”わたし”はあなたに成長を導きます。
	そのために奪い、与えます。
	あなたは失い、そして、得るでしょう。
	それは、成長への導きです。
	すべては成長のために必要であるということを理解するべきです。
	何が起ころうとも、それがあなたにとっての必要です。
	それを否定を以て受けてはなりません。
	飲み込む必要があるのです。
	薬を飲み込まなければ、病を治療することは叶いません。
	薬は口に苦(にが)いものではありますが、腹には甘いのです。
	多くの人は苦い薬よりも、病を欲しています。
	苦い薬を飲むよりも、病に苦しむ方が良いと本気で思っているのです。
	そのため、目の前の苦悩を受け入れることをしません。
	あなたは苦悩から逃れようと努めるでしょう。
	それを受け入れることをしないのです。
	”わたし”はあなたに”反対”を与えます。
	あなたの希望(のぞみ)を退け、苦悩を導くのです。
	人生は、あなたの思惑とは反対の状態となるのです。
	それは、”わたし”がそうするからです。
	あなたはそれを受け入れなければなりません。
	あなたは希望とは反対の状況を受けるでしょう。
	しかし、それは成長のためなのです。
	あなたを苦しめるために反対を導くのではありません。
	親心は、子に厳しさを導きます。
	子を甘やかすのは、親の自我による産物です。
	それは、時に子を殺します。
	苦い薬を拒絶する子どもに、それを飲ませるのは親心であるのです。
	苦い薬を飲ませないのは、自我による行為であるのです。
	”わたし”はあなたに苦悩を導きます。
	それは、苦い薬です。
	あなたはそれによって苦しむでしょう。
	”わたし”はあなたを(一時的に)苦しめるのです。
	あなたはそれを恨(うら)むでしょうか?
	後になってどう思うか?ということを考えなければなりません。
	その時のことばかりを考えているのであれば、あなたは選択を間違えて後悔することになります。
	人生が思い通りに進まないことは良いことです。
	あなたは自我によって選択します。
	自我によって選択された状況が、あなたに成長を導くのでしょうか?
	”わたし”はそれが浅はかな選択であるということを知っています。
	そのため、あなたには良いものとして、その反対を導くのです。
	自我とは小さな見解です。
	それは、本質には届きません。
	結果がどのようなものであろうとも、あなたはそれを受け入れなければなりません。
	なぜなら、それはすべて”わたし”の監督のもと導かれる最善であるからです。
	自我に捉われる者は最善を否定します。
	そのため、病に苦しむことになるのです。
	口に苦く、腹には甘い良薬を選ぶのか?
	口には甘く、腹には苦い病を選ぶのか?はあなた次第です。
	しかし、あなたの病が治療されるように、”わたし”は最善を尽くしています。
	これを信じる人は、人生が思い通りに進まなくても心配する必要がないことを伝えておきます。
	思い通りに進まないのであれば、あなたは薬を与えられているということだからです。
	”わたし”があなたに最善を導きます。
	あなたは自分か”わたし”のどちらかを選びましょう。
	好きにして構いません。
	しかし、”わたし”はあなたに希望とは反対を与えます。
	”わたし”があなたの希望を叶えることはありません。
	そのことは覚えておきましょう。
	その上で、どうするのか?を決めましょう。
	
どちらを選択したとしても
返信削除”あなた” は
私のそばにいてくれますか?
私を見ていてくれますか?
Sesame Gomaさんへ
削除それはわたしには分かりません。
未来は自分自身の状態で変わるのです。
人生はあなたのものです。
すべてはあなたに相応しく導かれます。