現実とは、目の前に広がる世界です。
	あなたの体験している世界は、あなたにとっての紛れもない現実なのです。
	すべての人が自分自身の現実を抱えています。
	すべての人が自分自身の現実の世界に生きているのです。
	それがどのような世界であろうとも、それが現実なのです。
	現実というものは一つではありません。
	それは、共通している世界ではないのです。
	幾層にも重なる世界すべてが現実であるということを理解しましょう。
	あなたに理解すること、受け入れることができない世界は、非現実ではありません。
	あなたに受け入れることができない世界も、それは現実であるのです。
	多くの人は自らが受け入れることができない世界を非現実として否定します。
	それは、あなたにとっては非現実であり、受け入れることができない世界ではありますが、それはあなたにとっての非現実であるだけであり、他人にとっては現実そのものなのです。
	世界を限定的に考えてはなりません。
	あなたの知っている世界など、広大な世界の微小な一部分だけであるのです。
	微小な一部分だけを切り取って全体を理解することは不可能です。
	あなたの知っている現実のみを語って、全世界を理解したような気持ちになってはなりません。
	現実は、あなたの考えているような小さなものではないのです。
	世界を良く観察しなければなりません。
	あなたの暮らす地域の常識と、他人の暮らす地域の常識は違います。
	それだけで、現実は違うものとなるのです。
	脳波の違いによって、人は違う現実を目の当たりにします。
	あなたが睡眠の状態にある時、夢を見ています。
	夢は非現実なのでしょうか?
	あなたはそれを体験しているのです。
	覚醒している状態のみを現実と位置付けることには無理があるのです。
	夢の世界の体験も、明らかな現実なのです。
	それが現実でないというのであれば、その体験に感情が働くはずがないのです。
	あなたは夢の世界に対して、本気で恐れたり、本気で喜んだりするのです。
	その感情は非現実的なものなのでしょうか?
	それでは、覚醒している状態に受ける感情は、本当に現実的なものなのでしょうか?
	脳波の違いによって、人は違う世界の同じ現実に向き合うのです。
	脳波の違いだけで、人は違う世界の同じ現実を体験することができるのです。
	あなたと他人の価値観によって導かれる認識は違います。
	あなたの生きる世界(観)だけが現実であると主張するのには無理があるのです。
	あなたは自分自身が認識することのできる現実に生きているのです。
	他人は他人の認識する現実に生きています。
	それを一緒くたに考えてはならないのです。
	世界は決して一つの空間に存在してはいません。
	様々な階層が幾重にも連なった世界が現実なのです。
	主観で判断するのであれば、それは過ちを導きます。
	主観で判断することができるほど、世界は小さくはないのです。
	あなたは現実が幾つも存在するということを受け入れましょう。
	小さな世界に生きてはなりません。
	無知は苦悩を導くのです。
	自己中心的な生き方によって、どうして豊かさが導かれるというのでしょう?
	あなたは他人の視点を生きることはできません。
	他人とあなたの視点は必ず違います。
	それぞれが違う世界を生きているのが”普通”なのです。
	そのため、常識という集合意識によって現実を理解することはできません。
	現実が他人と同じである必要はないのです。
	あなたの生きている現実が他人と同じであっては異常(不自然)なのです。
	そのことを理解した上で世界を見なければなりません。
	想定が間違っているのであれば、結論も間違えるのです。
	現実が一つではないということを理解しましょう。
	
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