考察しなければ得られはしません。
本意は常に深い場所にあり、簡単に得られることはないのです。
それを安易に考える者は、目の前の状況に対して苦悩することになります。
それは、物事の表面的な部分だけを捉えることになるため、それが持つ意味を理解することができないからです。
あなたに正しく教える人は、あなたを叱るかも知れません。
相手が声を荒げたとしても、それがあなたを陥(おとしい)れるためであるとは限らないのです。
表面的に捉えるのであれば、あなたは相手の愛情に気が付くことができません。
ただ、相手の行為の見た目に騙されて、その価値に気が付かないのです。
価値に気が付かないことほど、虚しいことはありません。
すべての事柄には価値があるのです。
それに気が付かないということは、それだけ損をするということであるのです。
あなたは損を嫌います。
それは、根本的に成長という目的を所有しているためです。
成長のために利益を得たいと潜在的に考えているのです。
そのため、損を嫌います。
しかし、人生においての真の価値を理解している人は少ないのです。
真の価値を理解していないために、安易に考えるようになったのです。
真の価値を追求しているのであれば、安易に考えるようなことはありません。
真の価値を求めて、それを善く善く考察するようになるからです。
善く善く考察しなければ、それが持つ価値を見出すことはできません。
表面的な価値に捉われて生きる者は、人生に損をするということを覚えておきましょう。
そのような者がどれだけ生き長らえても、人生に意味を見出すことはできないのです。
すべての状況は因果の仕組みによって導かれます。
すべての結果には、それに相応しい原因があるのです。
あなたはそれを”神”の声としなければなりません。
”神”は無駄なものを創りません。
どのように無駄なものに見えるものであっても、それは因果の仕組みによって導かれる当然の結果であるからです。
あなたはそこから得られる教訓を学ばなければならないのです。
すべてはあなたの成長のためです。
人生の根本的な目的が成長にあるということを忘れてはなりません。
ただし、我慢を貫(つらぬ)けとか、泣き寝入りしろと言うのではありません。
向上無くして、成長は無いからです。
物事を正し、向上させていかなければなりませんが、”神”の声無くして、それを実現することはできないのです。
あなたは善く善く考察しなければなりません。
その状況の中に存在する”神”の声を聞き取るのです。
それはとても小さな声です。
そして、あなたには理解することの難しい言語によって発せられています。
そのため、簡単には知り得ません。
深く捉えなければならないのです。
表面的な部分に騙されてはなりません。
それは、単なる飾りに過ぎないのです。
大切なのは本意であるのです。
すべてが成長のために存在するということを理解しておきましょう。
そうすれば、少しでも深く考察することができるはずです。
人生を自分勝手に考えてはなりません。
そのような者に”神”の声を聞き取ることはできないのです。
真摯な心によって、”神”の声を受けましょう。