あなたは何を知っているというのでしょう?
すべての人は知りません。
自分自身に関わることで少しだけ知っていることもあるでしょうが、ほとんどのことを知らないのです。
あなたは自分自身が何者であるのか?
人生が何のためにあるのか?
という根本的な問いに答えることができるでしょうか?
多くの人はこの問いに答えを持たないでしょう。
人は無知であることが自然です。
すべての人が無知を所有しているのです。
それは決して悪いことではありません。
誰もが赤ん坊として生まれ、立ち上がることさえできないのです。
すべての人が無知であり、無力であったのです。
大切なのは、知恵を得ること、力を得ることなのです。
無知という状態が悪い訳ではありませんが、無知を放置することは怠慢です。
自らが無知であると知っていながら、それを放置するのは傲慢なのです。
無知を克服しなければなりません。
無力を改めなければならないのです。
しかし、あなたがどれだけ知恵や力を得ても、知らないことは存在します。
どのように努めても、無知や無力を完全に拭い去ることはできません。
世界は果てしなく大きく、果てしなく深いのです。
あなたが無知と無力を所有することは、この世の理であると理解しましょう。
無知と無力が存在し続けるのであれば、あなたにとって受け入れることが難しいことや、どうすることもできない状況というものは常に存在します。
しかし、多くの人は自分自身が知恵や力を所有していると思い込んでいます。
そのため、受け入れることが難しいことや、どうすることもできない状況というものを否定するのです。
知恵があると思い込んでいるために受け入れることができず、どうにかすることができると考えるのです。
人生には信じられないようなことが起こります。
それは、あなたの常識を覆(くつがえ)すような出来事です。
あなたはそれを難解だと思い、信じることができないでしょう。
しかし、あなたは無知であり、無力であるのだから、信じられないことは起こるのです。
自らの力を過信する者は、常識や既成概念に捉われるでしょう。
力を過信しているために、それ以上の成長は必要ないと思い込んでしまうのです。
常識によっては計り得ない新たなものを受け入れるためには、成長を欲する以外に方法はないのです。
あなたは決して自らの力を過信してはなりません。
あなたは決して知りません。
あなたの目の前には、決して太刀打ちできないような状況が現れることもあるのです。
そのことを知っているのであれば、あなたが否定の内に生存するということはなくなるでしょう。
人生は素晴らしいものです。
しかし、否定を用いるのであれば、それは苦しいものとなるのです。
力を過信する者には感謝がありません。
力を過信する者には謙虚さがありません。
力を過信する者には慈しみがありません。
力を過信する者には愛がないのです。
あなたは自らの力を過信することなく、感謝、謙虚さ、慈しみ、愛と共に生きなければなりません。
あなたが信じられないことに出会っても、感謝、謙虚さ、慈しみ、愛によって、あなたが混乱を得ることはありません。
それ等によって、あなたが苦しむことはないのです。
どのような状況に出会っても大丈夫です。
力を過信することがなければ、あなたは必ず乗り越えていくことができるでしょう。
否定はあなたの壁となります。
信じられない状況に立ち止まっていてはならないのです。
無知であるあなたにとって、信じられないことはたくさんあるでしょう。
その度に立ち止まっているのであれば、時間が幾らあっても足りないでしょう。
信じられないことが自然です。
受け入れることの重要性を理解する必要があるのです。
すべての人は知りません。
そのため、信じられないことがあっても、それで良いのです。
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