当たり前を当たり前としてはなりません。
あなたの信じている常識というものは、正しい道ではないかも知れません。
正しいと思えるようなものであっても、見方を変えれば綻(ほころ)びが生じるのです。
自らの見方だけを正しいと思い込んではなりません。
何が正しいのかは、様々な角度から捉えてみなければ分からないのです。
現在のあなたが持っている見方は、将来には有効的ではない可能性があるのです。
常識が非常識となるように、この世界に対する見方は不安定なものであるということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたの当たり前は、現状において有効なだけであり、それが永続するとは限らないのです。
そのため、常に当たり前や常識に対しては疑いを持つ必要があるということを覚えていなければならないのです。
当たり前を当たり前とするのであれば、物事の本質に向かうことはできません。
当たり前を受け入れた時点において、それ以上の向上は見込めないのです。
あなたが受け取るすべての事柄は、現時点においては未完です。
すべてのものが未完であり、それが最高の形ではないのです。
そのため、当たり前(正しいもの)として受け入れているものであっても、それが将来には役には立たないものとなるのです。
過去の当たり前が、現在も有効的であったことがありますか?
常識が常識のままで有り続けたことがありましたか?
当たり前は役に立たなくなり、常識は非常識となるのです。
それが、この世界での理(ことわり)であるのです。
それは、この世界の目的が成長(向上)にあるからなのです。
成長から離れることのできるものは存在しません。
すべてのものが成長を目的として存在しているのです。
そのため、古いものと新たなものが生まれるのは必然であるのです。
それは、老人と幼子(おさなご)のようなものなのです。
世代によって担う役割は違います。
時代が違っているのです。
その時代に必要な人物が生まれます。
そのため、古い世代の者が新たな世代の者に古い常識を押し付けても、それが有効的に作用することはないのです。
新たな常識でなければ、新たな時代には役に立たないということなのです。
新たな常識というものは、何も斬新なものであるということではありません。
より本質に近いということです。
それが、新たな常識として、世界に受け入れられるのです。
斬新であっても、それが本質である真理に近くなければ、それが時代に受け入れられることはありません。
現状において、より真理に近いものが常識となるのです。
そのため、多くの人は常識を信用するのです。
過去に比べて、それはより確信的であるためです。
しかし、それはいつまでも通用しないのです。
新たに生まれたものは、やがて古くなるのです。
この世界は、その周期によって向上を実現するのです。
新たに生まれたものが古くなって滅びる。
そうしなければ、より確信的な新たなものは生まれては来ないのです。
古いものは役割を終えて滅びるのです。
新たなものがその役割を担い、より向上した形にして、新たなものに託(たく)すのです。
天下は続きません。
すべては必ず滅びるのです。
そのため、あなたの信じている当たり前も、いつまでも当たり前であるということはないのです。
その常識は、必ず非常識となるのです。
そのような不安定なものにいつまでもしがみ付いていてはならないのです。
沈み行く船からは、逃げ出さなければならないのです。
変化を受け入れることが大切なのです。
古い価値観に捉われていてはなりません。
あなたは常に変化を求めていましょう。
ただし、それが真理(本質)に向けた変化でなければなりません。
当たり前を疑いましょう。
常識を信用してはなりません。
時代は常に変わっていくのです。
世界を疑いましょう。
そして、世界を新しくしましょう。
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