人は自己を整えなければなりません。
乱れた自己によって生きることは、乱れた生き方をするということです。
その道は歪み、目的地へと到達することはないでしょう。
整えられた自己によって、整った生き方をし、整えられた道を進まなければならないのです。
そうでなければ、人は人生の目的を果たすことはできないでしょう。
多くの人が人生の目的を果たすことなくこの世を去ります。
多くの人が自分が何のために生きているのか?を知らないでいるのです。
あなたは何のために生まれたのですか?
何をしているのでしょう?
乱れた自己によって、それ等を理解することはできません。
乱れた自己は、歪んだ窓ガラスのように景色を歪めてしまうからです。
自己を整えることが求められます。
自己を整えるということは、自らの思考や感情に対して責任を持つということです。
それが、思いやりから離れないように努めなければなりません。
それが、目的意識から離れないように努めなければなりません。
それが、向上意欲から離れないように努めなければならないのです。
思いやりや目的意識、そして、向上意欲から離れた自己は汚れを楽しみます。
汚れた自己は苦悩を導くのです。
それでは、人生の基本(初歩)的な目的である”穏やかさ”にすら辿り着くことができないのです。
乱れた自己を所有する者は、穏やかにすら生きることができないということを覚えておきましょう。
しかし、息災(そくさい)に生きることが人生の目的ではないのです。
息災に生きることは良いことですが、それは土台を均(なら)しただけに過ぎません。
それでは、幸福を得ることはできないのです。
荒れた土地を均したのであれば、そこに建物を築く必要があるのです。
建物を築くことによって”暖かい家庭”が実現し、それが幸福となるのです。
ここで言う建物とは、あなたの担っている使命のことです。
人は誰もが使命を持って生まれるのです。
誰もが果たさなければならない役割を担っているのです。
それは、向上です。
あなたの担っている役割とは、自己や他者、そして、世界の向上に貢献するということなのです。
人は向上を得ることがなければ、幸福を得ることができないのです。
無量息災に生きたところで、あなたの魂は満たされるのでしょうか?
”何も無い”人生が、本当に良い人生だったと思えるのでしょうか?
何も無いことが幸福なのですか?
ただ、生活し、自分や周囲の人が苦労しなければ良いと考えている人がいます。
それは、現実逃避以外の何物でもないのです。
この世界には、既に多くの問題が存在しているのです。
それは、向上に対する問題です。
ネガティブであり、破滅的な働き掛けが存在しているのです。
自分や周囲の人を守ろうとするのは立派です。
しかし、それだけでは不足しているのです。
対岸の火事と侮ってはなりません。
火の粉はあなたにも降り掛かるのです。
隣の家が火災に会えば、あなたの家も簡単に燃えてしまうのです。
誰かの家が火災に会えば、それは全員に関わることであるということを覚えておきましょう。
自己の乱れた者には理解することができないかも知れません。
しかし、理解できないままで放置してはなりません。
これが理解できるように自己を整えるのです。
あなたにはやらなければならないことがあります。
あなたには果たさなければならない使命があるのです。
あなたは向上のために働きましょう。
息災を人生の目的としてはなりません。
常に、新たに何かを学んでいましょう。
真実に気付くのです。
思慮深く生きなければならないのです。
人生とは何か?ということを考察しましょう。
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