人は自らの主人によって報酬を得ることができます。
人は、主人によって与えらえれる報酬により、人生を築いていくのです。
主人によって与えられる報酬がなければ、人生は築かれません。
どのような主人に仕(つか)えるにしても報酬は支払われますが、大切なのはその報酬の質であるのです。
すべての人は主人を持ちます。
あなたは主人に仕えています。
あなたがどのように考えようとも、あなたは主人のために仕え、そこから報酬を得ているのです。
その事実に気が付かなければなりません。
あなたの受け取る状況が、あなたの主人から支払われる報酬であるのです。
この世界には因果の仕組みが存在しています。
それは”神”が創造した理(ことわり)です。
何者も、これを離れることはできません。
すべての存在が真理の下に有るのです。
しかし、あなたの上には主人がいます。
あなたの父や母、尊敬する人物、あなたよりも社会的地位が上の人物・・・
あなたに何かを与えている人は、あなたの主人であると言えるでしょう。
しかし、主人といっても、それは人間だけに限られたものではありません。
人間でなくても、あなたの主人には成り得るのです。
例えば、あなたの思想の根本を成す”主義”です。
すべての人は、目には見えない主義という主人に仕えています。
主義を持たない人間は存在しません。
人が思考し、行為するためには、その根本である主義が必要であるからです。
主義と言えば、厳格な印象を持つかも知れませんが、そのように考える必要はありません。
動機こそが主義であるのです。
人は無意識の内にでも何かを信じ、仰(あお)いでいるものなのです。
それがあなたの主人となります。
あなたは、信仰の対象から得る報酬によって生きているのです。
主人は、自らの持っているものを与えます。
農夫ならば野菜を与え、漁夫ならば魚を与えます。
主人が自らの持っていないものを与えることはありません。
そのため、あなたは主人が何を持っているのか?ということを気に掛ける必要があるのです。
あなたの仕えている主人が持っているものは何ですか?
持ち物以外の報酬を支払うことはできないのです。
主人の本質を見極める必要があるのです。
野菜が欲しければ農夫に仕える必要があります。
魚が欲しければ漁夫に仕えるのです。
野菜が欲しいのに漁夫に仕えてはなりません。
矛盾していることは、不自然であるのです。
毛髪が自然に抜けることには苦痛はありません。
しかし、それを無理矢理に引き抜けば、強い苦痛を受けることになるのです。
不自然であり矛盾していることは、人生に苦悩を導きます。
”神”に仕えているつもりであっても、その実、それ以外のものに仕えているのであれば、支払われる報酬があなたの理想に等しいことはないのです。
”神”とは何ですか?
それは愛情です。
あなたが”神”に仕えているのであれば、思いやりや慈(いつく)しみを以て働きましょう。
”神”に仕えていると自称していても、愛情を働いていないのであれば、違う主人に仕えているのです。
報酬は主人によって与えられます。
あなたの働きに相応しい主人が、あなたの働きを見込んで、その働きに相応しい報酬を支払うでしょう。
あなたは労働の代価を受け取らなければなりません。
あなたの働きによって発生した報酬は、あなたが受けなければならないのです。
他人のものを受け取ることは罪になります。
あなたは、自らの働きの報酬として、目の前の状況を受け取っているのです。
そのため、人生は自己責任の世界であるのです。
誰かや何かのせいにすることはできないのです。
あなたは自らの意思によって、その主人に仕えたのです。
人生に後悔するのであれば、自らを省みましょう。
どの主人に仕えるのかは、あなたが決めれば良いのです。
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