人生とは、それぞれの目的のために与えられた時間です。
人は、それぞれの目的に従って行わなければなりません。
自らの目的を軽んじ、それ以外の目的に随行(ずいこう)するのであれば、その人は苦悩を受けるでしょう。
人は、自らの目的を重んじなければならないのです。
しかし、多くの人は自らの目的を軽んじています。
それは、自らの目的を知らないからです。
そして、その重要性を理解しないためです。
すべての人は幸福を求めています。
しかし、自らの目的の実現は求めていません。
誰かや何かに従うことによって、幸福が実現すると思い込んでいるのです。
そのため、自らの目的に従った人生を生きることができないのです。
あなたは何のために生きているのですか?
その日々を繰り返すことによってどうなるというのでしょうか?
あなたは人生に目的を持っていますか?
人生に目的も無く存在してはならないのです。
あなたには責任があるのです。
それは、あなたの人生という責任です。
人生を行っているのに、それに後悔してはならないのです。
行っているものは、それに喜ばなければならないのです。
多くの人は、自らの行っていることに喜んではいません。
寧(むし)ろ、それに苦しんでいるのです。
なぜ、苦しいことを続けているのですか?
あなたの目の前の純粋な子どもは、あなたに同じことを聞くでしょう。
なぜ、苦しいことを続けているのですか?
あなたは自分に問い掛けてみましょう。
それは、あなたの目的なのですか?
苦しむ目的とは何でしょうか?
すべての人が幸福を求めていますが、その中の多くの人は苦しみの目的を以てそれを実現しようと努めているのです。
そこには大きな矛盾が存在しているのです。
原因が矛盾していれば、結果も矛盾するのです。
因果はそのままの性質を導くからです。
苦しみの目的を行っているのであれば、苦しみの結果を受けるのです。
それ以外の結果を受けることはできません。
多くの人は、自分の目的を見失っています。
そして、いつの間にかに別の目的のために生きているのです。
別の目的にどれだけ努めても、あなたが満足することはありません。
それは、あなたが自らの目的によって満足することができるからです。
それ以外の目的によっては、満足することができないのです。
そのため、多くの人は満足することなく生きているのです。
それは、本当にあなたの目的なのでしょうか?
他の目的のために生きてはなりません。
それを行ってはなりません。
世の中には、自らの目的を歪める力が働いています。
人は、自分らしく生きることが難しいのです。
全体は大切ですが、歪んだ全体は必要ではありません。
全体が歪んでいるのであれば、個が正さなければならないのです。
人の世は個を殺します。
そこでは、個を一括(いっかつ)しているのです。
本来ならば、別々の個が全体を形成するのが自然です。
しかし、人の世はそれを歪めるのです。
全体とは、同じ個の集合体であると思い込んでいるのです。
そのような世界に幸福は存在しません。
あなたは個を殺してはなりません。
他の目的のために、自らの目的を手放してはなりません。
全体を支える個でありましょう。
苦しみのために行うのをやめて、喜びのために行いましょう。