目の前の状況に対する理解を深めることによって、あなたは世界の全体像を掴むことができます。
	全体像を掴むことは大切です。
	それは、全体を理解しなければ、個を理解することができないからです。
	個についてどれだけ研究しても、全体と比較することがなければ、その正体を理解することなどできないのです。
	あなたが井戸の中の蛙(かえる)であったとして、自分を蛙だと思っているとします。
	しかし、井戸の外に出れば、蛙は蛙という状態を保つことができないのです。
	それは、蛙かも知れませんが、捕食の対象という状態になるかも知れません。
	蛙は井戸の中にいる時には自身のことを強者だと思っていたかも知れませんが、外の世界では自身を弱者だと考えるかも知れません。
	個に対する定義は、全体を以て覆るのです。
	個をどれだけ研究しても、全体によってその状態は変化してしまうのです。
	そのため、個を理解するためには全体を理解する必要があります。
	蛙は、井戸の外に出て、自分を蛙だと証明しなければならないのです。
	全体と照合した時に導かれる答えが真実であるでしょう。
	しかし、多くの人は”井戸の中の蛙”の状態を所望(しょもう)しています。
	それは、既知(きち)の世界よりも大きな未知の世界が存在しているにもかかわらず、恐怖によってそれを見ようとはしないからです。
	既成概念(きせいがいねん)に安心を覚え、既知の世界を生きることに専念しているのです。
	それでは、自分自身のことすら理解することはできません。
	自分が何者であるのか?という基本的な情報を理解することがなければ、人生にどのような選択をすれば良いのかすら分からないのです。
	多くの人が迷いの生存を続けるのはそのためです。
	自分自身を”蛙”だと思っていますが、それは、小さな世界の中の一面でしかなく、真実ではないのです。
	あなたの目の前には未知の世界が広がっています。
	多くの人は知ったつもりではありますが、本当は何も知らないのです。
	しかし、それでも生きていけるために、知ったつもりで生きていくことに危機感を覚えないのです。
	社会に適応して当たり前に生活することで生命を存続させることはできます。
	しかし、ただ生きていく、生き長らえるだけで心(魂)が満たされるのでしょうか?
	それを幸福だと考えるのであれば、そのように生きていくことに問題はありません。
	そのように考える人にとっては、それが必要なことであるからです。
	しかし、ただ生命活動を続けることにはいずれ限界が訪れます。
	あなたは当たり前の生活に疑問を抱き始めるのです。
	その時に、人生とは何だろう?
	何のために生きているのか?
	何のために仕事をしているのか?
	自分自身とは何だろう?
	などという問いに向き合うことになります。
	そこで必要になるのが、井戸の外の世界と自分を照合する作業なのです。
	世界を理解することがなければ、それ等の問いに答えを導き出すことができないのです。
	そのため、あなたには理解を深める必要があるのです。
	”わたし”はあなたに何度も同じ道を歩かせます。
	何度も何度もあなたはその道を通る必要があります。
	それは、一度では理解することができないからです。
	一度目と二度目では、景色が違うことに気が付くでしょうか?
	それは、景色が変わっている訳ではありません。
	あなたの認識が違っているのです。
	繰り返すことによって、あなたはその道の様々な情報を得ることができます。
	繰り返すことによって、多くの情報を得ることができるのです。
	その情報を繋ぎ合わせることによって、細部が鮮明となり、全体像を掴むことができるのです。
	それは、パズルを組み立てることに似ています。
	一つ一つのピースを繋ぎ合わせることによって、あなたはそこに何が描かれているのか?を次第に理解することができるでしょう。
	一部だけを見て、全体を理解することはできません。
	全体を理解することがなければ、一部を理解することができないのです。
	あなたは理解を深めましょう。
	あなたに関連していることであれば、何でも良いのです。
	未知の世界を求めるのです。
	井戸の中から出るのは勇気が必要です。
	しかし、井戸の中で自惚れて生きるよりはましです。
	
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