あなたは、自分が”器”であるということを理解しましょう。
	あなたは器です。
	それは外部構造と内部構造を持ちます。
	あなたは外と内を同時に所有します。
	外は内を守るために存在し、内は外を守るために存在しています。
	外と内とは一対の存在であり、どちらかを損なうことはできません。
	あなたは常に外と内を同時に所有するのです。
	器は、受ける必要があります。
	それは、内部に貯蔵(ちょぞう)する能力を持つからです。
	器は主人の注ぐものを受ける必要があるのです。
	それが存在理由です。
	主人は器に注ぎます。
	器の形によって、注ぐものが変わります。
	美しい器には美しいものを注ぎ、力強い器には力強いものを注ぎ、繊細な器には繊細なものを注ぎ、歪んだ器には歪んだものを注ぐのです。
	主人は器のことを良く理解しています。
	器の用途を理解しているために、それに相応しいものを注ぐのです。
	あなたは”器”です。
	主人とは、あなた以外の存在です。
	あなた以外の存在は、あなたに相応しいものを注ぎ込みます。
	それがどのようなものであろうとも、あなたはそれを受ける必要があります。
	主人が注ぐものは素直に受ける必要があるのです。
	主人が注ぐものが気に入らず、注いでいる最中から穴を開けてそれを垂れ流すのであれば、主人はその器の用途を変えます。
	穴の空いた器には、より粗悪なものを注ぐのです。
	あなたは自らの仕事を放棄してはなりません。
	あなたは自らの形を持っているのです。
	あなたの用途はあなたの主人が決めます。
	あなたが決めるのではないのです。
	目の前に導かれる状況こそが、主人の決定であるのです。
	人生にどのようなことが起ころうとも、それはあなたに相応しい学びであるということを理解する必要があるのです。
	多くの人は目の前の状況を受け入れません。
	目の前の状況が気に入らず、それを拒絶するのです。
	それでは仕事を遂行(すいこう)することはできないのです。
	何を注ぎ込まれようとも、そこには意図が存在しています。
	意図の無い用途は存在しません。
	どのように思える用途であっても、そこには深い意味が存在しているのです。
	器には、それを理解することができません。
	しかし、注ぎ込まれるものを受け入れ、自らの用途を見届けるのであれば、それを理解することができるのです。
	多くの人(器)は、主人の意図を見届ける前に勝手に結論を出し、勝手にそれを拒絶しているのです。
	それは愚かなことです。
	すべてには意味があります。
	その意味を理解しなければ、人生が有意義なものになるはずがないのです。
	意味を理解するのであれば、拒絶することなどなくなるのです。
	注がれたものが何であろうとも、あなたはその意味を探りましょう。
	あなたには思い付かないような意図が隠されています。
	隠されている訳ではありませんが、あなたにとっては隠されているように見えるのです。
	主人の意図を理解するのは簡単ではありません。
	そのため、受け入れる姿勢というものが重要となるでしょう。
	意図を理解するまでは受け入れるのです。
	意図を理解した後で、どうするかを決めれば良いのです。
	使える器でありましょう。
	あなたが主人であれば、使い物にならない器をどうするでしょうか?
	あなたの主人は、あなたに対して同じことをするでしょう。
	自分にして欲しいことを、率先して他人に対してしなければなりません。
	あなたは他人の主人でもあるのです。
	主人がいつ注いでも良いように、器を磨いていましょう。
	汚れた器は後回しにされるのです。
	必要とされるのは綺麗な状態の器です。
	これは、形状のことではありません。
	いつの時にも、自分が器であるということを忘れてはなりません。
	自分の主人が自分自身であるなどと考えてはなりません。
	
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