ネガティブな意思に注意を払わなければなりません。
ネガティブな思想とは、怒りや恐怖などの”暗い”意思のことです。
それ等の持つ力とは、破滅的な性質です。
それ等を用いるのであれば、人は多くの豊かさを破滅させてしまうことになるのです。
あなたが求めているのは幸福であるはずです。
幸福を求めている人が、ネガティブな意思に従うということには矛盾があるのです。
あなたは、その矛盾に気が付かなければならないのです。
しかし、多くの人はそのことに気が付いてはいません。
自らが用いている意思が、ネガティブなものであるということにさえ気が付いてはいないということもあるのです。
それは危険なことなのです。
ネガティブな意思を用いれば、状況は必ず歪んでしまいます。
歪んだ状況は歪んだ結果を導きます。
それは、苦悩という歪んだ状態をもたらすのです。
それでは幸福を実現することはできないのです。
どのような理由があるにしても、怒りや恐怖などのネガティブな意思を用いないように努めなければならないのです。
しかし、怒りや恐怖の感情自体がネガティブな訳ではありません。
ポジティブな怒りや恐怖というものも存在しているのです。
要するに、それを扱う者がどのような理由によって用いるのか?ということが重要であるということなのです。
しかし、多くの人は怒りや恐怖をネガティブなものだと決め付けているのです。
そのため、ここでは、怒りや恐怖を用いないようにと勧告(かんこく)しているのです。
ポジティブに扱うことができるのであれば、それ等を利用することは構わないのです。
ただし、細心の注意が必要であるのです。
多くの人は疑問を持ちません。
自らが怒りや恐怖を用いることは当然であると考えるのです。
そこに疑問を持たないために、当たり前に怒りや恐怖などのネガティブな意思を用いているのです。
あなたはそれを当たり前としてはなりません。
あなたが怒りや恐怖などのネガティブな意思を用いるのには、それなりの理由があるはずなのです。
あなたが怒りや恐怖を覚えるということは、そこには幸福に対する問題が生じているということでしょう。
問題が存在しないのに、怒りや恐怖を覚える人はいないのです。
あなたはそこに疑問を持たなければならないのです。
あなたがネガティブな意思を用いなければならない状況とは何ですか?
その問題を抱えたままでは幸福を得ることなどできるはずがないのです。
しかし、多くの人はそれを当たり前としているのです。
その矛盾を放置してはなりません。
ネガティブな意思を放置していては、問題はより大きく複雑なものとなるのです。
樹木の苗を放置しておけば、その幹は大きく、その根は複雑なものとなるのと同じです。
それを取り除くことは、時間の経過と共に難しくなっていくのです。
そのため、ネガティブな意思に対しては、注意を払わなければならないのです。
怒りや恐怖によって、人は利己的になります。
それは、争いや分裂を生むのです。
人の世に苦悩が存在しているのは、ネガティブな意思を制することをしないからです。
多くの人が当たり前として、それを放置しているのです。
どのような理由があろうとも、あなたが怒りを覚えるのは当たり前ではないのです。
あなたが恐怖を覚えるのも同じです。
被害者意識によって、多くの人は自らの意思を当然の権利だと思い込んでいます。
しかし、それは違うのです。
他者のため、全体の向上のために存在することこそ、人の有るべき姿であるのです。
ネガティブ(利己的)な意思の者が、他者や全体の向上のために生きることができるでしょうか?
残念ながら、そのような”奇跡”は起きないのです。
求めてはいないにしても、争いや分裂のために生きている者が、どうやって他者や全体の向上を実現するというのでしょうか?
自らを律(りっ)し、滅することのできない者にはどうしても不可能であるのです。
すべての問題は個人的な意思によって引き起こされています。
そのことを理解しなければなりません。
先ずはあなたが、自らを正す必要があるのです。
他人を気にする必要はありません。
あなたは自らを正すのです。
世界を争いと分裂で汚してはなりません。
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