多くの人は不足しています。
多くの人は満たされてはいないのです。
そのため、常に多くのものを求めています。
足りなければ求めなければなりません。
多くの人が満ち足りることなく生きているのです。
それは、多くの人は満ち足りることを知らないからです。
満ち足りる方法を知らないために、常に不足しています。
満ち足りている人は与えることができます。
それは幸福なことです。
与えることができるということは、ある種の余裕があるということだからです。
少ない中からでも与えることができる人の心は、豊かに満ち足りているのです。
しかし、多くの中からでも与えることができない人がいます。
多くを所有しているのに、まだ欲するのです。
それは、どれだけ多くを所有していようとも、その心が乏しく不足しているということを現しているのです。
不足しているために多くを求め、多くを所有します。
多くを求めるということは、多く不足しているのです。
多くの人はその心が豊かに満ち足りていないために、多くを求めるのです。
多くの人は他人からの評価を求めています。
認められていないが故に、認められたいという願望が強いのです。
そして、褒(ほ)められようとします。
しかし、不足し、満たされてはいないために与えることはしません。
与えることをせずに褒められようとするのです。
そのような矛盾が実現することはありません。
そのため、更なる矛盾を行うようになるのです。
矛盾によって矛盾を解決しようと浅はかに考えるのです。
それは、嘘を嘘によって真実に変えようとする愚行と同じなのです。
多くの人は、当たり前のことを褒めて欲しいと願います。
しかし、当たり前のことをするのは当たり前のことなのです。
当たり前のことをしたからといって褒められる人はいません。
当たり前のことをして褒められるためには、自らを蔑(さげす)まなければならないのです。
それは、人生の目的である成長に矛盾しています。
しかしながら、そのことには気が付きません。
自らの浅はかな考えによる愚行が、自らを満たすと思い込んでいるのです。
多くの人は褒められることを求めています。
しかし、褒められることを期待している者が、褒められることを行うことはありません。
なぜなら、その志(こころざし)が低いからです。
他人から褒めらえることを前提に行う者は、利己的に行っているのです。
自分のために行うことが、どうして他人に褒められるのでしょうか?
利己的に生きれば、他人からの誉(ほま)れは奪われます。
利己的に生きる者に対しては、恥が与えられるのです。
多くの人は利己的に生きています。
そのため、恥の上に更なる恥を重ねるのです。
褒めるべき人間がどれだけいるでしょうか?
どれも不足しています。
あなたは、当たり前のことによって褒められることを期待してはなりません。
自らを蔑んではならないのです。
羞恥心(しゅうちしん)を以て生きましょう。
恥を知らなければなりません。
あなたは、他人から褒められることを期待してはなりません。
あなたの行為が利他的で素晴らしい時には、他人からの賞賛(しょうさん)が惜しみ無く与えられるでしょう。
人が褒められることを期待せずに行った時には、その心は満ち足りることを知るでしょう。
誰に当たり前のことを褒めません。
赤ん坊が立ち上がれば褒めますが、大人が立ち上がれば、今すぐに歩きなさいと言うのです。
大人が立ち上がったことで褒められることを期待してはなりません。
多くの人は不足しています。
多くの人は満たされてはいないのです。
しかし、それに気が付いてはいません。
そのため、当たり前のことを褒めて欲しいのです。
あなたは、恥と共に生きてはなりません。
誉れを期待せずに与えましょう。
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