世界は決め付けによって溢れています。
	どこを見ても決め付けが先行します。
	既に世界は決め付けの中に埋もれているのです。
	あなたが見ている世界は、あなたの決め付けが創造した世界です。
	それは、あなたの意思とは別の意思によって構築されているように思うかも知れませんが、この世界はあなたの意思によって構築されたのです。
	その証として、同じ対象を見ても、他人とは違う印象を受けることができます。
	あなたと他人の認識は、同じ対象に対して別のものであるのです。
	世界が共通の意思によって築かれているのであれば、あなたと他人は同じ対象に対して、同じ印象を覚えるのです。
	これは、個性が与えられ、独自の世界が与えられている証となるでしょう。
	あなたは他人とは違う世界を生きています。
	しかし、それは同じように見えるのです。
	同じように見える違う世界を生きているということに気が付いた時に、あなたは決め付けという束縛(そくばく)から逃れることができるでしょう。
	多くの人が世界は一つのものだと考えています。
	それは、そのように見えるためです。
	それは、決め付けです。
	多くの人が主観によって生きていますが、その主観から離れられないでいるのが現状なのです。
	それは、自我による決め付けが既に存在しているからです。
	決め付けは経験によって形成されます。
	あなたは様々な経験を通じて、いつの間にかに偏見という決め付けを構築したのです。
	それを無意識的に世界に反映し、その結果を見ているのです。
	あなたの生きている世界は真実ですが、真実ではありません。
	矛盾しているように聞こえるかも知れませんが、それが真実です。
	この世界は”有って無い”のです。
	あなたは自らの意思によって世界に有無を決め付けているのです。
	有無の形によって、世界は形を変えるのです。
	それぞれの人が個性を持ち、その個性はそれぞれの有無を好みます。
	そのため、それぞれの世界が存在しているのです。
	あなたは無意識的に多くの決め付けを所有しています。
	決め付けは、対象の真実の姿を覆い隠します。
	それは、限定された視点であるからです。
	決め付けることによって、視点が固定されます。
	その視点から見るのと、別の視点から見るのでは、形は随分異なります。
	物事は、表と裏では全く違う形を所有しているのです。
	そのため、どちらか一方で判断することはできません。
	偏れば、必ず間違えます。
	理解の深まりを以て、人は成長という目的を実現することができます。
	理解を深めるためには、決め付け(限定的な視点)を取り除く必要があるのです。
	長い経験によって構築された視点は、簡単には崩れません。
	長い歳月によって、圧縮されて硬くなったのです。
	岩を崩すのが難しいように、決め付けを崩すのも難しいのです。
	そのため、短時間で変えることはできません。
	それが構築されたのと同じように、長い歳月を掛けてゆっくりと崩し、再構築していく必要があるのです。
	しかし、一度構築した視点が無駄になることはありません。
	それは、一方の見方(視点)を支えます。
	様々な角度から対象を捉える時、初めてそれを理解することができるのです。
	あなたは無意識的に世界を限定しています。
	先ずは、その世界がすべてではないということを受け入れましょう。
	あなたの知らない世界(可能性)は多々あるのです。
	人間の生き方が一つではないように、世界も複数存在しているのです。
	それぞれの世界が集合しているのがこの世界なのです。
	そのため、決め付けることはできません。
	決め付けを持ち出した瞬間に限定されます。
	それでは、大切な可能性を失ってしまうのです。
	決め付けによって世界を限定してはなりません。
	世界を柔軟に捉えましょう。
	予想外のことが起これば、それが真実なのです。
	自らを正当化し、未知と無知に蓋(ふた)をしてはなりません。
	あなたの知らない世界が存在するのです。
	
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